90 見舞い状への返信
体調が戻った俺はすぐに学校へ通いたかったが、両親からそれを許してはもらえなかった。それは感染症を人にうつすからとか、悪い病気の噂がたったからという訳ではない。
見舞いに頂いた品物や手紙の返事や礼状を書くためである。べルークも手伝うと言ってくれたが、両親がそれを許さなかった。
「頂いた山積みになった手紙を読んで、自分が皆様からどう思われているのか、よく考えなさい!」
と母に言われた。
クラス一同という事で全学全クラスからの寄せ書きは、返事を返す必要がなくて助かった。
ただ、その他にも同学ではない生徒からも多く貰っていた。大概は俺が虐めや揉め事や何かしらの事件に巻き込まれているのを助けた連中だ。よくそんな前の些細な出来事を覚えているな。忘れてくれても一向に構わないのに。
俺の通っているイザーク教会の知り合い、レストー=グラリス教会の関係者と聖歌隊のメンバー、皇城の騎士団メンバー、警護隊の皆さん、元冒険者の英雄さん達、先日の『森作り競技大会』のボランティアの皆さん及び参加者メンバー、そして、俺を皇太子の側近に押している例の偉い方々・・・・・
ナタリア先生やクリステラ先生、そしてマリー嬢からの手紙を読んだ時は、思わず『良かった!』という言葉が漏れた。
俺は警護隊の皆さんに、スウキーヤ男爵のお子さん達全員の調査を依頼した。男爵を逮捕する上で蟻の一穴を恐れたからである。
それと同時に、彼の娘達の嫁ぎ相手がどんな人間なのかを知っておきたかった。事件が発覚した際、彼らはどう行動するのかを。
結果、スウキーヤ男爵の子供達はその連れ合いも含めて一致団結していた。自分達まで巻き添えで逮捕されても構わない覚悟で、皆が協力してくれた。そのおかげで事件がスムーズに解決したのだった。
本妻の娘であるナタリアとクリステラ、そして外で作った二人の娘達は事件の発覚前に、それぞれの夫に離縁状を渡した。しかし、夫達はそれを受け取らなかった。
確かに最初はお金の為の政略結婚だったが、生活しているうちに本当に愛し合う夫婦になっていたのだ。
妻達は自分や家のために尽くすだけではなく、自ら働き、家の借金まで返済してくれた。そんな妻を見捨てるような事はしなかった。
スウキーヤ男爵の関係者という事で、彼らは事件の捜査に関われなかった。そこで事件の為に人員が減った部署に出向き、自ら進んで仕事を手伝った。その真摯な態度の彼らを非難する者はそれ程いなかった。
むしろ、彼らを批判する者の多くは、男爵との、利益相反や詐欺に合った者達で、自分自身愚かさを露呈する行為であった。
皇太子殿下の側近達の親が、宰相にナタリア先生達のご主人達を解雇または処分すべきだと進言したが却下された。
そこでやめておけば良かったものを、彼らは今度は皇太子殿下に訴えた。彼らは愚かにも、皇太子殿下と弟殿下が、共に穏やかに粛清を勧めていた事に気付かずにいた。
皇太子殿下は徐々に側近達のマインドコントロールから開放されていったが、その決定打はあの誕生日パーティの件だった。
無意識に婚約者以外の女性に手を伸ばしかけたその事実に、彼は酷いショックを受けた。自分が知らず知らず彼らに誘導されていた事をようやく認識したのだ。
そしてその日、最後に残った憎い奴らを一掃したのだった。
まんまと操られていた自分が悪い。母や弟の意見にも耳を傾けずに。そう思いながらも、自分と婚約者の仲を妨害し続けた者達をどうしても許せなかった。
本当に自分を友人だと思っていたのか? 尋ねたとしても本音など語る訳がないだろう。その悔しさ、虚しさを押さえきれなかった。
皇太子殿下の手紙にはその苦しい心情が綴られてあった。幼い頃から信じていた友人達にずっと裏切られていたと知った殿下は、さぞお辛い事だろう。
皇太子殿下の人の見る目のなさは上に立つ者としては致命的な欠陥かもしれない。しかし、どれだけの人間が俯瞰的に物事を見れるのだろうと己を振り返った。
たかだか疲労で倒れただけなのに、こんなにも沢山の人達が自分を心配してくれ、励ましの手紙をくれた。自分でも忘れていたような事まで覚えていて、ずっと感謝してくれている人達がいた。
俺はなんて幸せ者だったのだろう。家族やカスムークさん、ベスタールさんに言われたように、もっと自分に自信を持ってもいいのかも知れない。いや、持つべきなんだろう。
『夫達は職場において、大罪人の身内でありながらも閑職にとばされるともなく、大切な仕事を任されております。また、弟達も罪を問われるコトも無く、新しい商売を始められると喜んでおります。
これは全てジェイド伯爵様とご夫人様のおかげと感謝しております。そして、警護隊の皆様から、伯爵様のご配慮は全てユーリ様のご進言があった故と伺いました。心から感謝しております。
私どもの教室の再開はまだいつになるかわかりませんが、まだ私達を必要としている方がいる限り、続けていきたいと思っております。出来ましたら、貴族だけではなく、今後は庶民の子供達にも、ボランティアで教えていきたいと思っています』
ナタリア先生の手紙には警護隊から聞いたと書いてあるが、わざわざ俺に手紙を寄越したのは、彼女達の侍女である双子の姉妹アルトナとニルティナから、俺の正体を聞かされたのだろう。クリステラ先生のレッスン場にいた侍従ジュードの正体が俺だと言うことを。
何せ彼女達も変装のプロだ。何度もジェイド家を訪れていたのだから、俺とべルークの変装なんて見破っていたに違いない。
そして、次に読んだマリー嬢からの手紙には俺は思わず笑ってしまった。今まで庶民との手紙のやり取りはした事なかったが、形式も建前でもなく、本音が綴られた内容に驚き、そして愉快になった。
『元々望んで入った貴族社会や学校ではありませんでしたが、ユーリ様やべルーク様、そして姉達から、学ぶ事の大切さ、楽しさを教えて頂きました。
たとえどんなに周りから白い目で見られようとも、卒業するまで自分自身のために、しっかり学んでいきたいと思っております。
以前助けて頂きながら、ユーリ様のお顔を忘れていた事、申し訳ありませんでした。私、あの時、べルーク様にひと目惚れしてしまい、べルーク様しか頭に入っていなかったのです。
あの事件の後、べルーク様は以前と全く変わらない態度で接して下さり、私を大切な友人だとおっしゃてくれました。最初から恋人の振りだと言われていたので覚悟はしておりましたが、正直少し悲しかったです。
べルーク様に好きな方がいるのですか、と尋ねたら、それはそれは美しい表情をされて頷かれました。
それはユーリ様の事なのですよね? 普段ほとんど表情を変えないべルーク様が、私がユーリ様に失礼な振舞いをする度に、腹を立てていらっしゃるのがわかっていましたので。
ただの主従の関係ではないのだと。誰よりも大切な方なのだと。
ユーリ様なら、べルーク様がお好きになるのも当然だと思います。
お節介ながら、大好きなべルーク様に、変な虫がつかないように、卒業までしっかりガードさせて頂きます。私に出来る恩返しはそれくらいしかありませんので』
ありがたくマリー嬢にガードをしてもらおう。
マリー嬢はナスタリア先生の元で、弟や妹と共にお世話になる事になったそうだ。
そして、姉の手伝いをしながら、将来は市井に戻り、庶民の子供達の為にオリジナルダンスの教室を開きたいそうだ。
『貴女がダンス教室を開いたら、貴女のダンスを是非又見てみたいです。その時はべルーク共にお邪魔させて下さい。楽しみにしています』
マリー嬢のへの返信の手紙に、俺はそう書いたのだった。