ゲームの主人公になりたくない
「エリース、君は美しい。とても素敵だよ。あぁ、エリース。私の、エリース……」
私はエリース・シェラタン、十四歳。恋愛ゲーム『What’s your sign?(あなたの星座は、何ですか?)』の“総愛され”主人公である。そして、“総愛され”とは、攻略対象者全員に恋愛感情を持たれている状態のことを指す。
――このゲームを考えた人を殴りたい。
何の不満もなく高校生活を送っていた私が、何が悲しくて乙女ゲームの主人公に転生しなければいけないのか。私は、『清く、正しく、美しく』生きていた。親友である夏目のせいで、人よりも恋愛知識はあるが、実践スキルなんて皆無である。付き合ったこともあるけど、『清く、正しく、美しく』生きてきたので、手すら繋ぐことなく別れた。それなのに……どうして、こんな状態になっているの?
「エリース、私を見てくれ」
私は、いまゾディアック学園にある寮の一室にいる。
「君は……本当に、素晴らしいよ」
このゾディアック学園に行かないために、十三歳の私はとにかく頑張った。なんとしてもフラグを折るために、必死で父親を説得しようと試みた。そして、その努力が無駄だと思い知らされるまでに有した時間は短かった。いや、長かったというべきなのかもしれない。私の体感では、数時間だったけどね!
父親を説得しようとすると強制力というものが働くらしく、勝手に早送り機能が発動する。一度始まると、まばたきと同時に時間が進み、一時停止することができない。私ではないエリースと父が話をし、私ではないエリースが納得し、自分の部屋に戻る。その間、私は何もできず、全てが終わった後に記憶だけが残る。
……ひどすぎない? 私がエリースなのに、私の気持ちは蔑ろなの?
それでも、他の方法が思いつかなった私は、父親の説得を数回試みた。そして、そのたった数回だけで、一年の半分を無駄に過ごす羽目になったのである。
――恐るべき、強制力。
学園に入学するまで残り半年となり、後がない私は必死で考えた。
Q:このわけのわからない早送り機能が、いつ発動するか?
A:ゲームのストーリーから、外れようとした時。
簡単に、答えが出た。
導き出した答えから、学園への入学を回避することは難しいと判断できる。入学を回避できないのなら、乙女ゲームの主人公になるのだけでもなんとかしたい! そう思うのは、ごく自然の成り行きだろう。
だから、私は入学までの残り半年、入学拒否から乙女ゲームの主人公を回避することへとシフトチェンジし、回避方法を必死で考えた……が、どんなに考えてもいい方法が全く思いつかなかった。
ゲームのストーリーから外れると、早送り機能が発動。この時点で、詰んでいる。どこに逃げ道があるのか、教えてほしい!!
じゃあ、諦める?
――絶対に、諦めない!!!!
私は、これでも難関とされる進学校に合格した実績がある! 大した地頭がないにも関わらず、担任と両親の制止を無視し、必死で受験勉強をした。親友である夏目の力を借りて、死ぬ気で勉強して……合格をもぎ取ったのだ!
そうよ! 私は、やればできる子!! しかも、今の私は主人公。エリース・シェラタンは、魔法チートの設定なのだから……ん?
魔法チート?
……そうだった。ゲーム内で、その設定を全くいかせていなかったから忘れていたけど、エリース・シェラタンは魔法が使える。しかも、魔法切れしないほどの魔力量を持っている。いわゆる、チートというヤツだ。
瞬間、これだと思った。
――これしかない、と思った。
打開策を見つけた私は、寝る前を惜しんで、ひたすら魔法書を読み漁った。
貴族なのだから、家庭教師がいると思うでしょう? その家庭教師に教えてもらえばいいと思うでしょう?
私もそう思ったけど……ここは、普通の異世界じゃない。ここは、signの世界。私は、signを舐めていた。この世界は、夏目の頭の中みたいな世界なのだから、一般常識が通用するはずがなかった。
家庭教師が教えてくれたsignの魔法には、よくある「木」「火」「土」「金」「水」の五つの要素は存在しない。『What’s your sign?(あなたの星座は、何ですか?)』というタイトルの通り、星座が魔法の要素として成り立っている。
・牡羊座……『心に太陽』魔法。暗い顔をしないで、あなたには笑顔が似合うから。
・牡牛座……『研ぎ澄まされた五感』魔法。甘い香りの果物。せっかくなら、一番美味しい状態で食べましょう。
・双子座……『好奇心』魔法。好きな人の好きなものは、気になるもの。意中の相手が好きなものを興味深く感じられるようになれば、会話が増えて距離も縮められます。
・蟹座……『繊細』魔法。時には、聞きたくないこともあるでしょう。嫌なことは、聞き流していいのです。
・獅子座……『ドラマティック』魔法。平凡な毎日では、飽きてしまう時もある。ほら、見てごらんなさい。茶柱が立っていますよ。
・乙女座……『快適』魔法。ずっと同じ姿勢でいるのは疲れてしまうけど、美しい姿勢を手にいれば大丈夫です。
・天秤座……『社交』魔法。仲良くなりたいと思っていても、話かけることができないことは誰にでもあります。勇気を出してください。あなたなら、最初の一歩を踏み出せますよ。
・蠍座……『癒やし』魔法。泣かないで、哀しい瞳の人。あなたの傷ついた心に、優しい寄り添います。
・射手座……『世界を見つめる』魔法。自分の世界を持つことも大切ですね。きっと、あなただけの特性をみつけられるはずです。
・山羊座……『助言』魔法。お洒落は、とても大事なことです。あなたに似合う素敵な装いの助言は、まかせてください。
・水瓶座……『ポジティブ』魔法。人生には、理不尽なこともあります。気持ちを切り替えて、前を向こう。
・魚座……『浄化』魔法。空気を入れ替えかれて、心も体もリフレッシュできますよ。
…………制作者を殴りたい。
さすが魔族も、魔物も、魔王も、勇者も、冒険者も、ダンジョンも、聖剣も、出てこないsignの世界。ゲームで一度も魔法を使う機会がなかったのも頷ける。
魔法が、クソすぎるっ!!
こんな魔法を真面目に教えてくる家庭教師から、得られるものは何もない。私は、公爵であるシェラタン家の膨大な魔法書に望みをかけることにした。西洋に似た世界に転生した私だけど、すんなりとsignの言葉を話せた。字も難なく読めた。
それならば、やることは一つ!
本棚に置いてある魔法書を、片っ端から読み漁るしかない。まずは、タイトルだけで「読む」・「読まない」を選別する。その後に目次から、だいたいの内容を予想して重要だと思う箇所だけを読んでいく。さすがに残り半年で、すべての魔法書を読めるとは思えない。何事にも、断捨離精神が大事。
そんな生活を送って、一ヶ月。入学まで残り五ヶ月というところで、私は一冊の魔法書に出会った。
――『黄道十二星座』
薄く黄を帯びたようなクリーム色の魔法書。独特な質感と雰囲気がある『黄道十二星座』の表紙は、乾燥した動物の皮のような肌触りで、しっかりとした作りをしていた。なんの動物かは分からないけど、皮で作られている表紙は歪んでいた。
とても、古い本だと思った。
開くと、古本の独特のバニラのような匂いが鼻の奥をくすぐる。そして、開いただけで、『黄道十二星座』が他の魔法書と違うことに気がついた。『黄道十二星座』には、普通あるはずの目次がなかった。大きさのちがう六つの紙を小さい順に並べて綴じてあるため、六段階になっている。
最初の段落には、魔法の要素についての説明が書いてあった。この魔法書によると、signの魔法の要素は「火」「地」「風」「水」の四つからなっている。
次の段落からは、それぞれ三つの星座の魔法能力がまとめられていた。二段落目には火の星座(牡羊座・獅子座・射手座)、三段落目には地の星座(牡牛座・乙女座・山羊座)、四段落目には風の星座(双子座・天秤座・水瓶座)、五段落目に水の星座(蟹座、蠍座、魚座)のことが記されている。
そして、最後の六章には四つの要素の“繋がり”が書かれていた。火は風を助け、風は水を助け、水は地を助け、地は火を助ける。全ての要素は繋がり、循環し、体を巡る。だから、signの人々は一つの星座魔法だけでなく、全ての星座魔法を使うことができるのだ。
家庭教師から教わった星座魔法は役に立つものではなかったけど、『黄道十二星座』を読んで、あれは本当の魔法でないことを知った。どうして、あんな使い物にならない魔法を教えているのか分からないけど、本質の魔法はあんなものではない。
読み進めるうちに、攻撃魔法も使えるのでは? と思ったけど、今の私には攻撃魔法は必要ない。私に必要なのは、乙女ゲームの主人公回避するための魔法である。攻略対象者を攻撃しようとした瞬間に、早送り機能が作動して、まばたきしたら『美味しく頂かれていました』となるわけにはいかない! そんなギャンブラー精神は、私にはない!!
それからの私は魔法書を読みこみ、真摯に魔法と向き合った。まさか、また受験の日々が戻ってくるとは思わなかったが、あの時の努力と成功が私の背中を押してくれた。
その結果……五カ月という短い間で、『総愛され主人公を回避魔法』を自力であみ出すことに成功した!!
――良かった、魔法チートの主人公で!
初めてエリースに転生したことを感謝したが、元々エリースに転生していなかったら、こんなことになっていない。そう考えると、複雑な気持ちになるけど……総愛され主人公を回避の望みができたことは素直に喜びたい。
では!
さっそく、私の努力の成果を説明しよう!
前に説明したふざけた星座魔法は、あながち間違っているわけではなかった。たとえば、牡牛座の『研ぎ澄まされた五感』魔法は鑑定魔法だし、蠍座『癒やし』魔法は回復魔法のこと。そうやって置き換えると、signの魔法は私のよく知るRPGに出てくる魔法とよく似ている。
それなのに、どうして……あんなフザけた魔法を教えているのか?
その意味は、全くわからない。だけど、乙女ゲームだから? そういうこと? ……たぶん、そういうことなんだと思う。signは、ただ恋愛を楽しむだけのゲームなのだから魔物と戦う必要もないし、冒険の旅に行く必要もない。だから、ああいう魔法で充分なのだろう。
なんて、平和な世界だろう。
だけど、せっかく使える回復魔法が「傷ついた心に、優しく寄り添います」だよ? どんな魔法なのよ……。
この間なんて、家庭教師に「失恋した心によく効きます」って真顔で言っていたからね。「エリース様には関係ないと思いますが」って言いながら、私に見惚れていたからね! 見た目年齢六十歳のおじさんに見つめられながら、言われた時の私の気持ちを考えてほしい!!
……本当、平和な世界だよね。
きっと、この平和なsignの世界で、必死に魔法を勉強しているのは私くらいだろう。時々、自分は何をやっているのだろう? と疑問に思うことはあるけど、今後の穏やかな生活を手に入れるためには、何としても魔法を自分の物にしなくてはならない!
そう思って頑張ったよ、私。
『黄道十二星座』に、"魔法をつかう時には天球図のように星たちを集約して、自分の中に取り込むことで個々の星の力を合わせることが可能になる"とあった。つまり、複数の星座魔法を組み合わせて新たな魔法を作れるってこと。私が今回あみ出した『総愛され主人公を回避魔法』は、signの星座魔法の応用になる。
実際に試してみると、自分の中に取り込むためには、かなりの魔力量が必要だった。だけど、魔法チートのエリースなら問題ない。何度も何度も試行錯誤を重ねた結果、私は新たな魔法をあみ出すことができるようになった!
――さすが、私!!
まず、最初にあみ出したのは『総愛され主人公回避魔法』、その名も“身代わりくん”。名前の通り、私の身代わりになってくれる魔法。幻影魔法の一種で、視覚の錯誤によって父親からもらった人形をエリースだと思いこませることができる。しかも、触れても人形をエリースだと思いこませられることが可能な優れものである。
この“身代わりくん”は、獅子座の『ドラマティック』魔法と天秤座の『社交』魔法、水瓶座の『ポジティブ』魔法を混ぜ合わせてあみ出した。
正直なところ、私は魔法の原理を理解しているわけではない。このsignの魔法が「火」「地」「風」「水」の要素をどう使っているのかは分からないが、電子レンジの設計図が書けなくても食べ物を温めることができるように、原理が分かっていなくても魔法が使えれば何の問題もない。
こうして、『総愛され主人公回避魔法』を手に入れた私は……現在“身代わりくん”を発動中。クローゼットの中で息を潜めながら、父からもらった人形を自分の身代りにする“身代わりくん”を右手で操っているというわけである。
「君は、なんて素晴らしいんだろう。まるで、美の化身だ。あぁ、美しい……愛しのエリース」
お願いだから、早く帰って……。




