56 アンドレアの心情
校舎最上階のカフェレストランは、ランチタイムで生徒達が溢れていた。
昨日はほとんどの生徒達がべルークとマリー嬢のカップルを眺めてはヒソヒソと噂話をしていたが、今日はもう一つ注目されている人物がいる。それは俺だ。
武道の授業があったのはたった一時間前の事なのに、もう俺がハイスペックホルダーという事が知れ渡っている。凄いなあ。
しかも、今日は皆ヒソヒソ話ではなく大きな声で話をしているし、俺に関しては直接話しかけて質問をしてくる。
まあ、予想通りだが。
質問の内容は主に四つだ。
一つめは俺の能力が本当かどうかの確かめ。
ニつめは何故俺が今まで能力を隠していたのか疑問に持つタイプ。
三つめは様々な武道系クラブの勧誘。
四つめはまあ、男女共に社交場へのお誘いだ。
一つめのタイプには、次の魔力検定試験を受けるつもりだから、その時わかるよと返答。
二つめのタイプには、さっきの武道の先生と同じ回答。
三つめと四つめのタイプには、今は忙しいので無理だとはっきりお断り。
「君さ、これからますます見合いの話がくるぞ。大変だな」
エミストラが憐れむような目で俺を見た。彼は今までも俺にたまに見合い話が来ていた事を知っている。
そう、家柄そこそこ、本人も地味で真面目で、成績そこそこ。これはこれで婿として需要があるのだ。
しかし、ハイスペックホルダーとわかると、主に軍人や騎士などの武道関連からの話が殺到するのは目に見えている。魔力能力の遺伝子が欲しいのだ。
「いや気の毒なのは君を欲しがる連中の方かな?。君を婿になんか出来る訳ないんだから。陛下が許可なさる筈がないよ」
声を落としたエミストラが囁いた。許可ってなんだよ。いくら陛下と言えど、他所の家の息子の結婚にまで口を挟むかよ。よっぽどの事がない限り。しかしエミストラは今度は半目で俺を見ながら、呆れたように言った。
「大体君は自覚が足りなさ過ぎなんだよ。陛下は君を独立させて、皇太子殿下の側近にするつもりなんだぜ。その辺の貴族に婿入りなんかさせる訳ないだろう。それこそ政略争いの素になりかねない話なんだからさ」
確かにそうかも。鬱陶しい。
しかし、俺はどこへも婿入りする気はないし、皇太子の側近にもなるつもりもない。
もし、勝手に結婚を強制されたら、家族とカスムーク家には大変申し訳ないが、俺はべルークと駆け落ちするぞ。
こうなったら、なるべく早く今回の騒動を落ち着かせて、カスムーク氏と両親にべルークの事を打ち明けなければならない。
まるで他人事のように人に同情しているエミストラに向かって、俺はこう言ってやった。
「そういう君の方こそ上層部に目を付けられている事、ちゃんと自覚してるのか?」
「はあ? なんで俺が?」
エミストラが目を剥いた。
「上層部の連中が俺に城内の秘密をばらした時、君もその場にいたじゃないか。それは君を認めている証だよ。そしてそれと同時に君ももう他人事じゃなくなっているんだよ。皇太子の側近問題に。それと、俺との関係も」
「えぇ? なんだそれ! 上層部はなんで俺まで巻き込んだのだろう。いや、俺の存在に気が付いていなかっただけじゃないのか?」
「そんな訳ないだろう! あのメンバーが人物調査しないで重要事項漏らす筈ないじゃないか。自分が魔剣騒動の関係者だって事、それこそ忘れてないよな? 俺がそもそも上に目をつけられたのも、あれが原因だったんだぞ」
「それを言われるとあれだが、魔剣騒動の件がなくても、どうせ君は目をつけられてただろう? 将軍や番長の件でさ」
とにかく、きっかけをつくったのがどちらなのかはもうはっきりしないが、俺達はすでに一蓮托生なのだ。
俺達がごそごそ内緒話をしていると、目の前に一人の女子が立った。顔を見上げるとそれはマルティナだったので、俺はホッとした。
「ユーリさん、噂を聞いたわ。あれ、本当なの?」
「まあ、はい。黙っていてすみません」
「ううん、それはいいの。ただよく今まで隠してこれたものだなって思って。でも、ボブソン先生は気付いていたから、あの本を贈られたのでしょうね。そうなんでしょ?」
マルティナの言葉に俺は頷いた。それから、昨日の話をして、彼女の婚約者オルソーに迷惑をかける事になったので、それを詫びた。
すると、オルソーが昨日俺の家に泊まった事は知らなかったようだが、マルティナはニッコリ笑った。
「貴方のお役に立てるなら嬉しいわ。それに、ずっと無理して優等生を演じていて、彼、ストレスが溜まっているみたいだったから、かえってありがたいわ。そろそろ争い事したがっているのじゃないかしら」
授業が終わり、俺がべルークのクラスへ行って中を覗くと、べルークはマリー嬢とまだ話をしていた。俺が外で待っていようと顔を引っ込めると、後ろから声をかけれた。振り向くとアンドレア=カラヤントが立っていた。
「ジェイド先輩、お話したい事があります。よろしいでしょうか?」
俺は頷いた。そして一緒に一階の裏庭へと向かった。アンドレアからしたら嫌な場所かもしれないが、あそこなら人目につかない。
まあ、だからこそ、昨日べルークを裏庭に引っ張りこもうとしたのだろう。しかし、これから俺をどうこうするつもりはないだろう。あの噂は彼の耳にも入っているだろうし。
緊張のためか、俺を恐れているからなのかわからないが、彼はガクガク震えている。
裏庭に着くと、アンドレアは直角に腰を曲げて、べルークの事を俺に詫びた。
昨日近衛騎士と警護隊が屋敷に来た。また来て今度は連行されるかもしれない。だからその前に、真実を俺に、いやべルークに知ってもらいたいという。
アンドレアは思っていた通り、別にあのナリステ侯爵の息子達とつるんでいたわけではなかったようだ。
昨日の朝アンドレアが登校すると、べルークがマリー嬢と仲良く話をしていた。女子から除け者にされているマリー嬢が、べルークを頼っている事は知っていたので、最初はなんとも思わなかったそうだ。
しかし、お昼になって最上階のカフェレストランへ行くと、思いがけない光景を目にした。あのべルークがマリー嬢とランチの席を共にしていた。
今までは授業以外の時間は必ず主であるジェイド先輩の傍にいる筈のべルークが・・・・・
レストランの中ではみんなが二人を驚きの様子で眺め、ヒソヒソと話をしていた。
朝のうちは、周りの連中は前日の皇太子殿下の誕生日パーティーの話で盛り上がっていた。
ユーリ=ジェイド先輩がマリー男爵令嬢と付き合っているとか、皇太子殿下がそれを知らずにマリー嬢とファーストダンスを踊ろうとして、一悶着あったとか、どうとか。
それなのに、今マリー嬢はべルークと二人きりでランチを食べている。つまり、マリー嬢が付き合っているのは先輩ではなくてべルークだったのか。
信じられない状況にアンドレアは茫然自失となった。主の世話で忙しいから誰かと付き合う余裕がない、そう言って自分を振っておきながら、あんなマナーもよくわからないような、半年前までは市井にいた娘とは付き合うのか? 俺の存在はあの娘より低いのか? 入学して以来、ずっとずっと思い続けてきたのに。
アンドレアの心の中に、どうしようもないほど嫉妬心や憎しみなどのどす黒い感情が溢れ出てきた。
そんな時、彼の耳に、他の者達とは違うニュアンスを含む会話が聞こえてきた。
「あの二人はどういう関係なんだ! マリー嬢は一体どちらと付き合っているんだ! やっぱり市井育ちであばずれなのか? はっきりさせないとまずいぞ!」
「放課後、裏庭に呼び出そうぜ!」
話をしていたのはナリステ侯爵家の二男である三学年上の先輩と、伯爵家の二男である二学年上の先輩が二人の計三人だった。
アンドレアは彼らの家の事情を知らなかったし、ダンスパーティーの事件の時も、たまたま席を外している時に起きたので、関係者の身内だという事もわからなかった。ただ、皇家を心配しているのだと思った。だから、事情を聞く場に自分を同席させて欲しいと申し出たのだった。




