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アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
二年目
75/150

第23話-3 ひとまずの決着

 アベルの足が地に着いた。ほんの数分の間だけだったが、今はやけに懐かしさを覚えるアグストヤラナの校舎を目の当たりにしてようやくほっとする。



「帰ってこられたんだ…」



 図らずも洩れ出る万感の思いを込めた呟きと共に、アベルはしっかり掴んでいたベルティナの手を緩め、彼女を地面に下ろしてやる。そこまでが限界だった。



「よか…っ、た…」


「どうしたのアベル?! しっかりして?!」


 誰かの駆け寄る足音が聞こえてくるが、先ほどまでのそれとはもはや事情が違う。


 安全なところまで無事戻ってこられたことを認識したことで、アベルの緊張の糸は切れ、その場に崩れるようにして意識を失った。



 次にアベルが目を覚ましたのは、白く清潔な保健室の寝台の上だった。



 ふかふかな布団からは洗い立ての敷き布の清潔な匂いがしている。窓から見える外の様子だと、いつの間にか夜になっていたようだ。



「目を覚ましたよ!」


「よかった…」


 すぐ傍からリティアナとリュリュの嬉しそうな声が聞こえてきた。身を起こそうとしたアベルだが、あちこちの痛みに思わず顔をしかめてしまう。



「おぉ、ようやく起きたか」


 リティアナたちの声を聞きつけたアルキュス先生がひょっこり顔を出して諌めた。



「ああ、無理に起きようとするな。体中薬を塗って包帯を巻いてあるからな、下手に動かれてずれでもしたら面倒だ」


「え? でも、いつもは天幻術でぱぱっと…」


 びっくりしたアベルが問い返す。普段のアルキュスは「そんな面倒なことしてられるか」と億劫がって薬を使うことを嫌がるからだ。



 アルキュス先生はひらひらと手を振って身を起こそうとしたアベルへ面倒くさそうに説明する。


「生憎、天幻術は今売り切れなの。大人しく寝てな」


 よくわからないという面持ちのアベルに構わず、アルキュスは他の二人に視線を移しつづけた。



「アベルはもう問題ないみたいだし、すまんがあたしはしばらく仮眠を取る。もし何かあるか、三十分ほどしたら起こして頂戴」


「わかりました」


 リティアナの返事を聞くとアルキュス先生はさっさと長いすに横になる。その直後、すぅすぅと規則正しい寝息を立てはじめたところでリティアナが彼女の上にそっと毛布を掛けてやった。



 何がなんやら判らずにいるアベルにリュリュが説明してくれた。



「あのね、校長の怪我が酷くてアルキュス先生さっきまでずっと掛かりっきりだったんだ。レニーも少し前まで一緒に手伝いしていたんだけど、今は疲れ果ててベルティナと一緒に寝てるよ」


「…校長はそんなに酷いのか?」



 横になったまま尋ねるアベルに、リュリュは困ったように眉根を寄せた。変わりに話しに加わったリティアナが、


「隣で寝てるから静かにしてね」


 そう言って部屋を遮っていた布を静かに手繰る。



 隣の寝台でガンドルスは小さく寝息を立てていたが、その顔は血の気が無いせいか普段より白っぽく見える。


「顔色がとても悪いけど…かなり悪いのか?」


 リティアナは哀しそうに頷いた。



「…ええ。水の天幻術で治癒力を活性化させても全然追いつかない。ドゥルガンが攻撃した際、煉気術で纏っていた魔素が傷口に残留して腐食させつづけてるの。普通の人ならとっくに死んでもおかしくない大怪我だけど、校長だから耐えていられるわ。けれど、このままつづけば…」


 その先は声がかすれて聞こえなかったが、アベルにも判る。



「他の術で何か補助できないのか?」


「無理なんだって」


 気持ちが昂ぶって答えられないリティアナを見かねてリュリュが口をさしはさんだ。



「ドゥルガン先生…あ、もう先生って呼ぶのは変かな。とにかく、ドゥルガンの術は相手の魔素に干渉して体を崩壊させるもので、すごく難しい術法なんだよ。ドゥルガンが独自に開発した物だから対処が判らないし、下手に術を掛けるとそちらに反応して活発化する可能性もあるから、アルキュス先生もおいそれと手が出せないんだ」


 どうやらとんでもないことになっているようだ。そう考えたとき、自分はそうなっていないことにアベルは思い至った。



「…あれ? でも、僕は変化ないみたいだけど…」


 少し体を触ってみるが、切り傷の痛みが走るくらいで我慢できないほどではない。



「アルキュス先生曰く、アベルの場合元々体内の魔素が少ない体質だから影響を受けにくかったんじゃないかって。あと校長の場合はお腹のど真ん中を貫かれてるから、そのせいでより影響されやすいんだよ」


「なるほど…術法を使えないことが逆に良かったってことか」


 もしこれがリュリュやレニーをはじめとした他の仲間だったら、校長同様深手を負っていた可能性があったわけだ。アベルは自分の幸運に感謝した。



 ひとまず校長の容態はわかったので、アベルはもう一つの懸念についても尋ねることにした。



「ダーダは?」


「強い電流で体の中を焼かれたけど、元々生命力が強い化獣だからレニーの水の天幻術による治癒力の活性化であちらは何とかなりそう。当分は大人しくしないとならないけど、いずれは元通りになるって。レニーが面倒見ているから、あっちはもう大丈夫だよ」


 こちらははっきり断言されたことでアベルはほっとした。



「良かった…ダーダのおかげでベルティナが連れ去られずに済んだからね。後でお礼してやらないと」


 リュリュもそうだねと同意した。本当に、ダーダには感謝してもしたりない。



「ところでアベルの方はどうだったの? ドゥルガンはどうなったの?」


 リュリュが勢い込んで尋ねてくる。



 見ればようやく落ち着いたのだろう、リティアナも傍で興味深そうにこちらを見つめていた。考えてみればリティアナもほとんど気絶していたわけでよく知らないのだろう。



「そうだなぁ…どこから話そうか…」


 迷ったものの、整理に費やせる静かな時間はたっぷりあった。



 ドゥルガンが化獣化してから、過去に何を思って自分に奥義を託したのか。



 防戦しか出来ず、あわやというところでムクロが助力してくれたこと。



 そしてベルティナが転送してくれたおかげで、三人は揃ってアグストヤラナへ帰って来れた――知っていることもあったが、聞き終えるまで二人は辛抱強く黙って聞いてくれた。



「ドゥルガン…」


 特にリティアナは、彼と長い付き合いがあったのだ。聞き終えたところで、深く嘆息する。



「リティアナ、大丈夫?」


「ええ、大丈夫よ。…もう、昔のことだから、ね」


 リティアナは心配かけまいと少し哀しげに微笑もうとしたが、表情は硬く強張っていてその試みはあまりうまくいったとは言いがたかった。



「わたしにとっては兄みたいな存在だったのだけど…複雑ね」


 しんみりしてしまう。



「そ、それはともかく、じゃあ、戻ってこれたのはベルティナのおかげってこと?」


 話題を変えようとしているのが明白だったが、今はそのリュリュの気遣いがありがたい。



「うん。彼女のおかげで僕もリティアナも、アグストヤラナへ戻ってこられたんだ」


「…本当に、人じゃないんだね…あの子」


 言葉にしたことで改めてそうはっきり認識したリュリュに、リティアナが鋭い視線を向けた。



「ベルティナはベルティナよ」


 強い言葉にリュリュが慌てて両手を振った。



「わ、わかってるよ。ボクが言いたいのはそういうことじゃなくて…生まれが特別だったんだなっていうかその…」


「言いたいことは判ってるよ」


 アベルが助け舟を出した。



「僕も驚かなかったと言えば嘘になる。…ベルティナは僕が意識の無かったときはどうしてた?」


 リティアナは安堵させるように、心配そうに尋ねるアベルの胸元を軽く数回叩いた。



「今は泣き疲れて眠ってるけど、さっきまではパパ、パパって心配してずっとぐずってたわ」


 そうか、とアベルは困ったように頭を掻いた。ベルティナにも、後で安心させてやらなくては。



「リティアナ、君の方は?」


「わたしは怪我無かったわ。ありがとう、あなたのおかげよ…アベル」


 礼を言いながら、指先をそっと伸ばし頬に触れてくる。



 リティアナの笑顔にアベルは耳が熱くなるのを感じた。自分でも心臓の鼓動が速まるのが判る。まだ戦いの余韻が残っているのだろうか?



「ベルティナも特に痛いところとか無いって。人と違うから厳密な検査が必要だろうけど、一応見た限りは怪我やどこかおかしいところとかは特に見当たらないみたい」


 そう言ってリュリュが太鼓判を押してくれた。



「そうか…良かった、本当に」


 最後の心配も解消され、ようやくアベルは胸を撫で下ろした。



 しばらくの沈黙が部屋に流れ、再びアベルは口を開いた。


「それにしても校長が大怪我か…これからアグストヤラナはどうなるんだろう」


 校長は重体で、副校長であるドゥルガンはもういない。ひょっとしたらメロサー辺りが校長代理を務めるのだろうか。そう考えると少し学府の先行きが不安になったアベルだったが。



「ここだけの話、校長代理は当分デッガニヒさんが務めるそうよ。アルキュス先生が言ってたの。校長の身に何かあったとき、そうするようあらかじめ就く様三人で取り決めておいたんだって」


 リティアナの言葉にびっくりした。



 彼はただの食いしん坊な船頭じゃなかったのか。



「ね、驚きだよね! ボク、てっきりメロサーがなるんじゃないかって思ってたもん。デッガニヒのおっちゃん、どう見てもただの食いしん坊な船頭なのにね!」


 リュリュの反応を見るに、意外に思ったのは自分だけではないと知ってアベルはちょっとほっとした。



 リティアナも苦笑を隠さない。


「それが、わたしも知らなかったけどデッガニヒさんってユーリィンによるとすごく強いらしいの。彼女の剣技、変わってるけどすごく強いでしょ? それを教えてるって話よ」


 ユーリィンの剣技は珍しい太刀筋で、『斬る』ことを主体としている。メロサーの教える、叩き切ることを主軸とした流儀とはまったく別の物だ。



「へえ…なら確かに強いんだろうなぁ。ユーリィンと手合わせしたけど、すごく強かったし」


「普段はただの食いしん坊でしかないけどね…」


 リュリュはまだしつこく言っている。だがアベルも、ユーリィンと戦ってなければ同じく幾ら言われようと信じがたかったに違い無い。



「それにただ幾ら強いと言っても、学府の運営と関係は無いからどうなるかな…」


「それは大丈夫」


 アベルの不安に、リティアナがまた答えた。



「ある程度の問題は、校長も面倒くさい案件は他の先生方やわたしたち学府専属の冒険屋に片っ端から丸投げしていたからデッガニヒさんが校長でも多分変わらない…と思うわ。それより問題は副校長よ。ドゥルガンが務めていたんだもの」


 そうだね、とアベルも納得した。



 確かに、ドゥルガンが取りまとめていた領分は傍から見ても相当大きかったに違いない。 下手したら、校長が抜けたことより被害が大きいかもしれない…



「恐らくメロサー先生辺りが代用として就くと思うけど…」


「確かに、ちょっと不安が残るよね」


 メロサー先生が悪い先生じゃないのは先の野営訓練で判っている…が、ちょっとどころか大分感情に左右されやすいという欠点は否めない。もう遅いから明日に知らされることになるだろうが、聞かされた生徒たちが動揺するのが今から想像できてしまった。



「まあ、今更どうこう言っても変わるわけじゃないからしょうがないわ…」


「うん…」


「それは……、そうだね…」



 再び三人に沈黙が訪れる。後はメロサー先生に頑張っていただく他は無い。



 しばらくしてリティアナが優しく言った。


「それより、アベル。あなた自体、傷だらけなんだから今は余計なことを気にしないでしっかり休んでなさい」


「そうだよ。ベルティナはボクたちでちゃんと面倒見るから、まずは自分が元気になってね」


 二人の気遣いがアベルにはありがたかった。



「わかった、お言葉に甘えてそうさせてもらうよ」


 アベルは大人しく布団に肩までもぐりこむ。寝起きだったはずなのに、ほっとしたせいかすぐに再び瞼が重くなってきた。



「……ねぇ」


 なんだかんだで疲れが残っていたのだろう。はやくもまどろみながらも、アベルは最後の気がかりを口にしていた。



「なに?」


「…ドゥルガン先生は…なんであんなことをしたんだろう……」


 ぽつり、と誰に聞くとも無くアベルが漏らした。



 確かに、動機らしきものはドゥルガン本人の口から聞いた。


 でも、それがアベルには納得できない。筋が通っていないように感じるから。



 しばらく間を置いてからリティアナが答える。


「……さあ。多分、校長でもないと判らないのかも知れないわ」


 アベルから返ってきたのは、規則正しい寝息だった。



 リティアナはリュリュと無言で顔を見合わせると、音を立てないようにしてそっと保健室を後にした。

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