第三話:拷問
現実世界にあるものでも一部この作品オリジナルの要素を孕んでいますがご了承ください。
【ロスグッド王国王都スルヴェージャ 中央裁判所前広場】
そうこうしている間に、アリーシャとナーノは、裁判所前の広場まで連行されていた。もっとも、広場と言ってもそこは子供がボール遊びに興じるような暖かみのある和やかなそれではなく、数々の拷問器具と処刑だが並んだ、殺戮のサーカスショーと言った有様だった。一応死体こそ片付けられ、その都度奇麗に見える様に清掃こそされているものの、あくまでも表面上だけの話であり、よく見ると芝生には血が滲み、まだ鼻を突く様な鉄の臭いが充満している。屋外という開放的で三密とは無縁に等しいこの環境でこの有様という事は、一体どれ程の人がここでその命を止められたのだろうか?
吐き気を催す程の不快感をグッと堪え、アリーシャは拷問台に登る。どうやら、ナーノは下で待機のようだ。恐らく、実際に拷問を受けるよりも、実の母親が拷問にあっている姿を見届けさせることが真の拷問だと考えたようだ。
どこまでも信じられない思考ね……。でも、一先ずナーノが無事でよかったわ。よしっ、私も頑張らなくちゃね。
涙も止まり、微笑ましく包容力のある眼差しをナーノに送り、アリーシャは階段を一歩ずつ登る。宵闇を彩る満天の星空の下で彼女は足を踏み出す。その足取りはしっかりとしており、迷いや不安、恐怖は見られない。寧ろ見物人の方が委縮するような始末だった。しかし、それはあくまでも表面上の話。その内面でアリーシャは強い悔恨と安堵のアンビバレンツな心情に苛まれていた。悔恨の思いは愛娘であるナーノに、そして、安堵の気持ちは既に亡き夫に向いて伸びていた。
「ごめんね、ナーノ。貴女の成長をこれ以上見届けてあげられなくて。もっと見ていたかったけど、これ以上は無理みたい。ごめんね、ナーノ。お父さんとお母さんだけ先に逝っちゃって。もっと一緒に居たかったけど、あんまり時間が残されてないみたい。ごめんね、ナーノ。最後にあなたをもう一度抱っこしてあげられなくて。してあげたかったけど、タイミングが無くなっちゃったね。それとありがとう、ナーノ。大好きよ。それから、アナタ。もう少しだからそこで待っててちょうだい。すぐに行くわ。待たせて悪かったわね。予定よりずっと早いけど文句は言わないでね」
小さく小さく呟くその言葉は誰も気づかない。誰の耳にも届かない、二人を除いては。彼女の言葉は音としてその耳に届かなくても。想いとしてその心にしっかりと届いている。
「遅かったな。悪魔に助けを乞うのがそんなに大変だとは、悪魔とは随分と手間のかかるものだ」
「シャルコール裁判長。先程から言っています通り、私もナーノも魔女ではございません。誰が何と言おうとそれは覆りようのない事実です。たとえ拷問しようとも、それは全て徒労と終わります」
「最後の悪あがき、強がりとでも形容した方がよかろうか? 実に見事だ。その覚悟だけは誉めてやろう。本来であれば邪教徒を褒める等言語道断。しかし、貴様の覚悟は受け取った。今この場で魔女だと認めるのであれば、私の権限で多少の計らいを確約してやろう」
悪い手ではないだろう、と問いかけるレインズだが、やはりその目も口も嗤っている。恐らく常日頃その表情ペルソナをつけたままだったのだろう。外し方を忘れ、肝心の甘いセリフもただの嘘と化してしまっている。いや、もしかしたらそれが彼の本来の顔なのかもしれない。本音と建前が乖離した生まれながらの嘘つき。それが彼、レインズ・シャルコールなのかもしれない。
しかし、今のアリーシャにはどうでもよい事。いや、今と限らずアリーシャにとっては始めからどうでもよい事だ。一介の村人にとって、王都に勤める貴族の一人は全く視界に入らない。当然その逆も然り。だからこそ、今こうして彼の性格や本音が露呈したところでどうしたところでもないのだ。加えて、彼女はもうすぐこの世界を旅立つ。だとしたら、尚の事どうでもよい事だった。
そしてアリーシャはそんな行間や彼の深層心理を読むまでもなく彼に一言言い放つ。
「結構です。嘘をついてまで助かろうとは思いません。私もナーノも魔女ではない。それがただ一つしかない真実です」
ピシャリと断言するアリーシャは実にかっこいいだろう。それに対し、レインズは両上肢をワナワナと震わせる。眉間にしわが寄り、蟀谷には青筋が立っているのがよく見える。今にも破裂するのではないか、と心配せずにいられないのは、そのお腹が教えてくれる生活習慣病が齎す不安だろうか? どう見ても不摂生な食生活を送ってそうなそのわがままボディは見るに堪えないほどプルプルと振動している。
しかし今この場で高血圧が原因の血管破裂が発生した場合、困るのは裁判員側ではなく間違いなくアリーシャだ。魔女が悪魔の力を使い裁判長を殺したと言いがかりをつけられればそれを否定するのはもはやあきらめなければならないだろう。それほどまでにこの裁判は裁判としての形を成していない言いがかり大会だ。
「貴様! 人の行為を無為にしたことを後悔させてやる! やはり貴様は魔女だ、そうに違いない。人を貶めようとする悪魔め! 白状しろ!」
「私達は魔女ではありません!」
「クソが! こうなったらとことんやってやる!」
おい、とレインズが屈強な二人の男に合図を出す。その合図を受け、男達は手にロープを持ちアリーシャの元まで近づく。そして、その男たちはアリーシャの手にロープを巻き付けると、そのまま彼女を宙づりの状態で柱にぶら下げる。そして、高く吊るされた彼女は、一気に下まで落下し、地面に着く直前で再びロープがピンと張られる。これが何度も繰り返される。
「ッ‼」
ロープが強く張られるたびに苦悶の表情を浮かべ、外れた肩を視線をやる。血は出ていないものの、その内部事情は相当のものだ。しかし、それでも彼女は泣き言一つ吐かない。当然、魔女だと嘘の自白をする事も無い。
そんな彼女を見て、ナーノは叫び声とも鳴き声ともつかない悲痛の声を轟かせる。必死に目を背けようとするが、そうさせまい、と大人達が彼女の首をしっかりと固定して離さない。最後まで見続ける事が彼女にとっての拷問なんだ、と再認識させるには十分すぎる光景だった。
「ごめんねナーノ、怖がらせちゃって。もうすぐ終わるから、ね?」
健気に愛娘をあやし安心させようとするその姿は、母親の理想像をも凌駕する至高の光景だろう。深刻な状況に瀕する我が身より娘の方を心配できる親が果たしてどれ程存在するだろうか? 勿論、この姿が理想の母親像であり須く母親はこうでなくてはならない、という訳ではない。しかし、それでも家族に対する愛は誰も見習うべきだろう。
だからこそ、これだけの愛情を受けて育ったナーノは実に優しい子の育っている。母親を助けようと体を動かし、必死に大人達から逃れようとするその姿勢は実に感動的だ。しかし、大人と子供という体格差に加え、男女の違いという性差。彼我の戦力差は絶対的で、彼女一人の力では彼女を拘束する大人たちに嗤って受け流されるのが関の山だった。
「どうだ? そろそろ口を割る気にもなったか?」
「いいえ。私もナーノも正真正銘人間に他なりません」
「チッ……」
あからさまに聞こえる舌打ちをレインズはアリーシャに投げつける。サッサと自白した方が楽になるぞ、と暗にほのめかしているのだろうが、その表情は更なる残虐を心待ちにする邪悪な幼子の様。一体どんな育てられ方をしたらこんな心無い大人に成長するのだろうか、と訝しんで止まない。少なくとも、普通に育てたらこれほどのサイコパスに育つことはそうそうないはずだ。
しかし、この国の貴族や聖職者たちは彼のような思考が常態化している。つまり、環境適応の過程に問題があるのだろう。どれだけまともに育てられても、社会に出て以降の環境が悪すぎた結果、これほど歪な人格が誕生してしまったのだろう。やはり、人間は環境に左右される生き物だ。生理学的にはホメオスタシスが成立しても、精神的にはその限りではないようだ。
そしてその後も、アリーシャに対する拷問は続く。爪をはがしたり骨を砕いたり、水に沈めたり火に炙ったり。あの手この手の手段で、ありとあらゆる拷問器具を用い彼女に魔女である事を自白させようとするが、決して彼女は口を割らなかった。しかし、その事如くを梨の礫で返すその振る舞いはまさに鋼鉄の城の様だった。
あまりの悲痛さにナーノが気を失った後もそれは変わらずだった。寧ろ、ナーノの境遇を悲しみ憐み、申し訳なさと怒りで更に意志が固まったように感じられた。ナーノの前で泣き言をいう訳にはいかない、という強い意志がこれほどのものと、果たして誰が予測できただろうか? 家族愛の力がこれほどまでに素晴らしいものだとここにいる人たちの内何人が気付いているだろうか?
それがわからないからこそ、レインズや拷問管たちはアリーシャに対して一切臆することなく拷問を続けることが出来るのだろう。実におめでたい頭をしていることだ。彼らに家族はいないのだろうか? 彼らの家族が同じ目に遭った時、彼らは一体どういった反応を見せるのだろうか?
しかしアリーシャは、彼らの犯している非人道的な行為こそ恨むが、彼らそのものに恨みを向けたくはなかった。子を持つ親として、親がいなくなるという不幸だけは例え誰であろうと避けたいとすら思っていた。
しかし、そんな奇麗事が通用するのが理想の中だけだということも彼女は同時に知っている。彼らを恨まずしては生きていけないという事を彼女は理解している。子を持つ親として、娘をこのような非道な目に合わせた彼らを許しう訳にはいかない、と強く感じていた。
だからこそ、数々の拷問が行われても、彼女は決して嘘の自白をしなかった。決して弱音を吐かなかった。毅然とした態度で徹底して否定を続けていた。これには見物客もしびれを切らし、ヤジを飛ばし、物が飛び交う。
「サッサと自白しろッ、邪教が!」
「俺にやらせろ、俺の方がもっとうまく拷問できる! すぐに自白させてやる! 俺にやらせろッ‼」
もはや収集つかないほどの騒ぎとなり、果たしてこれは拷問なのか、それともお祭りなのか、将又デモなのか、一体どう形容すべきかわからない動物園状態へと様変わりしていた。
「これは、不味いな……」
流石に事態を重く見たレインズは拷問器具を置き、剣鬱人たちの前へ歩み出る。その動きはふくよかな体型の通り非常にゆったりしたもので、威厳があまり感じられないものではあったが、一国の大貴族の一人がこうして自分たちの前に歩み出たとあれば、当然彼らとしては黙るしかない。第三身分出る一般市民は勿論、大多数が彼より下の位である第二身分、そして何より彼より上位の立場である第一身分の聖職者までもが騒ぎの手を止め、閉口し、レインズを注視している。
つまり、レインズの発言力は現時点において未だ失われていない、という事。なかなか口を割らせられない彼に対する不信感や焦燥感は募れど、それはまだ信頼を揺らぐほどのものではないという事が明々白々。これはしめた、とばかりにレインズは大きく一つせき込むと、黙然と注視する見物人たちに対して凛とした口調で、しかし半ば怒りの色を浮かべ訴えかける。
「一体何を圧せているのでしょうか? 確かに彼女は一向に魔女であることを自白しませんが、それは他の人たちもそうだったでしょう。魔女と悪魔の間には、我々の計り知れないほどの強い結託があるのでしょう。もしかしたら何らかの契約すら結んでいる恐れも考慮すべきかもしれません。と、なれば、やはり自白とは根気のいる作業であってしかるべきでしょう。何も焦る必要はありません。それに、今は幸いにも彼女達魔女にとって最も神聖な日、ワルプルギスの夜です。宴の香りに誘われて、悪魔たちの心にも綻びが生じるでしょう。焦らずにいきましょう」
ワルプルギスの夜。それは、悪魔崇拝と共に存在する概念で、年に一度悪魔たちが一斉に地上へ降り立ち、各地の山々で宴を開く行事とされている。それは単に祭りとして集まるのか、将又別の狙いがあって地上に降り立つのかは不明だ。しかし、一説によればこうして地上に降り立つ際に、次の悪魔崇拝者を吟味しているとされている。そのワルプルギスの夜が今なのだ。つまり、魔物が一年で最も躍動する日であり、最も心に隙が出来る日。魔女を炙り出す日としてはこれ以上ない程の吉日だった。
それにしても、彼の話術は実に巧みだった。伊達に貴族として人の上に立つ教育を受けて育っただけの事はある。どれだけ性根が腐ろうとも、教養だけは腐らない。良くも悪くも、その持ち主にそっくりそのまま作用する。それが教養だ。だからこそ、今の彼でも人心を掌握し、尤もな意見で民衆を黙らせ従わせることくらいは造作もない事だった。
漸く落ち着いた見物人を一瞥し、レインズは改めてアリーシャの方を見る。宙にすらされた彼女の姿は実に痛々しいもので、爪は全て剥がれ、骨は砕け、水に濡らされ、火に炙られ、全身から血が流れだし、辛うじて顔だと識別できるその顔は、いまだ光が失われていないのが不思議なくらい力強く鋭い眼光を放っている。
「まだ諦めていないか。どうだ? そろそろ自白する気になったか?」
「ハァ、ハァ……私……達は……魔女では……ありません……」
息も絶え絶えに、それでも彼女は徹底した否定の言葉だけを紡ぐ。その視線の先には未だ気を失ったままのナーノが横たわっている。彼女もまた、アリーシャほどではないものの、それなりの生傷に覆われ、とても無事とは言えないだろう。
「ごめ……んね……ナーノ。もう……ちょっと……あと……少しだから。ごめんね……」
頻りに謝罪し続けるアリーシャだが、今にも消え入りそうなほどのか細い声は、果たしてナーノの元まで届いているのだろうか? 恐らく周りの喧騒に遮られ届いていないだろうが、それでも想いはきっと届いているはずだ、と彼女は信じている。
「さて、そろそろ再開するか。そろそろ楽になりたいだろう? 吐いて楽になりたいだろう?」
「ハァ……ハァ……誰が……嘘を……ついてまで……楽になろうと……するもの……ですか⁉」
断固として屈しようとしない、あくまでも無関係の姿勢を貫く彼女に最早レインズは面白さやストレスの捌け口としての姿を見出すことが出来なかった。寧ろ疲労が溜まりそれがストレスへと変換されるだけで全く面白さを感じない。ありとあらゆる拷問器具を持ち出して、あの手この手で自白を強要させるが、それでも一向に口を割らない彼女の姿勢に、今か今かと冷めやらぬ興奮を胸に待ちわびる見物人に反比例して、レインズだけは一人溜息が増えていた。
やがて刻一刻と時間だけが経過し、時刻は午前一時三〇分を周っていた。つまり、日付すら変わっていたのだ。裁判開始から凡そ五時間三〇分。一体何が彼女の生命力を掻き立てているのだろうか? やはり、悪魔と契約しているからなのだろうか? それとも、単に彼女が頑張っているだけなのだろうか?
時刻が時刻なだけあって、見物人も疎ら、もう僅か数人しか残っていない有様だった。彼らも一応は大人。仕事があるのだろう。だからこそ、帰る客を無理に停める事はしない。しかし、たったこれだけの人たちを前に拷問をするというのもなかなかに味気ないものだ。
それに何より、拷問の手が尽きた。ありとあらゆる拷問を熟したものの彼女は一向に自白する様子はなく、ついにはもう拷問のネタが無くなっていた。いや、正確にはまだあるのだが、それらは時間を要したり、或いは別の拷問と併用できない都合があったりなどして都合上できないものばかりだった。
「シャルコール様、いかがいたしますか?」
一体どうしたものか、と悩む彼に対し、彼の従者がそう尋ねる。しかし、いかがいたすと言えども、シャルコールは錬金術師ではない。卑金属から貴金属へと変質させるように、何でもない物から新たな拷問器具を生みだす事は不可能なのだ。それこそ、簡単な小道具程度ならできない事も無いだろうが、拷問用ともなると、やはりそれなりの強度と耐久性が必要となってくる。そんなものは手軽に生み出せるほど、シャルコールは職人としての素質は持ち合わせていない。
「さて、どうしたものか。既に見物人は解散済み。こいつは何時まで経っても吐こうとしない上に、最早虫の息。母娘纏めてその辺の山にでも捨てておけ」
「しかし、よろしいのですか? まだ自白を得たわけではありませんが……」
「その程度、いくらでも改竄出来る。それこそ、山に捨てに行く過程で発言したとかでも構わんのだからな」
「畏まりました。こちらの二人をロスグッド山へ捨ててまいります。シャルコール様はいかがされますか?」
「いや、俺は結構だ。勝手にしておけ」
それだけ言うと、レインズは迎えの馬車に乗り込む、サッサと帰宅していった。
裁判所前広場にはレインズの従者とムーンランド母娘の三人だけが残されるのだった。




