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ご乱心ですか?


 不気味な音がする。

 ……何の、音?





「あ……」


 あまりのことに、すぐには次の言葉が出て来なかった。開けた口を閉じることもできず、呼吸困難を起こしたかのように、震えていた。悲鳴も出なかった。



 ――目の前には、人が転がっていた。

 ――死んでいた。



 ――――殺されたのだ。



 そう、一目でわかるような惨状だった。血が、部屋全体に飛び散っていた。その血が……どんどん溢れて、私に向かってくる。





 悪夢から逃げるように、がばっと起き上がった。



 何度かまばたきを繰り返し、夢から現実に戻った。オルビタから帰ってきてから、見るようになった夢。初めて見た時から数回は、あまりにリアルな人の死に……あまりな酷い殺され方に……我慢できずに嘔吐した。

 ヴィーと一緒に眠るようになったのも、この悪夢のことがあったから。うなされる私を、吐き続ける私を、心配したヴィーが抱きしめてくれるようになった。眠るのを怖がり、長時間の睡眠をとらなくなった私を抱きしめて「大丈夫、俺がそばにいる」と抱きしめてくれた。ヴィーが抱きしめてくれると、私は悪夢を見ることがなくなかった。

 「悪い夢は、陽の光で消え去る」と聞いたことがある。ヴィーは私にとって、陽の光だった。暖かく、無条件で安心できる光。


 あの体温に、包まれたい。


 こんなに長い間、ヴィーに会っていないのは初めてだった。まだ数日なのに、もうずっと遠い昔のように感じる。

 

 …………寒い。

 自分の体を抱きしめる。


 見慣れない室内に、一瞬、どこにいるか理解できなかった。だけど、すぐに自分の状況を理解した。ここは、私の部屋じゃない。ここは、『輝きの間』と呼ばれる王宮内の一室。 


 ――昔、リゲルが住んでいた部屋。


 魔法の基礎を作った人。

 とても魔力のあった人。


 でも、それを感じさせるものは、この部屋にはなかった。……当たり前だ、リゲルは今から、数百年以上昔の人なのだから。彼女の面影など、残っているはずがない。


 風が、首筋を滑った。


 寝る前に開けていた窓から風が流れるように入り、カーテンを揺らす。もう眠れないことは、わかっていた。なかなか寝つけず、ようやくまどろんだというのに……。

 眠ることを諦めて、本でも読もうと思った時、部屋の陰から聞き慣れない低い声が聞こえた。


「どんな夢をみていた?」


 振り返ったとたん、暗闇の中で男が見えた。内心ひどく動揺していた。だけど、男がゆっくり近づいて来ても、うろたえた素振りは見せずに微笑む。


「陛下。いらしていたことに気がつかずに、申し訳ございません」


 そう、この男は――王子たちの父親であり、オルサ国の王。王族特有のストロベリーブロンドに、紫の瞳。王子たちとよく似た顔立ちだけど、王子たちにはない独特の雰囲気があった。これが王の威厳なのかもしれないけど、好きにはなれない。でも、ここから出ることはできない。


 あの日、オルサ王との謁見があった日。王子との結婚の話の件で呼び出されたはずだった。私も父も誰もがそう思っていたけど、オルサ王の口から出てきたのは予想だにしなかった言葉だった。

 

「エリース・シェラタンを我が妃とする」


 オルサ王の言葉に、王宮内の音をすべて持ち去ったように無に包まれた。


 『事実は小説よりも奇なり』と言ったのは、誰だっただろう? こんな展開になるなんて、誰が予想できただろう?


 宣言された時、私は目の前のオルサ王が正気を失ったのかもしれないと疑ったし、隣にいたお父様は固まっていた。オルサ王の近くで控えていたリブラも面食らって、ぽかんとしていた。

 あの場にいた全ての人が虚を衝かれ、そこには沈黙だけがあった。誰かの息を飲む音が響いていた。それほど、静かな沈黙だった。


 オルサ王は、その沈黙をものともせず言葉を続けた。


「エリース・シェラタン。そなたに会うのを心待ちにしていたが、まさかこれほどまでに美しいとは……」


 オルサ王は、眼を細めて恍惚とした視線を向けてくる。その視線を受け止めきれずに、わずかに視線を下げようした時、「そなたは、リゲルの再来と言われているそうだが、なぜリゲルが“至宝の輝き”と謳われているかを知っているか?」と話かけてきた。私が視線を外そうとしていることに、気がついたようなタイミングだった。


「……いえ、存じ上げません」

 

 かなり動揺していたが、発した声には全く動揺を感じさせなかった。自分でも驚くほどしっかりした声だった。

 オルサ王は私の反応にニヤリと笑って、軽く頷く。


「オルサ王ベテルギウスが『リゲルを得たことは至宝を得たようなものだ』と、よく言っていたからだ。私も、その言葉を使う日が来るとは思わなかった」


 私を見つめ続けながら、王は言った。

 その目には、エリースしか入っていなかった。舐めまわすような露骨な王からの視線に逃げ出したくなる気持ちを必死で抑えて、微笑んだ。

 

 それが、今から一ヶ月前の出来事だ。


 その日から、オルサ王は私が屋敷に戻ることを許可せず、王宮に残るようにと指示をした。それだけではない。学園に通うことも、王宮から出ることも、容認しなかった。そして、十八になる九月十五日にステラ・マリス神殿で婚姻を結ぶことを決めた。自分の意思に関係なく進んでいき、まるで自分が本当にリゲルになってしまったのではないかと思った。


「エリース、どんな夢を?」


 オルサ王の手が、ブランケットにおおわれた足に向かって、ジリジリと近づいてくる。


「……覚えていません」


 ブランケット越しに人差し指で私の足首に触れた時、オルサ王は目を閉じた。私は身震いをこらえ、急いで立ち上がって、バルコニーに向かう。

 バルコニーに立つと、風が体を包んでくる。だが、すぐにオルサ王が背後に近づいてきた。触りはしないものの、距離が近すぎる。


「エリース。そなたは、本当に美しい。私のものだ、私だけの……」


 生暖かい息が、首筋にかかった。


 あまりにも強い執着に、すーっと神経が凝結したような気味悪さを感じた。そんな内心に気がつかれないよう、ゆったりとした動きで部屋の中にもどり、サイドテーブルに用意されている飲み物の方に向かって歩く。

 グラスに水を注ぎ、そのまま口に流しこむ。そして、ことさらゆっくりと振りかえると、完璧な笑顔を作る。


「陛下。申し訳ありませんが、少し疲れていて……もう休ませて頂いても、よろしいでしょうか?」

 静かに、柔らかな口調で話す。


「……よい。エリース、今宵はゆっくりと休むといい」


 名残りおしそうな視線をよこした後、オルサ王はようやくドアに向かったが、その前に小さな呟きを残していった。


「……今はな」


 その小さな呟きに、身震いがした。だけど、王に向けて微笑みながら、丁寧にお辞儀をする。


 オルサ国の王は、十八才以下の者とのそういう意味での接触は禁止されている。そのしきたりがあるおかけで、私は王と冷静に対応することができている。

 お父様が準備をしてくれているはずだから、私はそれまで疑われず過ごさなければならない。今のところ、上手くやっていると思う。


 外は、まだ夜。だけど、もう眠れそうにないベッドに座って、ペンダントから本を取り出す。


 薄く黄を帯びたような、クリーム色の本。

 何も書かれていない本。


 何度確認したか、わからない。それでも、もしかしたらと思って時間があると、開いてしまう。もう期待することがなくなった、その本を開くと…………



 そこには、あの日以来見ることがなかった丁寧で読みやすい文字が並んでいた。


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