第24話-1 ハルトネク隊、斥候任務遂行中
リティアナを含むハルトネク隊の五人は今、フューリラウド大陸の中心に位置するムディラ=ミルネ山から死霊の顎へと伸びる横谷に沿う丘の上を進んでいた。地肌がむき出しになった真横の崖は長年の日光にさらされた結果焦げ茶色に焼け付いており、砂利の地層が重厚な年月を感じさせている。
暦の上では芽吹月で、寒さが抜けて温かくなりだした過ごしやすい季節のはずだがここではまるで違う。真夏と言う言葉でも生ぬるい酷暑。
日が傾いてから大分経つのにそれでも尚焼け付くような太陽の下を、一行は珍しく無言のまま進んでいた。口を開くと口内の水分が奪われて疲労が一層激しくなるからで、たまに塩分補充のための岩塩を齧るときだけ僅かに開かれる。
彼らの歩くすぐ傍を急勾配で落ち込んでいる谷底には清流など流れておらず、代わりに砂の海が地平線のずっと先まで広がっていた。今いるところから二日ほど砂漠を突き抜け真っ直ぐ西進すれば、死霊の顎が見えてくるだろう――生きていればの話だが。
やがて一番星が空に瞬くころ、ハルトネク隊は平板な岩盤層に出た。
今いるところは少し拓けた場所で、お誂え向きにすぐ傍に山側の岩が張り出し天然の岩屋となっている。
岩屋は酷く頑丈な岩で出来ており、それなりに奥行きもある。内部は熱も遮断されてひんやりしていて過ごしやすい。
中へ入り、上へ視線を転じると大きな岩の隙間に大きな亀裂が見える。天然の煙突となってくれそうだ。
下に目を向けると、風で吹き込まれた枯れ枝がちらほら転がっており、それを使った燃えさしが中心部にある、粗雑ながらも二日三日使うならば十分な出来のしっかりした竈にも幾ばくか残っている。
ここが、数日前から斥候任務に就いているアベルたちの仮住まいだ。
一行はそそくさと岩屋にもぐりこむと荷物を置き次第、手分けして周囲から使えそうな枯れ木を手早く集め出す。それを受け取り火を熾しはじめたアベルの傍では、レニーが学府から貸与された水がめに水を作り出していた。
小さい火を囲んだところで、五人はようやく気を緩めた。
アベルをはじめ、ハルトネク隊の仲間たちはどちらかと言うと寒い地方出身の者が多い。そのため、砂漠での行動は彼らにとって著しい体力の消耗を強いている。
「今日も暑かったなぁ…」
「水浴びが恋しいですわ……たっぷりした湯に使って、肌がふやけるほど浸りたいですわ…」
しみじみ、レニーが呟くと誰もが頷く。
アベルに限らず、一同は薄い衣服を纏っているが、袖や首周りにはうっすらと白い輪が出来ている。噴き出した汗が片端から乾燥し、塩と化すため大量に汗を掻いてもすぐにかさかさになってしまうためだ。
「はい、アベル。あなたの分ですわよ」
「ありがとう、レニー。それじゃあいただきます!」
水を受け取った仲間たちは久方ぶりの冷えた水で喉を潤す。それがここでの至上の楽しみだ。
「飲みすぎないようにね。明日の分もあるんだから」
「判ってるって」
さっさと飲み干したリュリュは、名残惜しそうに空の杯を必死に傾けている。
飲み終えた者は、順繰りに水に浸した手ぬぐいを受け取り外で体を拭ってきていた。
レニーが水を作れると言っても、体力に限りがある以上無尽蔵に生み出せるわけではない。
この場で無計画に使った日にはあっという間に死ぬことになる。
畢竟、節約した使い方が求められる。
「それにしてももういい加減学府へ帰りたいよ~。いつになったら動きが出るのさぁ」
リュリュがアベルの頭陀袋の上に寝転がった。
「そうですわね…予定通りなら、多分明日の昼頃に序幕戦がはじまってる頃合じゃないかしら」
今日の様子を思い返し、レニーが答えた。
確認した限りでは、死霊の顎を南に下った位置に、南西と南東に陣幕が張り巡らされるようになっていた。高所から見下ろす、続々と両軍の兵が自分の陣地に合流して陣を広げていく光景は、どことなく餌を巣に持ち帰る蟻の行軍を髣髴とさせた。
「序幕戦って?」
レニーの言葉に聞きなれない単語を聞き取り、アベルが尋ねた。
「戦争といってもいきなり殴りこむわけじゃありませんわ。まず両陣営が合戦場で整列した上で、お互いの兵が鬨の声をあげる。それから騎士が槍攻撃を交し合うのです…もっとも、ここら辺は砂漠だから馬上槍の出番があるかは判りませんわね」
仕事を終えたレニーが焚き火の傍に腰を下しながら答える。出自が貴族なだけあって、戦場の慣わしに関してはここにいる誰よりも彼女が詳しい。
「なんともまあ、面倒くさいことをするもんだねぇ」
むっくり身を起こしたリュリュが呆れたとばかりに嘆息すると、レニーは苦笑した。
「私が決めたわけじゃありませんもの。まあ、ただの殴り合いではお互い皆殺しにするまで収拾がつかなくなるから、ある程度はそうやって形式上に乗っ取る必要があるんですわ」
「うぅん、そういうもんかぁ」
リュリュはまだ納得いかないようで首を捻り続けている。
「ともあれ、それだけ時間掛けるようなら明日も宿泊決定かしらね…」
ユーリィンの呟きにレニーは多分と肯定した。
「うへぇ、また蒸し焼きになるのか。ここ数日で僕は鉄板で焼かれる肉の気持ちが判ってきたよ」
アベルが目に見えてげんなりする。
足元が白い砂で覆われているため、反射する光と熱でじくじく嬲られるからだ。
「仕方ないでしょ、それがわたしたちの仕事なんだから。それと、リュリュもさっさと拭ってきなさい。このまま寝たら、明日は体が匂うわよ。ユーリィンの鼻をもぐつもり?」
外から戻ってきたリティアナがリュリュに手ぬぐいを投げよこしながらアベルを諌めた。
「それはそうなんだけどさ…ああ、学府が恋しいよ」
「まったくですわね…」
一通り体を拭い終えたアベルたちは、同じ順番で今度は自分たちの上着を洗うとそれぞれ適当なところに干す。薄着になった者から順次火のそばへ車座に座りこんだ。 砂漠では夜になると急激に冷え込んでくるからだ。
「それじゃあ食事にしようか。天気は明日も晴れそうだし、体力を回復しておかないとね」
アベルの提案に仲間たちが頷く。予定した地点へ早く着く分には構わないが、逆に寝坊して遅れるわけにはいかないのだ。
まずは小振りの鍋へ、十数本のからからに干した芋の茎を放り込んで煮る。下茹でした際にソイユの実をすりつぶしたもので丹念に味付けしておいたため、これだけで濃い目の塩分が摂取できるのだ。
その間に他の仲間たちは受け取った干し肉を適当な枝に突き刺し、各自思い思いに焚火で炙っていた。
よく焼けたところで、同じく出来上がった芋茎汁を受け取り、各人無言で食べはじめた。しっかり腹が膨れたところで、アベルは学府に唯一人残っているベルティナのことを思い出した。
「ベルティナ、大丈夫かしら」
リティアナも同じ気持ちだったのだろう。
「まだ小さいのに、一人ぼっちで寂しがってないかしら」
彼女の心情を慮ったユーリィンがそっと手を握って慰めた。
「大丈夫よ、こうして学府を空けるのははじめてじゃないんだから。それにあの子は賢いから、仕方ないことだって判ってるわ」
「…そうね。ええ、きっとそう。しかし、またディル皇国が動き出すなんてね…」
リティアナの呟きに、皆表情を曇らせた。
アベルたちは今、ディル皇国の先遣隊がどの辺りまで侵攻してきているかを確認する任を負ってきている。
何故、一介の学生に過ぎないはずのハルトネク隊がそのような任務に就いているのか。
その発端は、半月前に遡る。
ドゥルガンの離反に呼応するように、ほとんど間をおかずディル皇国が再び進軍を再開したのだ。
戦端が再び開かれたことによって、出資していた各国がアグストヤラナへの出兵を要請。代理校長のデッガニヒは生徒たちの能力を吟味したうえで、在校している卒業生や契約中の冒険屋、三年生に限り出動要請に応じており、アベルたちもそうして駆り出されたのだ。
「それにしても、今頃ルークたちは良い思いをしてるんだろうなぁ」
もごもごと干し肉を噛みながら呟くリュリュに、ユーリィンが冷たい目を向ける。
「そんなに良い思いがしたいならルーク班への転属願いだしたら? あたしは嫌だから残るけど」
ユーリィンの硬い言葉にリュリュが慌てて言いつくろった。
「べ、別にそんなつもりじゃないって! ただ、良いところで寝てるんだろうなと考えたら…ね」
リュリュの予想は決して大げさなものではない。
デッガニヒは学徒動員兵の供出に対し幾つかの条件を提示していた。
その一つとして、生徒たちは直接前線へ出て戦うか、それとも後方支援を中心とした活動を行うかを選ばなくてはならない。
前線で戦う方が報酬や待遇は飛びぬけて優れていたが、アベルたちの班は全員一致で後方支援活動を希望していた。 その結果がこれである。
「例えディル皇国の兵士相手でも、人殺しなんてろくなもんじゃないよ」
暗い声で言ったアベルに、リュリュたちがぎょっとしたように視線を向ける。
アベルはドゥルガンの胸を貫いた剣の感触を今でもはっきり覚えていた。
「人々を守るために化獣と戦うのはまだいい。だけど、人と戦うと後で考えてしまうんだ。この人も、色々な事情や理由があって剣を向けたんじゃないか、って」
仲間たちは一言も発さない。
「…ごめん、雰囲気を悪くしてしまったね。さあ、それじゃ明日も早いから早めに寝よう」
気まずさを堪えながらアベルは道具を片付け始める。仲間たちも食べ終わった者から片付け、寝床の準備を整えた。
「ねえ、アベル」
横になろうとしたところで、そっと飛びよってきたリュリュがすまなさそうに小声で言った。
「さっきのは…その、別に不平とかじゃなくて…」
アベルは首を横に振る。
「ううん…むしろ、謝るのは僕のほうだ。僕の我侭にみんなを巻き込んでしまったんだから」
苦々しく呟くアベルに、リュリュが頭を激しく振った。
「ボクも、それにきっとみんなも同じ気持ちだって。じゃなかったらここまでついてこなかったよ」
「そうよ」
後をつづけてはっきり答えたのは、背を向けたままのユーリィンだった。 愛用の皮鎧の汚れを拭き取っているところだ。
「戦争なんて起きないで済めばいいに越したことはないし、殺し合いなんてもっての他。アベル、ムクロが敵として出てきてもあなたは戦える?」
アベルが即できないと答えると、こちらを向いたユーリィンはにっこり笑ってつづけた。
「でしょ? それはあたしたちだって同じことよ。戦争なんて馬鹿馬鹿しいし、知り合いと戦うなんてことももう真っ平ごめん。ここにいる皆、同じ理由で動いてるんだから、今更あなた一人で背負い込むもんじゃないわ」
「…そうだね」
ユーリィンの言葉にまだ起きていたレニーやリティアナも頷き、アベルもやや遅れて頷いた。
「さあ、気持ちの滅入る話はそこまで。いい加減寝ましょう」
リティアナの言葉を最後に、一行は睡眠の準備に取り掛かる。
外では夜空に満天の星が輝いていた。




