第27話-4 ムクロの変調
「ああもう、一体何なんだ…くそっ」
一方、外に出たムクロは苛立ちを抑えきれずに悪態をついていた。
動悸が治まらない。
今、ムクロは混乱の極みにいた。
思い返せば、アベルがドゥルガンと戦った後に、彼が言ってくれた『待っている』と言う言葉を聞いてからおかしくなったのだ。
とにかく日がな一日、気づけばアベルのことを考えてしまう。
そしてその度、何故か思考が纏まらなくなり、焦りにも近い感情に満たされる。
ほぼ同時に体調不良、そして睡眠不足が重なっており、アベルの前では強がったものの実際のところムクロは大分疲弊していた。
先ほど脚立の上で脚を滑らせたのも、眩暈が原因である。
「まさか俺が…」
先ほどのことを思い出した途端、耳まで赤くなるのが自分でも判る。
もろに後頭部から落ちたのだ、怪我をすると思っていた。
だから痛い思いをせずに済んで安堵した……それは良い。
問題は、アベルに抱かれたことを一瞬のこととはいえ嬉しく思ってしまったことだ。
「くそっ、俺は一体何を考えてるんだ! あいつは…あいつは!」
自分で自分のことが良く判らない。
アベルのことを頭から追い出そうとすればするほど、逆に意識してしまう。
逞しい腕の感触。少し汗臭い匂い。
そして、見慣れたちょっと困ったような笑顔。
「くそおおっ!」
ついに苛立ちを堪えきれなくなったムクロは、傍の立ち木を貫き手でぶち抜いた。
「きゃっ」
可愛らしい声が傍で聞こえたことで我に返ったムクロは、背後からパオリンが近づこうとしていたことにようやく気づいた。
「うわっ?! な、なんだ…パオリンか。いつからそこに?」
「いや、ついさっき通りかかったところだけど、ムクロに声掛けようかと思ったんだけど、いきなり叫んだかと思ったら傍の木をぶち抜いたでしょ? だからびっくりしちゃってさ」
「…心配かけたようだな、すまん」
「ううん、気にしないでよ。あたしら友達じゃない」
そう答えたパオリンは視線を外している。
実際にはムクロが珍しく活発に煩悶しているのを見て、何か面白そうだとそおっと近づいたのだ。しかし、先ほどの立ち木を素手で打ち貫いたのを目の当たりにして尚その事実を指摘することは流石に憚られた。
「ん……ありがとう」
幸い、ムクロは彼女の思惑には気づかなかったようだ。
「…そういえば何故パオリンはここへ? 今はまだ裁縫の時間だろう?」
「うん。花飾りをあしらおうと思ったんだけど、材料が足りなくてね。ちょっとウォードと予算について相談しなくちゃならないのよ」
「ウォードと?」
その言葉に、ムクロは首を傾げる。
「あら、何か変なことでもあった?」
パオリンはどちらかというとクゥレルと仲が良いように思っていたので、ムクロには意外に聞こえたのだ。
「お前はクゥレルと組むんじゃないのか?」
そう指摘すると、パオリンはちょっと寂しそうに笑った。
「それが、班員との都合でさ」
「ああ…」
ムクロがなるほどと頷く。
パオリン班とウォード班は前者が女、後者が男と男女比が偏っているため、班合同で計算しているのだ。
「あーあ、こうなると知ってたらあたし班長なんて引き受けるんじゃ無かったよ」
あっけらかんとした口調だが、その表情に拭いがたい寂しさみたいなものを垣間見たムクロは、知らず呟いていた。
「まったく、人の想いとはままならないものだな。……なんだ、その信じられないものを見たみたいな顔は」
非難がましい口調を受けて、あんぐり口を開けて固まっていたパオリンが慌てて両手を打ち振った。
「いやだって…あんた、そんなこと言う感じじゃなかったから。もっと超然としてると思ってたから驚いたのよ」
「なんだそれは。…馬鹿にしてるのか?」
パオリンは大慌てて首を振った。
「褒めてるのよ。周りの人に目を配るようになった、周りに興味を持ったんだなぁってね」
「周りに? …ふむ」
そういわれてみれば、思い当たる節が無いわけでもない。
そして、ここまで自分のことを観察しているパオリンになら自分の混乱の原因についても説明を付けてくれるのではないか、ムクロはそう思い至った。
「なあ、パオリン。少し時間もらえないだろうか。君のその鑑識眼を見込んで聞きたいことがある」
よもや相談を持ちかけられるとは思っていなかったパオリンは驚いたが。
「あたし? アベルやユーリィンの方がいいんじゃないの?」
「駄目だ。その…ハルトネク隊のみんなに相談することを想像すると、何故か……鼓動が速まって、治まらないんだ…」
「ムクロ、あんた…」
あまりに思いつめたムクロの真剣な雰囲気にパオリンは茶化すのを止めた。
「良いわ。何がそんなに気になるのかわかんないけど、一先ず全部話しなさいな」
「ああ、そうしてもらえると助かる」
そうして二人は校庭から少し離れた草むらに腰を下した。
「そうだな…何から話すか」
しばらく迷った後、ムクロは自身のことだというのを伏せ、自分が第三者から相談されたという体で話し始めた。わざわざそんな回りくどいことをしたのには、表向き冷静な意見を聞きたいからと自分では思っていたが、その実何故か強い羞恥を感じたからである。
そのため、時折回りくどい、或いは説明不足な部分がままあった。にも関わらず、パオリンが嫌な顔一つせず最後まで黙って聞いてくれたことにムクロは救われるような思いがした。
「う~ん…なるほどね」
小一時間掛けて話し終えたところで、ようやくパオリンが声を発した。
「どうだ? どういうことか、判るだろうか?」
不安さを隠すことも無く、勢い込んで尋ねるムクロに、パオリンはちょっと考え込んでから質問した。
「答える前に幾つか聞きたいんだけど、正直に答えてくれる?」
「あ? …あ、ああ。なんだ?」
「ええと…まず一つ目ね。ム…その人は、相手と話していてどう思った?」
「どう、とは?」
「ん~…そうだねぇ。例えば、楽しかったり、胸がどきどきしたり、ついつい焦ったり。後は、気づけば目で相手のことを追ってたりするかも。あと、傍にいなくても、目に入ると嬉しくなったりとかしない?」
ほんのちょっと考え、ムクロはゆっくり頷いた。
「……する」
「どれが?」
「どれも。全部だ」
「そっか」
途端、パオリンはにこっと破顔した。
「それなら判るよ。あたしも身に覚えが山ほどあるし」
「そ、そうなのか?! それは一体、どんな病気なんだ?!」
食い気味にがぶり寄るムクロから僅かに後退りながら、パオリンが答える。
「病気じゃないわよ。…いや、一種病気かしら? まあいいや、要はね、その人のことが大好きってことなんだと思うわ」
「だい、す…き……」
三拍置いたところで、ムクロの顔が真っ赤になった。
「俺が?! え、あ。いや、そいつが?!」
「うん。…違うの?」
「違う! あ、いや、違わない! いや、じゃなく……」
ムクロ自身、自分が何を口走っているか判らない。
ただ、ありえない、それだけが脳裏にあった。
「ああああもう、やっぱり違う! 俺が、そんな気持ち…ありえない!!」
そういうとムクロは突然立ち上がった。
「きゃっ、何?」
「ひとっ走りしてくる」
「…は?」
そのままパオリンをその場に残したまま、ムクロは全力疾走で駆けて行ってしまった。
しばらく呆然としていたパオリンだったが、ようやくやがて我に返ると立ち上がり、腰布についたごみを払いながらムクロの後ろ姿を見て独り言ちた。
「そっかぁ、ムクロも恋してるかぁ。誰にかは判らないけど、頑張ってね。……そういえばさっきの後姿、妙に柔らかげで華奢に見えたけど……前からああだったっけ?」




