初めての訪問者
「人生相談部設立1周年を祝いして」
「「乾杯!!」」
僕たちはジュース缶を合わせ、そして一緒に飲む。
「いやー、最初はどうなることやらと思ったが何だかんだ上手く言ったな!」
「そうだろ!今どきの高校生が人生相談する訳がない。しかも、高校生相手にな!」
「考えてみたら当たりまえだわな」
そういって納得顔を浮かべるのは、僕の悪友である大友住吉である。
住吉の見た目は細マッチョでイケメンで、普段の態度も些細な気遣いが出来て、やろうとすればなんでも出来るやつという、非の打ち所がないように思える人物だと周囲からは思われている。
しかしながら、その本性は自己中心的なやつであり、その容姿と気遣いを活用して、女子と遊ぶことが好きであり、基本的になんでも出来るのにやる気がないから何もしないというダメ男である。
「しかし、1年前はどうしようかと思ったぜ、部活に強制加入とか」
「それは遊ぶ時間が減るからか?」
「当たり前だろ!」
住吉はさも当然のように言った。
僕はそれに苦笑する。
僕たちが通う両丘高校では、入学して最初の1年間は必ず部活に入ることを義務付けられている。
両丘高校それなりに上の方の高校なのでしっかりした所なので、野球など人気所は厳しく、新聞部や読書部と言った明らかにサボれそうなところでも月一で何か出したり、感想会をしないといけないなどしっかりと活動している。
つまるところ、部活動などに興味がないとかサボろうとしている人物にはかなり厳しい所なのだ。
当時の僕もかなり困ったのだ。野球部に入ることは論外だとして、新聞部や読書部と言ったサボれそうなところでも月一で面倒なことをしないといけない。それが嫌で嫌で仕方なかった。
悩んだ僕はふと閃く、ないのであれば作ってしまえばいいと。
しかしながら、それには3つの問題があった。
一つは担当する先生を用意しないといけない所。
次に二人以上所属する必要があること。
最後に、しっかりと意義がある活動をしないといけないと言ったものだ。
最初の先生問題は、自分たちがクラスの先生がかなり変わった人で、色々と交渉したらなってくれた。
次にメンバー集めだが、当時同じような悩みで苦しんでいた住吉を誘い、彼も快諾してくれたのでどうにかなった。
一番苦戦したのは、意義がある部活動にする必要があるという点だ。
元々僕たちは、サボりたいという思いでやっている。つまり何もしたくないのだ。
だから、どうにかして何もしてなくともしっかりと活動していますよと説明できる部活にしないといけなかった。
そこで思いついたのが人生相談だ。
ふざけていると思うかも知れないが、これはかなりいいアイデアだった。
まず、この言葉の高尚そうなところがいい。
こんな若者が人生について考える。それ自体、大人にとってはいいように聞こえる。後は、その先の事を考え、どうしたいかを決めることが大切だと考えましたとか、適当なことを言っていれば意義あるように思える。
次にその言葉がかなり曖昧な点が良かった。
人生の悩みにおいて答えはない。つまるところ、何をやってもいいのだ。後から適当な理由を付ければいいだけ。先生たち大人でも人生の悩みにおける明確な答えなど知るはずがない、だからこそ、強くは言えないのだ。
これによって活動報告をするときに例えそれが遊んでいるようなものだったとしても、人生において幅広く体験することが大切であり、固定概念に囚われないという考えのもと活動していますとか言っておけば、先生たちはそれを否定できない、尚且つごり押せば、部費まで出るので、最高だ。
最後に高校生が同じ年のやつ人生相談なんてするわけがないのだ。
だってそうだろう、悩みとは自分の弱みと同じ、そんなところを、親しい友人や人生経験豊富そうな人物ならまだしも、僕たち赤の他人しかも年が近い奴にする訳がない。
よって僕たちはこの部活の一番の目的である人生相談をしたくても出来ない状態に出来るのだ。それによって僕たちは人の悩みを解決するような事することが無くなる。そして合法的にサボれる。
だったら部活の意味がないかと思うかもしれない。
だが、人生相談というのは人にとって重いものであり、非常に大切なものだ。だからこそ一人で抱えず、みんなで相談できるようなところを幅広く用意する必要があるのではないでしょうか。来ないなら来ないでいいことだし、来るなら来るでここの価値を証明することができる。と言った感じで言い訳できるので人生相談するやつがいなくとも潰されることはない。
そうして僕は人生相談という大義名分をフル活用して、人生相談部というものを設立した。
僕の予想通り、このような所に人生相談するような奴は来ておらず、そして活動報告などは一切の問題なく通り、その上であまり聞かれたくない事なので、あまり人目に付かない所にあった方がいいといったら。あまり誰も来ない教室まで支給され、僕たちは学校に自分達が好き放題することの出来る場所を得ることができるなど、最高のものになった。
そして、この人生相談部が設立して丁度一年、僕たちは予想以上に居心地のいい所を祝うように1周年記念パーティーをしていた。
「いやー、駿人には本当に感謝だわー!駿人が誘ってくれなきゃこんなに面白い1年は過ごせなかった」
住吉は僕に感謝の言葉をいい、お菓子を食べる。
「そう褒めても、何も出ないぞ」
僕は笑いながら返事を返す。今彼が食べているお菓子も、部費で賄ったものだ。人生相談という最高の言い訳があるので、こういうことでお金の負担がないのもいい所だ。
しかしながら、限度というものもあるので必要以上には使わない。人生相談という盾はあるがそれは決して無敵ではない。しっかりと身分相応な立ち振る舞いは必要だ。
僕たちは部費から得たお菓子を食べながら、この1年間の事などたわいのない事で喋るのであった。
そして、ある程度時間が経ちやることもなくなった時だった。
「それで駿人、この部活も1年たったがどうするんだ?」
住吉が質問をこちらにしてくる。
設立して1年、それが意味するところは部活動参加の義務がなくなると言うことだ。
当初の予定では参加義務が無くなったらこの部活をやめて自由にするつもりだった。この部活自体、参加義務を回避する目的の元作られたのだ。その目的がなくなれば、この部活にいる理由もない。
だからこそ、住吉は聞いてきたのだ。これ以上続けるのか、それともやめるのか。
「住吉はどうしたいと考えているんだ?」
僕は少し考えた後、住吉の意見を聞くことにした。
「俺は駿人についていく。ここはとても面白いし、居心地もいいがそれを維持しているのは駿人お前だ。駿人がやめるなら、ここに価値はないからやめる。」
「なるほど」
住吉の意見を聞いて納得する。
現在この部活を動かしているのは僕だ。部費やら報告書と言ったことは住吉は一切していない。というか、そう言った面倒な事は僕がするという約束のもと入っているのだ。
僕がいなくなったら、それをするのは住吉になる。しかし、そう言ったことは彼はしない。だから、僕がやめれば住吉もやめるのだ。
さて、どうしたものか。
考えることはこの部活を続けることへのメリット、デメリットだった。
現状、この部活を続けるうえで大きな問題はない。目に余るようなことをしない限りは、この部活が消されるようなことはないし、学校内に自由に使える所があるというのは色々と役に立つのだ。だからこそ、参加義務がなくなったとしてもこの部活自体の価値は非常に高いのだ。
逆にデメリットを考えるとするならば、この部活が本当の意味で人生相談をするようなことになる場合だ。今までは人が来なかったからよかったが、もし来た場合、ある程度の対応をしないといけない。
人の悩みを解決するのはそこそこ面倒な事だ。出来れば適当な事を言って終わらせたいが、人生相談してきた奴があそこはあまり役に立たなかったとか、もしくは悪評を言ったら。あったとしても悪い影響しか与えないとして、廃部される可能性がある。
廃部自体はどうでもいいのだが、そこまでの流れで起きる出来事によっては面倒な事になる。
つまりは、人が来ないのであれば続けた方がいいし、来るならやめるべきだと言うこと。
そして考える、来る可能性はあるのかと。
1年間、この部活には人が来なかった。そのことから今後も来ることは少ないはずだ。ならば続けるべきだろう。
そう結論を出した僕は、住吉にそのことを言う。
「続けようと思う」
「分かった、これからもよろしくな、駿人」
そうして住吉はこちらに拳を突き出す。
住吉は性格などは悪いが、なんだかんだ筋は通す男だ。だからこそ、僕たちは悪友として仲良くしてこれた。
「ああ、こちらこそよろしくな、住吉」
そうして、僕は突き出された拳に自身の拳を合わせる。
今年もこの部活も続けることが決まった。
「さてと、今年はどうしようかな?」
「どうするも何も遊ぶに決まってるだろ!」
「そうだね」
住吉と他愛の無い話をしていると、コンコンとドアがノックされる。
その瞬間、二人に緊張が走る。
ここに来るような奴はいない。すると来る可能性は担当の先生だが、あの人はノックをするように人ではない。
「どうする?」
住吉はこちらに聞いてくる。
「出るしかないだろ」
「そうだな、どうせ間違えてきた程度だろうしな」
「確かに、ここに来るなんてそれぐらいか」
全く、そういうことは驚くからやめて欲しいと思いながら僕はドアの方へと向かい、ドアを開ける。
「すみません、ここは人生相談部がしよ・・・・・・う・・・・・・」
僕はドアを開けその人物を見て驚愕する。
そこにいた人物とは、僕たちと同じ二年生で、文武両道、清廉潔白、容姿端麗の完璧美少女。大和撫子とはこういう人物を指すのだろうと言われるほどの人であり、この人生相談部から最も縁遠い人物であるはずの桜木葵だった。
そして、桜木はいうのであった。
「人生相談をしに来ました」