犬の生態とは
「私は、悩んでいる」
今日も、私はキャプリコーンの部屋にいる。そして、今日は私がベッドに、キャプリコーンが椅子に座っている。
「ヴィーくんを好きかどうか、まだ悩んでいるのか?」
「ううん、その答えは出た。私は、ヴィーが好き」
「じゃあ、今度はなんだ?」
「まだ、好きだと言えていない」
「……言えよ! 今から帰って、思いを伝えて来い!」
「心臓が持たないのよ! 顔が近づくだけで、心臓が破裂しそうなくらいドキドキするの! どうしたら、いい?」
「お前なぁ。今さら顔が近づいただけで、何を言っているんだ?」
「顔が近づいただけで?! キャプリコーンは、ヴィーの顔を間近で見てないから言えるのよっ! ヴィーの名前の由来は、ヴーナスなんだからね! はっ?! もしかしたら、ヴィーはヴィーナスの生まれ変わりなのかもしれない!!」
「はぁ? お前、何の話をしてるんだ? 落ち着けよ。とか、ヴィーナスってなんだよ」
「美の女神よ! 私のいた世界では、ヴィーナスって、美を司る神がいたの!」
「はいはい。じゃあ、一回自分の顔を、鏡で見て来いよ。そうしたら、少しは落ち着くはずだ」
「何、言ってるのよ! 自分の顔を見たって、落ち着くわけないでしょ?! それに、聞いてよ! ヴィーが、私を見つめてくるの!」
「……は?」
「それだけじゃない! ヴィーが私に向かって、笑うのよ!」
「え、えっと……なんだって?」
「私が必死で自分を落ち着かせているのに、ヴィーが私に向かって笑いかけてくるのよ!!」
「…………そりゃ、犬だって笑うこともあるだろうよ。普通のことだろ?」
「それが、普通の笑顔じゃないんだって! ヴィーは、笑顔で人を殺せると思う!! 私……明日には、死んでるかもしれない」
「落ち着け。人は、笑顔では死なない」
「いや、死ぬ! きっと死ぬ!!」
「死なないって。いいから、早く『好き』だと言ってこいよ」
「そんな簡単に言えるなら、初めから、ここにいない!」
「お前なぁ。あれだけ王子たちとイチャつていたくせに、今さら何を言っているんだ?」
「相手が私じゃないって、知っているでしょ! それに、今は王子の話をしているんじゃないの! ヴィーのことよ! それに、聞いてよ! ヴィーは私の気持ちを考えずに、胸を触ろうとしてくるの! いつだって、胸を触りたいって言ってくるのよ!」
「ちょっと、待て! 好きって言ってないって話から、大幅に話がされたぞ。胸を触りたい……って、やっぱり愛玩犬じゃないか⁉︎」
「違うよ、触らせたことなんてない! ヴィーが、言ってくるだけ!」
「あのなぁ〜、言ってくるだけって…………ん? 言ってくる?」
「え?」
「お前……マジか? 妄想が、やば過ぎだぞ。どれだけ、胸を触られたいんだよ。…………変態だな」
――ちがう!
ちがうけど、ちがうと言えない。……どうして、こうなるの? また"変態公爵令嬢"になっちゃうじゃない!!
「言ってないけど、そんな雰囲気なのよ。なんていうか……そう! 触ろうとしてくるってこと! ねぇ、犬と呼ばれる彼らは胸が好きなのかな?」
「知らねーよ! あ〜〜〜。そういえば、犬は交尾する時に変身するって聞いたな」
――はぁっ⁉︎
――へ、変身⁉︎
「へ……変身って、姿が変わるってことだよね? どんな風に変わるの?」
「詳しくは、知らねーよ」
「そんな⁉︎ なんで、詳しく聞いておかないのよ! 重要なことなのに!」
「お前にとっては、な! 俺には、興味のない話題だったんだよ! あっ、それに犬には発情期があるって言っていたぞ」
――はぁっ!?
――は、発情期⁉︎
「それって、いつ⁉︎」
「だから、知らねーよ! 自分で調べろよ」
「オルビタの図書館で、犬について色々調べたけど、そんな事どこにも書いてなかったよ!」
「そりゃ、そうだろうな」
「……なんで『そりゃ、そうだろうな』なの?」
「はぁ〜〜。お前、勉強の成績はいいのに……」
「勿体ぶらないで!」
「オルサ国は、闘犬以外の犬の購入を禁止しているんだよ。愛玩犬なんてものは、存在していない。犬との交尾についての本が、オルビタの図書館に置いてあるわけないだろ?」
「……たしかに。じゃあ、どこにあるの?」
「さぁ。愛玩犬を飼っている貴族の知り合いなんて、俺にはお前だけだからな。わかるわけがないだろ?」
「それなら、どこで、そんな話を聞いたのよ?」
「噂だよ、噂。愛玩犬については、みんな興味津々だからな。犬は性に奔放らしいから、一度は飼ってみたいと思っているヤツは意外と多いぞ。だから、余計にそういう犬の詳しい生態については、知られないように管理されているんだろう」
――ちょっ、ちょっと待て!
――せ、性に奔放?
性に奔放って…………もしかして、ヴィーにも相手がいたのだろうか?
――その可能性を考えていなかった。
成犬になったら、繁殖犬にするって言っていたよね? それは、成犬になるまではそういうことをしないっていう意味でとらえていたけど、なんか……ヴィーは慣れているような気がする。
それに、事実ではなく、アルフェラッツの憶測だ。憶測とは『はっきりとしていない証拠に基づいて、物事や心情に見当をつけること』って辞書に書いてあった。つまり、真実ではない可能性があるってこと!
なんかさっきまで胸がポカポカしていたのに、急に嫌な気持ちになってきた。
……そもそも私が勝手に思いこんでいるだけで、ヴィーはそういう意味で私を好きじゃない可能性もあるんじゃない? いやいや、ヴィーはキスしたいのは私だけだって言った……はずだ…………たぶん。言ったと思うんだけど……なんだか自信がなくなってきた。
自分の記憶を信用できない。
あの時、心臓は信じられないくらいバクバクしていたし、頭の中は真っ白だった。もしかしたら、脳内が都合よくヴィーの言葉を解釈したのかもしれない。
私には、リブラとキャプリコーンのこともある。ずっと二人が自分を好きだと信じて疑わなかったし、まさか二人が付き合っているなんて思いもしなかった。考えれば考えほど、こういうことにおいて一番信用できない人間は、自分自身に思えてきた。
どうしよう……。
好きだと言ったら「何を言っているんだ?」みたいな態度を取られたら?
どうしよう……。
性に奔放な犬と呼ばれる彼らにとって、キスなんて挨拶みたいなものだとしたら?
どうしよう……。
もしそうなら、私の心臓は持たない。それに、ヴィーが私じゃない誰かにキスしていたら……。泣くわよ、私は。
どうしよう……。
急にマイナスなイメージしか、頭に浮かんでこない。
「ねぇ! もしかして、ヴィーが私を好きじゃないってこともあると思う⁉︎」
「……? そりゃ、あるだろ? 相手は犬だぞ? 俺たちと同じように誰かを愛するなんて、できるわけがないだろ? 発情期になれば、誰とでもするだろうし」
――!?
「キャプリコーン……あんたは、人の気持ちを考えられないの? よくそんなことが言えるわね。そこは、嘘でも私を好きだと言ってよ! 泣くからね! 私は、今から泣くからね!」
「だから! お前こそ、犬を理解しろ! 犬に、そこまでの考えがあるわけないんだよ!!」
あるよ! ヴィーには感情もあるし、会話もできる!!
でも、ヴィーは……私じゃなくてもいいのかな? たまたま、私が買ったから…………そういう理由もありえるよね?
じーん、と目の奥が痺れてきた。
……やばい、本当に泣きそうだ。
キャプリコーンが、ぎょっとして私を見る。そして、明らかに虚を衝かれたような狼狽したように「悪かった! 俺は犬のことを、よく知らないんだ。お前の方が知っているだろ? 俺の言葉より、ヴィーくんのことを信じろよ! な? だから、泣くな!」と言った。
「……泣いてないよ」
「泣きそうな顔しているだろ! 悪かったよ! お前のヴィーくんは、犬じゃない。俺もヴィーくんを人だと思うから!」
「ありがとう……」
「エリースは、ヴィーくんが好きなんだろ? それで、エリースはヴィーくんを犬だと思っていないんだろ? なら、気持ちを伝えるんだ。それが、最初の一歩だよ。よく告白した方が負けだなんて言うヤツもいるが、俺に言わせれば負けていいんだ。そんなこと、いちいち気にする必要なんてない。恋愛の駆け引きなんて、時間の無駄だ。自分の気持ちに向き合って、まっすぐに愛せばいい。そして、『好きだ』と正直に伝える。何も難しいことじゃない」
「キャプリコーン……、かっこよすぎる」
「おう! 今さら気がついたか?」
そう言って笑うキャプリコーンにつられて、私も笑った。涙も一緒にどこかに行ってしまった。キャプリコーンに、話してよかった。確かに、自分の中だけで考えたいても答えなんて出るはずがない。
「よし! じゃあ……」
ヴィーのところに戻るねと、言葉は続かなかった。なぜなら、キャプリコーンが一冊の本を俺に渡してきたから。
signの世界では珍しく、表紙に絵が描かれていた。中央に描かれているのは、一人の美しい男性。とても繊細に描かれていて、ヨーロッパの天井画に描かれる神話を彷彿させる神秘的な絵だった。だけど、表紙にはその絵だけで、タイトルなどが何も書かれていない。
「この本は?」
「これから、お前が必要になる本だ。困ったら、これを読め! 頑張れよ!」
「? 必要になるって?」
「後で、熟読しろ! わからないことがあったら、リブラに聞け。いいか、俺に聞くなよ!」
「だから、何?」
「読めば、わかるよ」
気になって本を開こうとしたら、「読むのは、今じゃない。帰ってから読め! わかったな?」と言われ、渋々頷いた。
「最後に、一つ言っておくことがある」
「何?」
「ステラ・マリスは、知っているか?」
「ステラ・マリス? ステラ・マリス神殿のこと? 結婚式をする神殿だよね?」
「あぁ、そうだ。お前のことだから、一応教えておくな」
「うん?」
「俺たちは、ステラ・マリス神殿で結婚式をしないと子どもはできない。だから、安心してヴィーくんに自分の想いを伝えてこい」
「? 子どもと気持ちを伝えることに、どんな関係があるの?」
「さっき、交尾中に変身するって聞いてビビッていたのは、誰だ?」
「なっ! 違うわよ! そういうことじゃなくて……ただ、私は、びっくりした……だけで」
どんどん声が、小さくなってくる。なんで、こんな話になっているのよ!
「キャプリコーン、もしかして……この本って?」
「愛の指南書だ。犬とのことはわからないが、人間と大して変わらないだろう。する前に読んでおけよ」
そう言うと、キャプリコーンは会心の笑顔を見せた。私は自分の体が一瞬にして燃えあがるような心地がして、わあっ! と叫んでしまいそうな気配を必死の力で抑える。そして、思いっきり本を投げ返してから、キャプリコーンの部屋を後にした。
全く、何を考えてるのよ!!




