77 臣下の見極め
俺は皇太子が奴等に通告していたという事を知りながら、さもそれに気付かず怯えているという演技をした。城の中には信用できない人物がいるので怖いと。
兄との約束もあるし、まさか皇太子殿下の前で、貴方を信用出来ませんとも言えないもんね。
これで察する事が出来なければ、この皇太子は駄目だと俺は見切りを付ける事にした。俺は兄貴ほどお人好しじゃないもんで。
皇太子殿下は酷く青ざめていた。動揺しているようにも見えた。しかし暫く間をとってから俺にこう言った。
「君は私が嫌いか?」
「えっ? 何故そのような事をお尋ねになるのですか? 先程お会いしたくなかったと申し上げたのは、側近の方々がいない時にお会いするのが困るという意味です。それ以外他意はありません。皇太子殿下は兄が大切に思っているお方です。嫌いな訳がありません」
「そうか、それなら良かった。私は君の事をローソナー同様弟のように思っていたので、嫌われているのだったら辛いと思った。
君が今日ここへ来た事は秘密にするように、皆に話しておくから心配しなくていいよ」
「ご配慮して頂いてありがとうございます、殿下」
俺は礼を言って、深々と頭を下げながら、つまり皇太子殿下は側近に俺の事は話さないって事だな、と意地悪く解釈したのだった。
ランチが終わろうとした頃、皇太子殿下が俺にこう言った。
「君、弟から引き分けを取ったんだってね。凄いね」
「いえ、ローソナー殿下がわざと力を抜いて下さったからです。僕が殿下の相手になるわけがありません」
俺は心からそう思って言った。すると皇太子殿下は片方の眉を軽く釣り上げて、弟に向かって言った。
「武道においては、相手が誰であっても全力を尽くさねばならない筈だ。それなのに、そなたはユーリ君に力を抜いたのか?」
「いいえ。私は全力で立ち向かいました。しかしあれが私の精一杯でした」
「二つの年下の相手にか?」
「はい。残念な事ですが」
「情けないな。我が弟ならもっと強いかと思っていたが」
セブイレーブ殿下がこう言ったので、俺は突然ある事を閃いた。
「ローソナー殿下がどのくらいお強いのか、皇太子殿下が直接お相手すればよろしいのではないですか? 相見えればお互いの力量がすぐおわかりになりますよ」
「「えっ?」」
二人の殿下はぎょっとしたように俺を見た。そしてお二人の護衛騎士達も。俺はニッコリと無邪気な笑顔を作って言葉を続けた。
「だって、兄弟って普通は幼い頃から喧嘩したりじゃれ合ったり、体で触れ合いながらお互いの力関係を測っていくものでしょう? 何故なさってこられなかったのですか?」
「・・・・・」
「僕は毎日兄と訓練をしていますので、兄は僕の力をちゃんと把握してくれていると思います」
「皇太子殿下は兄とは一緒に訓練をなさっていましたよね?」
「ああ、幼い頃には。しかし最近はしていないな」
「何故、おやりにならないんですか? それでは今の兄の力はご存知ないのですね? 側近の力をきちんと把握しなくてもよろしいのですか? いざという時、身内の力量がわからなくても、殿下はご不安ではないのですか?」
「・・・・・・」
「武道においては全力を尽くすべきだと殿下は先ほどおっしゃいましたが、その前に、相手の力を測るべきではないのですか?
相手を見極めれば無駄な力を使う必要はないし、勝てない相手ならさっさと逃げるのも必要な事だと思うのですが。
僕のような考え方はやはり卑怯なのでしょうか?
小国においては力の配分が何より大切だと、僕は学校で教わったのですが違うのでしょうか?」
僕は本当に疑問に思っているという様でこう尋ねた。そう、あくまでも教えを請うように。
俺は皇太子にきちんと周りの人間の能力を見極めて、その人物に合った、それぞれの役目を与えて欲しいと思ったのだ。それが皇太子殿下の身を守る事であり、ひいてはこの国の為だと思った。
あの時はわずか十二歳だったので、そんな風に考える事は生意気で不遜だとわかっていたが、頭の中身は二十歳を過ぎていたので、皇太子殿下が危なっかしく見えて仕方がなかったのだ。
「違わないな。
『綺麗事では勝てない。国を守る為には手段は選ぶな。定説は覆せ』
入学して間もない頃に教授にそう教わった。何故忘れていたのだろう? 何故建前論を振りかざすようになっていたのかな?」
セブイレーブ皇太子殿下がぼそりと呟いた。
「そう周りの方々に洗脳されたからではないですか?」
ローソナー殿下がずばりと本質をついたので、俺は焦った。人間、真実であればあるほどそこを突かれると、却って認めたくなくなるもんだ。
しかもプライドの高い皇太子殿下だ。弟にそんな事を言われて、素直に認める訳がない。
「私があの側近達に洗脳されたと言うのか!」
案の定皇太子殿下は勢いよく立ち上がり、体中を震わせた。
そりゃ怒るよね。あの阿呆どもに洗脳されていると思われたら辛いものがあるよね。
「洗脳されたのではないのなら、兄上は兄上自身のお考えで、私やザーグル殿やエミリア嬢を疎遠になさったという事なんですか?」
ローソナー殿下の言葉に皇太子殿下は息を飲んだ。肯定も否定もし辛いだろうなぁ。さすがに俺も皇太子殿下に同情したよ。
生意気な弟の指摘は認めたくはないが、否定すればそこで弟や親友、そして婚約者との関係を切ってしまう事になる。
賢い皇太子の事だ。どちら側の人間関係を大切にすべきかはさすがにわかるだろう。ただ、着地点がわからないのだ。
仕方ない。助け舟を出すか。
「ローソナー殿下、そうじゃないですよ。皇太子殿下は、きっと今、じっくりと側近の皆様の見極めをしていらっしゃるんですよ。
ほら、敵を騙すにはまず味方からと言うじゃないですか。皇太子殿下は弟君や婚約者、親友を信じていらっしゃるからこそ何も言わないで、迷惑がかからないように遠ざけていらっしゃるんですよ。
そして側近の方々を自由にさせて、彼らの力量を測っていらっしゃるんですよ。そうですよね、皇太子殿下」
俺はニコニコしながら皇太子殿下を見上げてこう言った。
殿下は唖然とした表情で俺の顔を見たが、やがて弟の方に顔を向けた。
俺と護衛騎士達は手に汗握って、ただその様子を見つめるしか手立てがなかった。
時間を空けてから、皇太子殿下はようやく口を開いた。
「ユーリ君の言う通りだよ。ザーグルとバーミント以外の私の側近達があまり優秀では無い事くらい、私にだってわかっている。いや、一番よくわかっているつもりだ。
しかし、同期の者達を大切にしろというのは、皇家の伝統だ。そして皆それなりの家の息子であり無下には出来無い。それはわかるだろう? 第一父上がそれを許さない。
故に私は彼らをしっかりと見極めた上で、その能力に合ったそれなりの仕事を与えるつもりだ。父上に口を挟ませない事実を積み上げた上で。
彼らを何が何でも私の側近として仕事をさせるつもりは毛頭ない。
ただ、お前との関係が希薄になっていた事は素直に謝ろう。けしてお前を敵視したり、疑っていた訳ではない。ただ、親があの通りだから、お前とどう接すれば良いのかわからなかった」
予想外に皇太子殿下は真摯に弟にこう語った。
俺達傍観者は、意外な展開に驚きながらも、心の中で拍手を送っていた。
ところがこの後、兄に対する弟の言葉は思いがけず挑発的なものだった。