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38 微妙な変化

この章は、ユーリのべルークへの心情が良く出ています。


 俺とべルークの関係が微妙に変化しだしたのは、二年程前からだろうか。

 

 幼い頃ならともかく、うちの屋敷に来て体を鍛えるようになってからすっかり丈夫になっていたべルークが、時々体調を崩すようになった。

 

 俺は心配になって医者に診てもらうように何度も勧めたが、大した事はありません、といつもべルークはそう答えた。

 

 しかしそういう事が数カ月続いたある日、俺はもうべルークが心配で頭がおかしくなりそうになった。そこで嫌がるべルークの腕を掴んで、強引にジェイド家の主治医の所へ引っ張って行こうとした。

 そこへカスムーク氏が偶然通りがかった。俺が事情を説明すると、何故隠していたんだと言うように、息子を見てから、

 

「ご心配をおかけして申し訳ありません。我が家にも妻を診ていただいている主治医がおりますので、私がこれからそこへ連れて行きます」

 

 そういうと、べルークを連れて馬車に乗って出かけてしまった。俺も付いて行こうとしたのだが、完全に無視されてしまった。

 そしてその日、二人は屋敷へ戻らなかった。ただ使いの者から、

 

『体調はそれほど心配する事はありませんでしたが、明日から週末なので、このまま自宅へ帰ります』

 

 という連絡を受けた。こんな事は今までなかったので、俺は酷く不安になった。

 

 そして週の始まりの朝、いつものようにべルークは父親と共に屋敷に戻ってきた。

 カスムーク氏は俺にこう言った。

 

「ご心配おかけして申し訳ありませんでした。やはり、大した事ではありませんでした。

 病気ではなく、ただ、思春期特有の体調変化によって、体のバランスが乱れているようなのです。

 これからもしばらく、体調が悪くなるかもしれません。ご迷惑おかけする事になるかもしれないので、暫くは侍従の仕事を休ませて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 もちろんだと俺は答えた。病気でなくて良かったとホッとした。しかし、

 

「侍従の仕事をしないのだから、復帰するまで自宅に帰らせます」

 

 カスムーク氏がこう言ったので、俺はカッとなった。

 

「何を言ってるんですか? 体調が悪いなら尚更ここに居るべきでしょう。家に帰ったって、今は常勤の侍女もいないんでしょ。

 ここなら、人手があるから、ちゃんと世話が出来る。大丈夫。べルークが嫌なら、俺は絶対に手を出さないから!

 それとも、やっぱりどこか悪くて、俺に隠しているんですか?」

 

 べルークは泣きそうな顔をした。しかし、それを見せないように下を向いた。

 すると、カスムーク氏も困ったような、ちょっと切なそうな顔をして言った。

 

「ユーリ様、嘘をつきました。すみません。実は近頃妻の状態が良くないのです。ですから、べルークが付き添いたいと申しまして」

 

 俺は思わず、息を飲んだ。そうか、母親を心配して体調を崩していたのか。

 

「ごめん、べルーク。お前がそんな辛い思いをしていたのに気付いてやれなくて」

 

 べルークは首を横に振った。

 

「でも、その、夫人はべルークの顔を見るとその・・・・・」

 

 俺は疑問というか、心配な事があったので尋ねようとしたが、よそ様の家庭の内情に触れていいものかわからず口ごもった。

 

 カスムーク氏も俺の聞きたい事を察したのだろう。少し悲しげな顔でこう言った。

 

「妻はもう、家族の顔もわかりません。ですから・・・・・」

 

 俺は心臓が鷲掴みされたような痛みを感じた。そして思わずべルークの腕を引っ張って引き寄せると、彼を強く抱きしめた。

 べルークが可哀想でたまらなかった。

 

 べルークは滅多に母親の話はしなかった。定期的に父親と見舞いに行く時だけ、その旨を述べるにすぎなかった。

 それはそうだろう。彼は見舞いに行っても母親の病室には入れず、いつも扉の陰からそっと覗く事しかできなかったのだから。

 七年間もずっと・・・・・

 

 そしてようやく傍に行けるとおもったら、それは母親がもう意識がない状態になった時だなんて。

 べルークの為に何もしてやれない自分が悔しくて、腹立たしくてたまらなかった。

 

「俺がいつまでもお前のそばにいてやるよ」


 俺はべルークの耳元でそっと囁いた。べルークはビクッと体を震わせた後、首を横に振った。

 

「ありがとうございます、ユーリ様。でも、大丈夫です。覚悟はとうにできていますから。母の手をやっと握る事ができて、僕は嬉しいんです」

 

 べルークのその言葉を聞いて、俺の方が泣いてしまった。

 しかし、その時べルークは、すでにこぼす涙など、とうに無くしてしまっていたのだろう。彼は泣かなかった。それが余計に哀れだった。

 

 べルークの母親が家に戻って、べルークが付き添う事になり、彼は学校にも来なくなった。

 

 俺が一人でいるようになると、とうとう侍従に見限られたな、と周りにはやしたてられた。

 しかし、俺がそれに全く反応をしなかったので、今度はマジか? と、哀れむ眼差しとなり、同級生達はおとなしくなった。

 

 ただエミストラだけが事情を察しているのか、心配そうな顔で俺をみていた。そして、数日後にこう言った。

 

「なあ、ユーリ。その、お前の歌、癒し効果あるだろう? 歌ってやったらどう? べルーク、少しは心が休まるんじゃないのか?」

 

 俺は驚いてエミストラを見た。忘れていた。自分の歌の能力を。もう一年以上も歌なんか歌っていなかったから。

 俺は礼を言って立ち上がった。

 

「えっ? 今から行くの? 授業は?」

 

「俺、体調が悪くなった。そう言っておいてくれ!」

 

 エミストラにこう言うと、とても体調が悪いとは思えないほどの猛スピードで、俺は廊下をダッシュして外へ飛び出した。

 

 そして俺はそのスピードのまま、カスムーク家へ向かった。かなり息が切れ、以前身を隠した欅の根もとに腰を下ろした。

 これじゃ急いだ意味が無いじゃないかと、俺は苦笑いをしながら一生懸命に息を整えた。そんなに慌てたって大して意味はない事はわかっていたが、それでも俺はべルークの傍に少しでも早く来たかったのだ。

 

 五日もべルークと離れるなんて、彼を侍従にしてから初めてだった。べルークが傍にいない俺なんて、もはやそれは俺ではない。

 

 あの時、俺は実感したのだ。それまで俺は自分一人で何でも出来ると思っていたが、それは間違いだったと。もう俺は、べルークが傍にいないと駄目なんだって。

 

 もっとそれを早く、べルークに伝えればよかった。そうすれば、俺の役に立っていないなどと悩まずにすんだのだ。

 

 

 十五分後、ようやく呼吸が整った俺は、立ち上がり、姿勢を正すと、欅の木に右手を添えて、静かに歌を歌い始めた。祖母から教わった癒しの歌を。一曲、二曲、三曲・・・・

 

 二時間ほど歌い続けたろうか、カスムーク家の屋敷の二階の一番東端の部屋の窓が開いた。そしてそこからべルークが顔を出し、俺の顔を見た。涙でくしゃくしゃだった。

 

 べルークはすぐに奥へ引っ込んだ。しかし、今度は通りに面した玄関から出て、屋敷の後ろに回り、大きな欅の木の根もとの俺の側にやって来た。

 

「ユーリ様。母が今亡くなりました」

 

「えっ!!」

 

「でも、亡くなる前に一度正気に戻ったんです。母は僕の事を思い出してくれました。そして、僕を愛していると、幸せを祈っていると言ってくれました」

 

「べルーク・・・・・」

 

「ユーリ様のおかげです。

 ユーリ様の歌のおかげで、母の傷付いた心は癒され、父や兄や僕達の事を思い出し、安らかに天へと旅立つ事ができました。

本当にありがとうございました」

 

 俺はべルークを思い切り強く抱きしめた。そして、一緒に泣いたのだった。

 

この二年前の出来事を回想して、ようやくユーリは、二人の関係を前進させていきます。楽しみにして頂けると嬉しいです!

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