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学園に行きたくありません


『我思う、ゆえに我あり』


 フランスの哲学者、デカルトの有名な言葉。“自分は、なぜここにあるのか”と考える事自体が、自分の存在を証明している。そんな意味の言葉。


 夏目が好きな言葉だったから、よく覚えている。夏目が好きだと言うと「さすが、ゆうり!」となるのだが、夏目はデカルトの思想に興味があったわけでも、この言葉の意味が好きなわけでもなかった。ただ、この言葉を主人公がよく言っているドラマが好きだっただけ。

 夏目は、あの顔面のおかげで大したことない理由でも深い理由があると思われていた。やっぱり世の中、顔がいいというだけで得をする。


 それなら、エリースに転生した私も何か得をするのだろうか? 


 王子たちと恋人になるということが得だと言うのなら、私は遠慮したい。私を転生させた神様がいるのなら、私の願いを聞いてくれる気はあるのだろうか? 私の、この心の声を聞いてくれているだろうか?



「エリース様、旦那様がお呼びです」


 紳士、もとい私付きの従者であるアルフェラッツに恭しく声をかけられて、思考の世界から帰ってくる。


「すぐ、行きます」 


 まだ幼さの残る声。それが、今の私。エリース・シェラタン、十三歳。恋愛ゲームの主人公でよくありがちな貧しい少女が、王子様に見初められて……という王道ではなく、エリースは初めから貴族だった。

 貴族には爵位があり、上から公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵。その下に準貴族の準男爵・士爵とつづく。シェラタン家は、一番爵位の高い公爵。この時点で、制作者側が悪役令嬢などというものを出す気がないのがわかる。ただ恋愛を楽しむだけなので、余計な登場人物は出てこないのだ。ただ、恋愛だけを楽しむゲームなのだから…………もう泣いてもいい?


 私がエリースに転生したのは、十二歳の頃。これまた、怪我をしたとか病気になったとか、死にそうになったとか、そんなことは特になく目覚めたらエリースだった。

 それから、一年。どうして異世界にいるのか? とか、なんで私はゲームの主人公なのか? とか、どうやったら元の世界に戻れるのか? といった疑問の答えを探すことは、もう諦めた。

 とにかく、私はエリースで異世界にいる。これは、変えることができない事実で、受け入れるしかない。受け入れた上で、どうにかしなければならない。


 一番避けなければならないことは、ゾディアック学園に行くこと。


 これを何としても、避けなければならない。むしろ、これさえ回避できれば、この世界でも案外楽しい生活が送れるかもしれない。


 だから、学園には行かない!


 学園に行かなければ、攻略対象者に会わずにすむ。恋愛に全く興味がないとは断言しないけど、このゲームのキャラたちと恋愛する気はない。signのエリースは、総愛され主人公。彼らには、私の性格なんてどうでもいいのだ。なにせ、会ってすぐに愛を語り出すのだから……そんな相手と恋愛なんて、無理!  苦痛でしかない! しかも、ゲームは全年齢対象だったから匂わせしかなかったけど、現実では何があるのかわからない。極めつけに、相手は複数である。


 夏目! どうして、こんなゲームが好きだったのよ! 全部、夏目のせいだからね! 会ったら、文句を言ってやる!! 

 だけど……今、ここに夏目はいない。だから、今は自分のことだけを考えなきゃ! 私は、絶対に乙女ゲームになんか参加しない!!


 そんな決意をしているうちに、シェラタン家の当主であるハマル・シェラタンと対峙していた。

 エリースの父であるハマル・シェラタンは、灰色と茶色が混じったようなサンディブロンドに青い瞳をしていた。整った顔立ちはしているが、エリースのような圧倒的な美ではない。だが、上に立つ人間が持つ独特の空気を纏っていた。


「エリース。お前も、もうすぐ十四歳だ。ゾディアック学園の入学が……」


「私は、行きません!」

 父ハヌルの言葉を奪って、叫ぶように訴えた。


「準備は、アルフェラッツに任せておけばいい」


 違う、違う! それが、理由じゃないから。私は、これから学園で何があるかを知っている。不特定多数との恋愛なんて、したくない。だから、絶対に学園に行きたくない!! 


「お父様! 私は……お母様のそばから、離れたくありません!!」


 エリースの母メサルティムは、エリースが三歳の頃に病気になり、眠り続けている。元の世界で言うなら、脳死のようなものだと思う。それでも、父ハヌルは再婚することもなく、母だけを想っている。signの中で、不特定多数恋愛している娘の父親とは思えないほどの誠実さに驚いた。

 ゲーム内では、エリースの両親のことが触れられることがなかったから、初めて知った時はsignにもまともな人がいるのだと安心し、それが自分の父親で良かったと思った。


 だから、きっと私の気持ちをわかってくれる!

 

 エリースと母メサルティムは、生き写しのようによく似ている。そんなエリースのことを、父は大事に思っているに違いない。

 私はその可能性に賭けて、父親に会う今日という日をずっと待っていた! 今こそ、泣き落とし作戦を決行する!! この顔面の力を使って! 

 

 まばたきをしないで、これでもかというほどに目を見開く。乾いた目に自然と涙が浮かぶ。


「お父様……。私は、お母様のそばにいさせてください」


 目をウルウルさせて、父親を見つめる。


 正直なところ、母親にそこまでの感情はない。そして、目の前の父親に対しても、まともな思考回路であることにほっとしたけど、父親だとは思えない。でも、勘違いしないでね。私が冷たい人間なわけじゃないから! 

 この世界の家族関係というものは、私の知っている家族関係とは全然ちがう。私が父であるハヌルと会ったのは、この一年の間に片手で数えられる程度。会話らしい会話をしたのは、今回を入れて二回だけ。それで、どうやって情が湧くのか教えてほしい。

 だから、もちろん母のそばにいたいなんていうのは真っ赤な嘘。だけど、この理由なら父は私に学園へは行かなくてもいいと言ってくれる可能性が高いのでは? と、この日のために何度もシミュレーションしてきた。

 その甲斐があったようで、父は眉間に皺を寄せて、困ったように唸っている。考えあぐねるように視線をさまよわせていたが、最後にはエリースの方へ向けられた。その表情に、手ごたえを感じた。


 よし! もう一押し!!

 

「お父様……お願いします。私は、お母様から離れたくない……」

 すがりつくように、父を見つめる。


「エリース……。お前の気持ちは、よくわかる。メサルティムも、お前にそばにいて欲しいと思っているだろう。だが、貴族は十四歳になる年にゾディアック学園に入学するのが習わしだ。それに、例外はない。エリース、お前は由緒正しきシェラタン家の一人娘なのだ。メサルティムのことは私にまかせて、お前は学園で色々学ぶのだ。わかったか?」


「お父様!! 勉強も魔法も、必死で身につけます。ですから……お母様のそばに、いさせてください!」


 私は、学園に行きたくない! なんとしても、このフラグをへし折らなければ、乙女ゲーム生活が待っているんだから! そんな日々を過ごすなんて、絶対に嫌っ!!



 誰が、なんと言おうと………







 ……ん?







 な、なに?

 何が起きているの?

 どういうこと??






 まばたきをしたら……

 自分の部屋に立っていた。





 なんで?

 父ハヌルは、どこに行った??






「エリース様、準備は私にお任せください」


 そう言うと、深いお辞儀をしてアルフェラッツが部屋を出て行く。




 …………え?

 ……何が、あったの??




 周りを見回してみても、さっきまでいた部屋ではなく……エリースの部屋。



 ……どういうこと?

 え? 何が起きたの??


 身に覚えのない手の重みに、自分が何かを持っていることに気がついた。自分の右手に目を向けると、エリースそっくりの人形を持っていた。


 ……見覚えがある。


 これは、主人公であるエリースがゲームパッケージで抱いていた人形だ。人形の青い瞳を見た瞬間、走馬灯のように記憶が蘇る。

 行きたくないと言った私に、父が母によく似た人形を手渡してくれた。そして、「ワガママを言うな。これをメサルティムだと思って、一緒に学園に連れて行きなさい」と言った父に、エリースは涙しながら人形を抱きしめて「ありがとうございます、お父様」とお礼を口にして頷いた。


 ……ひどくない?

 これが、強制力というものなの?? 私の意思は、どこにいったの? 


 勝手に、話が進んでいるじゃない!! 私は、行きたくないのに! 

 


 ――どうして、勝手に話を進めるのよ!





 ……だけど、どうして?

 こんなことは、今まではなかったのに。



 それなのに、どうして??





 ねぇ、夏目。

 私は……乙女ゲームの主人公から、逃げられないのかもしれない。

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ハマル? ハヌル? どちらでしょうか。
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