映研
共に映画鑑賞が趣味の父と母は、休日ともなると幼稚園児の娘・桃子を引き連れて、映画館通いをし続けていた。それは偏に、自分達と同じ様に娘にも映画ファンになって欲しいという、身勝手かもしれない父と母の空しい願望ではあったが、それでもそうなれば、そんな思いしかなかった。そして何れその後父と母は、我が子が思うようになるとは限らない事を、身を持って知ることになるのである。
小学生になった桃子は、映画館よりも遊園地や水族館、アトラクションなどの遊戯に通う方を好むようになり、中学生ともなると友人達との遊びが主流となって映画館どころか父や母とさえも出掛けることをさけるようになりなくなってしまった。そしてそれに合わせるように、共に映画鑑賞が趣味だった父と母はいつしか映画館に通わなくなってしまったのであった。
キンコン、カーン!
終業のチャイムの音が、誰もいないグラウンドに轟き渡った。
そんなある日の放課後のこと。高校生となった桃子は鞄を持って、クラスメートと教室を出て廊下を歩いて行った。
「部活、決めた?」
クラスメートに訊かれて、桃子は”ううん”と頭を振った。
「強制なのかな?……それとまも」
「個人の意思?、だと思うけど」
「だよね」
と言って、クラスメートは安堵の表情で小さく溜息をついた。
桃子とクラスメートの二人は掲示板の前に立っていた。そこには、新人部員を募集する数個の文化部の貼紙が張られてあった。眺め回していると、いきなり、クラスメあsートがクスクスと笑って
「これ、笑える」
と、貼紙を指差した。
「え?」
と、クラスメートの指先に目線を移動した。
『映画好きの、そこのあなた。映画を鑑賞して、映画を語り合いたい、とは思わないかな。もしその心に、映画を鑑賞して、映画を語り合ってみたい、と思う欲望が、目覚めたとしたら、いざ、いざ~!映画研究部へゴ、ゴッ、ゴ~~!!!おいでよ、部室はここだよッ。映画を愛するあなたを、映研部員一同で待ってるぜぃ、ぜぃ、ぜぃv^o^v』
それは新入部員を募集する映画研究部の貼紙であった。クラスメートは面白そうにゲラゲラと笑い転げ、桃子は茫然と立ち尽くして目を大きく開いて瞠っていた。
「映研か……」
と、桃子は呟いた。
「帰ろうか」
「ごめん。先に帰って」
「え?……桃子!」
呼び止めるクラスメートの声を後目に桃子は廊下を突っ走っていった。桃子が、迷うこともなく映画研究部を選択したのは、映画を鑑賞したいからでも、映画を語り合ってみたいからでもなかった。
桃子は口にこそ出しはしないが、映画館に通わなくなってしまった映画ファンの父と母に対して、申し訳ないことをしてしまったような気がして、心の奥深くでは、”ごめんね”といつも詫びていたのだ。桃子が急に入部を決意した理由はそこにあった。
階段を駈け上がって、映画研究部の部室がある三年生の教室へと歩み寄っていった。
桃子は教室の扉の前に立って、体を傾けて透明ガラスの窓からそっと教室の中を覗きこんだ。そこには6人ほどの数の部員が椅子に腰かけて、新入部員でも待っているかのようにボソボソと何やら話し合っていた。
足音が近づいてきて、
「君も?」
男子生徒が声を掛けてくるなり、
「入ろう」
と、扉を開けて中に入っていった。
部員達に会釈をして、桃子と男子生徒の二人の新入部員は並ぶようにして椅子に腰かけた。途端に、3年生の部員が
「まずは、全員で自己紹介だ」
と、言った。
手始めに3年生の2人の男子部員と1人の女子部員の3人が自己紹介をし、続いて、2年生の2人の男子部員と1人の女子部員が、3年生と同様に椅子に座ったまま次々と自己紹介をした。ラストに桃子ともう一人の新入部員の男子生徒が椅子に腰かけたまま自己紹介しようとしたが、先輩達のようにはいかず、ふたりとも席を立って自己紹介をした。運動部とは違って自由なのだなと思ったが、そこはそこ。やはりあるようでないのが現実なのである。
部員の数は2人増えて、総勢8名となったことを、3年生と2年生の先輩達は手放しで喜んだ。
映画研究部の部活とは、どんな事をするものなのか。毎日のように映画を鑑賞してその感想を言い合うだけのものなのか。桃子が疑問視していると、
「映研は、今年の文化祭で自主映画を上映する」
突然、3年生の一人の男子部員が昂る思いを吐き出すように高らかに言った。途端に、2年生の二人の男子部員と新入部員の男子生徒がその目を輝かせた。3年生の別の一人の男子部員を除いて。
どんな映画を撮るのだろうかと思っていたら、
「寅!」
と、3年生の先輩が叫んだ。
寅とは車寅次郎。
山田洋次監督作『男はつらいよ』の主人公の名前だ。監督志望で邦画好きのその三年生の先輩は、山田洋次監督を尊敬し目標にしていた。
誰が監督となってメガフォンを取るのか、ドキドキワクワクしながら邦画好きの先輩を見つめている男子部員の一同に向って
「監督はこいつだ!」
と叫んで、横の椅子に着席しているもう一人の3年生の先輩の肩をポンと叩いた。その肩を叩かれた3年生の先輩は無表情にその手を肩から払った。
邦画好きの先輩は、洋画ファンで邦画を見ようともしないその3年生の先輩に対して少なからず立腹しているようだった。
「日本人なら邦画を見ろよ。監督になりたいのなら尚更だ。洋画から何が学べるってんだ?」
「邦画から多くを学んでいる外国の監督はたくさんいる。君こそ洋画も見るんだな。邦画とは違う何かが学べる筈だ」
こうしていつも、邦画好きの先輩と洋画好きの先輩の二人は論争を繰り広げているらしい。この二人、映画への思いも違うように、その見た目も真逆にあった。邦画好きの先輩は胸板の厚いがっしりとした強面のタイプで、洋画好きの先輩は細身でスラリとしたクールなタイプ。ラグビーで例えるなら、邦画好きの先輩はフォワードで、洋画好きの先輩はバックス。