彼らは、犬なんかじゃない!!
「セーラは、やっぱり中央明和を受験する?」
「うん。私の夢は、医者になることだから。夏目も、でしょ?」
「僕の場合は親が医者だから、小さい頃から家を継ぐって決めているからね」
「私は、おじいちゃんみたいに離島で働きたい。お母さんは、その暮らしが嫌で島を出たけど……私は、おじいちゃんも島も大好きなんだよね。いつか、おじいちゃんみたいな医者になりたい。みんなに頼られて、それに応えるために頑張っているおじいちゃんは世界で一番かっこいいと思う」
夏目は「離島は、すべて自分だけの判断になるから大変だろうな」と言った。夏目は、私に「中央明和なんて、無理だ」とは言わなかった。医者になんてなれるはずがない、と笑わなかった。それが、嬉しかった。
これは……昔の記憶。
私は、おじいちゃんみたいな医者になりたかった。おじいちゃんと島の人との関係が、好きだった。島民全員がおじいちゃんを知っていて、診療所には野菜や果物、魚の差し入れが届く。外に出ると、みんなが声をかけてくれる。まだ小さい私にも、みんなは優しく接してしてくれて、いつもみんなが笑顔だった。おじいちゃんも、おばあちゃんも、患者さんたちも、みんなが笑っていた。
あの場所には、人の温かさがあった。
医者になるには、医学部に入らなきゃならない。だから、その時の自分の学力では無理だと言われていても、なんとしても中央明和に入りたかった。そして……いつか、おじいちゃんがいた島で医師になれたらと密かに思っていた。
――私は、人を助ける医者になりたかった。
目が覚めたら、知らない天井だった。既視感がふっと現れた。初めてsignで目覚めた時と同じ、知らない天井だった。
「エリース様。具合は、いかがですか?」
あの時と同じ。アルフェラッツの声がした。ちがうのは、自分がエリースであると認めていること。
ここは、sign。
私のいた世界とは、ちがう世界。
「大丈夫。……ここは、どこ?」
「オルビタにあるホテルです」
「……倒れたから、ここに?」
「いえ、元々ここに泊まる予定でしたから、ご安心ください。旦那様がせっかく犬を買うのだから、エリース様がゆっくり選べるようにと、ゆったりとした日程を組まれていますので、オルビタには一週間の滞在を予定しています」
……いぬ?
ううん、ちがう!
あれは、犬なんかじゃない。
――人間だ。
人間をどうして……あんな風に、あんな酷いことができるのだろうとまた胸が苦しくなってくると同時に、記憶がフラッシュバックしてきた。
さっき見た光景。
あの、たった数分の光景。
そして、あの瞳が…………目の奥に残って消えない。
「ですが、エリース様の体調を見て、落ち着いたら予定を早めて帰ろうと旦那様がおっしゃってい……」
「犬は? 犬は買わなくて、いいの?」
アルフェラッツの言葉を奪って、質問を被せる。
「無理して買う必要は、ありません。エリース様なら、誰とでも結婚できますから」
アルフェラッツは気にすることなく、答えてくれる。
「アルフェラッツ。私は……犬について知らないことが多すぎる。もう少し、詳しく知りたいの。闘犬について書いてある本は、このホテルにある?」
「オルビタは闘犬の街ですから、ホテルの各部屋には闘犬についての本が置いてあります。そこまで詳しいものではありませんが、参考にはなると思います。お読みになりますか?」
「うん、読みたい」
アルフェラッツは、サイドテーブルから一冊の本を取りだした。
「ありがとう」
本を受け取ると、すぐに開く。
冒頭には、『闘犬――それは、犬同士を闘わせて勝敗を決める。犬たちは、相手を倒すために本気で闘う。それが闘犬、血の闘い』と書かれている。
小冊子のような薄い本をめくる。
二ページ目には、歴代の優勝者のことが書かれている。でも、私が知りたいことは、そんなことじゃない。最初の優勝者が誰に結婚を申し込んだのか、結婚を受け入れたかどうかなんて、どうでもいい。プロポーズの成功率なんて、もっとどうでもいい。
次のページは、闘犬の会場の移り変わり。もともと専用施設はなく、競技場を使っていたが、オルサ王ベテルギウスがリゲル円形闘技場を建設した……知りたいのは、そんなことでもない。
気になっていた言葉を見つけて、ページをめくる手が止まった。
『その勝敗は、どちらかが戦闘不能になった時。昔は“死”により勝敗を決めたが、今は戦意を喪失した時が負けとなる』
……死ぬまで続けられるという残忍なものではないことに、強張っていた身体から力が抜けた。狭まっていた気道が開き、体に新しい空気が取り込まれていく。
良かったと安堵した瞬間、信じられない言葉が目に入った。
『犬は力が強く、スタミナもあるため、子犬のうちからコントロールできるよう躾ける必要があります。………躾が完了するまでは、鎖で拘束し……』
読んでいられずに、本を閉じた。
――さっきの光景が頭をよぎる。
鎖に、繋がれている人。
痩せこけている人。
傷だらけで、血を流している人。
光を宿すことのない瞳の人。
歩くことすら難しい人。
……彼らは?
案内された犬と言われていた人たちとは、ちがう場所にいた。
……………なぜ?
そして、あの金瞳の少年。
これから聞くであろう、質問の答えが怖い。でも、その答えが欲しい。
――私は、真実が知りたい。
「……私が、倒れた場所にいた人は?」
「犬のことですか?」
「彼らも…………犬……なの?」
「犬とは、黒髪と浅黒い肌。そして、赤い瞳を持つ者のことを指しています」
「赤い瞳?」
少年の瞳は、赤ではなかった。思い出す必要もない。記憶を探る必要もない。あの金瞳が、今も焼き付いて離れない。
あの子は……赤い瞳じゃなかった。
「あの場所に、金瞳の……子がいたの」
「金瞳、ですか?」
「うん。あの子は、赤じゃなかった。なのに……どうして? どうして、檻の中にいたの?」
「その犬は”ハイパーセント”ですね。金瞳は、とても希少な犬です。私も話で聞いたことがあるだけで、実際に目にしたことはありません」
……ハイパーセント?
「その、”ハイパーセント”は、他の…………犬と……何か、違いがあるの?」
「”ハイパーセント”は運動能力が高く、体力、俊敏性、攻撃力と闘犬としての潜在能力は計り知れないと聞きます。ですが、その分コントロールが、かなり難しいとも言われています。憶測ですが、そのせいで違う場所にいたのではないかと思われます」
「私が倒れたあの場所は、なに? あそこにいた…………犬……は、案内された……犬たちとは違っていた。でも、あそこにいた全員が金瞳じゃなかった。どういうことなの?」
「知る必要のないことです」
「アルフェラッツ!」
「エリース様は、とてもお優しい方です。ですが、犬にまで心を砕く必要はありません」
「アルフェラッツ、私に教えて。あの場所は、あの……犬たちは、なぜ、他の犬とは違う場所にいたの?」
「命令ですか?」
「私は、命令なんてしたくない。だから、アルフェラッツに教えてほしいとお願いしているの」
アルフェラッツは、眉を上げただけで何も言わず……諦めたように息を吐いた。
「あの場所にいた犬たちは、”かませ犬”です」
「かませ犬?」
「犬を調教する際にまず行うことは、犬に自信をつけさせることです。そのために、あてがわれる弱い犬のことを”かませ犬”と言います。若い犬に”かませ犬”をあてがい、とにかく闘わせて勝たせます。それが、強い闘犬を作るために必要なことだと言われています」
――さっき見た光景。
……彼らは、痩せていた……ちがう、彼らは自分の意思で痩せたわけじゃない。……食事を与えられていない……? 痩せているんじゃない、痩せさせられているんじゃない?
治療されていないのも…………そのため? 彼らは”かませ犬”だから……強くてはいけない。
腕だけをそろそろと伸ばして、ブランケットを掴む。何かに、すがりつきたくて。ブランケットを掴む手は、みっともないほど震えていた。自分の中に出た結論に震えが止まらなかった。
それでも、絞り出すように「……わざと、弱らせているの?」と聞いた。
「”かませ犬”は、勝たせるという役目を担うのです。ですから、弱くなければいけません」
もう、何も聞くことはなかった。
……これ以上は、聞きたくない。
それに、
――――私は決めた。
「明日、また……檻に行きたい」
アルフェラッツの目が、瞬く。意外だという表情だったが、すぐにその表情は消えた。
「かしこまりました。旦那様に、お伝えしてまいります」
「お父様は、行かせてくれると思う?」
「もちろんです。旦那様は、エリース様のお願いを聞いてくださるでしょう」
――覚悟を決めていた。
私ができることをしよう、と。
大丈夫!
魔法チートの私なら、きっとできるはず!!




