ステラ・マリス神殿
「……空気が、重たいな」
キャプリコーンが、静かに呟く。
「それに、しびれるような感じがするわ」
リブラは、手を握ったり開いたりしている。
ヴィーは無言のまま、石の床や壁の強度を調べている。
「古い魔法のせい。ここは、古の魔法で満たされているから、空間がピリピリしているんだと思う。……でも、本当に重い空気だね」
――魔法具と同じ、古の魔法を感じる。
ステラ・マリス神殿は、天然岩の岩山をくり抜いて作られ、まるで教会全体が岩山の中に埋まっているように見える。その地下に、私たちはいる。
岩肌に囲まれた円状の空間。光の差さない暗闇を、ランタンの明かりで照らされた場所。
「キャプリコーン、リブラ、感じる?」
「あぁ。ヤバい場所だと、体全体で感じまくっているよ」
「ここは、魔法がうまく使えない空間みたいね。そして、この場所は…………監獄みたいよ」
「監獄?」
尋ねると、リブラは私と目を合わせた後、ちらりと壁の方に目を向けた。リブラの視線の先を追うと、何かの図柄と象形文字が刻まれている。
「リブラ、この文字が読めるの?」
「私は、古の文字も習っているからね。エリース。これは内緒の話なんだけど、実は…………私、オルサ国の王女なの」
「……つまんない冗談言ってないで、早く読んで」
「少しは、構ってくれてもいいんじゃない? 冷たいわね、エリースは」
「リブラ、早く!」
「はいはい、わかったわよ。えーと……良く見えない。エリース、ランタンを貸して」
持っていたランタンを渡すと、リブラはゆっくりと壁に近づく。私もその後ろについて、一緒に壁の文字が見えるところに行く。
「…………かなり、昔の言葉ね。えっと……罪を悔い改めろ」
リブラが、文字を訳し始めた。
「生かさず、殺さず、ここから離れることも許されない。汝に、安眠が訪れることはない。……この場所に、罪を犯した者が閉じこめられているみたいよ。壁に刻まれた暦によると……数千年以上前から」
「数千年前? ずっと、ここに?? 囚われ続けているってこと? そんな……」
私が言い終える前に、どこからか石を引っかく音が聞こえてきた。
何かが…………いる。
全員が部屋を見回す。最初に音の出どころに気がついたのは、ヴィーだった。ヴィーの腕がさっと伸びて、私をその音から遠ざける。
「来たばかりだが、この場所から出た方がいいんじゃないか?」
キャプリコーンは鞘から剣を抜いて、リブラを守るように構える。
「会話くらいなら、できるんじゃないの? それに、戻ったら……もう一回、ここに来る気にはなれないわよ、私」
リブラは、キャプリコーンに近寄りながら答える。
突然、今までしなかった腐敗臭がした。部屋中にある古の魔法が、渦巻いている。無意識のうちに魔力を立ち上げようしたが―――何かが、肩に当たった。
怖くて、見たくない。
そろそろと肩を見ると、目に映ったものを受け入れられなかった。
「エリース、顔が真っ青だよ。どうした……」
リブラの声は途中で、喉の奥に消えていった。
異変に気がついたヴィーが、鋭い爪を振り下ろす。しかし、実体のないものに攻撃することはできない。影に似たようなものが霧散して、また集まってくる。
「おい! どうした⁉︎」
キャプリコーンが叫ぶと同時に、影が濃くなってくる。たぶん、魔力が強い俺とリブラにしか見えていない。
「……何かが、いる」
私が呟いた時、ヴィーが片手で俺を庇い、背後に押しやった。私も四人を守るように風の壁を作ろうとしたけど、魔法がうまく紡げない。
「もう、ここから出た方がいい! リブラ!」
「待って! エリース、魔法が上手く掴めない!!」
魔法具の指輪を使って移動できるのは、二人だけ。全員は、移動できない。右手で、移動魔法を操る。
よし! 大丈夫!
私は、使える!!
「リブラ! この指輪で、ヴィーと戻って。私とキャプリコーンは、移動魔法を使うから!」
魔法具は作動するのに魔法を使わなくてはならないけど、通常の魔法と違い、微量の魔法量でいい。リブラなら、問題なく作動できるはず。
リブラに指輪を渡そうとした瞬間、影に思いっきり引っ張られた。ヴィーがすぐに反応し、私を捕まえようとしたが、引っ張るスピードが速すぎる。ありえない速さだ。それでも、手が触れそうになるほど近くまでヴィーがスピードについてくる。
手を伸ばす。
あと少し……スピードが、さらに上がった。ぐん、と反動のついたような加速とともに、すごい力で引っ張られていた。私は悲鳴をあげ、ヴィーに向けて手を伸ばしたが、その手を掴むことはできなかった。
暗闇の中へと、引きずりこまれていく。あまりのスピードに耐えきれず、視界が黒くなっていく。
そして……目を開けた時は、誰もいなかった。
――ここは、どこ?
どこにいるかはわからないけど、ここも古の魔法が充満している。ということは、さっきの場所から、遠く離れた場所ではないはず。
――あの影は、どこに行ったの?
見まわしてみても、真っ黒で何も見つけることができない。
あの影は……閉じこめられていた人の成れの果てなのかもしれない。長い間閉じ込められ、正気を失って、生きる屍のようなものになってしまった?
影が、動いた気がした。
――――この場所にいる。
でも、近づいてこない。攻撃しようとする、素振りもみせない。
私に、危害を加えるつもりはない? もしかして……何か目的があって、私をここに連れてきたの?
「言葉が……わかる?」
キィーという黒板を爪で引っかく音がして、思わず耳を押さえた。
今、返事をしたの? 私に、何かを求めている? だとしたら、影が求めるものは?
……それは、自由。
そして、この場合の自由は『死』だと思う。
影は私の中にある魔力を感じとり、自分に死をもたらしてくれると思いこんでいるのかもしれない。もし言葉が通じるなら、どうすればいいのか聞くことができるのに……この影が会話できるとは到底思えない。それに、私には、この影を自由にしてあげる方法なんてわからない。
風が、頬をなでた。
――どこかに、風の通り道があるの?
風が進む先に目をむけ、暗闇に慣れてきた目が、鏡を見つけた。
――なんで、鏡がこんなところに?
「……鏡よ、鏡よ、鏡さん。世界で一番美しいのは、誰?」
こんなところで、私は何を言っているんだろう。でも、目の前の鏡は思わず白雪姫のセリフが出てきてしまうほど……おとぎ話に出てくるような等身大以上ある楕円形の大きな鏡だった。縁は金で、繊細な彫刻が施されている。その鏡の表面が一瞬、波打ったような気がした。気になって、触れようと手を伸ばす。
『誰って、答えてほしい?』
帰ってくるはずのない返答に、息を呑んだ。まさか返事をされるとは思わず、伸ばした手が宙を掴んだまま固まった。それに、その声には……聞き覚えがあった。懐かしい声、よく知る声。
『久しぶり、セーラ』
「夏目……?」
一体、どうして?
本当に……、夏目なの?




