我慢の限界です!
くらくらする……。
一体、何が起きたの?
考えたいのに、思考がまとまらない。体を起こそうとすると、頭に痛みが走る。
一体……ここは、どこなの?
息が乱れる。静かな部屋では、その音がやけに大きく響く。目を閉じ、落ち着くのを待つ。
どれくらい、そうしていたのかわからない。だけど、まぶたを開くことができるようになるまでに、思ったより時間がかかった。
ようやく目を開け、焦点をあわせることに成功すると、部屋の中をゆっくりと見回す。
広い部屋だった。
窓際にテーブルが置かれているだけの空間。見たことも、来たこともない部屋。
……ここは、どこ?
どこでもいい! 早く、逃げなくちゃ!!
そう思うと同時に、自分の手に手錠がはめられていることに気がついた。すぐに魔法で外そうとしたけど、魔法を使おうとした瞬間、脳天からつま先にかけて痛みが突き抜ける。
どうして?
手が震える。身体が震える。
――魔法を、使えなくさせられている。
どうして? どうやって?
………………魔法具だ。この手錠が……魔法具だ。頭がはっきりしないのも、きっとこれのせいにちがいない。
自分の力だけで、どうにか手錠を引きちぎろうとしたけど、出来なかった。手も、足も、重く感じる。まるで、自分の体じゃないみたい。重くて、うまく体が動かない。
どうして?
……たぶん、さっきのコーヒーのせいだと思う。コーヒーの中に、薬が入っていた?
何のために? どうして? 私は、どれくらい意識を失っていたの?
……だめだ、頭がうまく働かない。
さらに、力をこめて鎖を引っ張る。だけど、私の力では鎖はガチャガチャと音を立てるだけど。
……だめだ、引きちぎれそうにない。
わたしは、どうして、こんなところに連れて来られの? 一体、誰が? 何のために?
……落ち着いて。今は、そんなことを考えている場合じゃない。とにかく、早く逃げないと。
そう、逃げるの!!
逃げなくては……。
その時になって、今までわからなかった気配を背後に感じた。誰かに見られているという感覚に冷や汗を出て、寒気がする。ほんの数メートルのところにいて、こちらに少しずつ近づいてくる。
「目が覚めたかな?」
反射的に振り向くと、そこには王子が立っていた。何番目かは、わからない。だけど、既視感のようなものがあった。
目の前の王子は、狂気を孕んだ目で私を見ていた……。その目に、見覚えがあった。
――ジェミナイだ。
そう、確信めいたものがあった。
「『私は、誰も愛したことがない』と、父上に……君は…………言ったね? 誰も愛したことはない、と」
やばい。これは、やばい状況だ。
瞬時に判断し、逃げようと体をひねったが、すぐにジェミナイに肩をつかまれた。
「何度も愛し合っただろう? 何度も、君は……私に笑いかけてくれただろう? 私を抱きしめてくれただろう? 愛していると何度も伝えただろう? ……エリース、君はいつも、嬉しそうに笑ってくれただろう?」
ジェミナイは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。その目に宿る狂気の色に、深みが増していくのを感じる。
「それ以上、近寄らないで!」
肩にある手を振り払い、壁にもたれ、後ろでつながれていた手をどうにか足に通し、前にも持ってきた。これなら戦えると自分に言い聞かせ、王子と対峙する。
「抵抗しても、無駄だよ。二度と、君と離れるつもりはない。エリース……私たちは永遠に、一緒だ」
――頭の中で、何かが弾ける音がした気がした。
もう限界! もう知らない! 我慢なんてしない!! 一体、何なのよ! 次から次へと! いい加減にしてよ!!
押さえていた堰が、切れるようだった。溜め込んでいた感情が溢れ出す。
自分を偽るのは、もう終わり! あんな本なんて知らないし、気にしない‼︎ それに、王が何よっ⁉︎ 王子が何よっ⁉︎ どうして、言うことを聞かなきゃならないの⁈ 私を閉じ込めようとするなら、隕石の一つや二つ落としてやるんだから! ステラ・マリスができたのなら、私にもできる! ――できないはずがない!
そして、みんなを連れて、新しい国でも作ってやる!! 魔法チート、なめないでよ!!!
「ふざけないで! 私は、こんなところにいるつもりはない!」
そう言うと、ジェミナイを睨みつける。
「エリース……?」
王子は、私の反応に当惑しているようだった。発したその声は、少しかすれていた。
そんな王子を無視して逃げようとすると、王子がもう一度、私を掴もうとしてきた。それに気がついて重い体を動かし、腹に蹴りを食らわせる。
不意打ちだったからか、見事に入って王子がよろめく。その様子に、もう一発蹴りあげようとした瞬間、王子のそばにいたらしい護衛が私の後頭部に手を当て、体を壁に押しつけた。痛みに、思わず声が漏れる。
「……エリース、……ヴィーとは、誰だ?」
冷気が含まれているような、王子の声がした。
「さぁ、……誰だろうね」
挑発的に答える。
「何度も呼んでいた……何度も。エリース、ヴィーとは……誰だ?」
「教える気はない! 手を離せよ!」
王子が何か指示を出したのか、護衛が私の顔を無理やり王子のほうに向かせた。抗ってみても力では勝てず、それでも首をもちあげて睨みつける。
「エリース。今の君が……本当の、君か?」
「そうよ! もう、わかったでしょ? あなたが好きなエリースは、どこにもいないの。私を離して!」
「私は、どんなエリースでも……愛している」
「私は、愛してない!!」
ごめんなさい、悪いことをしたと思っている。……だけど、こんなことをしていいわけじゃない。愛した人を自分の父親に奪われて、取り返したかった気持ちもわかる。……でも、薬を飲ませて、手錠をかけて、閉じ込めるなんて、ありえない!
愛しているなら、なんでこんなことをするの? 愛を、自分のしたことへの免罪符にしないでよ。
……ねぇ、ジェミナイ。
こんなことしたら、王にバレたら……どうなるか分かっているでしょ?
悪かったと思う。お父様の言う通り、あなたたちの気持ちを考えていなかった。私は、”身代わりくん”を使うべきじゃなかった。本当に、ごめんなさい。
でも、私は……ここから逃げる。ここから逃げて、ヴィーのところに戻る。私の居場所に帰る。
頭の中に残ったのは、それだけだった。
窓を見ると、木が見えた。
――――迷いは、全くなかった。
力いっぱいに護衛を押しのけて、距離をとる。思ったより、簡単に自由になった。そして、今度は自分の意思でジェミナイを見る。
「ごめんなさい、悪いことをしたと思っている。どんな理由があるにしろ、あなたに愛し合っていると思わせてしまったこと。だけど、私はあなたを愛することはできない。そばにいることも、できない。だから、……どうか、あなたは誰か他の人を見つけて」
幸せになってほしい。私に、言われたくないかもしれないけど……。
「本当に、ごめんなさい」
そう言うと、手錠のかかった手を窓際にあるテーブルにおき、勢いよく窓を蹴破った。
窓の外に、木が見えた。木の高さからなら、落ちてもどうにかなるはずだ。そう判断したが、思ったより高さがあった。
――まずいっ!
左手で「風」を呼んでも、反応しない。手が震え、頭の痛みが増す。歯を食いしばって痛みをこらえる。どんどん地面に近づく。
――間に合わない⁈
この高さからだと……軽い怪我で、すみそうにない。
どうにか魔法を自分のものにしようと、目を閉じて集中する。でも、うまくできない。落下スピードが、全く変わらない。痛みが走る。体が震える。それでも、ありったりの力を左手に送る…………と手錠がバキバキという音と共に砕け散り、「風」が私を包む。
地面まであと少しという距離で、私と地面の間に空気のクッションができたようにふわりと地面に降り立つことができた。だけど、足に力が全く入らず、崩れ落ちる。すぐに移動魔法を使って、逃げないと……そう思うのに、意識が、遠のいていく。体の熱が、失われていく。
だめ! もう少しだけ、力を! お願い! どうにか屋敷まで、ヴィーのところに帰りたい。
震える手で、魔法を操る。
だめ、意識を保っていられない。体が寒くて、仕方がない。震えが……止まらない。
「ヴィー」
名前を呟いた。唇が勝手に動いてヴィーの名を呼び続けながら、重い鉛の扉のような世界に沈んでいくように視界が暗くなっていく…………。
「エリース!」
遠くで、誰かの声が聞こえる。それが誰なのかは、わからなかった。ただ、ひどく焦っているその声に…………助かったと思った。




