交渉術
私は、高ぶる心を落ち着かせる。
交渉のテーブルへとつくことは出来た。
ここからは、冷静さが必要になってくる。相手の言葉に踊らされず、冷静に受け答えをして、効果的にこちらの切り札を切る。それが重要になってくる。一つでもミスれば、こちらが不利になる。
元から、不利な立ち位置に私では一つのミスで、終わりになってしまう。
上手くできるか、不安と恐怖が私を襲う。
そんな私に、隅風君の言葉を思い出す。
「いいですか、桜木にはとても強い武器があります。その武器は僕たちがこの数日間一生懸命に作った、最強の武器です。自信を持ってその武器を振るってください。そうすれば絶対に勝てます」
私には、鮎莉と大友君と隅風が作ってくれた最強の武器があるのだ。それがある限り私が負けることはない。私は最強の武器を信じて進めがいいだけ。
私は襲い掛かってくる不安や恐怖を薙ぎ払う。
こちらを試すような視線やこちらを射抜かんといった鋭い視線が送られる。
その視線に一切怯むことなく、私は口を開く。
「今回に件につきましては、私の中でもとても重く捉えるべきだと考えています。それと同時に今回の出来事を1つの転機にしたいと考えました。」
「転機?」
「はい、今回の事から一度、勉強方法や取り組み方を見直し改善することで、私にとって大きな成長につながるものにしたいと考えています。」
「なるほど。それで、どのように見直すつもりだ?」
「今までは、お母様が用意されてくださった道を歩んでいきました。しかし、今回の件で用意された道だけを歩んでいていいのかと、自ら行動し、自分の道を探すべきではないかと考えました。よって、ピアノなど現在余裕がある一部習い事の回数を減らし、その時間を活用して、自分の道を探し歩む時間にしたと考えています。」
私は、それと同時に私たちが考え作成した、新しいスケジュール資料を手渡す。
その資料には、回数を減らす習い事に関しての妥当性とメリットがまとめられており、またそれによって浮く費用などが分かりやすく載せてある。
妥当性などに関しては感覚的なものではいけないので、鮎莉と大友君が情報をかき集め、隅風が集められて情報を即座に餞別し、まとめてくれた。
これが今回用意してきた私たちの武器。
私たちは、今回の原因である成績が下がったという問題を逆手に取ることにした。
そもそも、私の時間が無くなる原因は下がった成績を戻すために、今まであった無駄な時間を塾などの時間に変更すると言うことで、逆にいうのであれば、その無駄だと思われている時間を価値ある時間に変えてしまえば問題がないということ。
だからこそ、私は成績向上のための時間にしたという大義名分のもと、部活の時間はもちろん、逆にあまり意味のない塾の時間まで大義名分のもと、私が自由に出来る時間変える。
相手の要望自体にも沿っているので、否定的な反応が出る枠ではない。
事実、資料を見ているお父さんも、悪くはないと言った感じの表情をしている。
作戦の第一段階は成功したと考えてもいいだろう。
だが、まだ気は抜けない。あくまでこれは表面上である。この提案は中身が伴っていない。
今のままではこうしたいと理想論を言っているだけであり、それを見逃すほどお父さんもお母さんも甘くはない、そのままでは却下されるだろう。
ここからはこの言葉が本気であると、試してみる価値があるのだと伝えなければならない。
「なるほど、よく出来た資料だ。それに理屈も通っている。しかし、これだけでは許可は下ろせない」
こちらの予想通り、お父さんはこれだけでは許可はしてくれなかった。
「確かに、勉強に集中すること自体は悪くない。その為に他の習い事の時間を使うというのも構わないと考えている。しかし、自分で1から勉強方法を探さなくとも、塾などで学べばいい、あそこには長年のノウハウがある。自分で探すよりも手早く、そして確実な成長ができると思うが、それとも今通っている塾に問題があるのか?」
「いえ、そういったことはありません」
お父さんはお母さんの方へ視線を向ける。
「私の方でも問題はないと思います。」
お父さんのあの行動は、私の発言が本当のものか確かめるためのものだった。
お母さんもその考えを瞬時に読み取り、簡潔に答える。
流れるような一連の行為に、大企業の社長としてその重責を背負い立つお父さんの偉大さとその姿を支えるお母さんのしたたかな強さを改めて感じる。
私たちの家族の関係は複雑だ。健全な関係であるとはいいからないだろう。
それでも度々見るその姿に、私は両親の子でよかったと誇りに思うのだ。
「だそうだ、それでも1から勉強方法などを学ぶ必要はあるのか?」
お父さんはその必要性を聞いてくる。私はすぐに関係ない考えは捨て、交渉のことに集中する。
「確かに、塾が持っているノウハウに対抗できるようなものは私は持っておりませんし、そのノウハウを活かした学習をしていけばより成長できるかも知れません。しかし、私はそれを一種の思考放棄だと思います。」
「そう思う理由は?」
「先程と同じです。長年培われたものだからといって必ず成長できるとは言えません。世界は常に変わり続けるもの、そんな中で絶対の正解はありません。そんな世界で私たちは常に臨機応変に対応することが求められます。つまり、今までのことを疑い考えることが私たちに求められていることであり、信用があるものだからと他の道を試さず、それだけを進んでいくことは思考停止ではないのですか?」
「なるほど、確かにそれは思考停止と言えるね」
お父さんは納得したように答える。
アドリブのところもかなりあり、それなりに緊張した。この考えは隅風のものだ。
彼にそんなこと言われるまで、私だってそれが正しいと思っていた。
隅風君は固定概念に囚われない人物だとつくづく思う。
そんな人だからこそ、人生相談部という誰も思いつかないよなものを設立したのだろう。
この考えを教えてもらう時、彼は簡単なことしか教えなかった。
隅風曰く、ここから先は自分で探すべきだと言うこと。だからこそ、あまり自信がなく、上手くいえるのか、かなり緊張した。
「ふむ、つまり葵は、今のやり方では満足せず、より良い方法があるのではないかと思い、挑戦してみたいと言うことかな?」
「はい」
「なるほどね、この理由なら塾を減らすのも、自分で1から探すのも賛同していいかもしれない。新しいことに挑戦するその姿勢の大切さは私自身最も実感する立場でもある。その姿勢を否定することはできない」
これで第二段階もうまくいった。そして、ここからが最後の段階だ。
「ならば、最後の問いを聞こう。これに納得いく答えを出せるのであれば僕はこの提案に賛同しよう」
周囲の緊張感が急激に上がる。ここが正念場だ。
「自由には責任が伴う。君はこの挑戦が失敗した時にどうするつもりだい?」
「その時はどんな処罰でも甘んじて受け入れます。例えば、成績が上がらないようでしたら、お母様の用意した道に素直に従います。」
私は私の自由を差し出した。
元々あってないようなものだ。それ自体の価値は私の中ではあまりない。
それと同時に私が差し出せる一番のものでもある。
責任については隅風も考えていた。そして、彼が出した結論は賭けるべき時は大きく賭けろとだった。
隅風はそれ以上のことは教えてくれなかった。
私が考えろと言うことだが、もっと具体的なアイデアが欲しかった。彼はそう言ったところかなりいい加減だ。
だからこそ、ここが最大の正念場だ。うまくいかないかは分からない。もうどうなでもなれみたいな感じだ。
ちなみに、彼はもう一つアドバイスをくれた。無理だったら開き直れと言うものだった。
ふざけるなと言いたい。
だが、彼が言っていることは考えれば考えるほど的を得ているものだった。私の中から一番出せるものを出して、断られたらもう打つ手がないのだ。
「それは失敗したら、何でも言うことを聞くであっているか?」
「はい」
お父さんの質問に肯定すると、お父さんは少し呆れたような表情をして、ため息をつく。
雲行きが一気に怪しくなった。
「それは何かあった場合、自分だけでは責任は取れないと言うことか?」
「はい、私には一人でどうにか出来るほどの力はありません。出来ないことを言うつもりはありません。元々、その力を身につける為に私はこの提案をしました」
「これは一本取られたな、責任を取れるようにするために学ぶか」
そういって、お父さんは少しの考えた後、言った。
「葵の言い分は、間違っていない。それに、大元の問題を考えるなら、責任を取れるほどの教育をしてこなかったこちらが悪いとも言える。それを言い出されてしまってはこれ以上、私から責任どうこうは問えないな。僕は降参だ。綾子はどうする?」
流れ的に断られそうだったので、開き直り、つい口に出した言葉に、お父さんは笑いながら降参する。思いのよらない一言がいい結果を生み出した。
そして、お父さんは今まで静観していたお母さんに問いかける。
お父さんの攻略はできた。そして、最後の障壁であるお母さんはこちらの方を見て言うのであった。
「私も問題はないと考えています。」




