80 殿下の溺愛
セブイレーブ皇太子殿下がエミリアを溺愛しているとは思ってもみなかった。彼女に関心があるという態度を今まで一度も見た事が無かったからだ。
俺が鈍いからではないと思う。
皇太子殿下と公爵令嬢は生まれながらの政略結婚で、お二人ともお互いに興味を持たれていないのにお気の毒ね、と誰もが皆囁いていたのだから。
「殿下はエミリア嬢を愛していて、彼女がもし望んでも、絶対婚約解消なんてしない、という事ですね?」
俺が確認の為に尋ねると、皇太子殿下は徐ろに頷いた。
「いつ頃から殿下は彼女を好きだったのですか?」
「物心ついた時には既に好きだった。彼女以外の女性なんて目に入らなかったよ。
だって、彼女より可愛くて綺麗な子なんて他にはいないだろう?」
います。今、貴方の目の前に。エミリアはかわいいというよりクール美人だろ。
「彼女の声って鈴を転がしたようで、聞いていると元気が出るだろう?」
確かにね。でも俺は爽やかで穏やかなべルークの声の方が落ち着くけどな。
「彼女ほど頭が良くて物知りな子っていないよね」
いやいや。べルークや俺の姉もいるだろ!
「彼女ほどダンスが上手で華やかで気品溢れる女性はいない! 彼女以外、我が国の王妃に相応しい女性などはいないんだ!」
ええ、ええ、ええ、その通りです!!!
俺は心の中で突っ込むのを止めた。確かにエミリアが将来の王妃に一番相応しいというのは間違いないだろうと俺も思う。
エミリアは皇家の血を引く名門イオヌーン公爵家の第一子で強力な癒し魔法の持ち主。皇太子殿下の二歳年下の十八歳である。
プラチナブロンドヘアに淡い水色の瞳、透き通るような白い肌、薄い眉毛のクール美人。
生まれ持った才能だけに甘んじる事なく、エミリアは大変真面目で努力家だった。
その結果、従姉妹ミニストーリアと並んで社交界のツートップと呼ばれている程、礼儀作法もダンスも社交も何事もそつなく完璧な淑女になった。
その上読書家でその知識は学校長が舌を巻くほどだが、それを鼻にかけることもない。しかもピアノを弾き、絵も嗜むほど芸術面にも優れている。
つまり彼女は完璧と言っていい女性だった。王妃として彼女に代われる者がいるとは考えにくい。
だいたい、優秀なエミリアでさえお妃教育は大変厳しいものだったのだ。今更他の誰かを教育して間に合う訳がない。しかし・・・
「確かに、国内にはエミリア嬢の代わりにお后様になれる者はいないでしょう。しかし、皇后陛下のように他国からお迎えする方法もあるのではないですか? そうすればお后教育もそれ程厳しくはないのではないですか?」
現在の皇后陛下は隣国から嫁がれてきたので、結婚式を挙げる前の半年間だけでは当然お后教育が間に合うわけがなかった。
故に結婚後、皇子達が生まれた後もずっと教育は続けられた。そしてその教師役が母のグロリアス=ジェイド伯爵夫人だった。
当時まだ皇太子妃殿下だった皇后陛下と母は、互いに乳飲み子を膝に抱えながら授業をしていたらしい。
そう、皇太子殿下と兄のザーグル、弟殿下のローソナー殿下と姉のミニストーリアは赤ん坊の頃からの付き合いなのだ。
俺の言葉に皇太子殿下は青褪めた。
「私は、エミリアが妃として完璧だから結婚したいわけじゃない。私は、エミリアが好きだから彼女と結婚したいんだ。彼女に完璧さなんて求めてなんかいない」
俺は殿下からその言葉を引き出させる事ができてホッとした。
俺は腰を下ろして片膝をつき、皇太子殿下と同じ目線になって、こう言った。
「殿下、何故その事を今までエミリア嬢におっしゃらなかったのですか?
ただ貴女が好きだ、完璧でなくていいんだ、そう最初からおっしゃっていたら、エミリア嬢は悩んだり苦しんだりしなくても済んだのですよ」
「彼女の性格を一言で表すなら『糞真面目』で、人に甘えられず何事にも完璧をめざして無理し過ぎてしまうのです。だから、彼女は今疲れ果てているんです。彼女が最近元気がないのはそのせいです」
セブイレーブ皇太子殿下は茫然自失としていた。心がそこに無いような様子で、ただどこか目線を宙に彷徨わせていたが、暫くして離れた所にいるエミリアの方へ顔を向けた。
すると偶然にも後ろを振り向いた婚約者と目が合った。しかし、彼女は顔を強張らせ、すぐに顔を元に戻してしまったので、皇太子殿下はガクンと項垂れた。
「糞真面目で頑張り屋なのは殿下も同じなのかもしれないですね。殿下もとても疲れていらっしゃるようにお見受けします。
(お二人とも全く長男長女気質で、真面目で融通がきかないタイプだからなぁ)
土地詐欺事件の後処理も間もなく一段落しそうだとお聞きしています。少し、お休みを取られた方がよいのではないですか?」
俺の助言に殿下は頭を横に振った。
「そんな呑気な事は言っていられない。早くなんとかしないと、エミリアを失ってしまう」
さっきまでは殿下の事なんて放って置こうと思っていたんだけど、仕方ないなぁ。こうも恥も外聞もなく本音を吐露されては、俺はまたお節介をしなきゃいけないんだろうなぁ〜
俺がべルークを見ると、彼も仕方ないですね、という顔をして俺を見た。
だいたいべルークもどちらかというと、エミリアや皇太子に性格が近いから、二人の気持ちはわかるのだろう。
「殿下、ここまできたら、今更慌ててもどうしようもありませんよ。十数年こじれまくっているんですからね。寧ろ焦ったら余計にろくな事にならないです。じっくり、よく考えて、対策をたてましょう」
「ユーリ君、君、私に協力してくれるのかい?」
皇太子殿下が勢いよく顔を上げ、とても嬉しそうにこちらを見たので、俺もコクリと頷いた。
「ただし、上手くいくかどうかは責任持てませんからね。後で人のせいにしないでくださいよ」
「君が協力してくれるなら、絶対上手くいくよ。間違いない。良かった。ありがとう」
おい、おい、おい! 何を根拠にそんなお気楽な事を言ってるんだ! 今さっきまで萎れてたくせに! ここは現実をはっきり見せつけてやらないと!
「殿下。貴方がエミリア嬢に何も言わなかった分、貴方の側近達が貴方の代理だと称して、昔からエミリア嬢に色々と無理難題を突き付けたり、嫌がらせのような事をしていました。故に、エミリアにとっての貴方の印象は最低最悪です。
それに自分は嫌われていると彼女は思いこんでいますから、間違っても愛されているなどとは思っていません。今更好きだと彼女に告白しても、簡単には信じてもらえないと思いますよ」
「えっ?」
殿下はぎょっとした顔で俺を見たが、まだよく理解していないようだった。そこであの側近達が今までエミリアに何を言っていたのかを教えてやった。
エミリアが皇太子殿下とファーストダンスしか一緒に踊らなかったのは、こう言われたからだ。
「皇太子という立場は多くの人々と交流をもたなければなりません。だから、多くの女性と踊らなければなりませんので、二度目のダンスは貴女からご遠慮して下さいね。
貴女がダンスの上手さを他の女性に見せたいのなら、他の男性と踊って下さい」
エミリアがいつも皇太子から贈られた装飾品を一度しか身に着けなかったのは、こう指示されたからだ。
「皇太子妃とは、全てにおいて国民に平等に接しなければなりません。ですから、一定のお気に入りの装飾品ばかりをお着けになっていると、その店ばかりに客が集中します。それでは不公平になりますので、まんべんなく色々な飾りを着けて下さい。貴女の好みなどは関係ありませんし、重要ではありません」
エミリアが皇太子殿下とどこへも行きたがらなかった理由はこうだ。
「殿下にどこへ行きたいのか尋ねられたら、まず僕達にその場所を教えて下さいね。その場所が殿下が行って良い場所なのかどうかを、確かめないといけませんから。
しかし、殿下も私達も暇ではありませんので、あまり我儘は言わないで頂けると助かります。
それと、出かけられる時は、護衛や侍女だけでなく僕達も同行しますよ。貴女と二人だけは殿下も息が詰まるでしょうから」
たった三つの例を教えて差し上げただけで、皇太子殿下は再び顔色を無くしたのだった。




