82 隠れ蓑
今まで何事にも冷静沈着だったユーリが、突然、感情や思考を暴走させます。これからどうなるのか、ちょっと不安です。
俺とべルークは皇太子殿下と共に主賓席に戻った。長い事席を外していたので、みんながこちらを伺うように見て、青褪め、憔悴する皇太子殿下の様子に一様にぎょっとなった。
だが、俺がチラッとエミリアの方を見たので、みんなは何があったのかを納得したようだった。
ようやく俺達は、今日やるべき本来の仕事に向き合った。
競技大会の会場を見下ろした。
淡い色のついたシールドは相変わらずキラキラと輝いていた。しかしそこから覗ける濃い緑色が大分減っていた。そのかわりに薄い、淡い緑色が増えている。そしてところどころにはわずかに緑以外の色も見える。あれはなんだろう? 花かな?
とにかく競技は順調に進んでいるようだ。今のところ失格者も出ていないようだし、ホッとため息をついた。そのタイミングで、べルークが水筒から注いだ紅茶を差し出してくれた。
さすがだ、べルーク!
「ありがとう。お前もちゃんと水分をとっておけよ」
べルークは頷いた。そんなべルークの顔を見つめながら、俺はさっき抱いた疑問をぶつけた。
「なぁ、お前、エミリアと仲がいいんだな。知らなかったよ」
「ミニストーリアお嬢様のおかげで、近頃はエミリア様とも懇意にさせて頂いています」
「姉上のおかげ?」
思ってもいなかった回答に俺は不思議に思った。するとべルークはクスッと笑った。
「ミニストーリアお嬢様は、ほら、とても優しいお方なのにとても照れ屋と申しますか、素直に愛情表現を表すのが苦手じゃないですか?」
そうだね。つまりはツンデレ!という奴だな。
「ミニストーリアお嬢様とエミリア様は互いにリスペクトしあってらっしゃいますよね。と、同時に他人に見せられない辛さも、お二人にだけは分かり合えるご様子なのです。
しかし、お互いに弱みを人には見せられないお立場ですので、直にお会いしてご相談するのが難しいらしいのです。
ですから私がお二人の仲介をさせて頂いております。どうか、ユーリ様もこの事はご内密にお願い致します」
べルークの告白はまるで青天の霹靂だった。その話の中味そのものも予想だにしない事だったが、それよりもべルークが俺に内緒で姉の密命を受け、それを実行していた事に驚きを隠せなかった。
「お前は俺の侍従だろ? 何故俺のことわりもなく姉の命を受けているんだ?」
俺は不愉快さを隠さずに言ったが、べルークは悪びれる事もなくこう答えた。
「命令されてしているわけではございません。これは僕が私的にご依頼をお受けしている事ですから、なんら問題はないと思います」
俺はカッとしてべルークを睨んだ。
「屁理屈を言うなよ。俺が隠し事をするとお前はすぐに怒るくせに、お前はいいのかよ?」
「ユーリ様は山ほど僕に隠し事をしてきたじゃありませんか。僕が隠し事を一つや二つしたって、大した事ではないじゃないですか!」
「一つや二つって、まだ何か隠し事をしてるのか?!」
珍しくべルークが強気に反論してきたので、俺は益々頭に血がのぼってしまった。
俺が声を張りあげる事は滅多にないので、側にいた家族が驚いて俺達を見上げた。そしてべルークの腕を掴んでいる俺を、女性陣が一斉に睨んだ。
「こんなところで何をやっているんだ! みっともないぞ」
兄が主賓席に聞こえないように声を抑え気味に俺を叱った。
「手を早く放しなさい! べルークに乱暴な事をしないで頂戴!」
母も扇子で口元を隠して声があまり漏れないように言った。
「どうしたの? 何があったの? ユーリさんがそんなに怒るなんて」
兄の婚約者のアルビーは俺を叱るというより、驚きの方が大きいようだ。そう、普段の飄々とした俺のイメージからは、想像出来なかったのだろう。怒っている俺を。
「いやね、こんなところで痴話喧嘩なんてしないでよね」
「申し訳ございません」
べルークが頭を下げた。しかし、俺はべルークの腕を離さないまま姉をきつく睨みつけた。
「姉上のせいなんだぞ! 偉そうに言うな!」
「えっ? 私のせい? どういう事?」
姉は一瞬キョトンとしたが、直ぐに何か思いついようで、母と同様に扇子で口元を隠しながら、クスッ!と笑った。
「いやねぇ。姉の私に焼きもちをやいているのかしら? それとも従姉のエミリアにかしら?」
俺はクッ!と奥歯を噛み締めた。そうか、この気持ちは嫉妬か。皇太子殿下を馬鹿にできないぞ。このモヤモヤ感、イライラ感、怒り・・・
しかも皇太子殿下は婚約者本人ではなく、その相手に腹を立てていたが、俺は逆に自分の思い人の方へ怒りが向くようだ。これはまずいかもしれない。俺、嫉妬し過ぎて嫌われるタイプみたいだ。肝に銘じておかないと、嫌われてしまう。
俺は子供じみているとは思いながら、べルークの腕を勢いよく振り払うと家族を無視してその場に背を向けて歩き出した。
「ユーリ様!」
べルークが俺の名を呼び、後を追いかけようとする気配がしたが、姉がそれを引き留めたようだった。
「放っておきなさい。まさか姉や従姉にまで焼くとは思わなかったわ。肝が小さいったらありゃしない。自分の事は棚に上げて! 勝手過ぎでしょう」
自分勝手? どういう意味だよ。俺がべルークに何したっていうんだよ。ムカムカがより一層酷くなった。
隠し事の一つや二つ持っていて当然だとべルークは言った。まだべルークが俺に隠し事をしているのかと思うと、心がざわつく。
べルークは俺の事を好きだと言ってくれたが、本当は他に好きな人がいるんじゃないのか? だけど何かしら障害があって、俺を隠れ蓑にしているんじゃないのか? 俺をただ利用しているのではないか? 突然そんな考えが頭によぎった。
そうだ。あんなにもてるべルークに今まで浮いた噂一つもないなんて不自然だろう! 何でそれに気付かなかったんだ!
こんな見た目ぱっとしない地味な俺を、あんなモテ男が普通好きになってくれるわけが無いじゃないか。例え主や命の恩人としては慕ってくれたとしても。
本命は誰だ? 絶対に人に知られてはまずい、許されない相手って誰だ?
・・・・・・・・・・・・
そうか・・・エミリアか・・・
俺はストンと納得した。
皇太子殿下の婚約者である従姉のエミリア。生まれながらに王妃の座を決定付けられ、幼い頃から学問、芸術、ダンス、礼儀作法、そして厳しいお后教育を受けている。
長年必死に頑張り続けたが、今もって婚約者の皇太子とは二人きりで話をした事はない。いつも侍従や護衛の者だけでなく、側近の殿下の友人達が一緒で、彼女は本当の自分の気持ちを伝えた事も、相手の気持ちを聞いた事もなかった。
一体自分の存在意義は何なのだろう? 皇太子殿下の為、国の為に何かしたいと思っても、彼に伝える術さえないのに。
結局、何の役にもたてないのに、こんなに一生懸命に学ぶ事に意味があるの? 辛く苦しい思いまでして。
以前イオヌーン家とジェイド家で森へピクニックへ出かけた時、エミリアは珍しく俺とべルークの前で涙をこぼした。
おれは彼女をギュッと抱きしめた。皇太子殿下の婚約者を抱きしめるなんて不敬な行為だったかもしれないが、俺はまだ子供と呼べる年齢だったし、従弟だし、周りには身内しかいなかったし。
俺には他に何も出来なかったけれど、誰にも涙を見せられないエミリアの遮蔽の役目くらいは出来ると思った。
その後もエミリアに会う度に彼女にこう言った。
「学んだ事、身に付いたものはけして無駄にはならないよ。でも、エミリアはもう十分頑張っている。これ以上頑張っては駄目だよ。もうそろそろ自分の為に何かしてみたらどう?」
その度にエミリアは『ええ、そうね。ありがとう』って答えたけど、彼女は頑張る事を止められなかった。
俺がエミリアの側にいる時は、必ずべルークも側に同行していた。俺の侍従だったからだが、もしかしたらその事で二人は思い合うようになったのかもしれない。べルークはいつもエミリアに同情していたから。
べルーク一人だけではエミリアには会えないが、俺の侍従として付いてくれば会える。その時人目を忍んで会っていたんだな。
そして姉もそれを知っていて二人に協力していたのか。それなら正直に話してくれれば良かったのに。
そんなに俺は信用ないのか。まあ、隠し事ばかりしているような人間じゃそれも仕方ないか・・・・
はっ! 結局俺の役回りって、いつも縁結びなんだな。
そう自分を納得させようと思っても、俺の頬には涙が止めどなく流れ落ちたのだった。




