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66 母の手腕

 全てのレッスンが終了し、他の生徒と保護者達が次々と帰宅し、やがてサロンには俺達とクリステラ先生、そして別の部屋で待機していた、ダンス教室のナタリア先生、それから彼女達の二人の侍従だけになった。

 

 姉妹である二人の先生方はとてもよく似ていた。

 

 姉のナタリア=ツッター子爵夫人は年の頃は二十代後半だろうか。艷やかで豊かな波打つ金色の髪に、青い瞳を持ち、ダンスで鍛えられた抜群の体型をしている。自分の母親に匹敵する程美しい女性だ。そして見かけは柔和そうだが、妹君同様一本芯の通った女性だという事は感じられた。

 

 妹のクリステラ=マーリーン子爵夫人は二十代半ばくらいで、姉より顔も体型も全体的に細く、少しきつめの印象を受ける。ただ子供達を見つめる目はとても優しげで愛情深かった。

 

「この度は妹のマリーの事で、大変ご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありません。ご子息のユーリ様に制止して頂けなければ、どのような事態になっていたかわかりません。

 もっと早くにお詫びとお礼をさせて頂きたかったのですが、そもそも私共の立場でそれが許されるものなのか、判断がつきませんでした。

 皇太子殿下やイオヌーン公爵様及びエミリア様にもお詫びしたいのですが、お伺い出来る立場でも身分でもございませんので、ほとほと困っております」

 

 姉がこう述べて、姉妹で頭を下げた。

 

「頭を上げてくださいな。貴方方は謝罪する必要などないのですよ。

 ここだけの話、これは皇太子殿下がしっかりなさっていないから悪いのですわ。それに大事な婚約者の誕生日パーティーに遅刻した姪も。まあ、こちらの方は体調不良でしたので、やむを得なかったと言えばそうなのでしょうが。

 殿下の側近である我が家の長男がもっと早くにどうにか出来ていれば良かったのでしょうが、あの子は根っからの軍人気質で、社交界における諸事に疎いもので。結局、聡い二男がとっさに動きましたの」

 

「本当にユーリ様には感謝しております」

 

 正直なところ、夜になってその話を聞いた時、とても胸騒ぎがして不安になった。婚約者のいる長男ならいざ知らず、ユーリとマリー嬢に噂が立たないかと。

 すると、侍従のべルークが自ら身代りになってくれた。マリー様にもべルークと恋人の振りなどさせてしまって、申し訳ない事をしてしまった、と母は語った。

 

 とんでもないと姉妹は頭を振った。べルーク様にまで多大な迷惑をおかけして、申し訳ありませんと、再び頭を下げた。

 

 すると母はこう言った。

 

「貴女方は申し訳ないと思ってくださっているでしょうが、お父上はどうでしょう? マリー様やうちの者達を快く思ってはいないのではないですか?

 噂がたった当日に、早くもべルークはそちらの配下の者に襲われかけましたし、その翌日にはマリー様の頬が腫れていたそうですね」

 

 さっきまで凛としていた姉妹が真っ青になった。

 何も答えない彼女達に向かって、母はこう続けた。

 

「代々軍人家系として我が国を守ってきた我がジェイド家も随分、侮られたものです。たかだか新興の男爵如きに手出しをされるとは! 

 ユーリとべルークは私の大事な息子です。今後また何かしようものなら、どんな手を使ってでも破滅させますよ。私に動かせるのは軍だけではないのですからね」

 

 母の厳かで重々しい言葉に、その場にいた者達全員が縮み上がった。

 グロリアス=ジェイドはただの伯爵夫人ではないのだ。我が国の陰の司令官の妻であり、我が国の知恵と呼ばれている宰相の姉である。

 そしてその上、国皇陛下の幼馴染みであり、他国から嫁いで来られた皇后陛下の元家庭教師兼親友という立場にある女性なのだ。

 

 つまり平たく言うと、この国で一番怒らせてはいけない女性であった。

 

 

 ナタリア先生とクリステラ先生は少しの間見つめあった後、ソファから一歩前に出て膝をつき、両手を組んで祈るような格好で、母グロリアスにこう嘆願した。

 

「ジェイド伯爵夫人様、こんなお願いをするのはお門違いだという事は重々承知しております。ですが、どうか私共をお助けください。お願いいたします」

 

「助けるとはどういう事かしら? 今回の事を許して欲しいという事かしら? ナタリア先生」

 

 母は眉を少しつり上げながら厳しい口調のまま尋ねた。しかし、二人は首を振った。

 

「いいえ、許して欲しいなど、そのような図々しい事は思っておりません。むしろ、その逆でございます」

 

「逆とは?」

 

「我が父を捕まえて頂きたいのです。あの父をどうにかしませんと、父の配下の者や父の援助を受けている者達の動きを止められません。彼らは統制されていない野犬の集まり同然なんです。私達だけではどうにもならないのです」

 

 先日ジョルジオさんとオルソーが予想していた通りだ。悪党よりチンピラの方が扱いにくいという奴だ。

 

「そう言われても、今回実際手を出したのは、ナリステ侯爵を含む高位貴族の子弟で、直接スウキーヤ男爵が手を出した訳ではないから、指示をしたという証拠を見つけるのは難しいのではないかしら?」

 

 母が首を捻り、困ったような表情をつくった。すると、そんな事はとうにわかっているというような顔で、今度は妹のクリステラ先生が言った。

 

「私達兄弟は十二人全員、父をこれ以上野放しにしてはいけないと思っております。

 今までは皆が必死に耐えてまいりましたが、近頃の父の所業は目に余るものがあります。このままでは、家族だけではなく、他の方々にも多大な迷惑をかけることは明白です。

 ですから、私達は今、手分けをして父の犯罪の証拠を集めております。既に密輸と詐欺のいくつかは証拠が見つかりました。それらを提供させて頂きます。ですから、どうか私達兄弟に伯爵様のお手をお貸し願えませんでしょうか」

 

「お父上が逮捕されたら、貴女方のご家族にも迷惑がかかるのではなくて? それでもいいのかしら?」

 

 二人は側に置いてあったクラッチバッグの中から、自分の名前の書かれた離縁状を取り出して、俺達に見せた。最初から二人は覚悟してこの場に臨んだという事がはっきりした。

 

「私達姉妹は、虐げられている母親を見て育って参りましたので、いざとなったら女一人でも何とか生きていけるよう、学問を含め色々な技術を必死で習得してきました。

 夫や子供達には大変申し訳ないとは思いますが、このまま放置して、大罪を犯した後で捕まるよりも、まだ迷惑の度合いが少ないのではないかと思うのです。

 それに父が逮捕された方が、弟達も早く温かい家庭をつくれると思うのです。ずっと父に邪魔をされておりましたので。貴族の身分を捨てれば、いずれはそれでもよいという方に巡り会えるかもしれませんので」

 

 ナタリア先生の言葉に母は沈痛な面持ちになって、先生方も市井に下るつもりなのかと尋ねた。すると二人は少し微笑みながら頷いた。もう、貴族のお子様に教えるのは無理でしょうから、と。

 

「子供達に何かを教える、という事が生きがいと思えるようになりました。ですから、平民になっても、出来れば子供達に関わっていきたいと思っております」

 

 クリステラ先生はもうすでにスッキリしたような、爽やかな笑顔でこう言った。

 

 母は暫くじっと彼女達を見つめていたが、やがて徐に口を開いた。

 

「わかりました。それだけの覚悟がお有りになるのでしたら、私共も協力させて頂きましょう。しかし、マリー様もせっかく淑女教育を頑張ってこられたのに、よろしいの?」

 

「あの子は元々異父兄弟達を人質にとられて、やむを得ず父の元にいるのです。ですから、早く市井に戻る事を望んでおります。

 最初に嫌がっていたレッスンを今では熱心に取り組んでおりますので、それは今後も続けたいと思っております。

 ただ、せっかく学校にも馴染んできたので、途中でやめる事になってしまう事は可哀想ですが、致し方ありません」

 

 ナタリア先生の言葉に、ベルルことべルークがぎゅっと拳を握るのが目に入った。

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