誰か、私に正解を教えてください
アダラの造りは、フルドがいる監視室を全体の中心に据え、複数の収容棟が放射状に伸びている。この放射状の構造により、監視室いるフルドの目は常に全方位の収容棟に行き届くようになっている。だが、ここには”かませ犬”と呼ばれる彼らはいない。彼らは、この収容棟とは別棟のアルドラにいる。
そして、私たちは今、収容棟ともアルドラとも違う場所にある応接室にいる。ここは、初めて来た時にも通された部屋で、表門から収容棟の間にある広い庭の一角に建っている建物内の一室。金をベースにした室内は、収容棟と同じ敷地に内にあるとは思えない“豪華絢爛”という言葉がぴったりの空間だった。
……犬と呼ばれる彼らがいた場所とは、全く違う部屋。
ヘリボーン柄の床、アーチの格子窓とそこにかかった大きなドレープカーテン。天井には、クリスタルがキラキラと輝くシャンデリア。揃えられている家具も繊細な装飾がしてあり、高価な物だと鑑定魔法を使わなくても、すぐにわかる。
本当に、豪華な部屋。広くて、綺麗で、微かに花のいい匂いまでする。でも、人の温かみの感じない部屋だった。静かで、冷たくて……居心地の悪い部屋。
「本日は模擬闘犬ができず、誠に申し訳ございませんでした。明日改めて執り行う、ということでよろしいでしょうか?」
プロキオンが伺うように、父に聞く。
「あぁ、それで構わない」
「かしこまりました。それでは、明日ということで準備をさせていただきます」
――え?
明日? 延期ってこと? 中止じゃなくて??
……どうしよう。また明日も同じ方法で、阻止すればいい?
「今日のような事態にならないよう、明日は屋外競技場の他に室内競技場の準備もしておきます」
ちょっと、待って!
仕事が、出来すぎるから!!
「お父様。今回は、ただ見るだけで満足ですから」
「……そうだな。プロキオン、これから”ハイパーセント”を見に行く。すぐに準備を。そして、模擬闘犬は明日……」
ちがう、ちがう! そうじゃないから!!
私は、『今回は』見るだけって言ったの! 『今回は』というのは『今回のオルビタ滞在のこと』を指していているわけで『今日』じゃない!
「今回は、ただ見るだけで満足です」は、「今回のオルビタ滞在は、ただ犬を見るだけで満足ですから、模擬闘犬を見る必要はありません」って意味で言ったの! どうして、通じないのよ? 私の言い方が悪かった? 遠回しな言い方だった? 日本人は、直接的な表現を避けた言い回しをしちゃうのよ!
「お父様!」
「なんだい? エリース」
しまった……。とりあえず、呼びかけたけど何を言うか決めてない。
何か……何か言わないと!
なんでもいい。模擬闘犬をしないですむ言葉を見つけろ! 早く、何か言わなくては!!
そう思うのに、言葉が出てこない。唇は微かに動いているだけで、用をなさない。
……どうしよう、何て言えばいい?
相応しい言葉を必死で探しているのに、見つけられない。
何か……、何か……なんでもいい! 直接的な言葉で……はっきりと……わかりやすい……そんな言葉を!
――早く、何か言わないと!!
「私、あの犬が欲しいです!!」
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……これは…………たぶん、正解の言葉じゃない。
そこにいた人たち皆が、驚いた顔をして私を見ていた。父ハヌルは目を大きく開いて、プロキオンは口を半開きにして、周りのフルドたちも目を丸くして、アルフェラッツは私の後ろに控えているから顔は見えないが、たぶん呆れた顔をしているに違いない。
……どうしよう。
でも、もう口に出してしまったのだから、この方向で話を進めていくしかない。後のことは、後で考えよう。心の中で一から十まで数えて、軽く息を吐く。
「お父様。私は、あの金瞳の犬に決めました」
もう一度、今度は父の目を見て言った。
私の声は、自分でも驚くほど意を決した響きを含んでいた。その響きを聞いた父が、少し笑ったような気がした。
「そうか。エリースは、あの犬が気に入ったのか。……わかった。エリースが望むのなら、”ハイパーセント”を購入しよう。プロキオン、エリースの望み通りに」
「お言葉ですが、シェラタン様。あの犬は、まだ成犬になっておりません。エリース様の闘犬大会への参加は、難しいと思われます」
「構いません。私は、闘犬大会に優勝したいと思っているわけではありませんから」
父への質問だったが、父が答える前に先に返答する。
また変な方向に話が進んでは、困る。先手必勝! 言われる前に、言う!
「ですが……あの犬はコントロールが困難でして。リミッターを外しても本能に従わず、闘犬としては難しいかと」
リミッターを外す? 本能に従う?
……どういう意味?
「それは、どういうことですか?」
「エリース様。犬は優れた身体能力と攻撃性、高い闘争心を持ち合わせています。そのすべてを試合で発揮できるように、試合時はリミッターを外し、闘争本能を解放します」
――え?
何を、……言っているの? リミッターを外して、闘争本能を解放する……? それって…………え?
あまりの内容に、思わず手を強く握りしめていた。プロキオンが言った言葉の意味に、頭の中が発熱したみたいに熱くなっていく。
……それって、無理やり……闘わせるってこと? 魔法か何かで、無理やり闘争本能を解放させているってことでしょう?
「たしかに”ハイパーセント”は、珍しい犬です。スピーディかつ、的確に急所を狙う攻撃力。生まれ持った動体視力、類まれなる持久力は、他の追随を許さないほどです。ですが、あの犬は全く闘おうとしない。リミッターを外しても、他の犬から攻撃されても、防御しかしない。どんなに躾をしても、闘おうとしない」
プロキオンは、話を続ける。興奮しているのか敬語が抜け始め、普段の話し方が垣間見える。あの子を見下している口調に、腹が立つ。
あの子が攻撃しないのは、闘うのが嫌で抗っているってことでしょ? 無理やり闘争本能を解放せられて……それを拒絶している、あの子が悪い?
――何よ、それ?
プロキオンは、あの子を闘いの道具としか見ていない。
「闘うために生まれてきた犬にとって、攻撃しないなど話にならない。あの犬は、欠陥品です。いくら希少な”ハイパーセント”といえど、闘犬としての価値は全くありません」
プロキオンがそう言い切った時、抑えこんできた怒りが激しい波のように全身に広がった。それでも、『落ち着いて。私には、することがあるのだから』と自分に言い聞かせ、握っている手に力を込める。
「構いません。私は、あの犬を闘犬大会に出すつもりはありません。ただ希少なあの犬を気に入ったから、欲しいと言っているのです」
表情を変えず、声も震えず、冷静に落ち着いた口調で話す。だが、握りこんだ指だけがもがいていた。許せないと……もがいていた。
「エリース様はわかっていないようですが、犬にとって闘うことこそが”喜び“です。闘うことを奪うことは、犬のためになりません」
その躊躇なく発せられた言葉に、もう怒りを抑えられなかった。
犬のためにならない? 闘うことこそが、喜び? 何、ふざけたことを言ってんの?! 嫌だから、闘わないんでしょ!! あんなに傷だらけにして、治療すらしないで、あんな場所に閉じこめて! 訳のわからないものを使って、無理やりに闘わせて! そんなに闘いたいのなら、自分たちが闘えばいい!
どうして、他の人を闘わせるの?
傷つく人たちを見て、何が楽しいの?
無理やり闘争本能を解放しておいて、何が犬の喜びよ!
――ふざけないで!!
もう我慢できずに怒りに任せて口を開こうとした時、私とプロキオンのやりとりを黙って聞いていたお父様が先に口を開けた。
「プロキオン。私が、いつお前に意見を求めた?」
お父様の声には、人をひしぐ力がこもっていた。跪いて許しを乞いたくなるような、今まで聞いたこともない威圧のこもった声だった。
「……私が、シェラタン様に意見など………滅相もないことでございます」
プロキオンは、怯えて萎縮しているように見えた。地雷を踏んだかのように、お父様の反応にびくびくとしている。
「私はエリースの望み通りにと言ったはずだが、お前には聞こえなかったか?」
「……私の無礼、誠に申し訳ございません。エリース様の御心のままに」
そう言うと、プロキオンは頭が膝のところまで来るほど丁寧にお辞儀をした。そして、お父様が手で合図をするまで、プロキオンはその姿勢のまま身じろぎ一つしなかった。
これが身分制社会なのだと実感させられて複雑な気持ちになったが、プロキオンを可哀想だと思えない。お父様によくやった! と褒めてあげたいくらいだ。
さすが、我が父!!
「お父様。これから、私だけであの犬を見に行ってもいいですか?」
「エリースだけで?」
「はい。昨日……倒れてしまったのが情けなくて、一人でも大丈夫だというところをお父様にお見せしたいのです」
お父様は考えることもなく、すぐに目だけで頷くと「プロキオン」と一声かけた。プロキオンは、その声にすぐ反応すると「ご案内いたします」と答えた。
先ほどのお父様の言葉が効いているのだろう。卑屈なくらい腰が低く、あからさまな態度の変化だった。そんなプロキオンに「ありがとうございます」とお礼を言うと、席を立つ。
本当は、お礼なんて言いたくなかった。でも……もう一度、あの場所に行かなければならない。
一人で……あの場所に。




