89 優しい嘘
べルークが今どうしているのかと尋ねると、午後はエミリアと入れ替るように、イズミンのお供をして出かけていたが、先ほど戻ったという。エミリアと顔を合わせないように姉上が計ったのだろう。
「べルークに謝りたいので呼んでもらえませんか?」
カスムーク氏にそう頼むと、彼は首を横に振って、ご自身が自ら足をお運び下さい。もう伝染る心配はいらないのでしょう? と言われた。もっともだ。
俺が謝らなければいけないのに、べルークにこちらに来てもらおうなんて図々しいにも程がある。
俺はベッドの上で体の向きを変え、そっと足を床の上に下ろした。さっき、急に頭を動かして目眩を起こしたので、そこは注意を払った。
しかし、驚いた。たった一週間寝ていただけなのに、こんなにも筋肉量が減るものなのか!
あんなに毎日体を鍛えていたのに、今は足元がよろめく。誰かに支えてもららないと、とても歩けそうにない。
「ベスタール! 来てくれ!」
部屋のドアを開けた所で、カスムーク氏が声を上げた。すぐにベスタールは階段を上がってきて、俺を見て驚いた顔をした。
「伯父上、何をしていらっしゃるんですか?」
「手、いや肩を貸してくれ。居間へ行かれるそうだ」
伯父の言葉に「行かれるじゃなくて、行かすんだろ・・・」と甥が小さく呟いたので、俺は心の中で笑ってしまった。
二人に両脇を支えてもらって、俺はゆっくりゆっくりと階段を下りて一階へ行き、広いロビーを横切って、居間へ入っていった。
甘い、色々交じり合った蒸せるような花の香りに、俺は一瞬気分が悪くなってクラっとした。部屋の中はベスタールが言っていたように、まるで花屋の店の中のようになっていた。その上、テーブルやチェストの上だけでなく床にまで、置ききれない贈答品が所狭しと山積みにされていた。
部屋の奥に目をやると、ノートに贈答品の送り主の名を書き込んでいたべルークの姿があった。
べルークはこの一週間でげっそりと痩せ細っていた。いつものあの輝くような美しい顔は青ざめ、頬はこけ、目元にはクマができていた。
俺が、俺が、大切な愛するべルークをこんなにしてまった。地獄に堕ちろ、ユーリ=ジェイド!!!
俺はカスムーク氏とベスタールを振りほどいてべルークの元へ走り寄ろうとしたが、足が縺れてジュータンの上に這いつくばった。
「「「ユーリ様!」」」
カスムーク一族が揃って声を上げたが、その中でべルークが一番先に俺に駆け寄ってきた。俺は上半身だけを起こすと、べルークの両腕を掴んで引き寄せて、そして抱き締めた。
「ごめん、ごめん、べルーク!」
抱き締めたべルークの体は細くなっていた。申し訳なさと、情けなさと、悲しみで胸が一杯になり、鼻の奥がジーンと熱くなって痛みを覚えた。
「ユーリ様、許して下さい。僕を許して下さい。ユーリ様に嫌われたらもう、もう、どうしたらいいのかわかりません」
べルークも泣き出した。俺はべルークの背中を摩りながら耳元で謝った。
「許すも許さないもないよ。お前は何も悪くない。俺は色々忙しくてイライラして、ついお前にあたってしまっただけなんだ。
隠し事なんて誰でもしてる。してない人間なんかいない。そもそも自分の事を棚に上げて本当にごめん。
ベスタールさんに面倒をみてもらったのは、本当に病気をうつしたくなかっただけだから。お前を避けてた訳じゃないよ」
嘘だらけの言葉を並べる。でも、本当の事を言ったら、べルークの心をもっと傷付ける。閻魔様に舌を抜かれようと、べルークをこれ以上苦しめたくはない。
「辛い思いをさせて本当にごめん。愛してる。もう、絶対に離さないから」
これだけは本当の事だ。俺はべルークを愛している。べルークがあといくつ隠し事をしていたって、これからしたって構わない。俺にはべルークが必要なんだ。
べルークの耳元で言ったつもりだったが、ベスタールさんにこう言われてしまった。
「おいおい。よく親の前で愛の告白できるね? 恥じらいはないのかい、お二人さん!」
ベスタールさん、タメ口ですが、そんなキャラでしたっけ?
俺達は恥ずかしくなって、少しだけ距離をとりかけたら、今度はカスムーク氏がこう声をかけられてしまった。
「続きはお部屋でどうぞ。あ、今度はお前がべルークと一緒にユーリ様をお部屋へ連れて行ってくれ!」
えっ、誰に言ってるのか不思議に思って振り返ったら、居間の出入口に、べルークの兄バーモントと俺の兄のザーグルが唖然とした表情で突っ立っていたのだった。
その夜、俺の部屋にはべルーク用の簡易ベッドが用意されて、二人で寝る事になった。
べルークは俺の世話をすると言ってきかなかったが、べルークはこのところほとんど寝ていない様子だったので、どうしても彼を休ませたかった。そこでそれでは一緒に寝れば、俺が用事を頼みたい時に便利だろう、と提案したのだ。
最初は戸惑う素振りを見せたべルークだったが、従兄弟のこの言葉に観念したようだった。
「執事が自分の体を自己管理出来ずにどうやって主の世話が出来るのですか? 睡眠をとるのは執事として最低の義務ですよ、べルーク。
それにユーリ様はまだ体調が優れないし、体力も回復していないので、何かしたくても何もお出来になれないでしょうから大丈夫ですよ」
「「・・・・・・・・」」
俺とべルークは真っ赤になってうつむいたのだった。
確かに俺はただの極度の疲労だったが、感染症の振りをしていたのだから、やはり口づけはまずいだろう。そしてそれ以上の行為も。まぁ、もし元気だって成人するまでは、そんな事はしないさ。分かってる。うん。
夕食後、二人で薬代わりの栄養剤を飲み、ベッドに入って手を繋いだ。
「僕、今はどうしてもまだ言えない事があるんです。でも、成人したら、必ずお話します。それを許して下さいますか? 僕を嫌わずにいて下さいますか?」
べルークは不安そうな瞳で俺をみつめた。俺の返事の真偽を確かめるように。
「さっきも言ったように、どんなに仲の良いカップルでも全てを打ち明けているわけじゃないと思う。
誰にでも自分の心の内にしまって置きたい事があると思う。それは不誠実な事ではなく当たり前の事だ。だからお前を嫌ったりしない。
反対に話して楽になれるなら、嫌な事でも何でも聞くよ」
俺は話をしながら、握り合った左手からべルークの右の手へ、癒しの魔力を注ぎ込んだ。
体力が落ちたせいで、魔力量は減っているだろうが、それでも少しでもべルークの心の痛みを減らしてやりたい。
母と姉も癒し魔法をかけてくれていたらしいが、べルークの心がそれを拒否していたらしく、真の回復には至らなかったようだ。
癒し魔法のおかげで、べルークが少しウトウトしてきたので、俺は彼を見つめながら歌を口ずさんだ。幼い頃祖母がよく歌ってくれた子守唄を・・・・・
「お祖母様、この子が俺が家族になりたいと思うほど大切な人です。それなのに、俺は自分に自信が無い為に、この子に辛い思いをさせ、心身ともに疲労させてしまいました。
本当に愚かでした。もう二度の同じ過ちはしません。許して下さい。どうか、お祖母様も一緒に歌って下さい。今の俺では力が足りません」
俺はとうの昔に亡くなった、大好きだった祖母にそう願いながら、何曲か歌った後、俺にも睡魔が襲ってきた。遠くで祖母の優しい歌声が聞こえてきたような気がした・・・
カスムークさんのべルークへの愛情がよくわかります。それにしてもカスムーク一族は見かけと違い、意外とくだけていていますね!




