33 カスムークの願い
セブオンの事件から二月後、執事カスムーク氏の長男バーミントは兄ザーグルの、次男べルークは俺の侍従としてジェイド家に住むようになった。
そして週末や休みの日は自分達の屋敷に戻って、家族水入らずで生活する、という形式になった。
これはカスムーク氏が主であるジェイド伯爵と夫人にこう懇願したために実現した事だった。
「旦那様、奥様。我が家では妻が長期入院を余儀なくされ、子供達の面倒をきちんとみてやる者がおりません。
特にべルークはまだ幼いですし、色々(・・・・)と辛い思いもしておりますので、一人で家に放って置くのも心配です。
ですので、執事の仕事を辞めさせて頂きたいと思います。このお仕事はどうしても家を留守にする時間が多くなりますので。」
カスムーク氏のこの発言に俺の両親は非常に慌てふためいた。
ジェイド家では代々カスムーク家の者が執事だったので、それ以外の家の者を執事に迎え入れるなどという発想が無かった。
第一、カスムーク氏のような優秀な執事に辞められては、この家は回らなくなってしまう。
そこで困った両親がカスムーク氏を辞めさせない為に提案してきたのが、平日は子供達をジェイド家に住まわせればいい、という事だった。
そうすれば父親だけでなく多くの人間の目があるから心配は無いだろうと。
しかし、そんな恐れ多い事は出来ないとカスムークはそれを辞退をした。
すると今度は、それでは形だけでも自分の子供達の侍従として家に住まわせれば、気兼ねせずに済むのではないか? どうせ将来はそれが現実になるのだから。と、俺の両親は新たにこう提案してきたのである。
結局カスムーク氏は、主人からのその申し出を受け入れた。本当に心から申し訳なさげに。
そしてそれを父が家族に発表した時、カスムーク氏は少し恨めしげに俺を見た。
俺の指示に従った事で、あたかも主を騙したようで、彼は心苦しかったのだろう。
カスムーク氏は本当に善人だった。
そう、彼はまさしく善人で真面目で厳格だった。
俺の父親は形だけでいいと言ったのに、その後カスムークは本格的に息子達を侍従として厳しく指導し始めた。
故に俺の目論見は外れ、俺はべルークを猫かわいがりが出来なくなったのである。
俺はとにかくべルークが可愛くて、たまらなかった。彼の為ならどんな我儘でも聞いてやりたかったし、世話をしてやりたかった。
ところが、そうしてやる事は出来なかった。俺がべルークになにかしてやると、べルークが父親であるカスムーク氏に叱られるからである。
そのため、俺は執事のいないところを見計らって、べルークの世話をしようとしたが、それもべルークにきっぱりと断られた。
べルークは外見は母親似らしいが、性格は父親似だった。とにかく真面目で頑固で融通が利かない奴だったのだ。
べルークはとにかく不器用で何をやるにも時間がかかった。俺が自分でやってしまう方が何倍いや、何十倍も早い。これをじっと我慢するのはもはや苦行だった。
しかも、ただ待つだけならまだしも、怪我をするんじゃないかとハラハラし通しなのが精神的に辛かった。
そして思わず手を出してしまい、べルークに涙をこぼされると、俺はもうどうしていいのかわからなくなるほど困った。
更に護身の為、俺を守るためだと言って武道の訓練を始めたべルークの姿に、俺は悲鳴を上げたくなった。
あの小さなかわいい手足に青アザができ、あの天使のような美しい顔に切り傷が出来た時には、目眩が起きた。母が即座に癒し魔法で治してくれたが。
本当はべルークが怪我する前に相手に攻撃魔法をかけたかったし、怪我したら俺がその場で癒し魔法で治したかった。
俺はべルークが訓練をする度に、精神が疲労するので、ある日とうとうカスムーク氏にこう懇願した。訓練はべルークにはまだ早すぎます。もう少し大きくなってからにしませんか? と。
するとカスムーク氏は言った。
「ユーリ様は五歳で訓練を始めたのですからべルークも早くありません。寧ろ遅いくらいですよ」
「うちの場合は、事務系といっても軍属だから特別です」
「うちも、軍属の家に仕えている身ですから、なおさら早く訓練すべきではないですか?」
「ううっ・・・
でも護衛じゃなくて、侍従なんだから、そんなに鍛えなくても」
俺がこう言うと、カスムークは眉をひそめた。
「ユーリ様はべルークを、守って下さると約束して下さいましたよね。私はそれを信じていますよ」
「もちろん、絶対に守るよ」
その言葉にカスムークは少し優しい顔になって、俺を諭すようにこう言った。
「私は本当にユーリ様を信じていますよ。それでも私は大事な息子を守るために、何重にも対策をとっておきたいのですよ。
ユーリ様がべルークと片時も離れず一緒にいるという訳にはいかないでしょう?
私も、ほんのわずか目を離した為に、妻と娘を守れませんでした。
それにたとえ一緒にいられたとしても、多人数の人間に襲われたら、お一人では戦えないでしょう?
やはりべルークだって、最低限自分の身は自分で守る必要があるとは思いませんか?」
カスムーク氏が言う事はもっともだ。べルークの事を考えるなら、自分だけ強くなっても駄目なんだ。べルーク自身も強くならないと。
「僕、べルークを守るなんて、偉そうな事を言ってごめんなさい。」
俺は厳しい現実を思い知って、思わず鼻の奥がツーンとした。
「謝らないでください。ユーリ様が守ると言って下さって、私は本当に嬉しかったのですよ。
でもまさかユーリ様がこんなに過保護だとは夢にも思いませんでした。
執事としてではなく、一人の親として願うとすれば、ユーリ様にはべルークをただ甘やかすのではなく、共に成長していく同志というか、パートナーになっていただけたらと思っています」
「パートナー?」
「仲間という事ですね。
でも、もし仲間じゃ物足りないのでしたら、是非ともあの子の為に厳しい指導者になって頂きたいですね。
わざと崖から突き落として、自分の力で這い上がらせて欲しいのです」
「無理! 絶対に無理!」
俺があのかわいいべルークを崖から突き落とすなんて、絶対に出来ないし、したくもない! 俺は死んでも獅子みたいにはなりたくない!
するとカスムーク氏は笑いだした。からかわれたと気付いて、俺は少しムッとした。
でもきっとこれは、俺のシナリオ通りに演じさせられた事に対する、カスムーク氏の意趣返しに違いない、と俺は思ったのだった。
その後べルークはコツコツと努力をし続け、十歳の頃にはもうすでに完璧な侍従となっていた。
天使のような愛らしさも、次第に絶世の美人、というかイケメンへと順調に成長していった。
その上、成績優秀、運動能力抜群、武道やダンスの名手で、まさしく俺とは反比例して人気者になっていった。
もっとも、べルーク本人は自分自身の事には全く関心がなかった。彼の頭の中はいつも俺の世話の事だけだった。
俺はカスムーク氏との約束通り、一方的に守るというスタイルはとうにやめていたが、それでもべルークにチョッカイかけてくる連中のうち、悪質な奴らの事はこっそりと始末していた。
しかし、もしかしたらそれは、べルークの為にしていたというよりも、べルークを甘やかす事の出来ない俺の、鬱憤ばらしだったのかもしれなが・・・・・