63 淑女のマナー
この章はいつもより少し長めです。
女性陣が活躍するお話です。
クリステラ先生の躾教室へ行く当日。
学校から戻り、俺は自室で素早く変装し終えると、みんなの支度が整うのを待とうと一階へ降りた。
すると、侍女部屋からキャーッ、キャーッというにぎやかな声が聞こえていた。この屋敷でそんな声がするのは珍しい。何をしているんだろうと思っていたら、やがて侍女部屋のドアが開き、なんと姉のミニストーリアが侍女三人と共に出てきた。
何故姉が侍女部屋から? 俺が不思議に思っていると、姉は俺を見つけ嬉しそうな顔をして近づいてきた。
「ユーリ、ねぇ見てよ、この子! かわいいでしょ!」
姉が三人の侍女のうち、すぐ後ろにいる一人の侍女を見ながら言ったので、俺はその女の子に目をやった。確かにとても可愛らしい子だが見知らぬ顔だ。新入りか? いや・・・・・・・
「姉上! 何をしてるんですか!」
俺は思わず大きな声をあげた。すると姉は笑いながら言った。
「さすがね、ユーリ! 瞬間で見抜いちゃうなんて。実の兄や従兄弟だって暫く気が付かなかったのに」
「・・・・・・・・・・」
「私、結構自信あったのだけれど。
だってとっても難しかったのよ。考えてご覧なさいよ。平凡な顔を美しくするのはそう難しくないわよ。化粧を塗りたくって化けさせればいいのだから。
でも、絶世の美女を不美人ならともかく、そこそこ可愛らしく変身させるって、至難の業だと思わなくて?」
得々と自慢げに話す姉に俺はジト目になった。
「姉上、これって一種の虐めじゃないんですかね」
前世の言葉ならパワハラか、セクハラに相当するのではないのか? すると姉はすました顔でこう言った。
「あらやだ。私を悪役令嬢のように言わないでちょうだい。私は別に無理強いをしたつもりはないわ。
今回ユーリはお母様の侍従役で行くのだから、あなたは留守番をしてね、と言っただけよ。そうしたらどうしてもユーリに同行したいのでどうしたらいいのか、と相談を受けたから協力しただけよ」
「でもいくらなんでも女装をさせるなんて・・・」
「だって仕方ないでしょう? お母様とイズミンのお供が全員男って不自然じゃないの。他にも侍女をつけたら、いくらなんでも大所帯過ぎて目立ってしまうわ」
「そりゃそうかもしれませんが、それならそれで、ちゃんと諦めるように説得してくださればいいじゃないですか」
「本来ならそうすべきなんでしょうけど、貴方はべルークが諦めると思うの? わかっているくせに。
べルークは絶対に貴方の傍を離れる訳がないじゃないの。説得なんてそんな無駄な事に力を注ぐより、別の方策を、考える方が有意義というものよ」
「ううっ、それはそうかもしれないけど・・・」
合理主義者の姉の言う事はもっともだと俺も思う。しかしそれでも俺は、誇り高いべルークにそんな真似をさせたくなかった。
「ミニストーリア様、申し訳ありません。僕がわがままを言ったせいでご迷惑をおかけして。
ユーリ様、僕が悪いのです。僕がお嬢様に無理を言ったのです。僕は、僕はいつでも何処へでもユーリ様と共にいたいのです。だから、そのためならどんな事でもします」
その言葉に姉は半目でべルークを見た。
「なんでもすると言った割には、私達に着替えを手伝わせず、そのせいでかなり時間がかかったのだけれど。往生際が悪かったわよ、べルーク!」
「す、すみません。でも、服を着替えるところを見られるのはやっぱり無理です」
「そりゃそうだよ。姉上も婚約者がいる身でなんて破廉恥な事をしようとしているんだよ。今度会ったらアーグス様に告げ口してやるぞ」
この国の社交界で若手ツートップと呼ばれている淑女の姉が、思いもかけない行為をしようとしていた事に、俺は驚愕した。いくら弟同然といえど、若い男の子の着替えを手伝おうとするなんて。
「えっ? あら、嫌だわ。私ったら、おほほほ!」
姉はわざとらしく口に手を当てて笑いながら、クルッと俺に背を向けてサロンの方に歩き出し、前方を見ながらこう言った。
「女装している時は、例えユーリ一人だけの時でも、僕呼ばわりしては駄目よ。とっさの時に出てしまうから。気をつけなさい!」
「わかりました。色々ご面倒おかけして申し訳ありませんでした」
侍女姿のべルークは姉の後ろ姿に頭を下げた。
「気にしなくていいのよ。楽しかったし、目の保養になったから。
ああ、そうだわ。べルークが自分でやるからいいと言うからチェックできなかったけど、胸パッドが落ちないように気をつけてね!」
「「!!!!!」」
姉の言葉に俺とべルークは真っ赤になって、暫くその場に立ちすくんだのだった。
俺とべルークはエントランスで、母とイズミンが来るのを待ちながら話をした。
「今日はイズミンの躾教室で、ナタリア先生やクリステラ先生と話をするだけだから、特別に危険な所へ行くわけじゃないんだよ。だから、女装なんてそんな無理をしなくてもよかったのに」
俺の言葉にべルークは、この世界に絶対に安全な所なんてありません。いつ、何処で何が起こるかなんてわかりませんから、と言った。
「わかってはいるんです。ぼ・・わ、私が傍にいたって、ユーリ様を絶対に守れるわけじゃないって事。いいえ、むしろ足手まといになる可能性があるって事も。でも、可能な限りユーリ様の傍にいたいんです」
べルークは、首元のカラーと手首の折返しの袖口が白、それ以外は濃紺色の裾の長めのワンピースを着て、やはり濃紺色の、ボンネット帽をかぶっている。そしてその帽子の下からは濃茶色のセミロングのストレートヘアーが肩の上に垂れている。
雪のように白い肌に少し濃い目のファンデーションが塗られ、鼻の周りにはソバカスがかかれ、右の目尻近くには小さな黒子がついている。
姉が自慢したくなるのもよくわかるほど、べルークは別人に仕立てられている。綺麗というより、本当に愛らしくかわいらしい少女だ。
もし妹ならめちゃくちゃ甘やかしたくなるに違いない。一度しか会った事がないが、ジュリエッタもこんな感じなんだろうか? いや、べルークに瓜二つだというから、可愛らしいというより、それこそ絶世の美女か?
しかし、どんなに変装したって、目は変えられない。はっきりした二重に長い睫毛。大きくて薄い水色の綺麗な澄んだ瞳。今俺の姿を映している目の前に居る侍女の瞳は、俺の愛しているべルークの瞳だ。
俺はハグしたい衝動を必死に堪え、ぎゅっと両手を握った。
「化粧は本当に姉上がしたの? それとも侍女のマーサやローザ? まさか母上じゃないよね?」
「昨日は、奥様とミニストーリアお嬢様とイズミンお嬢様、それにマーサとローザが意見交換をなさって、そりゃあ大変でした。
実際に化粧して下さったのはミニストーリアお嬢様です。お嬢様は本当に手先が器用で驚きました。その上おしゃれでセンスが良くて、わ、私とは正反対で羨ましいです」
俺は少し笑った。べルークはとにかく不器用なのだ。しかし、仮に化粧が侍従の必須条件になったとしたら、それこそ練習しまくって、上手に化粧を施せるようになるのだろう。俺はそんな見た目とは正反対な鈍臭いが努力家のところが好きなのだ。
それにしても、女性陣の格好の餌食にされたのでは、べルークも大変だったろう。道理で昨日はぐったりしていたわけだ。
俺がそう言うと、べルークは首を振った。そして、少し言いづらそうに呟いた。
「実は、奥様のマナーレッスンが少々、いえ、かなり厳しくて・・・」
「えっ? お前はカスムークさんから厳しく鍛えられていて、マナーは完璧だろう? 学校の成績だってずっと満点じゃないか! 変な癖があるってイズミンが言ってたけど、どんな癖なんだ? そんなに厳しく直されるなんて」
母上のレッスンって、あのカスムークさんより厳しいのか? 俄には信じられない。
「父より厳しいという訳ではないのですが、淑女のマナーというか、女性としての振る舞い方を指導されたのです。歩き方や手の動かす仕草、微笑み方、喋り方など。それらの全てが駄目出しの連続でした。ジェイド家の侍女は完璧な淑女でなければなりません、とおっしゃられて」
珍しくべルークがため息をついた。なるほど。癖というのは男としての態度が出てしまう、っていう事だったのか。
そりゃ仕方ないだろう。男なんだから。いきなり完璧に淑女のマナーを身につけろと言われても出来る訳ないのに、無茶振りだな、母上。
「それに奥様には大変申し訳ないのですが、侍女に淑女の礼が必要になるとはとても思えないのですが・・・」
珍しくべルークはこうぼやいたのだった。
相変わらずべルークが健気で、抱き締めてやりたくなります。




