第二話:裁判
現実世界にあるものでも一部この作品オリジナルの要素を孕んでいますがご了承ください。
【ロスグッド王国王都スルヴェージャ 中央裁判所】
「それでは、只今より、魔女裁判を執り行う。なお、裁判にあたって私レインズ・シャルコールが取り仕切らせてもらう」
裁判長の一言により、場内に静寂が訪れる。被告人をグルリと取り囲むように配置された、総数六〇〇程度の聖職者と貴族に加え、それと同数程の第三身分らしき人も混ざっている。アンシャン・レジーム下のこの国において、第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分はその他一般市民と定められている。聖職者や貴族がこうして魔女狩りに参加する目的は、被告人である彼女でも朧気ながら理解できる。上流貴族としての御遊びやストレス発散、或いは金稼ぎの仕事程度の認識なのだろう、と。しかし、彼女でも理解できない点が一つあり、心の中で燻る。青く腫れ上がり、美貌の美の字も亡失した狸のような顔で彼女は薄ら開く目で傍聴席を見渡す。
あれって、多分私達と同じただの市民よね。どうしてあっち側にいられるの?
情けは無いのだろうか? 心が痛まないのだろうか? どうして平然とした表情であちら側に立っていられるのだろうか? やはり、人は環境変化に対して順応が非常に速い。こちら側ではこちら側として、あちら側ではあちら側としての生き方と言うのを知っているのだ。蝙蝠のような生き方が出来る。それが人間としての特性だった。
しかし、いつまでもそんな悠長に眺められるほど、彼女は余裕ある立場にいないのが現実。すぐ隣には彼女と同じように顔を青く腫らせた娘が泣きじゃくり、ぐしゃぐしゃに顔面を濡らしている。
「大丈夫よ、ナーノ。お母さんが付いてるから」
嘘だ。大丈夫なわけがない。魔女裁判から生きて戻った人の話なんて聞いたことが無い。それどころか、無罪判決を下された例すら聞いたことがない。つまり、これは始めから有罪と判定するための出来レース。魔女をいたぶり快楽を得るために与えられた死へのモラトリアム。
宛らグリーンマイルね。
自らの結末を覚悟し、諦観の境地に至った彼女の表情は安らかだ。足掻いても無駄。だとしたらネガティブ思考よりもポジティブ思考で。そう覚悟を決めた彼女の表情は晴れやかだ。泣きじゃくる娘を笑顔であやし、ナーノの気分を多少なりとも和らげるその態度は実に理想の母親像だろう。しかし、だからと言って、裁判の方向性が変わる訳ではない。彼女は魔女だと判断された。それは絶対だ。ここで無罪と判断されればここまで連れてきた貴族の顔に泥を塗ることになる。つまり、貴族の体裁の為にも彼女は魔女でなければならないのだ。
「被告人アリーシャ・ムーンランド、ナーノ・ムーンランド。二人に問う。貴様達は魔女か?」
「いえ、違います。当然、この子もそうです」
いくら死を覚悟したからと言って、そのまま唯々諾々と判決に従う気に彼女は到底なれそうもなかった。だからこそ、毅然とした態度で罪状に対して異議を唱える。横で泣きじゃくる娘は最早問答どころではないだろう、と判断し、アリーシャが代わりに返答を付け加えて対応する。
「ご覧の様に、ナーノはとても話せる様な状況じゃありません。なので、私がわかる範囲においては私が代わりに受け答えさせていただいてもよろしいでしょうか」
「……いいだろう。認めてやる。しかし、嘘はつくな。我々から問いには全て正直に答えてもらう。よいな?」
「はい、シャルコール裁判長」
「では、もう一度問う。貴様達二人は魔女か? 或いはそうではないのか? 答えよ」
「私達は魔女ではありません。それは絶対です。神に誓って宣言いたします」
“神”という言葉に思うところがあるのだろうか。それまで静粛な姿勢を保っていた聴衆たちが一斉に立ち上がり興奮の色を示す。怒号と物が飛び交い、まるでデモ活動のような喧騒が巻き起こる。
悪魔崇拝という邪教徒の口から発せられる神への誓い。自分たちの心の拠り所を侵食されたかのような怒りと屈辱が彼らの怒りのツボを押した様だ。誰だってそうだろう。自らの命と同レベルで大切にしているもの、信仰を汚されたのだ。これを海容できるのはよほどの大物か、或いは表面上だけ敬虔な、形だけの信徒に過ぎない。
しかし、今の彼らにこの理論は通じても、その怒号に対する説得力は皆無だ。何と言っても証拠がないのだ。ただ己に勝手な思い込みだけで彼女達ムーンランド母娘を邪教徒と決めつけ、怒りの捌け口にしているだけだ。そんな彼らの言葉のどこに説得力を生みだせというのだろうか。だがここ、この場においてはムーンランド母娘以外の全てが彼らの味方だ。どれだけ荒唐無稽で理不尽な合理化とはいえども、数がそれを正当化する。多数決の原理と同じだ。しかし、多数決と違い少数意見が一切の権利を持たない不平等な多数決だが。
「先程私は『嘘はつくな』と言ったはずだが? 仮にそれが嘘ではないとするならば、何か証拠があるのだろう? 出してみるがいい。出せたら、の話だがな」
冷徹な嗤いを含む瞳で眼下に跪くアリーシャとナーノを一瞥しつつ、ぶっきらぼうに言い放つレインズの表情の方がよっぽど悪魔的だろう。まだ、真摯に質問を受け止め毅然と答えるアリーシャの方がよっぽど神の右腕として相応しいだろう。
しかし、彼女は答えない。いや、答えられなかった。証拠を出せ、と言われても自分が悪魔崇拝の敬虔な信徒ではないという証拠が何処にある? そもそも悪魔とは関わりが無いのだ。あるものを出せと言われればそれは簡単だが、ないものを出すのは至難の業だ。 “証拠がない事は、無いことの証明にならない”という格言が示す通り、消極的事実の証明は不可能だ。しかし、だからと言って証拠はありませんと馬鹿正直に言う訳にもいかないのもまた事実。寧ろ証拠が出せないことを付け込まれ、何か隠し事があると捉われかねない。
それにしても、消極的事実の証明を“悪魔の証明”と比喩するなんて、偶然にしてはよくできてるわね。
フゥ、とアリーシャは大きく息を吐く。問われたのだ。答えるしかない。たとえそれが身を亡ぼす最短経路だとしても、それしか答えようがない以上、無言を貫くよりはマシだろう。意を決し、徐に彼女は口を開き言葉を紡ぐ。
「証拠は……ありません……」
「ない? つまり、何か隠し事があるという事か。そうか。そうに違いない。やはり貴様たちは魔女だ。そうだろう?」
「いえ、私達は魔女ではありません」
繰り返される押し問答。決して臆してはダメだ。精神的無防備は主導権の剥奪と同義。もとから主導権が無い負け戦とはいえ、相手のペースに全てを委ねる訳にはいかない。毅然とした態度を崩すことなく、否定の意を貫き通す。
やがて、その光景にうんざりしたのだろうか? 将又純粋に飽きただけなのだろうか? ハァ、と目に見える大きなため息を一つ吐き零した後、レインズが新たな切り口でアリーシャ達に攻めかかる。
「魔女達はいつもそうだ。決まっていつも『私は魔女じゃありません』『証拠はないけど悪魔との関わりはもってません』だ。これだから魔女裁判は時間と手間がかかってしょうがない。やはり、今回も彼らの出番の様だな」
レインズが目くばせでどこかに合図すると、それに合わせて、二人の屈強な男がアリーシャの左右を固める。それは、これから起こる事を容易にそ想像させ、それまで毅然とした態度を崩さなかったアリーシャもつい表情筋が強張ってしまう。彼ら男たちが手に持った道具の数々は、これから彼女の身に起ころことを想起させて止まない。声にこそ出さなかったものの、恐怖の津波が彼女の心に襲い掛かる。
あれって……拷問器具……よね、やっぱり。
「何時まで経っても口を割らないようなら、ここはやはり拷問につきるな。素直に吐いた方が自身の実の為だぞ?」
行こうか、とレインズは立ち上がる。ふくよかなお腹が揺れ、日頃の生活習慣が容易に想像できる。この不景気真っただ中のこの国にいてあれだけ立派なわがままボディを持っていることが何よりもの証左だろう。一体どれ程の金品を巻き上げてきたのだろうか、と想像するだけでそのあまりある想像力を絶する光景が脳裏に浮かんでしまう。
何人の命の上にあのお腹は成り立っているのだろうか、と訝しがるアリーシャだったが、両脇を固める男たちに無理やり立たされ、そのままレインズの後に続いて裁判所を出る。
両手両足を拘束され、大きく腫脹するその青黒い顔を見て、最早彼女がアリーシャだと気づかない人すら出てくるだろう。彼女の後ろを泣きながらついてこさせられているナーノも同様だ。とても齢二桁をきる少女に対する仕打ちとは思えない。歯も一部欠け、乱雑に放置された髪は色艶を失い、長年手入れしていなかったかの様だった。
ひどい……。
そんなナーノの姿を見て涙をこらえきれないアリーシャは人目を憚ることをも忘れ涙を流す。目頭から鼻筋を伝い口元まで流れるそれは微かに塩辛く、微かに血の味も混ざっている。ここに運ばれる間に行われた数々の尋問の名残だ。いや、最早尋問ではなく拷問と言って差し支えないだろう。形式の上では確かに尋問となっているが、一体いつからこれほどまでに拷問が常態化してしまっているのだろうか?
そもそもの話、国家の国家としての機能が働いていればこうなっていない。しかし、実態はこれだ。司法が腐敗し、それに追随して国家そのものが腐敗してしまっている。欲望と理想の栄光を忘れられない意地とプライドが生みだした悪行の数々。それが魔女狩りの実態そのものだった。
しかし、そんな悲しみと絶望と怒りとが入り混じった複雑怪奇な感情の渦に脅かされ、愛娘であるナーノを想い泣くアリーシャの姿をその目で観て、同情する者は一人もいない。可哀そうだ、と声を上げるものは一人もいない。それどころか、狂気と熱狂が渦巻き、歓声と喝采が湧き上がる始末だった。
そんな彼ら見物人だが、アリーシャ、ナーノ母娘に対して何か不満がある訳ではない。そもそも面識すらない。だからこそなのだろう。例えそれで不幸な目にあおうともただの他人。自分達には何一つ関係のない話だ、とそ知らぬふりをしてのうのうと生きていくことが出来る。鬱憤晴らしと金策、更には娯楽の一つなってしまったそんな実態は、古代ローマのコロッセオに通じるものがあるのかもしれない。貴族たちの遊びと娯楽として、人間同士或いは人間と猛獣が戦いあったあの古代ローマ帝国の闘技場。あれもまた、人がけがをしようが死のうがお構いなしの大衆娯楽だったことから、やはり、犯罪者に対する扱いと言うのは時代が変わろうとも国が変わろうとも何も変わらないのかもしれない。人間としてのカルマなのかもしれない。
スタンフォード監獄実験にしろミルグラム実験にしろ、あれは閉鎖環境下における人間の権威者に対する心理的変化だったが、こうしてみると国家と言うのも一種の閉鎖空間と形容できるのかもしれない。国家という閉鎖環境下に置いて、第一身分及び第二身分という権威者に対して第三身分は隷属し、彼らの“遊び”に付き合わされているだけなのだ。




