31 バーミント
俺は屋敷内をうろうろしながら使用人の人達の会話に耳を傾けたり、賄い所にこっそり忍び込んでは、盗み聞きをした。
それを数日してみたが、たいした収穫はなかった。
母の人柄のせいなのか、執事カスムークの指導の賜物なのか、我が家の使用人の皆さんは、仕事に関する話ばかりで余計なおしゃべりなどあまりしなかった。
ジェイド家の事だけでなく、仲間同士の愚痴や文句さえほとんどしなかったのだ。よその家の情報や噂話などは多少していたが。
立派だな、偉いな、と子供心に感心したが、そんな呑気な事は言っていられなかった。
確かに、俺の歌の効果か、あの日の翌々日からベルークは学校へ来ていたので、とりあえずひと安心ではあったのだが。
俺は決して真面目で正義感溢れる優等生タイプではなかったので、最初は禁じ手を使おうかと思っていた。まあ、警護騎士に捕まらない程度、いや、ばれない程度に。
例えば、攻撃魔法を使って軽~く誘導尋問するとか、癒しの魔法でリラックスさせて気分良くして話をしてもらうとか・・・・・
しかし、運良くそんな危ない手を使わずに済んだ。
まさかカスムーク男爵自身と相対する勇気もなかったので、その息子、つまりベルークの兄をターゲットにする事にしたのだが、それが正解だった。
カスムーク男爵の長男バーミントは、現在ジェイド家の執事見習いをしているが、当時は兄ザーグルの侍従だった。
侍従といっても兄と同い年で、まだ学校があり、自宅住まいだったので、まあ実質単なる俺達の幼馴染みだったのだが。
バーミントは屋敷に来ている時は、俺の事も弟のようにかわいがってくれた。しかし、なにせ男同士というものは、自分の家の事なんか話さないもんだ。
それに、俺はカスムーク家の家族構成なんかに関心もなかったので、セブオンの侍従見習いとして我が家に連れてこられるまで、ベルークの存在を知らなかったくらいだ。
あの事件の後、久しぶりに兄の元を訪れたバーミントに、俺はベルークの様子を尋ねた。すると、かれは少し複雑な顔をした。
カスムーク家は被害者であったが、なにせ加害者が主の息子だ。しかも庇って怪我したのも主の息子だったので、微妙な立ち位置だった。
「もう大丈夫です。学校へも通い始めましたから。ご心配おかけして申し訳ありません。
ユーリ様と違って怪我したわけでもないのに、本当に軟弱な奴で・・・・・」
「何言ってるんだ!
ベルークは頭を狙われたんだぞ。一歩間違えば命だって危なかったんだ。まだ六歳だっていうのに可哀想に。」
兄が俺の代わりにベルークを庇ってくれて、俺はほっとした。でも、バーミントだって、立場上こう言わないとまずいと思ったのだろう。
「君の母上の方は大丈夫だった?」
「母には話しませんでした。半年前のジュリエッタの時は、ショックで発作が起きたので」
「そうか。そうだよな。
本当に悪かったな。もっと僕が反対すればよかったよ。ベルークをあのセブオンの侍従にするなんて。」
俺は兄達の会話が見えなかったので尋ねた。
「ジュリエッタって誰?」
「バーミントの妹だよ」
「へぇ~。バーミントも弟だけじゃなくて妹もいたんだね」
「ベルークとジュリエッタは双子です。性別が違うのに瓜二つなんですよ。髪の毛の色が少し違うだけで。」
俺は驚いた。あのベルークが双子だったとは。この世にあんな可愛い子が二人もいるなんて。
「でも、ジュリエッタは今、君の母上の実家にいるんだろう? その後体調はどうなの?」
兄の質問にバーミントは少し暗い顔で首を振った。
「あまり良くないです。当分こちらには戻っては来れないようです」
「ジュリエッタって病気なの?」
「生まれた時から体が弱いんです。その上、半年前に誘拐されかかって、そのショックで余計体調が悪くなってしまって」
「誘拐!!」
俺は驚いて思わず声をあげた。
カスムーク男爵夫人はとにかく美人と評判の女性だったそうだが、元々体が丈夫ではなかったらしい。
その上双子の出産がかなりの難産だったために、その後夫人はすっかり床に着くようになってしまったそうだ。
そのせいで長男のバーミントは、弟妹が生まれた後、三年間も母方の実家へ預けられていたという。
「母と妹の体調に波があるので、家族揃って出かけた事が、我が家では一度もないんですよ」
バーミントが少し寂しげにこう言った。そしてこう続けた。
「でも、半年前、ジュリエッタが『トウリーヌの祝い』の日を迎えたので、家族でイザーク教会へ行って、祝福を受ける事になっていたんです。
母が、女の子の祝福を受ける儀式には母親が絶対に付き添わないと、と言って。
教会なんて正直子供には行きたい場所ではありませんよね? でも、僕はたとえ教会でも家族揃って出かけられる事を楽しみにしていたんですよ。それなのに・・・・・」
『トウリーヌの祝い』とは、前世、俺が住んでいた国にあった、七五三と桃の節句を合わせたようなものだ。
女の子が六歳になった時、ここまで無事に過ごせた事を感謝し、これからも立派に成長できますようにと天に祈りを捧げるのだ。
ちなみに、男の子には七歳の時に『タンゴールの祝い』というのがある。
そしてその双子の六歳の誕生日、運悪くべルークが熱を出してしまった。
医者に診てもらうと、それほど心配はいらないが流行り病なので、人とは接触させないようにと言われ、子供部屋に監禁?され、立入禁止になったらしい。特に母親や妹にうつるとまずいので。
カスムーク男爵は、必ず誕生日に教会へ行かなければならないわけではないのだからと、日延べしようと提案したが、夫人は頑として言う事を聞かなかった。
体が弱いジュリエッタの為に、この祝いだけは絶対に外せないと、夫人は思い詰めていたのだろう。
仕方無く、男爵は長男のバーミントに留守を頼み、夫人と娘を連れて馬車で教会へと向かった。
あいにくその日は休日で、朝の礼拝があった。それが終わっている時間を見計らって家を出たつもりだったのに、礼拝が延びたのだろうか、いわゆる帰宅ラッシュに巻き込まれてしまった。
その上、前日の雨のせいで道がぬかるんでいたせいで、馬車どうしの事故があちこちで起きていた。そのせいで、教会まであと少しだという地点で、男爵家の馬車は立ち往生してしまった。
「前の様子を見て来るよ」
男爵はそう言って馬車を降りて、教会の方へと歩いて行った。
その日は 蒸し暑い日だったので、男爵は換気のために馬車の窓を開けたまま、その場を離れた。
しかし、それがまずかった。
通りから馬車の中がまる見えだった。カスムーク家の馬車のそばを通る人々は、窓から見える金髪に薄い水色の瞳の美しい婦人と、まるで天使のように愛らしい、茶色の髪に薄い水色の瞳の幼女に目を奪われた。
そしてそれは一瞬の出来事だった。
この蒸し暑い中、全身黒マントに身を包んだ大男が馬車の扉を開けて侵入して来ると、ジュリエッタを抱きかかえて外へ飛び出した。
「キャーッ!」
カスムーク夫人が悲鳴を上げた。そして、馬車から転げるように出てきて叫んだ。
「ジュリエッタ!
誰か助けて! 娘が、娘が・・・
助けて! 」
通りにいた人達は皆呆然と立ち止まり、狭い路地に逃げ込んだ黒マントの男の後ろ姿を見ていた。
しかし、一人だけ素早くその男の後を追った者がいた。まだ幼い少年だった。
あっ、あの少年も危ない! 周りの大人達もようやく我に返って、数人の大人達がその狭い路地へと向かった。
しかし、その狭い路地に入った大人達は、又呆然とその場に立ちつくした。
何故なら、その路地では全身黒マントの男が地面に転がって、手足を痙攣させ、口から泡をふいていた。そして、天使のような愛らしい少女が一人、目を大きく開けて、呆然と立っていたからである。