リブラの選択
目を覚ました時、遠くから地鳴りのような音がしていた。
家の窓から滝を見ることはできないが、ミアプラキドゥス川のほとりに建っているこの家では、滝の音がずっと聞こえている。特に、こんな静かな朝は、音が大きく聞こえる。
ヴィーはまだ眠っているのに、またあの夢をみているのだろう。力いっぱいに、俺を締めつけてくる。――少し痛みを感じるほどに。
それでも、ヴィーをなだめるように抱きしめる。目にかかる前髪をはらうと、ヴィーが目を開けた。そして、すぐにヴィーは私の頬にキスし始める。それを笑いながら、避ける。
幸せな朝だと思う。
私たち二人……
「エリース! ヴィーくんといちゃこいてないで、起きて来い!!」
…………じゃなかった。
部屋から出ると、階段の下にいるキャプリコーンと目が合った。
「エリース、腹減った!」
「アルフェラッツは? あぁ、そうだった。屋敷に戻っているんだったね。今から急いで準備するから、ちょっと待ってて」
「エリース、シャワーからお湯が出ないんだけど。はぁ〜、朝から水を浴びるなんて……本当最悪」
リブラは、機嫌悪そうに髪を拭きながら歩いてくる。
「先に朝食の準備をするから、その後で見てみるね」
思っていた生活と……全然ちがう。
リブラとキャプリコーンがオービットにやってきたのは、私とヴィーが二人の生活に慣れてきた頃。正確に言うと、『魔法具を使ってアルフェラッツとリブラが二人でやって来て、移動魔法が使えるようになったリブラがキャプリコーンを迎えに行った』が正しい。
その日から、アルフェラッツは「旦那様に言われましたので」と居座り、リブラとキャプリコーンは暇さえあれば、やってくる。
三人がいてくれるのは嬉しいし、楽しい。でも……私以外の人がいると、ヴィーは話すことも表情を変えることもしない。
これに関して、ヴィーに本当のことをみんなに伝えようと提案した。三人なら、大丈夫だと。そして、お父様にも伝えほうがいいのではないかと。
ヴィーは、少し考えるようにした後「先に、キャプリコーンに話して意見を聞いてからの方がいい」と言った。キャプリコーン? と頭をひねったが、ヴィーがそう言うのならば文句は何もない。
たけど、キャプリコーンだけに話すというのは、なかなか至難の業だった。やっと話せたのは、話そうと決めてから二日後のことだった。
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話を聞き終えたキャプリコーンは、ただ数回頷いただけで何も言わなかった。その反応の意味がわからずにいると、ヴィーはキャプリコーンの考えがわかっているのかキャプリコーンの肩を軽く叩いた。
私だけ置いていかれてみたいな気がして、ヴィーに視線を送る。
「どうする?」
私の視線で口を開いたはずなのに、ヴィーが質問を投げかけた相手は、キャプリコーンだった。
「もう少し、このままでもいいか? まだ、リブラに知られたくない」
まだ、知られたくない?
「どうして?」
「犬たちが……俺たちと同じように会話ができて、感情があるとリブラが知ったら……間違いなく、闘犬の廃止に全力を尽くすだろう。犬を解放しようともするだろう。それが悪いことじゃない、正しいことだ。でも、リブラはエリースが思うほど、強くはない。それに、今……リブラの立場が…………あまりよくないんだ」
「どういうこと? 一体、何が……あったの?」
「エリースの誘拐の件で、陛下がジェミナイ様に激昂して大変だったんだ。ジェミナイ様を処刑するって話にまでなって、リブラは……かなり強めの抗議を陛下にしたんだよ。その甲斐あって、どうにか別邸に幽閉っていう形で落ち着いたが……リブラ自身も王宮への出入りを制限された。今、リブラに知られたら…………もっと状況が悪くなるのは避けられない」
――全然、知らなかった。
色々あったのだろうとは思ったし、陛下がジェミナイ様に対して何かの処罰はされるだろうと思っていたけど、まさか処刑する話にまでなっていたなんて……思いもしなかった。
「そんな顔するなよ、お前のせいじゃない。ジェミナイ様が自分で、陛下の側室になると決まっていたエリースを攫ったんだ。その後、どうなるかくらいわかっていたさ」
「でも、ジェミナイ様は……私と愛し合っていたと思っていたから行動したのよ。私が……」
「ちがう。たとえ、愛し合っいたとしても相手の意志を聞かずに誘するなんて、そこに愛はない。そんなのは、愛じゃない。いいいか、エリース。お前は、死にかけたんだ。結果、元気でこうしているけど、一時は本当にやばかった。リブラも、かなりキレていたよ」
キャプリコーンは、そこで一度言葉を切った。少しの沈黙の後、再び話を続けた。
「でも、エリースの命が助かって、元気になって。それを知っているリブラは、黙っていられなかったんだ。陛下に逆らうことが、どういうことか理解しているのに……リブラはわかっていて、行動したんだ。だから、リブラのこともエリースが気にすることじゃない。覚悟の上でやったことだ」
「……他には?」
「なにが?」
「側室の話を白紙にしてくれたのも、リブラなんでしょ?」
「………あぁ、リブラだよ。もちろん、シェラタン卿も尽力してくれたから、リブラだけの力じゃない」
「キャプリコーン。リブラは……王宮への出入りを制限されているだけじゃないでしょ?」
オルサ王の私への執着は、異常なほどだった。私を攫ったジェミナイを処刑するとまで考えていた陛下が諦めたということは……。
キャプリコーンは、淡急に目の焦点を失って、しばらくどこか遠くを見つめた。そして、曖昧に笑ってみせた。
「大したことじゃない」
アルフェラッツも、言葉を濁していた。
「キャプリコーン、教えて。……リブラは、何を犠牲にしたの?」
キャプリコーンを見つめながら言った。誤魔化さないでほしい、と思いこめながら。キャプリコーンは小さなため息をついた後、口を開いた。
「俺たちは、ステラ・マリス神殿での挙式を行うことができなくなった」
「え……?」
「大丈夫だ。式を挙げられないだけで、結婚の許可は得ているから」
ステラ・マリス神殿で結婚式を挙げられない、ということの意味。
ステラ・マリス神殿で結婚式を挙げた時にだけ、パライバトルマリンに触れることが許される。そして、そのパライバトルマリンに触れて、初めて子どもを授かることができる。
「キャプリコーン……」
「謝るなよ。何度も言っているが、お前が責任を感じる必要はない。リブラは、それでもいいからと陛下に嘆願したんだ。俺は、そんな選択ができるリブラに惚れている。また同じ選択を迫られたとしても、リブラの答えが変わることはないだろう」
私も、そう思う。リブラなら、何度でもその選択をするだろう。私が側室になる話がでた時も、リブラは迷うことなく、私を助けてくれた。自分の立場が悪くなるかもしれないのに、私に手を差し伸べてくれた。
そんなリブラが犬たちの真実を知ったら、きっと黙っていない。私たちが止めても、オルサ王に意見する……自分のことを顧みずに。
「エリース、今まで通りにしていろよ」
「え?」
「この話は、これで終わり。いいな?」
「……うん、わかった。私の考えが甘かったみたい。犬のことは、私たちだけの間で留めておこう。まだ知らないことが多すぎるしね」
そう言って、同意を求めるようにヴィーを見る。ヴィーが軽く頷くのを確認してから、言葉を続ける。
「オルビタにいる時、ヴィーは他の犬から……ナヴィガトリアに知られるなって言われたの。感情があることも、話せることも、知られてはいけないって」
「ナヴィガトリア? 待て待て、ナヴィガトリアは神話の出てくるトルマリンのことだろ?」
「神話は、真実を基にしているんだと思う。だから、ナヴィガトリアは……神殿のどこかにあると思う」
生命の魔法がかかったトルマリンが、ナヴィガトリア。でも、実際に触われるのはナヴィガトリアではなく、ステオラというトルマリン。
「ステラ・マリス神殿に行って、ナヴィガトリアを探してくる」
「はぁ!?」
「キャプリコーンは、ステラ・マリス神殿に言ったことある?」
「あるけど……お前、マジか?」
「うん、マジだよ」
お父様にお母様を返してあげる方法も、ヴィーの本能を抑える方法も……ナヴィガトリアに関係があるはず。ナヴィガトリアを見つけることができれば、全てが解決できるような気がする。
きっと、私の大事な人たちを笑顔にすることができる。




