十七歳になりました
拝啓、夏目様。
お元気ですか? 私はsignの世界に来て五年が経ち、十七歳になりました。この五年、本当に色々ありました。何からお話すれば、いいでしょうか? そうですね。まずは、あの犬と呼ばれた少年の話からしましょう。
――あの少年、ヴィーは……
「なぁ、セーラ」
「ん?」
「いつになったら、胸を触ってもいいんだ?」
「はぁ!?」
「だから、いつになったら、胸を触ってもいい?」
「何度も言っているんだから、理解して。私は、触らせる気はない。わかった?」
「そうか。……悪かった」
「やっと、わかってくれた?」
「うん、悪かった。ちゃんと聞かなくて」
「わかってくれ……」
「セーラが触りたかったんだな。悪かったよ、聞かなくて。俺は、いつでもいいぞ。さぁ」
「ちがう!! あんたは、バカなの?! 頭スカスカなの?!」
「セーラ、落ち着けよ」
「ヴィーに言われたくない! 私は、ヴィーの胸になんか全く興味がないし、触りたいとも思わない!!」
「それで?」
このヤロー!
「だから、私はヴィーの胸は触らないし、ヴィーにも私の胸も触らせない! わかった?!」
「わかった、触らない。それなら、いいか?」
「? 触らないなら、いいけどって…………何を考えている?」
「肌に唇を這わ……」
「ストップ!!」
「そうしたら、ち……」
「それ以上、何も言わないで! 真顔で、何を言うのよ!」
「強い方が好きか?」
「……いったい、何の話をしているの? ストップ! 答えなくていい、もう何も言わないで! 口を開けるのも禁止! 私は、もう寝る!」
「……誘っているのか?」
「ちがう! どこをどう考えたら、誘っているって答えがでるのよ!」
「それなら、強く……」
「話を続けないで! 大人しく寝ないなら、ベッドから蹴り落とすからね!」
ヴィーを見ると、おかしそうに笑っていて、からかわれたのだと気づいた。ムカついて、枕で思いっきり叩いてやったが、全然効かない!
くそ〜! この変態め!
だけど……この変態が、ヴィー。
そう、あのヴィーだ。
信じられないことだから、もう一度言おう。
――この変態が、あのヴィーだ。
……泣きたい。
どうして、こんな変態になったのか? 私が“変態公爵令嬢”だから? ううん、ちがう。ヴィーが言った最初の言葉は「胸を触りたい」だった。
信じられる?
ドキドキして、何を言うんだろうって思って待っていたら、よりにもよって「胸を触りたい」だよ?! 固まったよね! 脳が、完全にフリーズしたよね! ヴィーの言った内容が信じられなくて、きっと犬と呼ばれる彼らのスラングだと思ったからね! それで、困った時の夏目スマイルを繰り出したら、本当に触られそうになったからね!
……だから、泣いてもいいだろうか?
あの優しい微笑みを持った少年は、どこに行ったのだろう。
元・優しい微笑みの薄幸の少年ヴィーは、すくすくと成長し、私の身長を軽く越していった。出会った頃は同じくらいだったのに、今では二十センチ以上の差ができてしまった。そして、夏目の美の顔面暴力に打ち勝ってきた私でさえ、動揺するほどの整った顔立ちと人を惹きつける吸引力を持つまでに成長した。私は、今までこんなに美しい人を見たことがなかった……いや、もう一人いた。
ベッドから降りて、鏡の前に行く。
鏡には、さらに美しくなったエリースの姿があった。自分の顔なのに、キラキラし過ぎていて長時間見ていられない。なんという、圧倒的『美』! 蕾だった花が開き、見事な大輪の花を咲かせはじめている。たぶん、あと数年したら顔面だけで人を殺せるかもしれない。
そんな私だから、今ではリゲルの再来だと言われ、『至宝の輝き』と謳われている。学園では「ゆうり信者」ならぬ「エリース信者」で溢れかえっている。
そして、攻略対象者たちは嫉妬をしないはずなのに「私のエリースに触るな」と嫉妬しまくり、学園はヤバいことになっている。もう完全にカオスだ。
だから、"身代わりくん"は、毎日頑張ってくれている。最近は、攻略対象者がなかなか帰ってくれない。そのため"身代わりくん"には『①余計な事は絶対言わないこと、②常に夏目スマイルで逃げること』と指示している……が、だんだんそれも難しくなってきている。"身代わりくん"は、あくまでも人形だから応用力というものがない。しかも、成人年齢に達した頃から、だんだんと攻略対象者の目が、やばくなってきている。目だけじゃなくて、言動もやばい。すぐに逃げだしたくなるほどに。
一度、本当に嫌になって「触らないで!」と言いそうになったけど、ヴィーの顔が頭に浮かんで……その瞬間、飛び出そうとしていた言葉は、どこかに消えてなくなっていた。
もし、早送り機能が作動したら、ヴィーはどうなる? 数時間、数日くらいならまだいいけど……もし数ヶ月だったら?
ヴィーが、一人になってしまう。
それに、早送り機能が発動している時の自分の言動や行動は全く制御できない。何をするのか、何を言うのか、私には予測出来ない。まばたきしたら、ヴィーがいなくなってしまう可能性だってある。
それは、絶対に避けたい!
ヴィーは、私にとって特別な存在。このsignの世界で誰が一番大事かと聞かれたら、迷うことなく「ヴィー」と答える。だけど、これが恋愛感情かと聞かれれば、その答えは……わからない。今まで、付き合ったことがないわけじゃない。
だけど、私は今の自分の気持ちが……わからない。
前に付き合った彼とは、「好き」だと言われて、付き合った。でも、本当は彼が好きだったわけじゃなかった。もちろん、嫌いではなかったけど……あの時の私は、初めて告白されて、嬉しくて思わず頷いてしまっただけだった。そんな気持ちで付き合ったところで上手くいくわけがなく、彼とはすぐに別れた。
だけど、ヴィーは違う。そんな軽い気持ちには、なれない。
ヴィーは……私を好きだと思う。
そして、ヴィーは私のこんなモヤモヤした気持ちも全部わかっている。わかっているから、ある程度で必ず引いてくれる。逃がしてくれる。待っていてくれる。
……やっぱり、ヴィーは優しい。
私は、その優しさに甘えている。ヴィーの気持ちに答えずに、こうやって同じベッドで寝ている。今、変なことを考えなかった? 私の『寝ている』には、何の含みはないからね。それに、一緒に寝ているのには……もちろん、理由がある。
「セーラ、怒ったのか?」
「怒った」
「触る前に聞けって言ったのは、セーラだろ? 俺は、ちゃんと触る前に聞いた」
「なに、威張ってんのよ! 触る前に聞けって、言ったんじゃない。いきなり触ろうとしないで、って言ったの!」
「同じだろ?」
「……あのね、ほんと…………もう、いい」
ベッドに戻ると、ヴィーは私をかかえるように抱き寄せる。ヴィーの温かな体温が、心地いい。体が温まっていく。




