6 サンエット
今日の皇太子殿下の誕生日パーティーに、サンエット嬢がいなかった事が本当に悔やまれる。彼女がいたら、弟の事をきちんとコントロールし、もっと上手くあの場をやり過ごす事が
出来ただろうに。
弟の婚約者のサンエット=ココッティ伯爵令嬢は、俺の同級生で幼馴染みだ。
明るめのブルネットヘアを後ろで編み込み、金縁眼鏡ってのが、彼女のスタイル。
前世の世界名作物なんかに出てくるような怖そうな女教師をイメージするかもしれないが、サンエット嬢は違う。
確かに、学園の教師に反対に教えを乞われる程の才女だが、素顔はとびきりかわいい。
それでもって性格もいい。しかし残念というか、ありがたいというか、彼女は変わり者だ。でなきゃ、あの弟との婚約を了承するわけがない。
ココッティ伯爵家は代々軍人の家系なので、護衛の騎士の教育はちゃんとなされていた。しかし、父親は将軍大将だったので、家を留守にする事が多かった。
家族愛の強かった父親は、護衛騎士だけでは家の防犯に不安を覚えて、家族の為にたくさんの防犯犬も飼い始めた。
ボクサー犬、ドーベルマン犬、マスチフ犬、スピッツ犬・・・・・
しかし、犬の飼育方法をよく知らなかった為に、一気に繁殖して犬の数が増えてしまった。
しかも犬の調教どころか、まともなしつけも出来なかったので、増え過ぎた犬の引き取り手さえも見つけられなかった。
その上、伯爵夫人は元々動物が苦手だったので、強面の防犯犬にすっかり怯えて、滅多に家の建物から出なくなってしまった。
そして、終いにはメンタルが酷くやられて、子供達を連れて実家へ帰ります、という話にまでなってしまった。
困った伯爵は、とうとう、仕方なくなって、犬を処分しようと決意した。
ところが、その時、当時十一歳だった二女のサンエットがこう言ったのだ。
「お父様、隣国スッツランドの、犬の飼育本を十冊ほど読み終わりました。それを元に、私があの犬達を飼育、調教を試みてみようと思います。処分するのはその結果をみてからにして下さいませんか?」
と。
母親は娘にそんな危険な事はさせられないと、猛反対をした。
しかし、父親はその言葉にホッとした。彼は勇猛果敢な将軍だったが、とても心優しい人物で、無意味な殺生が嫌いだった。
そもそも、自分のせいで増えてしまった犬達の処分はできる事なら避けたかった。かといって、これで家庭が崩壊してしまったらそれこそ本末転倒だと、将軍はずっと悩んでいたのだ。
とは言うものの、自分のしでかした失敗を、まだ幼い娘に後始末させるようで、それはそれで心苦しい事ではあったのだが。
しかし、この娘ならもしかして何とかなるかも、という思いもあった。
なぜなら・・・・・
サンエットは、とにかく一般人とは違っていたからだ。
二歳になる前には既にペラペラとおしゃべりをし、三歳にして文字が読めるようになり、四歳の時には数ヵ国語の読み書きが出来たらしい。
もちろん、計算能力もバッチリ!
親父同士が親友で、家族ぐるみの付き合いをしていたので、俺は、幼い頃から彼女を知っていた。
しかし、彼女が楽しそうにしゃべっていた会話の中身は意味不明で、俺には話の内容が理解出来なかった。あまりにも難しすぎて。
俺が彼女の話をいくらか理解できるようになったのは、俺が十歳になって、前世の二十歳までの記憶を思い出してからだなあ。
子供の頃、うちの兄弟でサンエットと付き合いがあったのは俺だけだった。彼女はよその家に行くのが苦手だったし、俺以外の兄弟達もココッティ家へは行きたがらなかった。
それはもちろん、あの強面の防犯犬のせい。普通、あんなのいたら、いくらおやつやオモチャで誘惑されたって行かないよね。
俺は、たまたま大の犬好きで、どんな犬にも好かれる、って特技があったから遊びに行ってたけど。
ココッティ伯爵邸の防犯犬が増え始めた頃、俺はサンエットにこう尋ねた。何で犬の去勢や避妊をしないのかって。
前世では当たり前の事だったから。だって、全部を育てられないのに子供をつくるって、無責任じゃないか。
このままじゃ、このお屋敷ヤバくないか? って子供心に思ったのだ。
・・・既に精神年齢は二十歳だったしね・・・
しかし、いくら天才的頭脳の持ち主だとしても、前世の俺のような常識は当然持ち合わせていなかったから、最初、サンエットはキョトンとした。
だから、俺は犬を飼う為の、最低限の常識(前世の)を教えてやった。
すると彼女は、元々大きな目を全開にして俺を見た。それから、どうすればいいのかと聞いてきた。
しかし俺には、彼女が納得できるような、理路整然とした説明を出来る気が全くしなかった。で、仕方なくこう言った。
隣国スッツランドでは酪農や放牧が盛んで、犬も沢山飼われているから、犬の飼育本なんかもあるんじゃないかって。
まあ、確信があった訳じゃなかったんだが。テキトーでごめん!
で、その後のサンエットの行動力はすごかった。
伯爵家や将軍のコネをフルに活用し、犬の生態本から飼育本、しつけ、調教指導法の本まで、手当たり次第に買い求めた。勿論それらの本はスッツランド語で書かれていたのだが・・・・・
そして、一週間程でそれらの本を全て読破し、さっきの提案を父親にしたわけだ。
普通の親なら、いくら賢い子だからといって、あんな強面の、しつけの全くできていない、荒くれ犬どもを任せようとは思わない。喉元に噛みつかれでもしたら、即アウトだ。
しかし、サンエットはただ頭がいいだけじゃなく、攻撃魔法が使えたのだ。それも強力な奴を。
頭良し、性格良し、強力な魔力持ち、しかも、美形・・・・・
これでは、さすがに他の兄弟達にねたまれるだろう。それを危惧した彼女の両親が魔力を持っていることを、秘密にした。
それなのに何故俺だけが知っているのか、というと・・・・・
まだ俺が前世の記憶を思い出す前、そして、生きる為の忖度の必要性をまだ知らなかった幼い頃に遡る。
俺は弟を間近で見ていたので、人前で魔力を使う事を恐れていた。魔力は人を傷つけるものだと。
しかしココッティ家の森深くでサンエットと遊んでいる時、こんなこと出来る? なんて誘導されて無意識に魔法を使ってた! 今考えると怖っ!!
そう。サンエットは俺が魔法を使える事を知っている唯一の人物なのだ。
さて、それで肝心の防犯犬の調教の件だが、当然のことだが、一足飛びに出来る事じゃない。毎日辛抱強く続けなければならない。しかも失敗を繰り返しながら。
後で考えると、ずいぶんと鬼畜な事を言ってしまったと俺は思った。
ところが、サンエットはそれをやり遂げたのだ。
躾と調教を始めて三か月後、あの野放図、やりたい放題だった、野犬達をしつけ、調教し、立派な防犯犬に変身させたのだった。
そして、その事で彼女自身も変わった。
それまでは、全ての事において、たいした努力もせずに出来ていたので、それまで彼女は達成感というものを味わった事がなかったのだ。そんなサンエットが生まれて初めて、動物の調教に遣り甲斐や感動を覚えたのだった。
こうしてココッティ伯爵令嬢サンエットは、躾のなってない駄目な動物達を調教する事が趣味!となったのだった。