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第一話:平和の終わり

 痛いッ……熱いッ……苦しいッ……‼


 叩かれ、嬲られ、沈められ、炙られて。一体彼女にはどれ程の罪状が山積しているのだろうか。法の番人の怒りを買い、民草からの信用を失い、罰という罰を一身に請け負う彼女の痛ましい姿に同情を寄せる人はいない。そうであって当然とばかりに嗤う見物人の目は悪魔的だ。

 しかし、これほどまでに残虐な罰を被る彼女に懸けられた罪状はたった一つ。そのたった一つしかない罪でこれほどの罰が与えられている。では、その罪とやらがそれほどまでに重罪として扱われるほどのものなのだろうか? 恐らく、実際はそうではない。しかし、この時代この地域ではこれが常態化してしまって久しいのだ。

 その罪の名は“魔女”。邪教である悪魔崇拝の片棒を担いでいると判断されたものに判決が下されるそれは、もはや私刑と言って差し支えないだろう。悪魔という非現実的で不可視の概念を用いた国家転覆未遂罪、という体裁こそも持ち合わせているものの、その建前は崩壊し既に形骸化してしまっている。現在では、ただの攻撃衝動の発散と財産確保の二大欲望が渦巻いている。

 国の枢要を担う貴族たちにとって、不景気と疫病によるダブルパンチによりため込まれたストレスは計り知れない。国王をはじめとする上からの圧力と民衆たちに代表される下からの欲望の板挟みに苛まれた彼らの精神はすり減り、最早倫理観すら崩壊し、眼前の捌け口に藁にも縋る思いで飛びついたのだ。悪魔という非現実的で不可視のそれは、証拠を持たない。故に、支離滅裂で荒唐無稽な合理化で彼女らを嬲ったところで、彼らにあるのは罪悪感ではなく正義感だ。『国の裏で暗躍しこの不景気と疫病を流行らせた邪悪の一角を我等法の番人が正義の鉄槌でもって駆逐した』という名誉と賞賛を得ることが出来ていたのだ。

 加えて、滅した魔女の財産は須く国が徴収するのが原則。これは魔女に限らず全ての罪人に適応される事ではあるのだが、こと魔女に対してはこれまで以上に苛烈だった。金品財宝の類に留まらず、たいして金目になりそうもない雑品や不動の財産である土地や家までも徴収の対象だった。文字通り骨の髄までしゃぶりつくすほどの勢いで、例えるならイナゴの大群が農村地を通過したかの如き勢力だった。

 それほどまでに、貴族や国は金に飢えていた。数年間まで続いていた好景気とそれに伴う人口爆発。それが疫病を切っ掛けに逆転し、絶望的なまでの不景気と疫病対処に要する莫大な出費、爆発的に増加した自国民への補償。これらの積み重ねにより最早国家は赤字、自転車操業といって差し支えないほどに困窮していた。そんな折に飛び込んできたのが“魔女”の存在だった。天啓とでも称すべき絶好のタイミングで現れたそれに王族や貴族、聖職者達は歓喜した。不景気前の生活を忘れられず出費と浪費が止められない彼らにとって、それはまさに神の救いの手だった。魔女という邪教徒を滅ぼし国家を救う神の手の一部となり、更にはこれまでと同様の豪華絢爛な生活を継続できる。まさに千載一遇の好機だった。

 だからこそ、彼らの行動は迅速の一言に尽きる。疫病が流行した当初にこれだけ迅速な対応が取れていたら今頃こうして不景気になる事は無かっただろうに、と口を滑らしたくなるほどの早業で彼らは魔女を打ち滅ぼすための整備を推進した。これが魔女狩りの始まりだった。




◆◆◆     ◆◆◆




【ロスグッド王国王都スルヴェージャ 某所】



「実にいい気味だ」


「ああ、そうだな。魔女どもへの制裁は着実に進んでいる。全滅するのも時間の問題だ」


 ハッハッハッ、と愉快に嗤う二人の壮年の男は、煌びやかな装飾品に身を包み、値段の推し量れないような高級調度品に囲まれた部屋で寛ぐ。紫煙を燻らせ深紅のワインを傾けるその仕草は一挙手一投足に至るまで貴族然としたそれ。見事と拍手喝采を送りたくなるほどのそれは、自らの立場を十全に理解しているからこその御業なのだろう。

 しかし、この不景気において、一体どうしてこれほどまでに裕福な生活が営められているのだろうか? それを問いただす人物は最早いない。自らの生活を脅かしかねない不穏分子はことごとく排除した結果だった。こうして、最早自ら同等以上の立場でもない限り誰も彼らを止める術は持ち合わせていないのだ。


「シャルコールよ、俺はそろそろ行く。次の裁判が始まるからな」


「ああ。いい結果を期待している。『我等、神の右腕となりて』」


「『我等、神の右腕となりて』」


 胸元にぶら下がる十字架を手に持ち、それを剣に見立てたサリューを互いに交わす。邪悪で不敵な嗤い顔を浮かべているように見えるが、それはきっと光の加減だろう。彼らは“正義のため”に強大な“邪教徒”に立ち向かっている“神の腕”なのだ。決して邪な理想を胸に掲げているわけではない。

 今日も何処かで叫び声が響く。魔女の鳴き声が木霊する。悪魔に魂を売った彼女達の、魂の叫び声が聞こえる。だからこそ、早めに始末しなければならない。これ以上、悪魔の呼び声を世界に轟かせない為にも。

 今日も何処かで貴族が嗤う。貴族の嗤い声が木霊する。既得権益に思考を売った彼らの理想郷が、彼らの目には映る。だからこそ、早めに終わらせなけらばならない。一歩でも早く、ヴァルハラへ近づくために。




◆◆◆     ◆◆◆




【ロスグッド王国ネール村 近郊】



「お母さん、早く早く」


「はいはい焦らないの、ナーノ」


 小鳥の囀りが窓辺で奏でられるほどの長閑な田舎。仲睦まじい赤毛の母娘は手を繋ぎ、未舗装の道路を小走りに駆ける。燦燦と照りつける太陽が眩しい。母なる太陽が神の化身として今日も人類を見守ってくれているようだった。

 疫病と不景気に悩まされ早三年。貧相で空腹に悩む生活なのは相変わらずだが、お陰で節制術が身に付いたと思えば寧ろプラスだろうか。どちらにせよ、ネガティブな思考よりポジティブな思考の方が精神衛生上よろしいのは事実。だとしたら、例え嘘でもこうして笑って楽しく過ごした方がいいだろう。

 畦道を抜け、轍沿いに仲睦まじく平和を擬人化したような母娘が歩く。今日は何処まで行こうかな、と話す声の調子は上々。春の風の香りを堪能しつつ、二人は何処までも歩んでいく。

 しかし、平和と言うのは脆くて儚いのが常。恒常的にそこに存在するわけではないのが現実だ。そもそも、平和とは一体何だろうか? 争いが無い事? 食べ物が満足ある事? 景気がいい事? 家族がいる事? 理想が現実となる事? 一体何をもってそれを平和と為すかは十人十色。十把一絡げに“平和”としたところで、その定義を定めることは出来ない。

 故に、彼女達母娘の平和が漠然とない以上、彼女達の平和が脅かされたと客観的に断ずることは出来ない。しかし、それでも彼女たちの平和が崩壊したとここでは断言できる。この御時世のこの国においてはそう断じることが出来ても文句は言われないだろう。

 畦道の向こう側、まだ朧気にしか見えないながらも、馬の蹄鉄と車輪の回転音を響かせつつこちらへ進んでくるのは馬車だった。それも貴族の馬車だ。と、言ってもこの御時世に馬車に乗れるのはほんの一握りの貴族しかいない以上、馬車が見えた時点でそれが貴族だと断定できるのだが。ともかく、彼女達母娘の方に向かって進んでくるのは貴族が乗った馬車。それしかない。そうと決まれば、彼女達がすべきことはたった一つ。道路脇に寄り、彼らの進行の邪魔をしない事。それに尽きる。

 町の方で盛んに行われている魔女裁判及び魔女狩りの実態を彼女は知っていた。それがどれだけ第三身分である自分たちにとって理不尽な実態を孕んでいるかを知っていた。第三身分如きでは第一及び第二身分に決して反駁できないと知っているからこそ、彼女たちは黙然と貴族に目を付けられない様に生きるしかなかった。もっとも、貴族と大衆では生活環境の違いからあまり互いの生活圏に関与する事は無かったのだが……。

 兎も角、彼女は愛娘のナーノの手をしっかりと握り、畦道を一歩降りる。貴族に目を付けられない様に、決して魔女狩りとやらの被害に遭わない為にも。

 やがて、馬車が近づいてくる。巨大な鉄の箱を引く二頭の馬はいずれも巨体だった。微かに刺激を加えただけでも全身の骨を砕かれてしまうだろう、と直感で理解できるほどの名馬だと素人目でもわかるほどだった。黒い皮膚にブロンドの鬣。風に靡くその佇まいは、馬ながらもなかなかに整った顔立ちをしている。これがもし人間だったなら、国中の女が惹かれるだろうな、と惚れ惚れしてしまうほどだった。

 そうして見とれつつも、すぐに去っていくだろうと、と気を僅かに緩めつつ、表面上は緊張のペルソナを崩さずに待つ。しかし、そんな彼女に無情の知らせが届く。巨大な馬車が彼女達母娘の前で停車した。それには後ろに随伴する数頭の馬たちも思わずぶつかりそうになるほどの突飛な行動だった。


 えっ、どうして止まるの⁉


冷汗を滲ませつつ、緊張のペルソナをより一層強固なものにした彼女は馬車をじっと見つめる。それに対してナーノは実に無邪気なものだ。年相応と言ってしまえばそれまでだが、自分の何倍もある巨馬にさえ臆することなく興味津々な光り輝く瞳で見つめている。馬の方も同様だ。ナーノの気持ちが分かるのだろうか? それとも調教師の仕事が見事なのだろうか。暴れたり興奮したり威嚇したりする事も無く、興味津々なナーノの視線に対し、黙然としたまま、凛とした表情で見つめ返していた。

 そんな時、馬車の扉が開いた。ガチャリと丁寧な仕草で扉が開かれ、その奥にはどこかで見たことある様な貴族然とした壮年の男が彼女たちを黙然と見据えていた。まるで何かを品定めするかのようなその瞳は、まるで魂を吸い取る悪霊のような目だった。


「お主が魔女か?」


「魔女……? いえ、違います……」


 突如問われた彼女は咄嗟の返答が遅れてしまった。加えて、緊張と恐怖で尻すぼみな言葉となり、萎縮した態度となってしまった。それがまずかった。そこをこの貴族の男に付け込まれてしまった。キラリと目の色を変えた男はまるで躁転した双極性障害患者の如く様相で、興奮した口調で彼女に付け込む。


「どうした⁉ 即答できないか⁉ やはり、貴様は魔女か⁉ そうだな! そうに違いない‼」


「いえ、私は魔女ではありません!」


「黙れ! 続きは裁判で聞いてやる! おい、こいつを連れていけ。当然、娘もだ!」


「お待ちください! 娘だけは、ナーノだけはお願いします! この子は関係ありません。私だけを連れて行ってください!」


「黙れッ!」


 それだけ言うと、貴族の男は、後ろを侍らせていた忠実な部下たちに指示を出し、母娘を拘束する。そうして、馬車の後方に母娘を放り込むと、再び走り出した。一連の出来事を目撃したものは存在せず、まるで神隠しに会ったかのように、その母娘は行方を晦ませた。

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