首輪
広がる青。眩しくなるほどの青空を見ながら、お父様からの手紙をもう一度読み返す。
『犬には闘いの本能があると書いてあった。その本能を抑えるために、犬は首輪を付けている。だから、決して外してはならない』
アークトゥルスは、血と殺戮の種族。
あの本に書かれていた、言葉。でも、ヴィーは外した後も変わった様子は見られない。優しい笑顔も、私を抱きしめてくれる手も、温かい体温も。
……だけど、あのサイコの言葉が気になっている。
『いつまでも、隠すことはできない』
『いつまでも、我慢なんてできない』
あの時のヴィーの表情を思い出すと、サイコの嘘だと突っぱねることができない。サイコの言葉を聞く前にも、その可能性は頭によぎっていた。それと……気になることがある。
オービットに来てから、私は悪夢を見なくなったけど、代わりにヴィーが毎日のようにうなされるようになった。
昨日の夜も私を呼ぶ声で起きて隣を見ると、ヴィーは目を覚ましていなかった。起こそうと手を伸ばした時、ヴィーが突然震え始めた。悪夢にでもうなされているかのように、何かを呟きながら。肌は汗でびっしょりで、全身の筋肉を引きつらせる姿は、いかにも苦しそうだった。
「ヴィー」と何度も呼びかけたが、目覚めることはなく、身をこわばらせたままだった。頬や髪をなでて、なだめようとしたけど、なかなか治らない。ヴィーのひたいを繰り返しなでながら、「そばにいるから、大丈夫だよ」と声をかけ続けると、やっと落ち着いたように静かに寝息をたてて始めた。私はホッとして、ヴィーを抱きしめながら、もう一度眠りについた。
ヴィーが悪夢を見るのは、オルビタで過ごした記憶のせいだと思っていた。だけど、それだけじゃないのかもしれない。首輪を外したことにより、ヴィーの本能が出てこようとしているのかもしれない。それを、必死で抑えこんでいるのかもしれない。私に隠しながら…… 一人で苦しんでいるのかもしれない。
ヴィーを見ると、肘掛けの上に足を投げだしてソファーに身を沈め、頭の下で両手を組んでいた。目は閉じていて、きれいな金瞳を見ることはできない。
「ヴィー」
呼びかけると、声に答えるようにゆっくりと目を開け、その金瞳を私に向ける。
「ん?」
微睡んでいたのか、少し鼻にかかった声でヴィーは答えた。
ヴィーのいるソファーに近づき、空いているスペースに体を無理矢理ねじ込むと、ヴィーは体を起こして私の座るスペースを作ってくれた。
「ヴィー、秘密のお茶会をしよう」
「ん?」
「私、ヴィーに聞きたいことがあるの。だから、私の質問に正直に答えてほしい。心と心で話したいから、自分の心を隠したりしないでほしい」
「……セーラ?」
「私は何があっても、ヴィーの手を離すことはない。それは、わかっているよね?」
「……あぁ」
「返事が遅い。信じてよ」
「あぁ、わかった。隠し事はしない。約束する」
「私も約束するよ。私は、ヴィーに嘘をついたりしないって」
シーツを被って、ベッドで向かい合うように座る。そして、視線を合わせる。お互いの言葉が真実だと、目で語るために。
「外した首輪には、制御魔法と遠隔操作魔法がかかっているって言ったこと覚えている?」
「あぁ、覚えているよ」
「それで……制御魔法は"声を出させなくさせること"と"脳内の考えや感情をまとめる機能を十分に働からかせないようにすること"の二つ。遠隔操作魔法は"リミッターを外し、本能を解放させるためのもの"って言ったよね? でも……遠隔操作魔法は、それだけじゃなかったの。お父様からもらった手紙に、『首輪には、闘いの本能を抑える魔法がかかっている』って書かれていた。たぶん、制御魔法は"本能を解放するため"のものではなく、元々は"本能を抑えるため"のものだったのだと思う」
――毎年、何人も犬に殺されている。
――愛玩犬は、必ず檻の中で飼育しなければならない。
貴族たちは、私と同じように首輪外して、本能を抑えられなかった彼らに……殺された?
「ヴィーは……首輪を外してから、何か変わったことがある?」
一瞬、金瞳の奥に……怯えが見えた。目を逸らそうとするヴィーの顔を押さえて、目を合わせる。
「ヴィー、大丈夫。私は、ヴィーの手を離すことはないよ。だから、大丈夫」
「……セーラ、俺は…………悪夢をみるんだ。……夢と現実が……わからなくなるような夢を。夢の中で目を覚ますと、セーラはいない。どこを探してもセーラはいなくて…………セーラと過ごした時間が、すべて夢だったと知る。俺は一人で、暗闇の中で……セーラの名前を呼び続ける」
優しく抱きしめると、ヴィーはきつく体を抱きかえしてきた。あまりの強さに声がもれると、ヴィーは腕をほどき自分の頭を抱え、ひざに肘をついた。私はヴィーを抱きしめながら、背中をなでる。
「……たまに、本能が暴れ出しそうになる。内なる獣が、自分の中にある檻を壊そうとしているのを……感じる時がある」
「うん」
「もし、俺が……抑えられなくなったら………」
「うん」
「俺に…………首輪つけてくれ」
「うん」
「でも、ギリギリまで……つけたくない。つけると、頭に靄がかかったようになるんだ。だから、まだ……このままで、いたい」
「うん、そうしよう。それで、決まり」
「そんな簡単に決めて……いいのか?」
ヴィーの額に、自分の額をつける。
「大丈夫よ」
「もし……急に、本能が暴れ出したら? そう不安にならないか?」
「ううん、ならない」
私は優しく、ヴィーの頭をなでる。
大丈夫だと、怖がらなくて大丈夫だからと。
「ヴィーは、ならないよ」
「……どうして言い切れる?」
「ヴィーは優しいから。そして、強いから。こんな強い心を持っているヴィーなら、本能になんか負けないよ。大丈夫、自分を信じて」
「……いいのか? 本当に」
「私の秘密を教えてあげる。私が……ヴィーを好きって気持ちは大きすぎて、私の心ではつかみきれないほどなの」
そう言って笑った後、触れたヴィーの唇はわずかに震えていた。その震えを感じた時、私は決心をした。
このままで、いいはずがないと。
誰に反対されても夢を諦めないと決心したからこそ、無理だと言われていた進学校に入学することができた。今回だって、足を前に踏み出さないとだめ。ヴィーが動けないなら、私が手を引いてあげるから。
だから、大丈夫。私が本能抑える方法を、必ずみつけてみせるから。




