第三話です。
また10分ほど歩いていくと、疲れを感じ始めたのだろう。東條さんが目的地までの距離を聞いてきた。
「正一くん、あとどれくらいだい?」
「うーん20分くらいですかね」
「そ、そんなにかかるのかい!?」
「歩きですからねえ。この時期は風があって涼しいですし、この方向だと追い風になるので散歩しやすいですよ」
「若いっていいなあ・・・」
東條さんは見るからに疲れているようで。近くの蕎麦屋を指さして、逃げ込もうとする。東條さんのおごりということなので、僕は喜んで足を運ぶのだった。
「あら、いらっしゃい!」
40代後半くらいだろうか、元気なマダムにニコニコと出迎えられる。席に案内されると、東條さんはへとへとになりながら、食い気味にお冷を要求する。
平日のお昼時もちょうど過ぎたころだったためか、店内は僕ら二人の貸し切り状態だった。お店のマダムに冷を出されて少しばかり談笑していると、店の裏口だろうか、厨房の奥からのそっと男が出てくる。
――――逃走中の『藤崎勤』容疑者はいまだこのN市内に潜伏中の可能性が高いとみられ、近隣住民の方にはよりいっそう警戒を強めて―――――
「はあ、怖いわねえ」
僕らの注文を厨房に戻ってきた男に伝えると、ゆったりとテレビに映されたニュースを眺めている。するとお冷のおかげですっかり回復した東條さんが質問する。
「奥さんは、昔からここで働いてるんですか?」
「そうよお、あそこの旦那に嫁いでからずっと!」
といって厨房で僕らの注文を一生懸命作ってくれている男を指さす。どうやら夫婦で営んでいるらしい。
「すると、10年ぐらいですか?」
「んもうっ、いやあねえ!その2倍!まったく、うまいんだからあ」
東條さんの世渡り術に奥さんは冗談っぽく返答する。二人の名前は『北城幸三』とその奥さん、『清美』という名前らしい。
続けて東條さんがまた失礼な質問を始める。
「8年前の事件の被害者の方はどんな方だったんですか?」
「はんっ!あんなやつぁ、死んで当然よ!」
「ちょっと!あんた!!」
今度は奥さんでなく、厨房の方から怒りを露わにして旦那さんが返答する。お客さんの前でしょっ、と奥さんが焦り交じりに注意する。
うわあ、気まずくなっちゃったよ・・・
僕はいたたまれなくなった空気に首を絞められるような気持ちだったが、東條さんはここぞとばかりに質問を重ねる。
「旦那さん、それはどうして?」
「あいつぁ、クズだったよ!生粋のクズさ!!」
旦那さんが吐き捨てる。
「うちの店にも来たことあるが、まずいだなんだといちゃもんつけやがって、金も払わず帰りやがったんだ!」
「ほお・・・」
「それだけならまだ、俺の腕が悪いとか、愛想の悪い客で許せたがね」
そう言うと、旦那さんが言葉の怒気とは裏腹に、出来上った肉そばを僕らの目の前に優しく突き出す。うまそうだ。
「あろうことかそいつは残ったそばをうちの女房に投げつけやがってね。俺はたまらず手をあげちまったのさ」
「それはひどい」
「おかげでほかの客はびびって来なくなる始末だ。商売あがったりってわけだ」
「こんなにおいしいのに残念ですねえ」
東條さんは旦那さんの話を聞きながらのんきにそばをすすっている。
「今じゃ、なんとか持ち直せたがね」
「それはよかった」
「殺人犯はいけ好かないが、あんときばかりは天罰が下ったんだと思ったね」
さぞ憎らしそうに旦那さんが語ってくれた。
僕らはほっぺが落ちるようなまでにおいしい肉そばをぺろりと平らげると会計を済ませるのだった(東條さんが)。
「ごめんなさいねえ、うちの主人がべらべら話しちゃって」
会計中、申し訳なさそうに奥さんが言う。はい、アメちゃんね、と言って飴玉を渡された後、僕らは蕎麦屋を出るのだった。そして外に出るとすぐに東條さんが僕に訪ねてくる。
「正一くん。ここから目的地まで車だとどのくらいだい?」
「え?」
なぜそんなことを聞くのだろうと東條さんを見やる。蕎麦屋の出前用だろうか、店の名が大きく記された車の隣。黒い軽自動車を見ているようだ。
「えっと、信号もなかったはずですし、早くて5分ってところじゃないですか?」
しぶしぶ僕が答えると、そうか、とひとこと東條さんがつぶやいた。
目的地への案内を再開する。
「ここからは建物がないみたいだけど・・・」
「ええ、この商店街を過ぎたら、事件現場の家以外ないはずですよ」
東條さんの疑問を僕が素早く解決する。
すると僕の幼馴染『桜こはる』が自慢の飼い犬を連れて、向こうから歩いてくる。
「あー、せいちゃん!昨日ぶりだねぇ!」
「おー、散歩か」
「そうだよお!今日は暑さもそこまでじゃないし、ロロも歩きたいっていうからー!」
『ロロ』とはこの大型犬の名前である。
「いつもはおばさんにまかせっきりだけど、今日はえらいでしょー!えへへー」
「おー、えらいえらい」
と、軽く話して東條さんのことをひそひそと聞かれる。
「え、しりあいだったの?」
「ん、いや。わけあってな」
二人だけで話していると東條さんが何かをたくらんだような顔で口をはさむ。
「昨日は悪いことしたね。正一くんの彼女さん」
「ふぇっ!?か、彼女なんて・・・///」
「東條さんっ!からかわないでくださいっ!!」
「ふはは!ごめんごめん。君たちは面白いなあ」
まったく、この人は。と軽くからかった後、東條さんがこはるに話しかける。
「ごめんね。私は東條信介、探偵をしてるんだ」
「た、たんていさん!?」
「うん。8年前の事件について調べててね。君もよかったら調査に協力してくれないか?」
「え、えっと調査って・・・」
驚いた。だれかれ構わずか、この人は。内容が危険を伴いそうなので僕が東條さんを制止する。
「ちょっと、東條さん。こはるに危険なことは」
「おっとこれは失敬。彼氏くんに怒られてしまった」
「彼氏じゃないですって」
「うーん、そういうことなら仕方ない。すまないね。」
そういって東條さんはあきらめたようだ。こはるはひらひらと手を振って離れていく。
つづきます。