初めまして、お父さん。
その日はいつもと何一つ変わらない、ありふれた夏休みの一日だった。
3姉妹と朝食を終えて、掃除をしたり買い物をしたり。
俺と違い、きちんと学校へ行っている3人には夏休み中の課題もある。愛花はやはり毎日きちんと進めるタイプで、アキラも問題なくやっている様子が見える。
叶は、もう手に渡った瞬間にとっとと片付けてしまうタイプで、既に全て終わらせていた。というよりも、叶は受験期のため課題が終わろうとも勉強は続けるのだが。
それに習って俺は、同学年の愛花から、彼女が通っている学校の教科書を借りて勉強している。
中退したとは言え、この世の中最低限の教養は必要だ。やれる範囲の事は、やっておきたいのだ。
勉強もほどほどに、時計の針が2本12時を指した頃、俺たちは昼食を作るために台所に立っていた。
冷やし中華を始めよう。この時期には美味しいものだから。時間だけはいくらでもあるから、下準備もしっかりできる。
アキラたちに手伝ってもらいながら、色鮮やかな冷やし中華が出来上がりつつあったのだが、そんな調理の手を止めたのは、フイになったインターホンの音だった。
「はーい」
その相手を出迎えに行く。
そこで俺は言葉を失ってしまった。
──圧倒的強者。立っているだけで畏怖の念に襲われた。
逆立つ髪の毛がその攻撃性を思わせる。いつの日か対面した、風雷の雷が可愛く思えるほどの筋肉の塊。
この人がその気になれば、簡単に俺なんか殺される……本能がそう感じ取った。
「誰だい、君」
「あ……えっと……」
ドスの利いた低音。
俺が誰か、という答えられないわけのない質問すら言葉に詰まる。俺が玄関先で固まってしまっていると、それを異変に捉えたのか、部屋から叶が出てくる。
「楓太兄ぃ? どうしたの? ……あっ!」
強者漢を目にした叶は声を上げた。そして次の瞬間、俺の耳に信じられない言葉が届いた。
「お父さん!」
★★★
「ど、どうぞ……」
俺はこの家の家主……お父さん……峰十郎さんに冷たい麦茶を差し出す。
一番大きいグラスを出したつもりだったが、それでもこの人が持つと小さく見えてしまう。
「帰ってくるなら連絡してくれよ父さん」
「ここは俺の家だ、わざわざ帰るのに伝える必要はない」
「今度はどこにいってたのお父さん!」
「アイスランド」
「何と戦った?」
「ホッキョクグマ」
「え?」
ホッキョクグマと戦った……?
「ま、待って……どういうこと?」
「楓太兄ぃ、お父さんはね、世界中を戦い回ってるの!」
すごくシンプルだけれど全然ピンとこない。
むしろますます困惑してしまう。一体、なんのために……。
「強くなることに理由なぞ不要だ」
「いや限度がありますよ……ホッキョクグマって……」
「それもいいんだけどよぉ、父さん」
アキラは背伸びをしながら峰十郎さんに向かって言う。
「久しぶりに相手してくれよ、そのつもりだろ?」
「ふん……良いだろう」
峰十郎さんがニマァと笑う。それはどこか、幼い子供がキャッチボールに付き合ってほしいとお願いされた親のようだった。
とてもキャッチボールどころではないのだけれど。
「愛花、叶。おまえらも行くよな?」
「またとない機会だ。当然だ」
「お父さんと遊べるのはなかなか無いからね〜、行くよー」
そう言って、3人は当たり前のように峰十郎さんの後に続いて家を出る。
いったいこれから何が始まるんだ。こればかりは、謎や不安とかよりも……好奇心が勝った。
全員が着いた先はそれなりの広さの空き地。
夏休み中だから、近所の子どもたちが遊んでいるのではないかと思ったけれど、そこに誰一人として──いや違う。
だれかがいた形跡はある。小さなスコップに、なわとびやスケートボード。
まさか全て忘れておいて帰ったわけでもあるまい。だとすると、考えられるのは一つだった。
そうと確信させたのは、周りから生物が居なくなったからだ。
峰十郎さんが進めば、鳥は飛び、野良猫は一目散に逃げ出す。アリの大群は列を崩しめちゃくちゃに散らばる。
ありとあらゆる生物が峰十郎さんから逃げていた。
「よーし、アタシからな」
「いつでも来い」
軽く準備運動をして体をほぐすアキラと、余裕の態度で腕を組みそれを待つ峰十郎さん。
「なぁ……これから、何が始まるんだ」
「……遊びさ。親と子の、な」
愛花はそれだけ答えて、あとは黙ってしまった。
「っよし。……いくぞ」
──とても、それが人と人の戦いとは思えなかった。
攻撃を仕掛けた瞬間が見えず、気付いたときにはアキラの拳を、峰十郎さんの手のひらが受け止めていた。その衝撃は、こちらにまでやってきていた。
「っし!」
攻撃の手をとめることなく、アキラはそこから飛び回し蹴りを峰十郎さんの首めがけて放つ。
だが足のように太いその首には、対してダメージが入っていないように見えた。
「一年前よりも練度があがっている。偉いぞアキラ」
「はっ、躱しもしねーでよく言うよ……」
「くく、何。多少は効いた……最近首が凝っていたところだったからな」
「けっ……。おい、叶。次やるか?」
「え? アキ姉ぇもういいの?」
「本気で蹴ったのにあれじゃ、もういいや……愛花、いいよな」
「構わん」
完全に蚊帳の外にされて、ただただこの戦いを観るだけ。
それなのに……どうしてこうも、惹かれるのだろう。
答えはすぐにわかった。
あまりにも強すぎるからだ。
圧倒的な力を観ると、これほど心を奪われる物だったのか。
アキラの本気の蹴りを受けて、びくともしないあの人の戦いをもっと見たいと俺は願ってしまった。
「よーし、じゃあ次は私だよっ、お父さん!」
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