宮下猛 Part5
喫茶店の彼女の妊娠が発覚して、十月十日ばかりが経っていた。
猛は自身の立場上、彼女のことは組員にも他の誰にも話してはいない。どこから情報が漏れて、彼女に被害が合わないとも言い切れなかった。
頻繁に会いに行くこともできなかったから、子供が産まれるまでの間は特に心が落ち着かなかった。
子供が出来たから芽生えた感情かもしれないが、それでもそれが愛情であることに変わりはなかった。
「兄貴、なんか最近いいことでもありました?」
「良いこと? なんでだ?」
「なんかソワソワしてるっていうか、プレゼントを待つ子供みたいな」
「誰が子供みたいだ」
けれど、それも存外間違いでもなかった。現に猛はもう時期産まれるであろう新しい生命に、初めての胸の高鳴りを覚えていた。
自分という人間は、案外単純なのかもしれないと思いながらも、猛はそんな人格を受け入れていた。
色々と順序は間違えているのかもしれないが、それでも猛は、問題なのはこれからだと自分なりに考えていた。
そんな誰に聞かせるでもない覚悟を胸に、子供扱いしてきた弟分を小突きながらラーメンを啜っていた最中だった。彼女からのメールが届いたのは。
その時点で、もしかしてとは勘付いていたがどうやら予想通りだったようだ。
件名にはわかりやすく、「陣痛が」とあり、猛は二人分のラーメンの代金と弟分を置いて店を飛び出し病院に向かった。
★★★
病院までそれなりの距離があり、猛が着く頃には数十分が経ってしまっていた。
夏の暑さが、全力疾走の身体に遠慮なく突き刺さる。
スーツ姿の猛には地獄のような暑さだった。
(けどよぉ……)
出産は、それこそ地獄のような痛みを伴うというから。
彼女の事を想うと、足を止めている場合ではなかったのだ。
ようやく病院に着き、水浴びでもしてきたのかと疑われるほどの汗に驚かれながらも。
「あの……」
息も絶え絶え、眼に汗が入り染みる。
息を整えて、彼女の名を告げて立会の許可を貰った。
「あの、八月朔日文香の──」
★★★
少し遅かったと思うべきか、それともギリギリ間に合ったというべきか。
猛が立会に向かった時には、既に2つの産声が聞こえてきていた。
「あっ、猛さん……」
「文香、すまん、遅くなって……」
謝罪から入る猛に文香は首をふり、「それよりも」と遮った。
「抱いてあげてください、私達の子どもたちです……」
「あぁ……」
双子の我が子。
まずは兄となる楓太を。
初めて抱く、産まれたての赤ん坊の軽さと儚さに内申戸惑ってさえいた。自分も本当に、こうやって産まれてきたのかと。
次に弟となる楓斗を。
今だとまだ、どちらが楓太で楓斗なのか区別がつきにくいが、一つだけわかりやすい特徴があった。
「楓斗はすごい福耳だな」
楓太と比べても一目瞭然だった。
楓斗はもしかしたら、将来は成り上がって社長にでもなるのかな、なんて考えていた。
「元気に育ってくれるといいなぁ……」
「はい……本当に」
自身の立場を忘れて、その時だけは幸せな家庭を想い描いていた。
その時だけは。
実際その幸せは、少しの間は続いた。
わずか一年間だけの幸せは、確かに続いた。
今回もここまでお読みいただきありがとうございます
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