76 側近からの嫌がらせ
元々孤独だったローソナー殿下がますます孤独になっていった。これは辛いだろう。
陛下の期待が皇太子殿下だけに注がれている事は誰の目から見ても明らかで、少しは二男にも目を向ければいいのに、と子供の俺でもそう思った。
うちの両親はいくら地味で目立たない二男の俺の事も、ちゃんと見てくれているし、愛してくれているぞ。と、当時は本性を隠していた最低な息子だった俺は思った。
陛下は息子を使って、意図的に反勢力派のガス抜きでもしていたのだろうか? それとも何も考えていなかったのか?
いや、きっと何も考えていなかったんだろうな。とんでもなく不敬だとは思うが、陛下は古い伝統をただ忠実に踏襲すれば国皇の役目を果たしていると勘違いしている能無しだと思う。つまり慣習主義者だ。
しかしそれでは、もし今予想外の問題が起きたら、例えばどこかの国から攻め込まれたら、なんの対処も出来ずに狼狽える事は間違いなしだ。戦なんて、過去と同じ戦法はとってくれるはずがないんだから、臨機応変に判断する能力がなかったら即アウトだ。
『兵に常勢無し』
これが我が国の学生が最初に叩き込まれる精神だ!
前例のある戦略しか考えられないような者が上に立てば、多くの部下が命を落とす。
故に固定観念を持つような指揮官はいらぬ! が、我が国の軍のモットーだ。四方八方を敵国に囲まれていて、いつどこから攻め込まれるかわからない小国が、現在まで生き延びているのは、この教訓の賜物だ。
学校へ入学すると、例え軍人や騎士希望者であろうがなかろうが、この考えの元で全て事が進められている。我がコーンビニア皇国の国民は幼い頃より、体の鍛練と共に頭の柔軟性も訓練されている筈なのだ。
それなのに国の頂点にいる陛下が何故それを実践できないのだろう? 特別扱いを受けて学ばなかったのだろうか?
いや、実践はしていなくても、その重要性は少しは認識していたのかもしれない。そうでなければご自分とは気が合わないイオヌーン公爵を宰相にして、大事な息子とも縁結びさせるような事はしなかっただろうから。
しかし、その認識を皇太子殿下に対してもして頂きたいと、周りの者達は全員思っていたようだ。
凡庸な陛下が今まで何とか無事にこの治世を保っていられるのは、確かに宰相をはじめとする、同学年の側近が優秀だったおかげである事は間違いないだろう。
とはいえ、皇族の幼馴染みがいつもいつも優秀とは限らない。当たりはずれがある。そして、運悪くセブイレーブ皇太子殿下の学年は大不作だったんだ。
まさか、国の幹部の人達がずっと以前から側近連中をどうにかしようと悪戦苦闘していたとは、先日北の詰所で話を聞かされるまで知らなかったが。
周りの人達は、長い事陛下に進言し続けたが、陛下は聞く耳を持たなかったらしい。そして、皇太子殿下が成人になった今ごろ、ようやく厳しい現状に気付いて慌てているのだ。
そんなに人を見る目がなくて、トップとして大丈夫なのか? あの頃まだ子供だった俺でさえ、皇太子殿下の側近を見てそう心配になっていたよ。
そう考えてみると、ローソナー殿下も孤独だったろうが皇太子殿下もずっと孤独だったのかも知れない。周りにいくら人がたくさん集まっていたとしても、あんな阿呆な奴らばかりじゃな。
兄貴やバーミントの二人だけまともでも、どうしようもない。しかも、兄達は軍人学校へ通っていたから、皇太子といつも一緒にいられる訳じゃなかったしなあ。
訓練の後、俺はランチまでお城でご相伴に預かる事になった。その席にはセブイレーブ皇太子殿下までいらして、俺は正直驚いた。
まさか皇太子殿下が現れるとは思っていなかったのだ。側近の奴等が俺を殿下に近付けるわけがないと思っていたからだ。
しかしその理由はすぐにわかった。今日は珍しく側近の奴等は誰もいなかったのだ。普段なら誰か一人は必ず皇太子殿下の側にいるのに。例え婚約者のエミリアがいようと平気で。
だいたい皇太子殿下がエミリアとうまくいかないのは、あいつらがいつも側にいるからだろう。そしてそれを皇太子殿下が許しているせいだ。
正直、俺は陛下ほどじゃないが、皇太子殿下の事も気にくわなかった。従姉のエミリアに対する態度が目に余るものがあったので。
俺はおおよその見当がついていながら、わざと皇太子にこう尋ねてみた。
「今日は側近の方々がいらっしゃいませんが、どうなさったのですか?」
「ああ、彼らは今日用事があって皆学校に行っている」
みんなですか? 皇太子の側近が全員追試を受ける為に学校へ行っているんですか? 正直呆れたよ。
今日、学校は試験休みのはずで、ほとんどの学生は学校へなど行っていないんだ。そう、赤点とって追試を受ける者以外は!
それほど頭が良くなくたって、ちゃんと授業を受けて、試験勉強さえ人並みにやってれば、大概の生徒は追試なんか受けないんですけどね。
俺、自分でいうのもおこがましいが、感情をコントロールするのが上手くて、他人に対して怒りを表す事は滅多にないんだ。ところが、あの頃は、皇太子殿下に無性に腹が立っていた。ローソナー殿下だけでなく、姉や従姉を辛い目にあわせているのはこいつだと。
「僕、怖いです」
俺は怯える小動物のような目でローソナー殿下を見た。すると殿下は俺が何をこわがっているのかを察してこう言った。
「大丈夫だよ。今兄上からも聞いただろう? 兄上の側近達は今日は登城しないから」
「でも、後で僕が留守を狙って登城して、皇太子殿下に近づいたと思われたらきっとまた虐められます」
「虐められるとはどういう事だ。彼らは君の事をよく知っているだろう? 弟みたいなものじゃないか」
「あの方々は兄が嫌いですから、僕の事も嫌いです」
「なっ!」
皇太子殿下は驚いたように目を見開いた。本当に知らなかったのか?
能天気だな。この様子だと兄やエミリアの事も気付いていないな。
「僕、男なのに情けない事を言って申し訳ありません。エミリアだって女の子なのにずっと我慢しているのに」
「・・・・・・・・・」
「今日の事は彼らに知られたりしないよ。この城内に告げ口するような愚か者はいないから」
ローソナー殿下が優しくこう言ってくれた。しかし、俺は更に悲壮感を漂わせて言った。
「でも、兄上は幼い頃から皇太子殿下に呼ばれて登城すると、後で必ず怪我をさせられて帰ってきましたよ。今は強くなったのでさすがにやられたりしませんが。誰かが兄の事をあの方々に話したに違いありません」
「ザーグル殿同様、今の君なら彼らより強いんじゃないのか?」
ローソナー殿下の言葉に俺はおどおど頷きながら、
「武道で正々堂々と勝負すれば勝てるかもしれません。でも一対一じゃなかったり、後ろから突然襲われたり、魔力を使われたら逃げようがありません」
と言った。暗にいつも卑怯な手で虐められているという事を言葉の端に含ませて。
「申し訳ないのですが、僕、お城の中にいる人の事を信用できません。今日こちらに来たのは、ローソナー殿下にお会いする為で、まさか皇太子殿下にお会いするとは思わなかったのです」
「!!!!!」
兄の事は皇太子殿下が側近達に話したのだ。そう、彼にとっては他の側近達は兄と同様仲のいい幼馴染みで友人だと思っているからだ。
しかし、実際は彼らは真面目で真っ当な事を言う兄の事を嫌っている。それは皇太子殿下を自分達の意のままにしたいからだ。そして兄がその事を皇太子殿下に告げないのは、多勢に無勢で、自分の言う事を信じてもらえるという確証がなかったからだ。
もし、皇太子殿下が奴等の甘言に乗せられて自分を遠ざけたら、いざという時に殿下を守れない。兄はそう思って、殿下だけでなく誰にもこの事を話さなかった。ただ俺までとばっちりを受けている事を知って、この話をしてくれたのだ。あの時兄は俺に頭を下げた。
「お前にはすまないと思っている。不甲斐ない兄を許してくれ。しかし、今俺は力を貯めているところなんだ。殿下はいつかきっと誰が信用できる人間なのかをわかってくださる。だから、それまではお前も耐えてくれ。そしてなるべくあいつらに近付かないでくれ」
俺は兄の思いを知ってそれに従った。まあ、運悪く奴等に絡まれた時は無唱魔法を使って難を逃れ、陰でやり返してやったけど。あんな奴等にやられっ放しでいるなんて到底我慢できなかったから。