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アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
三年目前期
PR
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第27.5話 或いは他し事その4 レニーの日常的非日常



 舞踏会を数日後に控えたある日のこと。



 その日はたまたまな出来事が重なってしまった。



 普段もっとも早起きしてくるムクロはアリウスに呼ばれネクロと共にデッガニヒの元に行っており、次いで早起きのアベルは他班の手伝いに借り出されて奔走中。リュリュはユーリィンの仮縫いの手伝いに忙殺されていた。



 だから、刺繍糸の補充を終えて教室へ向かったレニーが、扉に挟まれたままの一通の文に気づいた。


「あら、これは…?」



 白地の小奇麗な封筒の表にはただ一言、『ムクロ様へ』とだけ達筆で書かれている。


「ムクロ宛……何の用かしら?」



 ひっくり返してみるも、差出人の名前はどこにも書いてない。


 試しにと初夏の日差しに透かしてみるも、折り畳まれていて文は読めなかった。



「うぅん…」


「あら、レニー。どうしたの、扉の前でうんうん唸って」


 遅れてやってきたリティアナが、レニーが何か持っていることに気づき顔を寄せた。



「…手紙?」


「しかも、ムクロ宛ですわ」


「へぇ…珍しいわね」


 普段から積極的に他人と交わろうとしないムクロに、しかも手紙などと回りくどいことをしてくる相手がいることに二人は俄然強い興味を抱いた。



「…ねえ、リティアナ」


「駄目よ」


 だがレニーが何か提案するより早く、リティアナが却下する。



 リティアナもそれなりに付き合いは長い。レニーが何を言おうとしたかは容易に察しが付く。



「何でですの?! リティアナ、あなただってこの中に何が書いてあるか気になりませんこと?」


 そしてその想像は当たっていた。



 心理的疼痛を訴えるこめかみを押さえながらも、リティアナは説得を試みる。



「だめよ。そりゃ…気にならない、と言ったら嘘になるけれど。でも大切な仲間の秘密を覗き見るなんて真似はやっちゃいけないわ」


「大丈夫大丈夫、ちょっと、ちょこっとだけ。ほんのちょっと覗くだけですから」


「まったくもって大丈夫じゃないんだけど?! というか、さっそく破こうとしてるじゃない!」


「違いますわ、これは糊付けが甘いところに、たまたま指が入ってしまっただけですもの! 故意じゃなく不慮の事故ですわ!!」


「なら指を動かすのは今すぐ止めなさいよ!」


 会話だけなら緊迫感溢れるやり取りだった。



 しかし、現実には。


「「あ」」


 封はあっという間に解かれてしまった。



「リティアナ」


「…何?」


「見事な力添えでしたわよ」


 リティアナに、レニーは満面の笑顔で親指を立てた。



「…わざとじゃないのよ」


「ええ、ええ、もちろん判ってますわ。私の動きに合わせて指が動いていたのも私は見ておりませんでしたわ」


 レニーは意地悪さを隠そうともせずにんまりとしている。



「ですから、ね? ここまで来てしまったのですもの、後は中を見るかどうかの違いだけ。そして、読んだ後は元通りにしてしまっておけば、誰も責めることは出来ませんわ――私たちだけの胸のうちにしまっておけば、ですけども」


 この申し出を断る理由を、リティアナは思いつけなかった。



「いいこと、最初の方だけ読んで戻すこと。これはムクロに対する裏切りと同じなのだから。それだけは約束して」


「ええ、ええ、存じておりますわ」


 この期に及んで尚リティアナが釘を刺すものの、レニーは完全に聞き流している。リティアナも口で止めているだけで、実際には興味津々であることをすっかり理解しているからだ。



「どれどれ…」


 他に目撃される前に教室内に滑り込んだ二人は、広い空間があるにも関わらず部屋の片隅へ身を寄せ合い、封の中に小さく折りたたまれた手紙を取り出す。



 レニーがしなやかな指で丁寧に開き、視線をじっくり文面に滑らせていく。



「…まあ!」


 最初の数行で二人の目は大きく見開かれ、更に数行読み薦めていくうちに顔が赤くなっていく。



 結局、二人はわいきゃいはしゃぎながら最後まで読んでしまっていた。



「正直、そうではないかと思ってたけど…」


「実に、情熱的な恋文でしたわ」


 ほぅ、と満足げな吐息を漏らす。



 どうやら中には熱烈な愛の言葉が書いてあったようだ。



「これほどにまで恋焦がれてくれる方がいるなんて…ムクロも隅に置けませんわね。きっと、私のような清楚な乙女に違いありませんわ!」


「そう…ね……」


 適当に相槌をうとうと頷きかけたリティアナだが、視線が机上に投げ出された封筒に止まったところでぴたりと動きを止めた。



「どうなさいましたの、リティアナ」


「…わたし、とんでもないことに気づいたわ」


「何を…」


 言い止してレニーはリティアナの指が手紙の一点を差していること、そしてそれが意味するところを理解した。



「そんな!」


「ええ…」


 リティアナが、じっとレニーの目を見つめる。



「この手紙には、差出人が書いてないのよ」


 そう、手紙の末尾には名前が書かれていない。封筒にも記載が無いことはすでに確認済みだ。



「ああもう、これだけの情熱的な文を出しておいて名前を書かないなどと、手落ちにも程がありますわ! これが試験なら、零点になっていましたわ!」


 恋文の見事さに中てられた興奮が残っているレニーに、一足先に落ち着きを取り戻したリティアナがなだめに回った。



「まあまあ…恐らく、この文章を考えるので精一杯だったのよ。そう考えると、可愛らしく思えてこない?」


「…それは、そうですわね」


 レニーもそういわれてみれば納得できないではない。それほどまでに熱の篭った文が書かれていたのだ。



「だけど…だからこそ、尚更気の毒ね」


 残念そうにリティアナは頭を振った。



「名前が判らないんじゃ、受け取りようが無いわ」


 その言葉を聞いた途端、レニーは雷に打たれたように飛び上がった。



「でしたら! 私たちが探し出せばいいんですわ!!」


 あんぐりと口を開いたリティアナは、じっとレニーを見つめている。



「何ばかなこと言ってるのよ。そんなことしたら、わたし達が勝手に恋文を読んだことがわかってしまうじゃないの」


「だからこそ、ですわ」


 レニーはまったく悪びれる様子も無く肯定する。その自信満々な態度に、よもや正当化されるとは思っていなかったリティアナは逆に気圧されてしまった。



「確かに、道義的にはよろしくはありませんわ。ですが、考えてみてくださらない? 想いが伝わらないことに比べれば、その程度の問題何ほどのことではありませんわ。相手はそもそも伝えたつもりでいるわけですもの、そうと知らないで下手にこじれるよりは、あえて無礼を承知で手助けするほうが親切というもの。違いまして?」


「ううん…それは、そうかも知れないけど…」


 確かに、一理はある。



 大分自分寄りに天秤が傾いてきたようだ、好機と見て取ったレニーはここで最後の切り札を切った。



「何より…お忘れ? ここは軍学府。いついかなるときに学徒動員で死ぬとも限りませんのよ。そうなったとき…後悔せずにいられまして?」


 その言葉に、リティアナははっとする。



「…そうね、そのとおりだわ。ちょっとした失敗で気になるまま引きずったまま戦場に出るかもしれないと考えると…死んでも死に切れないわね」


「では…協力していただけますわね?」


「ええ。わたしも差出人探しを手伝うわ」


 レニーがぱん、と両手を打ち鳴らした。



「それでこそリティアナですわ。そうと決まれば善は急げ、ムクロが来る前にさっさと調べますわよ」


 レニーの一言に、リティアナが訝しげな視線を向ける。



「…ねえ、どうしてムクロに秘密にしておくのよ。わたしは彼に置手紙を残しておくつもりなのだけど」


「えっ」


 一瞬きょとんとした顔に、リティアナは先刻の熱弁がレニーを突き動かす動機の全てではないことを悟った。



「あなた、まだ何か企んでるわね」


「…何も企んで無いでありますわよ」


 視線を反らし、単調子の返事が返ってきたことが逆に確信を抱かせる。



 問い詰めようかと迷ったリティアナだったが。


「あなた、ムクロに迷惑を掛ける気じゃないわよね」


 代わりにそう留めるだけにした。ここまで拘る以上、どうせそう簡単に口を割るまい。それに、どうせ何れはムクロに伝わるだろうからそう無茶はしないだろう――そう判断したからである。



「さて、差出人探しをするのが決まったのはいいとして…」


「どこから手をつけたらいいか判りませんわね」


 二人の行動指針が合意に達した勢いで廊下に飛び出たは良いものの、考えてみれば手がかりはほとんど無いに等しい。



 恋文の内容は、如何に熱い想いを伝えるかに終始しており、差出人の外見などについては一切触れられていないためだ。



「まあ、頼んでもいないのに見てくれを書き連ねられても不愉快にしかならないものですが…」


「そうねぇ…」


 過去、相手の都合や感情お構い無しに自信満々で自己主張を繰り返してきたとある後輩を思い出し、リティアナは深々と嘆息する。



 最近になってようやく落ち着きをみせてきてくれたから助かっているが、当時は本当に疎ましかった。もし仮に彼がこの手紙の送り主と同様、熱烈な想いを文に認め伝えてきていたらあるいは変わっただろうか。



「お!」


「うわ…」


「噂をすれば何とやらですわね…」


 丁度訓練を終えたところだろうか、校舎に入ってきたのは噂の主、グリューだ。



 リティアナの眉が跳ね上がったが、想い人に気づいたグリューは彼女の感情にお構いなしでのしのし大股で歩み寄ってきた。



「せんぱーい、今日もご機嫌麗しそうで何よりです! 俺と出会えたからっすね!」


「…そう見えるなら節穴もいいところね、その目は」


「あっはっは、褒めても何も出やせんぜ!」


「褒めて無いわよ」


 リティアナが呆れて追い払うように手を挙げかけたところで、グリューはその手に握られている物を目ざとく見つけた。



「おや、先輩それはなんですかい」


「あっ、ちょっと!?」


 引っ込めるより早くグリューが素早く奪い取り、図体の割りに滑らかな動きで中身を取り出す。



「それは…」


 レニーが慌てて説明しようとするが、それより早くグリューの目は最初の数行――熱烈な愛の告白――を捉えてしまっていた。



「うぉあ、ぅおあおおお…!」


 突然の咆哮にリティアナは嫌な予感を感じて一歩引く。程なくすべて読み終えたグリューは言葉にならない嗚咽を上げ滂沱の涙を流し出した。



「うぉおお、先輩っ! 俺のことをこんなにも愛してくれてるんですねぇええ! 俺、感動っす!!」


 言うなり飛び掛ってくるが、それより先にリティアナが後ろに跳び退った。


 直後、先刻まで立っていた場所をグリューの太い腕が岩でも砕かんとするようにぶぉんと音を立てて通り抜ける。



 嫌な予感がして一歩後ろに下がっていなかったら…リティアナの背中を冷たい汗が伝った。



「グリュー、止めなさい! それはあなた宛じゃないんだってば!」


 リティアナは制止するも、興奮で聞こえていないグリューは抱擁を繰り返した。



 矢継ぎ早に襲い来る、成体の岩喰猪すら絞め殺せそうな抱きしめを回避しながら、レニーが巻き添えにならないようリティアナは廊下の中央へと誘導する。



「もうっ、そうやって焦らすんだから先輩って罪な女だなぁ! 大丈夫、俺は先輩の気持ちを受け取りました! 今度は先輩が、俺の気持ちを受け取る番ですよぉお!」


 次から次へと振り回しいる腕を避けきれないときは手で払って受け流すも、そのたびに一撃一撃ごとに腕が痺れてくる。



 力だけならガンドルスに比肩するかも知れない。無駄に全力を掛けて抱きしめようとしてくるグリューの思い込みの強さに内心呆れ果てていたリティアナは。 


「違う…って、言ってるでしょうっ」


 なるべく穏便に済ますのを諦め、相手にびんたをかまして目を覚ませることにした。



「おぶっ」


 力の限り頬を叩かれたグリューが、一瞬その動きを止める。しかし、完全にのぼせ上がっているグリューは戯れついたと思い込んだ。



「照れ隠しとか、可愛いなんてもんじゃあないですよぉ先輩いっ」


 この騒ぎを聞きつけた生徒たちが集まってきた中で、彼の熱い想いを込めた自己主張はとどまるどころか激しさを増していく。



 興奮の極みなのだろう、他の生徒が見えていないグリューが大きく飛び掛る。


「くっ」


 廊下を転がってかろうじてかわしたリティアナは素早く膝立ちしながら体勢を整える。が、それより先に、グリューのむき出しになっている腹が目の前にあった。



「だめ!!」


 リティアナが目を瞑る。



「いい加減にしなさいっ」


 グリューの硬い腹肉にぶち当てられる感覚はいつまで経っても来なかった。



 代わりにどごんという体を震わせるような衝撃、そして重い音が鳴り、やや遅れてリティアナの頬をひんやり冷えた風がそっと撫でた。



「これは…」


 目を開けると、眼前には大人二抱え程もある太さの氷柱が真横に向けてそそり立っており、石壁との間にグリューを挟みこんでいる。



「無事ですの、リティアナ?」


 レニーが抱えてきた空の水桶を脇へ投げ捨て心配そうに助け起こした。



 どうやら水場に行って水を汲んできていたらしい。その水を廊下に向けてぶちまけると同時に瞬時に凍らせ、グリューを氷の大槌で横から押し潰したのだ。



「ありがとう、あなたは命の恩人よ」


「そんな大層なことはしてませんわ」


 ようやく息を整え終えたリティアナを支えながらレニーはちらと周囲を一瞥し、


「ここは少し騒がしくなってまいりましたわね。まだやらないといけないことはあるし、さっさと行きましょう」


 そういうと、落ちた手紙を拾い汚れが無いことを確認してからしまいこんだ。



「あれは?」


 リティアナが顎をしゃくって未だ氷と壁に押し潰されている物体について言及すると、レニーは一瞥すらせず肩をすくめた。



「もう少ししたら氷は解けますから。頭も冷えるしちょうどいいと思いますわ」


 そう告げると、物見高そうに輪になっている生徒たちに向かってしっしっと掌を振る。



 人の輪がほつれたところから歩み去るレニーの後を追い、リティアナもこれ以上振り向くことなくその場を立ち去った。後始末はグリューがさせられることになるだろうが、それくらいは迷惑料代わりというものだ――そう考えながら。





「とりあえず、考え方から変えましょう」


 グリューに絡まれた後も適当に捕まえた何人かに尋ねたが、結果は芳しいとはいえない。しばらくそうしていると、リティアナが頭を振って呟いた。



「考え方を…?」


「どっちにしろ、手紙の中身だけからじゃあわたしたちにはどうしようもないわ。だったら、逆に考えてみるのはどうかしら。例えば…」



 ちょっと考え込み、


「こんな情熱的な文を書きそうな人物に当たってみるのとか、どうかしら。一定以上の教育を受けていないとここまでの文章は書けないから、少なくとも農民出では無いわ」


 その意見に、レニーもなるほどと納得する。



「そういうことなら、もう一つ、判ることがありますわ」


「それって?」


「今のリティアナの考えを聞いて私も一つ気づきましたけど…少なくとも、ハルトネク隊の仲間の誰か、ということは無いと思いますわ。見くびるわけではありませんが、私たちのなかで他にこれほどの文才を持つ者がいるとは思えませんもの」


「それもそうね」


 リティアナも素直に同意する。



 まず当然ながら自分たちは除外される。



 それを踏まえて考えると、リュリュはあの性格だ、書けるとは到底思えない。唯一、妙に世故長けていて引き出しの多いユーリィンならば性格上も含めて可能性は十分ある…が、流石に歯の浮くような台詞をつらつら真面目に書く彼女が想像できないし、悪戯にしては手が込みすぎであろう。



 アベルは色々な意味で論外だ。



「ああ、あと先生方、という可能性も除外していいんじゃないかしら。彼らなら確かに書けるとは思うけど…」


「どうかしら。ドゥルガン先生ならともかく…ジーン先生なんかは奇矯な文を書かないわけがありませんわ」


 それを聞いたリティアナは想像してしまい、相好を崩さぬままぶふっと吹き出した。



「ちょっと、変なこと言わないでよ! 想像しちゃったじゃないの!!」


「んふっ…!」


 つられて想像したレニーもまた吹き出した。



 しばらく身を寄せ合い、肩を震わせる二人を、次の授業に向かう生徒たちが不審そうにちら見しながら横を通り過ぎていく。


 笑いの波が過ぎ去るのを待ち、二人は改めて今後の方針をまとめることとした。



「とりあえず、身近に近すぎも遠すぎもしない女性陣から当たってみるってのはどうかしら?」


「それが良さそうですわね」


 考えが纏まったところで、まずは真っ先に浮かんだパオリンを探すことにした。



「パオリン、いるかしら?」


 まずは仲間たちとで裁縫している教室を覗いて見たものの、リュリュとユーリィンしかいない。ではとパオリンの仲間たちが普段使いしている教室に行くと、丁度彼女は班員と今日出荷予定の鉱石を品質別により分けている最中だった。



「あら、レニーにリティアナ。珍しい組み合わせね。どうしたの、二人とも」


「仕事中にごめんなさいね。実は、あなたに見てもらいたいものがあるのだけど」


 そう言い、リティアナが手紙を渡す。



 怪訝そうな面持ちで受け取り、さっと一読したところでパオリンは顔を上げた。


「あの…」


 それに見覚えないか、そう尋ねようとしたリティアナだったが、その前にパオリンが顔を強張らせながら一歩退いた。



「ごめん、あたしそっちの気は無いんで…」


 数拍遅れ、その言葉の意図するところを理解したリティアナはたじろいだ。



「ちょっと、違うわよ! わたしじゃない! そんな反応止めてってば!」


 視線が次いで自分も向けられたことで、レニーも慌てふためいた。



「私が書いたんでもありませんわよ! そうじゃなくて、これを書いたのがあなたのではないかと思ってきたのですわ」


 二人の言葉に、パオリンはなぁんだと詰まらなさそうに鼻を鳴らした。



「そういうことならもう判ったと思うけど、あたしでも無いわよ?」


「そのようですわね」


「でもどういうつもりで? まさか晒しあげるなんて真似するためじゃないわよね?」


「もちろんですわ。せっかくそこまで頑張って仕上げた恋文ですもの、最後まで届けるための手伝いをしたいと思っただけですわ」


 レニーの説明に、パオリンは値踏みするように二人を見やる。



「…ま、信じるわ。ここにいるのがユーリィンなら問答無用で疑うところだけど、リティアナがいる以上そんな真似をするとは思えないしね」


「…信じてくれて嬉しいですわ」


 名前の出ないレニーが憮然と礼を述べた。



「でもどうしてあたしだと思ったの?」


 彼女を今回選んだのは、貴族の出自だからというのが大きい。それを説明すると、パオリンが協力してくれたことで、彼女の班員、及び彼女たちの知り合いの中に差出人がいないことまでは明らかとなった。



「それは良いのですが…」


「そうねぇ…流石に、この調子だといつまで掛かることやら…」


 まだまだ、確認していない人は大勢いる。



 確かに成果はあった…が、パオリンにしても他の学年まで網羅している訳ではない。ここではこれ以上の成果は見込めないだろう。



「多分考えるだけ無駄だと思うわ。それより、他の手を思いついたわ」


「どんな?」


 レニーの問いに、リティアナは表情を崩さず答える。



「人に絞るだけじゃなく、他の条件でも考えてみたらどうかしら。例えば…そうね、こんなときこそ、人知を超えた力に頼ってみる…とか」


 言わんとした事を悟ったレニーがぎょっとしたように目をむいた。



「ジーン先生の予言? リティアナ、正気?」


「…お願いだから、そんな目でわたしを見るのはよして頂戴。到って正気のつもりよ」


「ですが…あの人の占い、まともに当たったことなくてよ?」


 尚も不審そうに見やるレニーに、リティアナは如才なく答えた。



「ジーン先生の占いが当たらないのは百も承知よ。だけど、だからこそ使い道はあるわ。占いの反対を考えればいいのよ。そうすれば当たるわ…でしょ?」


 思わずレニーはなるほどと感心した。



「使い方次第ってことよ」


「なるほど。せっかく学府にいるんですから、利用できるものは利用しないと損ですわね」





 


「…あなたたち、私の自室に押しかけてきて、その上で私本人の目の前でそんな話をするとかどれだけ軽く見ているの?!」


 占術学科の教室でいつものように水晶球を磨いていたジーン先生が頗る険悪な形相で睨んでいるが、二人はどこ吹く風だ。



「いえいえ、そんなつもりはまった…いえ、そんなに」


「ちょっとはあるってこと?! というかあなたたち、ヴァンディラのときは私の占いを信じてくれたんじゃ…」


「ええ、もちろん私たちは信じておりますわ。だからこそお願いしにきたんですもの。大体、こんなときにでも動いていただかないと影が薄いままになって生徒の記憶から忘れ去られてしまいますわ先生」


 軽く流され、ジーンが更にいきり立つ。



「いやそれ全然頼む態度じゃないから! というか、私は別に目立ちたいからやってるんじゃありませんのよ! 私はそう、この世界に遍く普遍する神秘を迷える生徒たちの指標として…」


 尚もまだ益体も無いことをのたまうジーン先生をなだめすかしあるいは説き伏せて、どうにか二人は無事占ってもらうところまでこぎつけることに成功した。



「…まったく、無駄に面倒くさい人ですわ」


 ジーンが挑戦的な視線をレニーへ向けた。こめかみがひくひくしている。



「…何か言ったかしら。何でしたら時間はたっぷりありますから、今日一日その辺りについてお互いの誤解を解くよう話し合いましょうか?」


 レニーは慌てて手を振った。



「いいえ、何も申しておりませんとも、ええ」


 ぬけぬけと答えるレニーを恨めしそうに見やっていたジーンだが、やがて気持ちを切り替えようと大きく嘆息した。



「…まあいいですわ。で、その手紙の差し出し主を探せということですわね? それを視たらとっとと帰ってくれますわね?」


「ええ」


 差し出された手紙を受け取り、ジーンは黙読する。



「なるほど、なかなかに洗練された感性の持ち主ですね。だけど生憎、私の授業にこういう文を書くような生徒は来ておりませんわ」


「というより、生徒自体がいないわよね…」


 そもそも、まともに授業を受けている生徒はもはやユーリィン以外にいないのだから悩むまでのことも無い。



「そんな、気の毒そうに言うのはおやめなさい! ええ、もう怒りましたわ。そういうことなら本気の占いで決着をつけますわよ!」


「本気…?」


 普段からもっと本気を出せば良いのに…二人はすんでのところでその言葉を飲み込んだ。



「そうよ、当たり前でしょう? 私は占術学科の教師なのですからね! 私の占いの凄さを目の当たりにして悔い改めると良いわ!」


 きんきん響く声でそう言うと、レニーたちの返事を待つより早くジーンはなにやらもしょもしょ口の中で呟きながら取り出した人の頭ほどもある水晶を睨みつけだした。



 そのまま、十分近くが経った。



「えぇと…それで、占いはいつに?」


「今出るところだから邪魔しないで!」


 いい加減痺れを切らしたリティアナを無視して、尚もジーンは水晶球を真剣に覗き込みつづけている。残された二人は、互いの顔を見合わせ肩をすくめた。



「ふむふむ…なるほど。ええ、答えは出ましたわ!」


 やがていい加減退出しようかと何度目かの目配せをしあったところで、ジーンが大きく息を吐き出した。



「占いではなんと出まして?」


 何度も小さく頷きながら顔を上げると二人を誇らしげに見やったジーンは、それまでの金切り声が嘘のように厳かな声で託宣を告げた。



「この恋文を書いたのは十代から二十代…」


「おお!!」


 お告げはつづく。



「或いは三十代から四十、或いは五十から六十代の可能性がありますわね」


 一瞬感心した二人だが、すぐに微妙な顔つきになる。



「うんうん……うんん?」



 一方、ジーンはそんな二人の変化にお構いなしで更につづけていった。



「繊細な文章を書く、けれども勢いで出す激しさも持っていますわ。人族、或いは天人、小翅、魔人族の男性…もしくは女性。学生の可能性が高いけど、ひょっとしたら教師や用務員かもしれない。わざわざ人のいない時間帯に置いたことから、ハルトネク隊と親しい、もしくはよく知らない可能性がある…どうかしら!」


 そこまで言い切り、満足げに顔を上げたジーンは。


「…あら?」


 軽蔑を露にした二人と視線がかち合った。二人は何か言いかけたが、やがて代わりに大きく嘆息するに留めた。



「何か納得できない点でもおあり? 嘘は言って無くてよ?」


「いいえ、別に」


「何も無いです」


 その抑揚に、期待感や高揚と言った感情の残滓は一切残っていなかった。



「さて、私たちは大分長居をしてしまいましたわね。そろそろお暇いたしますわ、ジーン先生」


 そそくさと部屋を出ようとしたリティアナだったが。


「ああ、そうそう。リティアナ」


 ジーン先生が呼び止めた。



 まだ何か文句でもを言われるのかと内心身構えて振り向いたリティアナだったが、彼女を見つめるジーンは到って真面目な表情だった。


「もう一つ、占いが出てましたの。それを伝えておきますわ」


 もう一つ?


 怪訝な面持ちを隠そうともしないリティアナにジーンはお構い無しで予言を告げた。



「あなたは、もうじき大切な物を失う。一つはどうにもならないけれど、もう一つの運命はまだ定まっていないわ。それを覆すためには、あなたは今一度自らの過去と向き合う必要がある」


「過去…ですか?」


「レジエン? レギエン? ともかく、そこに行け――占いにはそう出てましたわ」


 その言葉を聞いたとき、リティアナはこれまでに一度も向けたことの無い驚愕の表情をジーンへ向けていた。



 レジエン瑚――忘れるべくも無い。



 リティアナは、ブレイア出身であることはともかく、レジエン湖でアベルと儀式をしたことについてはジーンは元より校長にすら話したことは無い。



 ブレイアでの辛い思い出を想起させられたからだ。アベルと再会してからはそのようなことがなくなったものの、逆に多忙で今日まで忘れていた名前が、何故――。



「具体的にはいつですの?」


 言葉も無くうろたえるリティアナの代わりにレニーが口を挟んだが、その答えにジーンは首を横に振って応じた。



「さすがにそこまでは判りませんわね。何しろ本来の占いの途中で割り込まれて出てきた答えですもの」


「えぇ…不便極まりないですわね」


 その不満を聞き流し、代わりにジーンはそっけなく言った。



「ああそうそう、そういえば見料頂くのを忘れてましたわね。まだ納得いかないなら、授業とは別として一人頭30ルゼイニー、即金で結構よ」


 レニーは深々と頭を下げると、リティアナを伴ってそそくさと退室した。





 朝の熱狂的興奮はどこへやら。



 学府の外では薄暮を迎えた頃、二人は教室で無言のまま向き合っていた。



 その間にある机の上に手紙を投げ出したまま、リティアナはぼんやりとジーンに言われたことを考えている。レニーは、そんな彼女を心配げに見ながら、すでに冷めたお茶が入ったままの杯を手持ち無沙汰に弄んでいた。



「あら? 何してんの二人揃って。辛気臭いわねぇ」


 そこへ、ユーリィンが顔を出した。



「何それ? 手紙?」


 目ざとく見つけた手紙に興味を持ったユーリィンに、レニーは席を空けてやりながらもかいつまんで今日一日あったことを説明してやる。



「ふんふん。じゃあ、差出人はまだ見つかってないってこと?」


 レニー、そして煩悶することに飽いたのだろうリティアナも頷く。



「しっかし、ジーン先生がねぇ。とんだ狸ね」


 話を聞き終えたユーリィンは呆れたように言った。それがジーンの占いに対してのものか、或いはこんな面白そうなことに自分を誘ってくれなかったことについてか、レニーには判らない。



「まったくですわ。まったく、占いに頼ろうとした私たちが馬鹿でしたわ」


 お茶を受け取りながら、ユーリィンがさらっと返した。



「ん? そんなの、占いに頼らなくても差出人くらい簡単に判るでしょ」


 その言葉に、レニーとリティアナは驚いて見つめ返す。



「ええ? …でも、その文章の中にはそれらしいことはちっとも書いてませんわよ」


「そりゃあ二人の見方がなってないからよ」


 にべも無くユーリィンが切って捨てた。



「そうね…それじゃあ、せっかくだし判ることから教えてあげるわ」


 だが、二人が納得していないのを見て取ったユーリィンは、彼女たちの対面に陣取るようにして椅子に腰掛けると、手紙を開いて説明をはじめた。



「まず、この紙ね。これは獣皮紙じゃない。普段学府で使われているそれと比べて厚さが無いし、何より獣の匂いがしないもの」


 生憎なめした獣皮紙も、普通の人間に嗅ぎ取れるほどの臭いは残らない。


 そんなこと判るか、そう言いたくなった二人だがひとまずこの場は黙っておく。入手手段はともかく、新しい情報であることには違いない。



「つまり、この紙は植物を精製して作られたものね。そんな紙を私用に使えるのは、かなり裕福な貴族の子弟ってことになるわ」


「貴族らしいということまでは私たちも判ってましたわよ」


 不満そうに鼻を鳴らしたレニーに、ユーリィンは余裕を持って頷いてみせた。



「まあこれくらいは簡単に判る情報よ。本題は次から。裏側への文字の滲み具合も併せてみるに、この人は筆圧が強く、また全体的に大きく書く癖があるわ。それらから見て、活発で、大雑把な性格の女子と見たわ」


「ほうほう、ほう……んん?」


 レニーが今の解釈の何かに引っかかりを覚えたようだが、それをまとめる前にリティアナが質問した。



「それらの根拠は?」


「そうねぇ」


 ユーリィンは立ち上がると部屋の隅に向かいごそごそと棚を探した。



「あった、これこれ。ちょうど良いわ」


 持ってきたのは、依頼で受け取った注文書の束だ。各紙に、そのとき受注した隊員が名前や覚書を書き込んでいる。



「判りやすい例としては、アベルとリュリュの筆跡を比べてみればいいわ。アベルのは見ての通り、裏滲みが凄いでしょ? それに、リュリュはやや丸っこい字を書く。一方でアベルは空いてる部分が多くても、小さく書こうとするわね」


 なるほど、今言った特徴は確かに顕著に現れている。



「言っておくけど、あなたたちの二人もそれぞれ癖があるわよ。リティアナは文字の間隔が等間隔で、真面目な性格が窺い知れるわね。レニーは文字の止め跳ねがかっちりしてて、ちゃんとした教育を受けているってことが判るわ」


 ほぉ~、と感心する二人。



 こういう形で筆跡に注意を払ったのははじめてだが、実に興味深い話である。



「この手紙に話を戻すけど、要するにかなり位が高くて気の強い貴族出の子ってことが判るわね。そして最後に」


 最後に、封蝋を指した。



「この封蝋、何か香料を混ぜた特別製の蝋を使ってるわ。この匂いは珍しいから、あたしならそこから差出人を特定できるわよ」


「だからそれ判るのユーリィンだけだから!」


「最初っからそうしなさいな!」


 レニーとリティアナが揃って突っ込んだ。



 紆余曲折はあったものの、ともあれ差出人を判別できる手立てが見つかった以上その後の行動は早い。



 早速三人は教室を飛び出し、ユーリィンの鼻に任せて見事差出人を突き止めた…が。



「…感心して損したわ」


「何ですのユーリィン。自信たっぷりに分析してましたけど、ほとんど外れ…ううん、真逆じゃないですの! あなたジーン先生のこと言えませんわよ!!」


「そこまで言うこと無いじゃないのよ…」


 呆れきった二人に、ユーリィンが鼻白む。



 貴族、という推察は当たっていた――が、残念ながら読みどおりだったのはそこまでだった。



「というか仕方ないじゃない! まさか男だとは思わないもの!」


 差出人はいきなりやってきた上級生の女性陣三人に囲まれたことで怯えてしまうくらい、気弱な新入生の“男”だった。



 そう、ユーリィン――実際にはリティアナとレニーもだが――は『差出人が女』のつもりで考えていたのだ。活発で大雑把で気の強いなどと大外れにも程がある。



 事情を説明したところで教えてくれたが、魔術師志望の彼は先日ムクロの後ろ姿を見かけて一目ぼれしたのだそうな。



「細身で華奢で下げ髪……まあ、判らないではないけど、ねぇ……」


 他の分析も、大概酷いものだった。



 裏滲みが酷いのも、元々開発に失敗した粗悪な紙であることに気づかず使ったからであり、書き味も悪かったため畢竟無駄な力が入ってしまったのだとか。そんな紙を使っているのだから、もちろん裕福な貴族ではない。



「大体、獣皮紙より安い紙が南で出回ってるなんて知らないわよ! あたしの知ってた限りじゃ、植物を漉いて作った紙は手間が掛かりすぎて高級品扱いだったんだから!!」


 確かに、それについてはユーリィンを責めるのは酷と言えよう。



 彼女たち森人の住む森は、元々植物を使った紙の精製がほとんど伝わっておらず、また近くの町ではアベルの祖父を代表とするように牧畜や狩猟が生活の中心となっている。そこでは供給が需要とつりあうため獣皮紙がもっぱら中心に使われているのだ。



 一方、今回の差出人の生まれは物流の盛んな商業都市であり、そこでは大量生産に適した植物を原料とした紙が主として使われている。



 同じ紙と言えども、場所によって価値がほとんど逆転しているという事情があるのだ。



 しかし、だからと言って自信満々に答えた事実は消えるわけではない。



「道理でなんだかおかしいと思いましたわ。気の強い人と言うなら、直接告白してくるはずですもの」


 まだ納得できないレニーに、とうとうユーリィンもかんしゃくを起こした。



「ええい、過ぎたことをいつまでもぐちぐちと…あんたら、たまにどうしようもなく鼻持ちなら無くなるわね! 過程はどうであれ、無事に辿り着けたんだから納得しなさいよ!」


 他の二人はまだ何か言いたげではあったが、確かにユーリィンの言うとおりであると渋々引き下がった。



「ああもう、まったく無駄な時間を過ごしましたわ…」


「それはこっちの台詞よ…」



 こうしてレニーの思いつきで幕を開けたこの日の騒動は、何らの実りも得るところ無く幕を閉じたのであった。



 尚、後日ムクロが新しく認められた恋文を渡されたのだが、丁重に断ったそうである。


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