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どうしたら、いいですか?


 心臓が、大きな音をたてていた。

 ――どうにか誤魔化さない、と。


「先ほどの言葉に、偽りはございません。ですが、第一王子のトーラス様と第二王子のジェミナイ様とと第四王子のリオ様と第五王子のヴァーゴ様と第七王子のスコーピオ様と……お付き合いをしていたことも間違いありません」


 こうやって言葉にすると、本当に"変態公爵令嬢"だわ。我ながら、貞操観念が低すぎる……。でも、そのことが誰も愛していないという言葉に、真実味をもたらしてくれる。

 だから、大丈夫! と自分に言い聞かせる。


 落ち着けば、大丈夫。

 動揺した素振りを見せないようにするの!


「ですから、陛下がお疑いになるのは致し方ありません」


 あまり多くを語るべきじゃない。こんな時こそ、ゆっくりと笑顔で答える。


「誰も好いていない、と?」

「陛下がお望みであれば、皆の前で『誰一人として、愛したことはない』と伝えましょう。私はどなたを目の前にしても、迷うことなく言い切れるとお約束いたします」

「エリース、そなたを信じたい。……信じていいな?」


 知らない間に、握りしめていた手に力が入る。


 落ち着け、疑わせないようにするのよ! 動揺しちゃダメ。私は――屋敷に戻りたい。戻っていいと言われたのに、そのチャンスを逃したくない。


「私の言葉に、偽りはございません。陛下」

 

 わずかに顎をあげて、微笑んだ。

 

「信じよう、エリース」

「ありがとうございます、陛下」


 一礼しようとすると、オルサ王が私の髪を一房掴む。そして、掴んだ髪にそっと唇を這わし、顔を近づけてくる。今度こそ絶対に体が反応しないように、握っていた手にさらに力をこめる。


「だが、水の城に行くのは式が終わってからだ。そなたが、我が妃になってから。そなたの全てを、手に入れてから」


 生暖かい息が、耳元にかかる。そして、オルサ王は反応を確かめるように私を見た。


「……それで、よいな?」


 探るような目から逃れようとする自分を叱咤し、目を逸らすことなく微笑む。そして、「陛下の御心のままに」と言ってから一礼する。

 その反応に納得したのか、オルサ王は来た時と同じようにゆっくりと部屋を後にした。私は礼をしたまま、オルサ王が部屋から出ていくのを見送った。

 


 

 …………失敗した。


 上手くいきかけていたのに! これで結婚式までに屋敷に戻る許可を取るのは、難しくなってしまった……。帰れると思ったのに……。最後に気が緩んだのが、いけなかった。それに、あの時の反応もよくなかった。


 ――でも、なんでもない振りなんて……できなかった。


 ヴィーとは、ちがう感触を思い出し、顔の筋肉がひとりでに動いて、大きく歪む。無意識に、唇を何度も拭っていた。


 ……私は、一体何をしているんだろう。

 こんな場所に、閉じ込められて……。


 もう、ここにいたくない。逃げ出したい。

 逃げるのは、簡単。移動魔法を使えば、一瞬で屋敷に戻れる。でも……逃げたら、お父様たちは? 


 簡単に、想像がつく。


 大きなため息をついてから、さっきまで飲んでいたコーヒーカップを手に取る。すでに冷めてしまったコーヒーからは、甘い香りが弱まっていた。少し残念に思った時、そっと新しいコーヒーカップが目の前に置かれた。

 見上げると、この部屋に来てから付いてくれている従僕の一人だった。


「ありがとう」

 名前の知らない彼女に向けて、言った。


 私は、彼らの名前を誰一人として知らない。オルサ王は、私が他の者の名前を呼ぶことすら許さなかったからだ。それは、愛というより執着だと思う。独占欲、支配欲……オルサ王の愛情は、爪先立ちして崖の上にいるような気分にさせる。


 リゲルも、こんな気持ちでこの部屋にいたのだろうか? 私と同じように、移動も面会もすべて管理された生活を送っていたのだろうか?

 ……外の世界へ、逃げ出したかったのではないだろうか?


 『輝きの間』は水色の絨毯が敷かれて、青と白の絹地張りのソファーが置かれている。テーブルと肘掛けの椅子もベッドも水色と白で統一されている。この部屋を一言で表すなら、空だと思う。


 ――青い空と、真っ白な雲。


 この部屋で、外の世界を少しでも感じていたかったのではないだろうか?


 そこまで考えて、頭を振る。リゲルがこの部屋で暮らしていたのは、もうずっと前のこと。リゲルがいた時のままなわけがない。

 

 気持ちを切り替えるように、新しいコーヒーに砂糖とたっぷりのミルクを注ぐ。すると、何とも甘い香りが再び漂ってきた。その香りを胸の奥まで一杯に吸い込んでから、ゆっくりとコーヒーを口にする。私のよく知る味が、口の中に広がった。私の知っているコーヒーの味。signの世界でも、変わらないその味にホッとする。

 テーブルの上に置かれたままになっている闘犬の本が目に入り、手に取る。この本にも、やはり嘘ばかりの犬の生態が書かれているのだろう。


 ペラペラとページをめくる。


 分厚いこの本に書かれた内容の中に、真実はどれくらいあるだろう。嘘なのか、真実なのか……それを読んだだけで判断するのは難しい。真実を隠すために書かれた内容は、長い年月で『誰も疑うことない真実』となってしまっている。


 『アークトゥルス』

 ――その言葉は、この本になかった。


 『アークトゥルス』は、犬と呼ばれる彼らの昔の呼び名。ステラ・マリスによって、首輪をつけられて今は"犬"という扱いをされている種族。


 『首輪を外すべきではなかった』


 ……あの時、声が聞こえた。囁きのように聞こえた声は、何だったのだろう? 聞き間違い? ううん、そんなことはない。たしかに、聞こえた。


 『首輪を外すべきではなかった』


 首輪を外すべきではなかった?

 ――どうして?


 今まて特に気にしていなかったけど、お父様は……首輪を外すことだけは、許してくれなかった。

 ――どうして?


 首輪に、深い意味があるとは思えなかった。魔法で調べたけど、二つの魔法しかかかっていなかった。ただ、犬と思わせるためだけの魔法だと思った。だから、首輪を外しても何も問題ないと思っていた。実際、何も問題なんてなかった……。


 うん、問題なんてなかった。


 想像と違い、ヴィーが変態だったけど……それは関係ない話。それ以外は、首輪を外してもヴィーは変わらなかった。

 ステラ・マリスは、人間を襲わないようにするために彼らに魔法具の首輪を付けた。そして、アークトゥルスは、血と殺戮の種族。もしかしたら……



 ……どくん。



 心臓が、身勝手な一拍をした。まるで規則的な鼓動の中に、割り込んだようなそんな一拍。息苦しさを覚え、胸に手を当てた。

 全身が熱くなってくるのが……わかる。感じる。いつもの痙攣とは、違う。


 一体、何が?

 なんで……?


 誰かが、近寄ってくる気配を感じる。 


 ――誰?

 確かめたくても、体がいうことを聞かない。動けない……。


 声が聞こえた。


「エリース……、私のエリース」

 低い声。ぞっとするほど低い、押しこもった声だった。


 目を開けていられない。体から、力が抜けていく。薄れていく意識の中で、ヴィーの笑顔が見えた。


「ヴィー……」

 言葉にならない声が、漏れるのが聞こえた。


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