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3 女神と獣


 城の一角には円筒形の高い塔が建っていて、『祈りの塔』と呼ばれている。

 ある種、教会のようなものだろうか。城内にある『祈りの間』は巫女が儀式をおこなう神聖な場所であるため、一般人が使うわけにはいかない。

 巫女の能力ちからを補助するために、塔が建てられているのだという。

 そこに、アーシュが頻繁に出入りをしていることに気づいたジェラルドは、機会を見計らって声をかけるようになった。


 初めのころはぎごちなく、距離を取るような態度を崩さなかったけれど、顔を合わせていくうちにだいぶ打ち解けてきたように思う。

 しかしそれは、アーシュだけではない。

 ジェラルド自身、ずっと戦士たちのあいだに身を置いていたため、社交界に顔を出す機会が少なかった。ゆえに、令嬢たちと言葉を交わす機会はなかったし、本音と建前を使い分ける上流社会は苦手だった。


 なにしろ自分はビーストだ。平民たちのあいだでは英雄視される因子も、貴族たちにとってはそうではない。

 煙たがられ、距離を置かれる。

 王子に挨拶を――とやってくるご令嬢のなかには、恐怖に顔を引きつらせて泣き出してしまう者も出る始末だ。

 そうなると、自身も彼女たちから一定の距離を保つようになる。


 騎兵団は男社会で、戦いが終わったあとの祝宴には、酌をする女性が侍ることもあった。彼女たちを誘って、どこかへ消える者も少なくはない。

 ジェラルドの場合、身分がある。彼らほど気軽に手を出すわけにもいかないし、なによりも積極的に体を寄せてくる女性はあまり好きではない。

 では、どんな女性が好みなのかと問われても、返答に窮する。

 よくも悪くも特別視されつづけたため、どうせ自分は相手にされないという先入観もある。

 王位を継ぐわけでもない自分はきっと一生独身で、戦士として生きて、戦場で死ぬのだろう、と。そう思っていた。



 ――それが、こんなことになるとはな。


 いつもどおり、簡素なドレス姿のアーシュに塔の中を案内されながら、ジェラルドは独りごちる。

 城からはずれた場所にあるせいだろうか、とても静かな場所だ。内壁に沿って取り付けられた螺旋階段は渦を巻き、下から見上げると目がくらみそうになる。

 塔の床。その中心には台座があり、小さな像が鎮座していた。

 女神と獣。

 それは、創世神話の二神を模した石像だった。

 フォーリアに伝わる神話は、祖を等しくするウィンスレットにおいても同じらしい。そして巫女姫は、女神様の御力を賜った者として扱われているのだとか。

 なるほど。では、女神と恋に落ちたという若者が、セフィドの騎士というやつなのだろう。

 獣神は、この国においてもはぐれ者だ。



「おまえの母は、先代の巫女だったと聞いた。祈りを捧げるのは、そのせいか?」

「そうですね。私にも、能力ちからが多少あるようです。当代の巫女姫はまだお若いので、すこしでも力添えができればと思っております」

「公妃も巫女候補だったんだろう? ならば、その娘であるおまえの姉も、巫女の助けができるんじゃないのか?」

「……姫様たちには、立場がございますので」


 いくら国のためとはいえ、巫女の『補助』なぞ、姫様がやることではないのだとアーシュは語り、ジェラルドは呆れた。

 それはおまえもだろう。

 言いかけて、言葉を呑む。

 正妃の血を引いていない子どもの立場は、いやというほど知っている。

 同じであって、同じではない。下に見ていい存在だと、誰もが自然に信じていた。

 ジェラルドには、自分を「弟だ」と主張し、取り立ててくれる兄がいたから、まだ平気だったと思える。

 どんなに肩身が狭くても、兄と共にある時は幸せだった。

 兄がいない今は、仲間がいる。国を追われたあとも、ずっと旅をしてきた大切な仲間は、ジェラルドにとって家族のようなもの。


 ――こいつには、いないんだよな。

 アーシュはいつも独りだ。

 先代巫女の世話を任されていた者たちは、彼女が亡くなったあと、城を去っているという。


「あの、よろしければ、フォーリアのお話を聞かせてくださいませ。殿下が育った国は、どんな場所で……」

 沈黙に耐え兼ねたのかアーシュが口を開き、けれど顔を強張らせた。フォーリアが、敵の侵略を受けたうえ、中枢にいた重臣にも裏切られたこと。王族の生き残りは、ジェラルドだけであることを思い出したからだろう。

 こちらを気遣う心が伝わってきて、ジェラルドは思う。

 アーシュは優しい。味方のいない世界で、どうしてこんなふうに清らかでいられるのだろう。「おまえに託す」といった兄の言葉を実現するため、姫と婚姻をなし、この国を乗っ取ろうとしてることを知れば、彼女はどう感じるのだろう。

 軽蔑するだろうか。嫌悪するだろうか。

 それを考えると、なぜか心が痛んだ。


 裏切りなど、世の中ではよくあることだ。だから、用心棒の仕事には事を欠かなかった。誰もが周囲を疑い、心の底から信じることはないのに、彼女を見ているとそれが揺らぐ。

 頭を振り、ジェラルドは俯いているアーシュの肩に手を置いた。


「……俺の母は平民だった。城下で出会い、王太子だった父は彼女に惹かれたらしい。だが身分が伴わず、婚姻には至らなかった。正妃を迎えたのち、王は母を求めたという」

 その理由は、正妃の身体的な問題。次の子どもを望めないかもしれないとわかり、それならばと王は、かつて焦がれ、今もなお心に残っている娘を求めたのだ。

 それが、女性たちをどれほど傷つけるのか考えようとせずに。



「殿下は、とても立派な御方ですね。複雑な生い立ちがあっても、とても強くあられる」

「それはおまえだ」

「私、です、か……?」


 ジェラルドの言葉に、アーシュは目を丸くする。

 透き通った青空のような瞳に己の顔が映っているのを見て、どくりと心臓が跳ね上がる。天窓から射す光を受けたアーシュは、光の女神を思わせた。


「私は、臆病者です。いつだって、すぐ目の前のことだけを考えて、先のことなんてちっとも考えていない。一週間後も一ヶ月後も、一年後もきっと同じで、変わったことなんて起きなくて。でも、それでいいんです」

「変わることが怖いのか」

「わかりません。変わろうと思ったことがないので」


 ちいさく笑う顔に、ジェラルドの内に焦りが生まれる。

 それがどういった種類の気持ちなのか、自分でも判断がつかないまま、口は勝手に言葉をつむいだ。


「ならば、約束をしよう。まずは明日だ。明日もまた話をしよう。そうだな、庭を案内してくれ。明後日は、城壁に沿って歩こう。散歩だ。その次は城内の案内を頼む。どこになにがあるのか、おまえはどこで過ごして、どんなことをしているのか。つぶさに話せ」

「毎日ですか?」

「そうだ。城を見てまわったあとは、俺がいる離宮に招待しよう。城下へ出かけるのもいい。おまえは、どこへでも行ける。行こうとしていないだけだ」

「……なんだか歩きまわって、疲れてしまいそうですね」

「ならば俺が背負ってやる」

「まあ、フォーリアの王子にそのような恐れおおいことを」

「――そんな御大層な身分じゃない。俺は……」


 おまえとは違う。

 女神に焦がれ、そしてあやめた、愚かな獣の末裔だ。



     ◆



 アーシュの姉たちについて、城内の噂を総合する。

 長女は、気位の高い美人だ。背が高く、身体つきもほっそりとしており、いつも澄ましたような顔を浮かべている。やや冷たい印象を与える姫は、母親に一番よく似ていると評判だ。

 一方の次女は、蠱惑的な美人である。姉よりも背は低いが、そのぶん豊満な身体をしている。胸元の開いたドレスから見える谷間は、男たちの情欲を誘うもの。幼げな顔とは真逆な肢体を惜しげもなく使い、男たちのあいだを渡り歩いていると噂されているが、真偽は定かではない。


「国母という意味では、一の姫に軍配があがるでしょうな」

「親しみやすさでは、二の姫かな? 笑顔は大事だよ」

「男漁りがしたいわけじゃなくて、有望株を吟味してるってかんじね。そういう意味では、頭いいわよ、あのお姫様」


 ジェラルドが公国へ入り、三週間が過ぎた。そのあいだ、上の姫たちとは当たり障りのない会話しかしていなかった。

 積極的に会おうとしていないのだと言われたらそうかもしれないが、それは向こうも同じだ。

 あちらにしてみれば、相手はひとり。選ぶ必要もないのだから、ジェラルドがどんな人物だろうと関係がないのだろう。


 はたして公爵は、いまの状況をどう捉えているのか。

 姫と結婚したからといって、すぐに代替わりがおこなわれるわけではない。まずは、それぞれの姫が任じられている領の管理を、共におこなっていくことになる。

 ジェラルドの分として新たな領が加わることになるため、結果、姫に入る収益額が増えることとなる。

 彼女たちにとっての「利」は、そこに極まるだろう。



「ロイ様はさー、あのをどうしたいのさ」

「なんのことだ」

「姉姫のどちらかと結婚して、末の姫は囲うつもりなのかってこと」


 耳にした瞬間、ジェラルドは椅子を蹴って立ち上がった。なにかを言いかけて、けれど言葉にならない。

 肩を怒らせる主を見やり、ファウルは肩をすくめた。


「いーんじゃないの? あの娘も公式に認められた姫様なわけだしさ、結婚相手の条件は満たしてる。まあ、扱いは悪いけど」

「……一番重要なのは、そこだろう」


 国を手中に収めるためには、上の二人どちらかを選ぶ必要がある。選択肢は、はじめからふたつにひとつなのだ。

 アーシュのことが気にかかるのは、彼女が自分に近い存在だから。

 それでいて、味方がいないから。

 だから、寄り添ってやりたいと、そう感じるのだ。


「どちらにせよ、期限は迫っております。御心を定めてください」

「――わかっている」

 ゴルジの弁に、ジェラルドは脱力したように椅子へ腰を下ろす。


 来週、建国記念の式典があるという。巫女姫による宝玉の儀式があり、その後、舞踏会が催されることになっている。そのとき、姫の相手をお披露目したいのだそうだ。

 もともとは、姫たちの相手を探す目的で開催する舞踏会だったが、ジェラルドが現れてしまった。

 ならば、その場で婚姻を発表してしまえばいいと、そういうことらしい。


 ウィンスレット公国の建国記念日は、フォーリアにとってのそれと重なる。前日にも晩餐会が開かれ、日付が変わる瞬間を共有するところも同じだ。

 国が生まれたその日――十二時の鐘が響くそのときに、満天の星の下で大切なひとに想いを告げる。

 フォーリアでは『星祭り』と呼ばれ、親しまれている行事だ。

 自分には縁のないものだと思っていたそれがふと脳裏をよぎり、ジェラルドは頭を振って追い払った。




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