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65 クリステラ

 馬車が目的地に着くと、御者台に座っていたベスタールが扉を開けてくれた。

 腰を浮かしかけたベルルを目で制して、最初に俺が外へ出て、まず、少し不満げなベルルの手をとって下へ降ろし、次にイズミンを抱いて降ろす。そして最後にジェイド伯爵夫人の手を優しくとった。夫人(母)は凄く嬉しそうに微笑んだ。

 

 クリステラ先生の躾教室の中へ通されてサロンへ行くと、既に数人の生徒さんの保護者、または付添いのご婦人達がソファで寛ぎ、侍従達がその傍らに控えていた。

 しかし、ジェイド伯爵夫人が登場すると、ざわめきと共に皆が一斉に立ち上がり、挨拶を交わし合った。

 

「ごきげんよう、ジェイド伯爵夫人。お会いできて光栄ですわ」

 

「ごきげんよう、ヨークス伯爵夫人。お久しぶりですわね」

 

「ごきげんよう、ジェイド伯爵夫人。今日お会い出来るなんて、とても幸運ですわ」

 

「まあ、ごきげんよう、キンカドゥ子爵夫人。先日は珍しいお茶を頂きましてありがとうございます。大変美味しゅうございましたわ」

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 一通り挨拶が済んだ後、ご婦人達はチラチラとベルルを伺いながら、ジェイド伯爵夫人に尋ねた。

 侍女がいつもとは違うけれどどうしたのかと。夫人は娘イズミン付きの侍女のマーリーが今日は体調が悪いので、別の侍女ベルルを連れて来たと答えた。

 

「それにしても、ジェイド伯爵家に仕えていらっしゃる方達って皆さん容姿が整っていらっしゃいますね。羨ましいですわ」

 

「ありがとうございます。でも、別に容姿で選んでいる訳ではありませんのよ。人柄と能力で選考していますの」

 

「もちろん、そうでございましょうとも。伯爵様のところの執事長のカスムーク様や侍女長様が、皇家や宰相様の使用人のご指導を依頼される事もあると伺っておりますわ。

 それに、カスムーク様のご子息や甥子様もトップの成績を修められたとは周知の事実ですもの」

 

 彼女達が聞きたいのはおそらくベルルの事だろう。しかし、ジェイド伯爵夫人はその話題をサラッとかわして、別の話を始めた。すると、キンカドゥ子爵夫人が俺をチラッと見て言った。

 

「ええと。侍従の方はいつもの方だったかしら? 印象が薄いのですが」

 

 ベスタール、さすがだな。新参者でも違和感なしのキャラクターに仕上げてくれて。と、俺が嬉しくなっていると、隣にいるベルルと、夫人からは似たような負のオーラが流れ出していた。

 

「ベスタール様やカスムークご兄弟と比べると、随分と地味な方ですが、やはりジェイド伯爵様のお目にかなったのだから、優秀な方なんでしょうね」

 

 別のご婦人がこう言った。すると、夫人ではなく彼女の末娘がこう答えた。

 

「ええ、そうです。彼はジェイド伯爵家の中で、執事長のカスムークさんの次に長くいる侍従で、母と私の一番のお気に入りなんです。今まで彼にお気づきになっていませんでしたの?」

 

 サロンにいた人達の目が一斉に俺を見た。おい、イズミン! 俺を目立たせてどうする! しかも、さらに俺が注目されるような爆弾発言をした。

 

「そして彼の隣にいる侍女のベルルが、彼の許嫁ですの。お似合いでしょう?」

 

 サロンの中がざわめいた。あの類い稀な美人とへのへのもへじのような何の変哲もない男が婚約者同士とは。

 あの侍従は見かけに依らず出来る男なのか? あのジェイド伯爵夫人のお気に入りだなんて。

 

 それなのに地味だと、軽くディスってしまったキンカドゥ子爵夫人ともう一人の夫人が青ざめた。

 いや、本当にその通りなんで気にしなくていいですよ、と俺自身は思ったが、実の息子が使用人達より地味で目立たないと言われては、さすがに母も面白くはないだろう、とは察せられた。

 

 そして俺が一番と何故か思っている節のあるベルルも、少しムッとした顔をしている。普段滅多に感情を表さない事を踏まえると、かなり腹を立てているのだという事がわかる。

 

「優秀な使用人というものは、いかなる時も影に徹して主人に尽くせる者の事ですのよ。主人より目立つ使用人はいかがなものでしょう」

 

 母の言葉に、キンカドゥ子爵夫人達同様に今度はベルルが青ざめ、握っている両手の拳が小刻みに震えているのがわかった。

 

 べルークは父親であるカスムーク氏から、俺を目立たせないようにと指示されて、今まで矢面に立ってきた。しかし、そのせいで自分ばかりが目立って、まるで王子様の様な扱いを受ける事に心苦しさを覚えている事はわかっている。

 

 今まで考えた事はなかったが、母の言葉にはべルークに対する嫌味や嫉妬心が含まれているのだろうか? 他人に関する事なら客観的に見られるのだが、やはり自分の事はよくわからない。

 イズミンの忠告通り、先程の乙女小説とやらを読むべきだろうか? あまりぞっとしないが。

 

 とりあえず婚約者同士という設定にしてもらったので、そっとベルルの手を握った。気にしなくていい。俺はお前の気持ちをわかっているよ、という思いを込めて。

 

 それにしても、イズミンはさすがだな。ベルルの美貌が噂になって、今後面倒な話が持ち込まれないように、俺達を婚約者同士に仕立てるとは。ありがとう、妹よ。

 べルークに告白した事をイズミンにはまだ話していないが、ここ数日の言動を見ると、察しているのは明白で、俺達をさりげなくフォローしてくれている。

 以前あんなにべルークに辛くあたっていたのも、俺達にはっきりしろ、と言いたかったのだろう。出来ればそれを、べルークではなくて俺に向けて欲しかったが。まあ、それが身内には嫌われたくない、という心理だったのかもしれない。

 

 

 そうこうしているうちに、レッスンが始まる時間になった。

 

 クリステラ先生の躾教室は、子供だけをお願いして、保護者はサロン室で待っているか、後で迎えに来ても構わない。また、保護者もレッスン室に同室する事も出来る。

 教育熱心な親や、自分の作法に自信がない若い親は一緒に参加する場合が多い。

 ジェイド伯爵夫人が参加したのは、もちろん娘の普段の様子を確認するためと、他のご婦人達とこれ以上の関わりを避ける為である。

 

 初めてイズミンのレッスンを見たが、クリステラ先生の指導はとても上手だった。

 ただ作法の手法を指導するだけではなく、何故その動きをするのか、その意味や意義を生徒が納得するまで丁寧に説明し、その後で繰り返し練習させていく。褒め、励まし、時には厳しく。

 生徒の家の爵位の上下には全く関係なく、誰に対しても平等、公平に接していた。社交界の実質上トップの母が見ている中でも、平然とイズミンに注意や指導をしていた。

 

 クリステラ先生は当然の事ながら博識で、上品で、確固たる信念を持った、意思の強い女性だなと俺は思った。

 

 そしてイズミンはというと、一緒に学んでいる年上の学友達と比べても、それを遥かに上回る立派な所作で、とても六歳児とは思えなかった。

 ダンスも大人と引けをとらないくらい上手いし、正直なところ、後十二年も待たずに今のままでも、十分にデビュタントになれそうだ。それなのに、よく嫌がらずにレッスンに通っているよな。

 

 ・・・・・・・・・・・・

 

 大分後になって、イズミンがダンスや躾教室へ通っていたのは、レッスンそのものより、先生方と話をしたり、サロンでご婦人達の噂話を聞くのが目的だったという事がわかった。

 つまりは、俺が騎士団や警護隊の皆さんに依頼した女性への情報収集活動を、頼まれもせずに、自ら率先して行っていたらしい。

 

 やっぱりマジにイズミンは、軍隊の諜報部員になれる才能があると思う。まあ危険な目には絶対にあわせたくないので勧めたりしないが・・・

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