10 オルソー
「今でも可能なら、軍医になりたいのですか?」
俺がこう尋ねると、オルソーは頷いた。
「そりゃな。ガキの頃から軍医になるつもりだったし、親父や爺さんを見てて、ずっと尊敬してたし」
そこで俺は言った。
「軍医になりたいのなら、なればいいんじゃないですかね?」
「はあ? なれるものならなるさ。さっきも言ったように、俺の足では無理なんだよ」
オルソーはキツイ赤い目で俺を睨んだが、もうちっとも怖くはなかった。
「いや、だって、オルソーさんが軍医になる資格がないって言われたのは、自分の身を守れなさそう、っていう理由なんでしょ!」
「ああ。俺の足じゃ、いざという時に逃げられない。」
「でもそれって、魔力無しの人間の場合でしょ。
トップ軍人並の攻撃魔力を持ってるオルソーさんなら、多少足が遅くたって、敵をやっつけられるんだから、何の問題も無いじゃないですか!」
「!!!!!」
「むしろ、問題は医者になれるかって事の方じゃないんですかね?」
俺の失礼な言葉にも、オルソーは怒る事なく、真っ赤な瞳を呆然と見開いていた。
「でも、勉強の方もきっと大丈夫なんじゃないですかね? 強力なサポーターがいるみたいだから、ほら!」
俺が自分の真っ正面を指さすと、オルソーがビクッとして振り返った。そして息を飲んだ。
医務室の扉の所には、オルソーと同じ表情をしたマルティナが立っていた。
「あんなに荒れていたのは、私を心配してくれていたからなの? 私、私、オルソーに恨まれてると思ってた。嫌われたって」
マルティナが震えて、泣きそうになりながら言った。
オルソーはスクッと立ち上がると、彼女の方に体を向けてその顔をじっと見つめた。
「なぜ俺がお前を嫌うんだ? お前は俺の守り神なのに。ガキの頃、やんちゃで怪我ばっかりしていた俺に、お前が言ってくれたんだぞ。俺の守り神になってくれるって」
「でも、私、あの時貴方を守れなかったわ」
マルティナの碧色の瞳から涙が溢れてこぼれ落ちた。
「いや、守ってくれただろう。あの時、お前が止血してくれていなかったら、足どころか命まで危なかったと、後になって担当医から言われた」
オルソーはマルティナの頬に流れる涙を、そのごつい指先で優しく拭った。
「それに怪我したのは俺達のせいで、マルティナには何の罪もない。いや、被害者だ。それなのにお前の大事な夢を、俺が潰してしまった。本当にすまん」
マルティナは何かを言おうとするが、涙が喉にも流れているのだろう、何も言えずにいる。
そこで余計なお節介だとは思ったのだが、放っておくとな~んか誤解したままのような気がしたので、俺がこう口を挟んだ。
「いや~、マルティナさんはオルソーさんとは違って、そんなに簡単に自分の夢を諦めてなんかいませんよ。ね?」
「「 えっ? 」」
二人が同時に驚きの声をあげて俺を見た。
「だって、マルティナさんは将来オルソーさんの手伝いが出来るように、医者になる勉強をしてるでしょ! ここの医務室で」
「「 !!! 」」
「何故貴方がそれを知ってるの? 私達、さっきお会いしたばかりですよね!」
マルティナは、驚愕の目をして言った。
「それは、さっき、貴女がしてくださった処置が、あまりに手際が良かったので。
普通、地下に氷室があるのを知ってて、タライの場所なんかを把握してる学生なんていませんよ」
「それに、貴女が戻られる前に、オルソーさんから貴女のお人なりを伺っていましたので、そうじゃないかなと・・・」
「マルティナ、本当なのか? 彼が言っている事は・・・・・」
オルソーがそう彼女に問いかけると、それに答えたのはまた別の人物だった。
「その通り! 噂には聞いていたが、鋭い洞察力だな、ジェイド家の坊主!
マルティナは医者になりたいと言って、放課後、毎日私の所で医学を学んでおるぞ。
それに休みの日には貧民街で、医療スタッフの手伝いボランティアをしとるし。お前が喧嘩三昧している間にな」
祖父の言葉に、オルソーは真っ青になった。
「マルティナ、ごめん、俺・・・
この2年、何をしてたんだろう」
「だから喧嘩でしょ?」
マルティナは涙いっぱいの目で微笑んだ。
結局、二人は両思いだった。
この二年間気まずい思いをしてきた両家も、すぐに元のような付き合いを再開したそうだ。
そしてその後まもなくして、二人は婚約をした。
それを知って一番驚いて慌てたのは、二人の関係を知らず、それまでマルティナを便利に使っていた連中だった。案の定オルソーにぼこぼこにされていた。ざまあみろだな!
そういや、あの時の俺の足の捻挫がどうなったかというと、あの当日、結局マルティナの癒し魔力で治してもらった。
彼女は決して癒し魔力を使うのを止めたわけではなく、医者の指導や管理の元以外では使用しなくなっただけなのだ。
それを聞いて俺は猛反省をした。それまで、人にばれないように勝手に人に癒し魔力をかけていたから。
もし、失敗していたらどうなっていたんだろう! そう思ったらゾッとした。
自己反省した俺が医務室を出ようした時、校医が俺に礼だといって、一冊の本をくれた。
そしてその本を見て、俺はギョッとした。何故なら、
『独学でも安全に学べる癒し魔法』
という題名だったからだ。
もしかして、俺が癒しの魔力持ちだってばれているのか? しかも隠れて使っていた事を。
校医のニコニコ顔がかえって恐くて、俺は思わず下を向いたのだった。
その後、オルソーは猛勉強の末、無事に軍医学校へ転入出来た。
しかし、俺はずっと不思議に思っていた。何故、軍人病院がオルソーに、軍医になるのが無理だと言ったのかを。
そんな間違った事を言わなければ、あの二人は二年も苦しまずにすんだ。両家もきまずい思いをしなくてすんだのにと。
世話になった礼だといって、ボブソン家から荷物が届けられた時、それを親父に話すと、親父はこう言った。
「多分、それは思い込みによるケアレスミスだな。ミスされた方はたまらんが。」
「思い込み?」
「ああ。ボブソン家はうち同様、あまり魔力持ちが出ない家系なんだ。だから、一般軍人ではなく軍医になっているんだな。まあ、たまに癒し魔力持ちが出ることもあるが。現当主のように。」
「へぇー!」
「軍医の跡取り息子が足を怪我したら、普通は病院の軍医はこう確認するだろう。攻撃魔力を持ってるか?って。足が元に戻らなくても、攻撃魔力があれば、なんとかなるからな」
父がここまで言った時、俺もピン!ときた。
「そうか。今までボブソン家には癒し魔力持ちはいても、攻撃魔力持ちは出ていなかった。だから、はなからオルソーさんも持ってないと思い込んで、そもそも尋ねもしなかったんだ!」
なるほどと俺は合点がいった。
そしてボブソン家の方もその思い込みを鵜呑みにして、疑問にも思わなかったんだ。
「これは多分、誰でも陥る恐れがある失敗だな。怖いな」
親父が真面目な顔で言った。
そうだな、と俺も思った。しかしその時は、後々自分もその思い込みによって、大失敗するとは思ってもいなかった。
そして、ボブソン家から届けられたその荷物の中身は、何故知っていたのかわからないが、俺の好物のチーズとナッツ、そして一冊の本だった。
その本の題名は、
『独学でも安全に学べる攻撃魔法』
だった・・・・・
結局のところ、マルティナ=グランドル伯爵令嬢には両思いの相手がいたので、兄の見合い相手からは除外された。
しかし、だからといって、残されたBご令嬢、アルビー=サンティア子爵令嬢と見合いすりゃいいや! という訳にもいかないので、近いうちに様子を見に行こうと決めた。
そしてその機会は、ある日偶然に訪れたのだった。




