無我夢中。
「よし、忘れ物はないか?」
「うん。大丈夫だよ、楓太兄ぃ」
受験本番、ここ一番の大事な日。
何度も念入りに忘れ物がないかを確認して、準備万端の叶。
「今日は叶の好きなもの作るからな。しっかり出し切っておいで」
「うん! いってきます!」
不測の事態に備え、かなりの余裕を持って家を出る。
万が一、車両が事故等で動けなくなった場合にも対処できるように。財布も定期入れも間違いなく持っていた。
実際、この日は何事も起きず、平和に試験会場にたどり着き、決まった時間に決まった通りに試験が始まり、叶もそれを受けた。
あれだけ何事も起きませんように、無事に受験本番を迎えられますように……と願ったものの、ここまで何事も無いと少し祈りすぎたかと思うくらいだった。
(ううん、でも結局は、結果次第だ)
面白いくらいに勉強した分だけ、走るシャープペンシルの早さを高めていた。それは少なからず自信に繋がり、叶も不安よりも、早く結果が知りたいという気持ちが先行していた。
後は、結果が出るまで大人しく、何も問題を起こさないように静かに過ごす……それがベストで間違いなく取るべき行動なのだが。
「……おい、八月朔日叶」
見覚えがある顔だった。そう、確か怒髪天のメンバーで、彩愛の側近のような立場の少女だ。
彼女は高校生だけれど、年下の総長を良く慕っていた。
「彩愛からの果たし状だ。受け取れ」
「……果たし状?」
わざわざ筆で書かれた達者な文字。
その場で果たし状の内容を確認する。それは非常にシンプルで、けれど叶には受け入れがたいものだった。
「……決闘?」
「……私もなんでから知らないし、私達は一切関わらない……彩愛はお前とのタイマンを望んでいる」
待つ場所は、初めて叶と彩愛が出会ったあの公園。
彩愛が何を考えているのかはわからないが、どうであろうと叶はこの誘いを受けるわけにはいかなかった。
慎重に、平穏に過ごす必要があるこの時期に、万が一喧嘩をして問題を起こせば、叶の入学も取り消されないとも限らない。
「ごめん、彩愛ちゃんには行けないって伝えてくれないかな? それに、何か怒らせたならちゃんと話したいし……」
「……彩愛はお前がそう言うと思って、一つの手段を取るつもりらしい」
「手段?」
「……あの、正月に一緒にいた男をどうにかするとか言っていたな。詳しくは知らないがな……」
それを耳にした叶は一瞬で意識が変わる。
正月に一緒にいた男なんて、楓太以外の何者でもない。その楓太に何か危害を加えようと言うのなら、叶も彩愛が相手であろうと容赦はしない。
「やって良い事と、悪いことがある」
「……っ」
空気が変わった事を、肌で感じたのか彩愛の側近は一歩下がる。可愛らしい見た目とおっとりとした喋り方に惑わされてはならないと、散々彩愛に聞かされていたけれど、その意味をようやく理解できたのだ。
いま対面しているのは、町内でも最強と名高い八月朔日三姉妹の一人……八月朔日叶であることを。
「私と喧嘩が出来るなんて思わせないよ……彩愛ちゃんが、私に勝てるわけないんだから」
今回もここまでお読みいただきありがとうございます!




