第26話-1 ネクロ
アグストヤラナに戻ってきたアベルたちは就寝中の生徒たちを起こさないようアリウスとムクロたちを普段使いの教室で待機させ、デッガニヒたちを呼んだ。
そうして今、後ろの壁際へ机で仮に設けられた寝台の上で転寝するアリウスとネクロたち以外に、教室にはデッガニヒとアルキュス、そしてメロサーも集まっている。
「なるほど、襲撃されおったのか」
予定していたよりはるかに速い合流の理由についてあらかた聞き終えたデッガニヒは、かまどの傍に陣取ったまま腕組みをして唸った。
「くぁ…ふぁ。それにしてーも、皇太子とーは…むにゃむーにゃ」
一方、窓際に立つメロサー先生はあくびを時折噛み殺している。それを隣のアルキュス先生がぎろりと横目でにらんでからつづけた。
「ラシュバーン将軍が残ったのがつくづく残念だねぇ。詳しいことを彼の口から聞きたかったのだけど」
「それなら、俺たちがある程度は答えられると思うぜ」
中央に設けられていた椅子に腰掛けていたネクロがのんびり答える。敵地になるかもしれないと言うのに堂々としたものだ。
「その前に確認しておきたいのじゃが」
それまでにこにことしていたデッガニヒが眼光鋭くムクロを見つめる。デッガニヒのはじめてみせる硬い雰囲気に、後方で見守っていたアベルたちは何を言われるかと固唾を飲んで動向を見守った。
「お前さん、アベルたちの班の仲間として学府に在籍しておったムクロでええんじゃな」
ムクロは頷いた。 脚を組んで余裕綽々の兄とは違い、こちらは椅子にしっかり腰掛け拳を太ももに置いた形で背を伸ばし、デッガニヒとしっかり向き合っている。
「ああ」
「ムクロは仮面をつけている方と思っておけばいいさ。簡単だろ?」
大あくびしたネクロが後を引き取り説明するが、アベルは彼が言い終えてから油断なく自分のことを見たのに気づいた。どうやらへらへらしているのは演技らしい。
「そういえば何でムクロっていつも仮面をしてるの?」
「これは…」
そんなことを露とも知らず気安く尋ねたリュリュに対し、言いよどんだムクロの言葉を遮りネクロが答えた。
「魔人の一族に伝わる風習でな。簡単に言えば、成人前はそうして顔を隠すんだ」
「へえ~」
興味深そうにリュリュが頷いた。
「魔人族にもそういう儀式はあるんだね~」
「…まあな」
詰まらなさそうに答えるムクロだったが。
「ま、それももうじき外せるようになるかも知れんけどな」
「兄さん」
軽口めいてはぐらかすネクロを、ムクロがややきつい口調でたしなめた。
「へいへい。黙ってますよ」
どうも身内のネクロ相手だとムクロも普段の調子が出ないらしい。それがおかしくてアベルは思わず笑みを浮かべていた。
「…何か面白いことでもあるのか、アベル」
「いや、なんでもないよなんでも」
鋭く見咎められ、アベルが慌てて両手を振りながら言い繕う。ムクロは一旦は口を開きかけたものの、結局言及するのを諦めたようだった。
「さて、話を戻すがの。わしとしてはあらかじめ幾つか確認しておきたいことがある。まずその子がアリウス王子だと証明してもらいたいし、その上で実際に王子だったとしたら自国の兵ではなくわしらに救助を求めた理由、そして王子が今後どうするつもりなのか。この三つを改めて確認しておきたい。今後の方針を決めるためにものぅ」
ネクロが頷く。
「あんたらとしては巻き込まれた形になるから、納得したいのは当たり前の話だな。まず、王子と証明するのは簡単だ。王子が帯びてる剣の柄には王家専用の紋様が掘り込まれている。詳しい奴が見れば本物だとわかるはずだぜ」
見た目の割りに機敏な動きでデッガニヒが近づき、剣を調べると頷いた。
「なるほど…確かに。略式ではない、これは王家専用に使われる紋じゃのぅ」
しかし、その警戒心は解くどころか更に厳しくなっている。
「じゃが、何故お前たちがこんな物を知っている? 王家の物が身分証を身近な物に隠しておくことはよくあることじゃが、それがどれかなど本来なら近侍などのよほど身近な者でなければ知らないはずじゃ。逆に暗部と言えば奴隷以上市民以下の扱いが殆ど。ディル皇国でもそれは変わりあるまいに、不思議なこともあるもんじゃわい」
「それは…」
口ごもるムクロに対し、ネクロはさらりと答えた。
「別に大したこっちゃねえよ。俺たちはこいつの腹違いの兄弟なんだよ」
当然、そんな重大事をアベルたちはさりげなく流せるわけも無い。
「えっ?! い、いや、大したことだろそれ!?」
仰天するアベルたちに、ネクロが淡々と説明する。
「俺たちの母さんは、元々はディル皇国の城内で侍女として働いていたそうだが、そのとき国王に見初められてな。要するにお手つきあそばされたわけだ。ほんの数回の逢瀬だったらしいが、その結果俺たち双子が生まれたのさ」
「…でも、それなら君が王子じゃないのか?」
アベルが見やると、ネクロははっと鼻で笑った。
「アベルと言ったか? 世間知らずだな、お前。例え血を引いていようがなんだろうが、魔人族を神輿に祀り上げようなんて酔狂な物好きはいないんだよ。誰だって神話時代からのすべての敵、化獣の仲間みたいなのに王様になんかなってもらいたくねえだろ? 仮にそうなった日には国民総すかん、担ぎ上げた奴も気狂い扱いされて一生牢獄暮らしが確定さ」
誰もが黙り込んだことがその言葉を肯定していた。
なんて答えていいか判らず困ったアベルは見渡すが、唯一目のあったリティアナは黙って首を振る。余計なことは言うな、ということだろう。
「まあとにかくだ。本来なら母親もろとも殺されるところだったんだが、そこをラシュバーンの爺さんに拾われてな。俺たちは本来の名前と継承権を捨てさせる代わりに適当な名前と命を得たって訳だ」
「…前線に出ていたのも、それに関わりがある?」
リティアナが指摘すると、ムクロがああと頷いた。
「生き残る条件の一つとして、暗部で生きることを定められた。その必要が無いときは前線に回される」
その後を、ネクロが軽い口調で受け継いだ。
「大臣どもは単に閉じ込めておくとかでは信用できなかったようでな。汚れ仕事を任せておけば、万が一にも担ぎ出そうなんて馬鹿も出ないってことさ」
「な…なんだよそれ!」
我慢しきれず、とうとう爆発したアベルに視線が集まった。
「なんだ、俺たちの生き様が気に入らないってか?」
口元はへらへら歪めながらも、ネクロの視線が鋭くなる。が、
「違うよ! 何だよそれ! そいつら、ムクロたちが何したって言うんだ! 魔人ってだけで!!」
まるで魔人を庇うような台詞を即答したアベルにネクロは面食らったようだった。
「はぁ? …お前、何言ってるの? 俺たち魔人族だぜ? 頭大丈夫?」
呆れたように、自分の頭の横を差した人差し指をぐりぐり回しながら尋ねるネクロに、むっとしたアベルが噛み付いた。
「大丈夫だよ! 魔人だろうとなんだろうと関係あるか! 君たちは君たちだろ!? 血筋だけで生き方を強制されるなんて絶対おかしい!」
「はぁ…?」
どうやらアベルが本気で自分たちのために怒っていると理解したネクロは、奇妙なものを見る目つきになった。
「…お前、馬鹿なんじゃないの? いや…ああそうか、馬鹿なのか」
しみじみ嘆息され、アベルも頭に血が上る。
「何でだよ!」
「何でも何も、俺にそんなこと言ってもしょうがねぇだろ」
「あ…」
呆れた口調で指摘され、アベルはぽかんと大口を開けた。が、すぐに
「それもそうだね。ごめん」
素直に謝ったところで、ネクロはぷっと吹き出した。
「お前、面白いわー」
「え」
ネクロの反応に毒気を抜かれ、アベルの怒りが急速にしぼんでいく。ネクロはつかつか歩み寄ると、馴れ馴れしく肩を組んで言った。
「変な奴って、周りから言われるだろお前」
アベル以外のハルトネク隊全員が深く頷いた。それを見渡し、ネクロがやっぱりなと笑った。
「お前のこと、どうせ何か腹に一物抱えてネクロを懐柔しようとしてる人族によくいる手合いかと思ったけどよ。見た限り、そんな腹芸のできるほど器用な奴じゃねぇなぁお前。良いぜ、この間の件は手打ちにしてやるよ。頭ん中この季節ぴったりのお花畑な人族なんて面白いもん見れたしな」
どうやら馬鹿にされていると気づいて憮然とするアベルに、ムクロが苦笑しながら笑いかけた。
「兄さんはそれで礼を言ってるんだよ。一言二言余計なのが兄さんの悪い病気でな。それに、俺からも。…ありがとうな」
途端、ネクロもなんとも言えず微妙な表情になる。 彼らのやり取りにどう答えていいか判らず、アベルは頭を掻いた。
「はぁ……良く判らないけど…どういたしまして?」
にっと笑い見やったネクロが、
「……さて、話を戻すけどよ。そういう理由があって、俺たちはアリウスとは縁があったんだ」
「でもそういうことなら、尚更アリウス王子とあなたがたとでは直接面識を持つ機会が無かったのではないのではなくて? 幾ら血縁があっても、いやあれば尚更皇族と魔人族を引き合わせることは嫌がられるでしょうし」
それまで考え込んでいたレニーの問いに、ネクロがまぁなと応じる。
「それについてはラシュバーンのおっさんが余計な気を回してな。あのおっさんも、竜人族との混血の出だったから、俺たちの環境にもそれなりに理解してくれてたんだ。だから、兄弟として逢わせたかったんじゃないかな」
そういってアリウスを見つめるネクロの表情は優しい。
「それだけ近くにいられるなら…」
アルキュスが言いかけたのを、ネクロが素早く制す。
「おっと、痛くも無い腹を探られるのは面倒だから前もって言っておくが、別に俺たちは王位の簒奪とかに興味はまったく無いぜ? 現国王にはともかく、こいつには含むところは無いし、何よりこいつはこいつで色々窮屈してるってのは俺たちも良く見てる。そんな面倒、わざわざ自分から背負い込むなんて馬鹿のすること、真っ平ごめんだぜ」
そう放言すると肩をすくめ、寂しげに笑う。
彼からすれば、回りの人間が信用しようとしまいと知ったことではないということか。どうせ言ってもまず納得してもらえないし、納得しない相手に実力行使されることも慣れているから――そんな意思表示にも見てとれた。
「つーか繰り返しになるけどよ。俺たちだって魔人族の血を引くものが嫌悪されてるってのは十分理解してるのさ。だから俺は関わりたくなかったが、ムクロの奴に『いつ死ぬかも知れないからその前に一度で良いから弟に会っておきたい』って我侭を言われて会うことにしたんだ。――嫌われる覚悟でな」
そこまで言った所でふと気づいたのか、アベルを一瞥し、
「そういやぁ、珍しい人族は二匹目だっけな。どうやらムクロは珍種って奴に縁があるらしいや」
大仰に肩をすくめて見せた。
「兄さん。言いすぎだ」
眉根を寄せて咎めるムクロにネクロはべろんと舌を出しておどけてみせた。話好きの兄が脱線するのをムクロが嗜めるのが恒例なのだろう。
「へいへい。えーと、それでどこまで話したっけ? …ああ、そうそう。まあ俺たちとしては年の離れた弟でな。そしてこいつもまた珍種だったのさ」
「彼はあなたたちと血のつながりがあることは?」
ユーリィンの質問にネクロは肩をすくめた。
「ラシュバーンのおっさんがその辺気を回して知らせていないはずだぜ。その方がこいつのためでもあるしな」
(へぇ…)
その偽悪的な言い方の裏で、優しい目つきでアリウス、そしてムクロを見つめるネクロの表情に気づいたアベルは、この短時間で彼への認識を改めた。さっきからひっきりなしに悪態をついているのも、どうやらそれが彼一流の照れ隠し方なのだろう。
「なるほど…君らが何故ディル皇国の王子と個人的な誼を結んでいるかは理解した。また、それにまつわる事情が色々複雑であることもな」
二度三度と頷き、デッガニヒが穏やかな声で言った。
「アグストヤラナ臨時校長デッガニヒの名に於いて、今の情報はここにいる者のみで取り扱うよう計らおう。下手に情報が洩れたら、どんな累が王子にまで及ぶか判らんからのぅ…危険は避けるに越したことはないわい」
「おう、頼むわ」
「すまない、そうしてもらえると助かる」
まったく感謝の念を感じさせない態度で答えるネクロ。一方、ムクロは素直に頭を下げた。
「うむ。さて、次じゃな…お前さんたち、今回わざわざ回りくどい手間をかけてまで繋ぎをつけてきたわけだが…何故わしらに助力を?」
デッガニヒが平板な声で尋ねる。
「弟が母校へ顔を出すいい機会だったから…というのはお気に召さないかい?」
それを分かっていてあえて軽口めいて返すネクロに、デッガニヒはにやっと破顔した。
「無論、在校生が登校するのはまったくおかしくはないのぅ」
その内心を韜晦した対応に、ネクロは逆に顔を引き締める。
「…食えない爺さんだぜ」
臨時とはいえ校長を務めるデッガニヒが、庇護を求めてきた敵国の重鎮がアグストヤラナを利用しようとすることの可能性、及び危険性を理解していないわけが無い。だが、そんな雰囲気をおくびにも見せず、逆に相手の油断を誘うようなのんびりとした対応をしてみせたことがこの老人が一方ならぬ人物であることを示している。
一方ネクロとて、幼少から様々な曲者と関わってきた自負がある。彼の一見軽薄にも見える態度もまた、その結果身についた自分の心を上手く隠すための技術で構築されたものだ。
「食い物なら大歓迎なんじゃがのぅ。それで、聞かせてもらえるんじゃろうな?」
破顔するデッガニヒだが、その視線には嘘偽りを見逃さんとする底冷えさせるような気迫がこもっている。
「…はぁ。わーかったよ」
小手先では到底この相手は誤魔化せそうにないと悟ったネクロが大きく嘆息した。
こういう相手には、下手に誤魔化そうとすると逆に踏み込まれる。今はそのようなことをしている場合ではないからこそ、胸襟を開く方法を選ぶことにした。
「ムクロも言ったろ? あんたらしか、頼れそうな伝手が無かったんだ」
「アベルたちだけ?」
「ああ」
ネクロが頷く。
「はっきり言っちまうと、国内において権力を持つ者で信用できるのはもはやほとんどいねぇんだ。何しろ、国王本人が懐柔されてしまってるからな」
「国王が懐柔? またずいぶんと穏やかじゃないわね」
ユーリィンが顔をしかめる。
「事実だから仕方が無いだろ。今のディル皇国は、実質一人の男によって牛耳られちまってるのさ」
「そいつは?」
アベルが尋ねると、ネクロは一息ついてからはっきり答えた。
「セプテクト=リェラハルト。現在のディル皇国摂政にして第一将軍様さ」
しばらくの沈黙の後、デッガニヒがちょっと困ったように尋ねた。
「えぇと…そいつは何者かの? わしは聞いたことがないのじゃが」
視線を受けた他の先生方も同様に首を振る。
デッガニヒがそういうのに、ネクロが肩をすくめて答えた。
「そりゃそうかもな。ここ数年でいきなり台頭してきたんだが、それまでほとんど表に出たことが無い…いや、いまもか。まあ、その出自からすればそれも当然の事だけどよ」
その言葉に、レニーが首を傾げる。普通は大臣などに取り立てられたりする際、会合を開き重臣や貴族たちへ顔見せを行う。そういう人と人の繋がりは、上流階級であればあるほど重要になるからだ。
「ん? 貴族の出とかでは無いということですの?」
その問いに、ネクロは渋っ面で答えた。
「ああ。貴族じゃねえ、平民のはずだ」
「まあ! 平民が国政に参加できるんですの、ディル皇国では。進んでますわねぇ」
「んなわけねぇだろ、あほか」
素直に感心した彼女にネクロが冷ややかな視線を向けた。
「数年ほど前ふらっとやってきて、評判の占い師として国王に取り入ったのさ。はじめのうち占ってたのはほんのちょっとしたこと――その日着る予定の服やら厩舎の配置場所とかの、取るに足らないことだったさ。だが、それがどうやったもんだか…とにかくやることなすことすべてが国王のお気に召すままってな、あれよあれよと言う間に重大なことまでお伺いを立てるようになっていったのさ。最近は摂政にまで上り詰めたが、今思うに大分前から手を回してたとしか思えねぇ」
ムクロがその後を引き継ぐ。
「侵略を進言したとき、セプテクトが『化獣の量産化の目処が立った。操るのもいずれは可能になる』そう言っていた。突拍子も無いことだとそのときは多数の家臣に笑われたが、実際に化獣をどこからか城へ大量に連れてきてみせたんだ。まあその化獣は従わず、笑った家臣たちを食い殺した訳だが、それもセプテクトの地位を上げるのに役立った」
その後のことは容易に想像が付く。
敵味方お構い無しに暴れる化獣を大量に放てば、戦線が容易く崩壊するだろうことは馬鹿でも判る。後は放つ時機にさえ気をつければいい。
楽に勝てるとなれば賛成派は諸手を振って受け入れるし、逆に反対派は黙り込まざるを得なくなる。こうしてセプテクトとやらは、王宮内での発言権を獲得していったのだろう。
「それにしてもディル皇国の兵士って肝が据わってるわね。あたしだったら自分まで餌としか見ない奴と並んで行軍なんかしたくないわ」
ユーリィンの軽口に、ネクロが肩をすくめる。
「もちろん、全うな将軍は反対したさ。だが、すぐにそれも無くなった」
「どうして?」
「そいつらは多分、片っ端から化獣かその餌にされちまってるからだよ。ま、考えようによっちゃ食われるかもしれないという恐怖を金輪際感じなくなるのは幸せかもな」
「ああ、テュレルよ!」
レニーが顔を青ざめさせ、光を司る神の御名を唱えて口を手で覆った。
「で、でも本当なのそれ?」
リュリュの疑問に、ネクロが肩をすくめる。
「以前からちらほら噂はあったんだ。侵攻を停止してしばらく後、他国の襲撃を警戒して哨戒部隊をディル皇国の各地に持ち回りで配置するってことになってよ。だが、しばらくすると軍内で妙な噂が立つようになってな。とある山に配置された部隊が、帰ってくるとおかしくなる…って言う内容だ。んで、実際に調査した結果、他国との戦闘時に妙な挙動――いや、この際はっきり言っちまおう。化獣化、あるいはその兆候を見せた連中は何れもそこに配置されたことがある奴らばっかりだったという結果が上がったのさ」
ムクロが補足する。
「覚えているだろう、去年の春頃にディルが進軍を停止していたのを。噂はその時期からはじまっていた。つまり、そのときから奴は兵を補充していたんだ…化獣化してな」
あまりのことに、誰もが言葉を失った。確かに、当時の不可解な行動について、兵力の補充をしているからではないかと考えた者はいた。だが、当然そのような形での補充を想定した者などいない。
レニーが、声を震わせ吐き捨てるように不快感を露にする。誰もが同じ気持ちだった。
「酷い話…それでは民を捨石にしているようなものですわ! 貴族は民を導き庇護する存在でなくてはならないのに!!」
何度目だろう、ネクロが肩をすくめた。どうやら彼の癖らしい。
「まったくだね。あっちの貴族連中に爪の垢でも飲ませてやってくれや。ラシュバーンのおっさん以外のお偉いさんはみんな、下っ端は幾らでも替りが利くと考えてるんだ。それを知ったから、おっさんは国王を諌めようと動いた…が、遅かった。上申したが、聞き入れるどころか邪魔だと閑職に左遷されちまった。そうなると、もう駄目さ。現場の連中がどんなに嫌がっても上が有効だと判断したら何にもできやしない。そうしないと今度は自分たちがされる側に回されちまうからな」
「ふぅむ…護衛の話に戻るが、子飼いの傭兵とかはおらんかったのかね?」
デッガニヒがあごを撫でながらネクロに尋ねるが、彼は首を横に振った。
「もういねぇ。完全に腑抜けにされた国王によって傭兵隊は解散か、厳重な監視がついている騎士団に再編成されちまった。幾ら王子といえども、国王が健在な状態では勝手に兵を動かすことはできねぇ。下手なことをすれば謀反を企んでいると思われちまうからな。強いて言えば、ラシュバーン将軍の手勢と、俺とムクロが子飼いの兵だったってことになるが…残りは王子を逃すときにみんな討たれちまった」
その言葉に、アベルはもう少しはやく気づければという思いが浮かんだが、目が合ったムクロは黙って首を振った。気に病むなということらしい。
「ふむ。なるほど、これは面白い話だが…それは答えとは言えんのう」
デッガニヒが鋭い視線でネクロをにらみつける。
「それは国内に安心できる場が無いという答えに過ぎず、『アグストヤラナを選んだ』ことへの答えにはならん。今は全面的に敵対を宣言したとは言え、過去に同盟を結んだ相手国へ逃げるなども可能じゃったろう。特に王子がおるのであれば、相手方もそう無碍にはすまい」
「そう、本来ならな」
とムクロがため息を漏らした。
「だが、今回は特殊な事情がある。それは他国にも流出させてはならない。ラシュバーン将軍も常々そう言っていたし、俺たちもそう思う。だからこそ、軍を有する他国への亡命は最終手段として考えた。逃げた先で虜囚や実験体にされては困るのでな」
その説明に、デッガニヒの表情が険しくなる。
「化獣か…」
しん、と静まり返ってしまう。
あらゆる形で化獣、そしてそれを軍事転用したセプテクト何某が関わっている。実に恐るべき相手だ。
沈鬱な雰囲気を切り裂くように、デッガニヒがのんびり尋ねた。
「そういえば、最近は死なない兵士というのも出回っておるらしいが、それも化獣と何か関係があるのかの?」
デッガニヒの問いに、ネクロがあからさまに嫌そうな顔になる。
「…ああ。俺もその話は聞いたし、実際に目の当たりにもした。ぞっとしたぜ。ありゃあ…動く死体のようなもんだと思った方が良い。先に言っておくが、その造り方などの具体的な内容はしらねぇぞ。技術的なことは、セプテクトが秘匿してるんだ。他国から送り込まれた間諜も、誰一人として生きて帰れた奴はいねぇ」
「構わん。今はわかるだけでも情報が欲しいんじゃ」
デッガニヒに促され、ネクロはしぶしぶながらつづけた。
「あれは……あれも、要するに化獣なんだよ」
「え? でも、大きさとか見た目は普通の人と同じだったぞ?」
アベルは、砂漠でターナベル兵に群がったディル兵のことを思い出しぶるっと身震いした。
「ああ。そうならないよう、処置を施しているんだとさ」
「処置だって?」
とんとん、と自分の頭を人差し指で叩く。
「簡単に言っちまえば、脳みそをぶっ壊してるんだそうだ」
何人かが、はっと息を呑んだ。
「化獣の身体が肥大化するのは、要するに魔素の暴走による影響を受けた脳の命令に適応するよう、自分で自分の肉体を作り変えた結果だ。だったらその脳みその動きさえ阻害しちまえば、魔素の暴走だけが残ったままになる。結果、強力な身体能力だけを維持した兵士が生まれるってわけだ。も一つついでに言えば、脳を阻害っつっても壊すわけじゃねぇ。自我の認識を取っ払うことで、命令には従うようになってる――つっても、簡単な命令しか理解できねぇけどな。ま、戦争をしたい貴族どもからすれば屈強な、しかも従順な兵士が手に入って万々歳。そりゃあセプテクトを重用しねぇ訳がねぇやな」
再び部屋が静まり返る。
「だけど、いつから根回しをはじめたのかしら。……取り立てられてから本格的に動き出した…?」
しばらくの沈黙を経て、リティアナの疑問に今度はムクロが口を開いた。
「いや恐らく…ブレイアが滅ぼされる前からと考えた方が自然だ」
そこで懐かしい名前が出たアベルとリティアナはぎょっとした。
「どうしてそう思うの?」
「これは俺の推論だが…アベル、リティアナ。お前たちが昔ブレイアで見たとき現れた化獣だが、山犬の化獣しか見ていない…そうだな?」
名指しされた二人が同意する。
「そして、次に化獣が表に現れたのがヴァンディラ。このときは陸王烏賊が素体に用いられている」
今度はレニーが頷いた。
元の素材である陸王烏賊の脳に該当する神経節は甲羅内全体にあり、身体の比率でみると山犬のそれより大きい。
「そしてダーダ。セプテクトによって造られたものかどうかは定かではないが、ドゥルガンが呼び出したのであれば繋がりがあるだろうな。そして、頬垂犬は陸王烏賊より知能が高い」
ドゥルガンが呼び出したというのは、アベルが戦っていたときに彼自身が口にした言葉だ。
「この流れを見るに、対象の脳も比例して巨大になっていっている。要するに、実験台がどんどん賢くなっていっているわけだ」
「…その到達点が、人だったと?」
ムクロが肯定する。
「恐らくな」
ムクロの話には証拠が無い。しかし、それでも説得力があった。
元々兵士の中に化獣を加えて進軍していたディル皇国軍のことだ。
当初は制御しきれず、自軍の被害も多かった訳だが、それを更に改善…いや改悪し、自軍の被害を度外視してついには制御できる化獣を生み出した……
なんとも胸糞の悪くなる話である。レニーも、もはや反論する気力も無いようだ。
「しかし、そ奴はどうやってそのような知識を得たのやら…人を化獣へと変える技術など聞いた限りでも、今の世の技術を超えておる」
デッガニヒが茫洋と呟いたその問いに、答えられるものはいない。
「ともあれ、そういう技術がある国の王家が他国へ亡命するとどうなるか…さっきも言ったが簡単に想像できるだろ?」
デッガニヒが頷く。
「一学府なら極端な話、技術を得ても軍備に生かせることは無いじゃろうし、何よりここは建前上複数の国の出資によって運営されておる。仮に情報が漏れたとしても、技術を奪おうとする国に攻め込まれる危険性も少なかろうという打算もある――といったところじゃな」
「ま、そんなとこだ。そして最後の決め手になったのが」
口元ににやつく笑みを浮かべたネクロがアベルを見やる。
「『あそこなら、魔人族の自分達相手でも真摯に話を聞いてくれる。そんな馬鹿な奴がいる』とこいつが珍しく強い口調で説得してきてな。どちらにしろ他に打つ手は無かったし、なら少しでも可能性のあるほうに賭けてみたってわけだ。ここまでで何か疑問はあるかい?」
何も言いこそしなかったが、ムクロの耳が心なしか赤らんでいるようだ。
「それで、ネクロ。あんたから見てこの賭けはどちらに転んだと見る?」
それに気づいているユーリィンが悪戯っぽく尋ねると、ネクロもにやっと返した。
「焦るなよ。今はまだ賭け台に着いたばかりだからな。これからだよ、これから。…まあここまで見た感じ、分が悪い賭けじゃなさそうだけどな」
「あんたも大概素直じゃないわねぇ。ま、今のところはそういうことにしておいてあげるわ」
ネクロが大仰に肩をすくめたところで、
「ふむ…納得できる話ではあるのぅ。確かに、下手に他国へ助力を求めるよりは悪くない考えじゃろうな」
そういうとデッガニヒは手にした杯の中身を飲み干し、大きなおくびを一つ出した。
「君たちの懸念、そして行動は理に適っておる。保護することに対する報酬も、王子が依頼人なら十二分に得られよう。そういう事情なら、わしは庇護するのもやぶさかではないと思うが、先生方はどうかの?」
アルキュス、そしてメロサーにも異論は無かった。
「うむ。では今ここに、アグストヤラナは君たち三人の身柄を預かることを宣言する」
その宣言に、ムクロがほぅっと安堵の吐息を吐いた。
「場合によっちゃ、命を懸けてでもアリウスを逃がすつもりだったが…その心配が無駄になってよかったぜ」
ネクロも軽口を叩くが、額の生え際に玉のように浮かぶ汗が緊張していたことを伝えていた。
「良かったねぇ、ムクロ! それとその兄ちゃん!」
重い空気に耐えられなくなったのか、それとも純粋に嬉しかったのか。リュリュがふわりと浮き上がり嬉しそうに辺りを飛び回った。
「俺はついでかよ…まあいいけどさ」
「さて、最後の質問じゃ。君たちは…わしらに何を求めるのかね? ただ庇護されるだけのつもりはあるまいて」
鋭い視線がネクロ、そしてムクロへとぶつけられる。だが二人が口を開くより先に、別の人物が代わりに答えた。




