桜木家
「本当によく頑張ったわ。」
綾子さんは再度、桜木のことを褒めて、頭を撫でる。
「お、母さん」
そこまで褒められるとは考えていなかったのか、先ほどまでお母様と言っていたのがお母さんになっているほど動揺し、喜んでいる。
今まで頑張っていたことがやっと認めてもらえたと、長年の夢が叶ったように喜んでいる。
本当に喜ばしいことだ。
必死頑張って、努力したことが認められるのは嬉しいに決まっている。
桜木葵という人物の努力を知っている身として、そのことは本当に良かったと思う。
出来ることならば、その努力に協力した身として、その喜びを共に感じることが出来ればさらに良かったのだろう。
しかしながら、現在の僕はその状況を恐ろしいほど冷静に、そして冷たく捉えている。
努力を認められたこと自体がどうでもいいと考えている訳ではない。
僕はただ見据えているだけなのだ。
喜びの陰に潜む、現実という名の不条理が、襲いかかるかどうか。
僕はチラリと綾子さんの後ろにいる秘書を見る。
竜馬さんの情報によると、あの秘書は山田留美さんという。
綾子さんとは幼馴染であり、冷静沈着な人で、物事を客観的に見据えて、的確な判断と行動ができる人で綾子さんは勿論、様々な人から厚く信頼されている。
また、長年綾子さんを様々な立場で支えていることから、竜馬さんや桜木も小さいから面倒を見てくれた人とのこと。
そんな人が長年の支えている人の娘が、よい成績を出して褒められているのならば、少しぐらい思うところがあると思うが、2人の様子を見る山田さんは眉ひとつ動かさず、秘書として冷静にその状況を見ている。
「素晴らしい結果でした。このことについては、また時間があるときに、しっかりと祝おうと思います。」
「お母さん、ありがとう」
「外ではお母様と言うこと、忘れてるわよ」
「ご、ごめんさい。お母様」
「別にいいわ。葵が喜びたい気持ちはわかっているつもりよ」
僕の予想は180度違う、とても穏やかで微笑ましい会話がされていた。
他の人から今の様子を見れば仲の良い親子が会話しているとしか見えない。
「あなたの考えた勉強方法も、斬新なもので素晴らしかったわ」
「それを考えたのは、私ではなく隅風君です」
桜木の言葉を聞いて、綾子さんはこちらを見てくる。
「あら、そうなの?やっぱり賢い子ね」
「いえいえ、たまたま見つけた勉強方法が、偶然役に立っただけで、僕自身はそこまで賢くありません。」
「謙遜しなくてもいいわ、どのように勉強をしていたのか聞いたけど、よく特性を理解した上で最大限効果が出るように組まれている。それだけでもあなたが賢いことはよく分かるわ」
「そう言っていただけると嬉しいです」
無理に謙遜するのも失礼に値するため、僕は綾子さんの誉め言葉を素直に受け取る。
隣の桜木もどこか誇らしげな表情をする。
褒める所はしっかり褒める姿勢など、今のところはいい母親というイメージがある。
その後も綾子さんは桜木から、友達の事を聞いて、一人ひとり丁寧に受け答えしていく。
しっかりと聞いてくれることに桜木もうれしかったのか、緊張は無くなり、生き生きと喋っていた。
その光景に僕は強烈な違和感を抱きながら、その様子を見守る。
事前に聞いていたことからのイメージとは、大きな乖離が見られる。
少なくとも、桜木が人生相談部に相談するほど追い詰められるような事が起きるような人物には見えない。
今の僕は、見守るしかできないと言うことだ。
「色んなことを知れて良かったわ。残り時間も少ないから今後のスケジュールのことを話していいかしら」
「スケジュールですか」
綾子さん、あの家族会議以降のことをある程度の聞いた後、今回の本題を切り出した。
「今回、葵は大きく成長したと思っています。ただ、その成長に満足して、夏休みという期間を無駄にしてはいけません。あなたの願いも叶えるためにも私は様々なものを用意しました」
そういって、綾子さんはバックからタブレットを取り出して桜木に渡す。
手渡されたタブレットの内容を見た桜木は、微かに動揺を表に出す。
「お母様、これは?」
桜木は自分の感情が表に出ないように喋るが、完全には隠しきれずほんの少しだが、焦っていることがわかる。
「今回、葵達がしていた勉強法が有効だと判断して、そちら方面の方々と協力して、この勉強法について研究をすることに決めたの。葵はその実験に参加してもらうわ」
あまりにも斜め上の出来事に、処理が追いつかないのかフリーズする桜木。
「隅風様もどうぞ」
「ありがとうございます」
留美さんがタブレットを渡してくれたので、僕も中身を確認する。
その内容は僕のやったことを拡大してさらにグレードアップしたものになっていた。
数学や社会といった基本科目はもちろん、心理学や美術といった教科まで幅広い科目で実施することになっており、この企画では全国から生徒役と先生役の二つの応募がある。
先生役は担当の科目において、優れた実力が持つものを選定して選ばれ、先生役をするものにはその道のスペシャリストが付き、授業の準備を協力してくれると同時に、最先端技術にも触れることができる。
生徒役は学習意欲が高いものが選ばれ、本人の能力値に関してはそこまで考慮されていない。
実施内容としては、選ばれた先生役が2週間、その道のスペシャリストと協力して授業準備して、そこから生徒役に2週間の授業を行う。
初日、中間日、最終日にテストを行い、科目事で伸び率が高かったところ、優れた授業をしたところには、豪華景品と今後のキャリアなどの支援が受けられる。
先生役は最先端技術に触れることができると共に、その道のスペシャリストとのコネもできる。うまくやれば、大企業の支援も受けることができ、今後において大きなアドバンテージを得ることができる。
生徒役も同じような道の人と交流を持てる上、高い成長を遂げることができたら、支援を受けられるためメリットが大きい。
桜木家側としては、今回で幅広い分野においての人脈を得ることができると同時に、次世代を担う人物と繋がりができる。
これによって、桜木家は変わりゆく社会の中で、その先頭を歩くための足かがりを得ることができる。
未来への投資といった企画だ。
これだけの規模の企画を一カ月程度では準備はできない。
前々からこういったことへの準備をしていたはずだ。
このことから桜木家がどんなことを考えているのか、予測はできるが、今は関係ない。
それよりも大切なのは、桜木がこの企画に参加するとなれば先生役になるはず、そうなれば夏休みは確実に潰れる。
桜木が先程述べていたことは全てできなくなる。
「期間が短いから、大きな成長とまではいかないかもしれないけど、次のステージの土台を作ることは出来るはずだわ。」
綾子さんがいっていることは正しい。
桜木のレベルを考える上で更なる成長をするためには高校生レベルではなくさらに一歩上のランクで挑むのが最適だ。
その上で、これは間違いなくその土台を作る役割は果たすはずだ。
「これは葵にとって大きなチャンスになるはずよ。これに合わせて予定を組んでおいてね。隅風くんもそういうことだから、葵のことを応援してくれないかしら?」
一瞬で全てを持っていった。
僕たちがした勉強法を最大限リスペクトしながら、しっかりと葵が成長出来るように組み立てられた企画を用意する。
そして、事前にその勉強法を褒めておくことでこの方法の有用性を確認とこちらに再認識させることで、この方法が絶対に正しいと思わせる。
実に巧妙な手法でこちらが違和感なくこと提案が桜木のためになると思わせることができる。
それを除いても桜木の実力を上げるだけを見るなら間違ってはいない。
寧ろ、進めるべきことだ。
「はい。葵さんが望む道に進めるなら僕は応援したいと考えてます。」
僕はそれしか言えなかった。
「葵もそれでいいかしら?」
綾子さんが葵に最終確認する。
「私は・・・・・・分かりません」
桜木のその声は震え、どうすればいいのかわからず、不安と恐怖に染まり、迷子になって子供のような表情をしていた。