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アグストヤラナの生徒たち  作者: Takaue_K
二年目
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第22話-2 奪われた母子



 アベルはリュリュと並んで練金術の授業を受けていた。



 前回の経験を踏まえ、一応遺跡における錬金術の仕掛けについて勉強しておきたいと思って取り始めたのだが、実習ならともかく、理論についてははっきり言ってちんぷんかんぷんである。



 もっとも、それはアベルに限ったことではないようで、開始数分にしてはやくも何人か船を漕いでいる生徒たちがちらほら見受けられていた。



「うぅん…あ、あのさ、リュリュ、今先生が言ってたのってどういう意味?」


 聞くかどうか迷った末の質問だったが、リュリュは嫌な顔一つせず小声で説明してくれた。



「えぇとね。元々錬金術には、神々が生み出した技術だっていう説があるの。魔素を効率よく使用するために生み出された技術であって、その圧縮された魔素を生み出せるのは神々のような強大な存在じゃないとありえない…って」


 圧縮された魔素、という言葉でアベルは思い出したことがあった。



「魔素溜まりみたいなのだってあるじゃないか。それとは違うのか?」


 リュリュが頷く。ちょっと興が乗ってきたのかもしれない。



「うん、基本的な理屈は同じと考えていいはずだよ。凝固させられれば純度の高い素体にできるんじゃないかって研究も大きな国では行われてるみたい。そんで、その考え方を飛躍させて逆の発想をした人もいるんだ」


「逆? どういうこと?」


 リュリュがバゲナンの方をちらりと見やる。今は黒板に向かっていることを確認して、解説をつづけた。



「古来から、名前のある大戦や事件の裏でちょこちょこ神様が関わったって話はあるんだけど、大抵武器や防具を依り代として現れてるんだ。そこに注目したのが、マルケルを代表とする後期オンデシーラ派なんだよ。彼ら曰く、神々も器物に魔素を与えられて生み出された存在なのではないか。その武防具は力を吹き込まれたとかじゃなく、それこそが神々の本体だ、っていうのが彼らの主張なんだよ」


「へえ…実際はどうなの?」


 リュリュは肩をすくめた。



「知らないよ。あったこと無いのにわかる訳無いじゃん」


「そりゃごもっとも」


 そこまで話したところで、いつの間にか振り返っていたバゲナンがじぃっとこちらを見ていることに気付いた二人は私語を止めた。リュリュは再びバゲナンの話に集中したが、アベルは先ほどのやり取りを思い返していた。



 圧縮された魔素を制御するために生まれたのが錬金術の基本だと言うなら、ベルティナもまた同じように圧縮された魔素が制御された存在と言うことなのだろうか。



 なら、そのようなものがこの学府のどこで生まれると言うのか?



 遺跡を探索したとき格別大きな魔素溜まりや、子供を呼び出すような施設らしいものを見つけた記憶は無い。いや、妙な祭壇はあったがあれはあれで変な音を立てただけで終わった。



 仮に、アベルたちや教員たちですら知らない部屋で魔素溜まりが存在していたらありうるかもしれないが、ならそこから誰にも見つからずにどうやって教室へやってきたのかという疑問もある。



 そして、何故自分とリティアナを父母と呼ぶのか。これが判らない。



 結局アベルはこの時間、取り留めの無いことを考えるだけで無駄にしてしまった。



「アベル、ずっと考え込んでるみたいだけどどうしたの? なんかまだわからないところでもあった?」


 教室へ戻る最中、リュリュが顔をしかめたままのアベルに尋ねた。



「いや、そういう訳じゃないよ。ただ…」


(アベル…)


「どうしたの、アベル…?!」


「しっ」


 言葉の途中でアベルが制止する。リュリュも気付いた。



(いそいで…かべに、よってくれ…)


 その声に、二人は聞き覚えがあった。



「ネクロ…いや、ムクロか?!」


 何故ここにムクロ、或いはネクロがいるのかは判らない。だが、その声の調子から切羽詰った雰囲気を感じ取ったアベルは指示通り素早く壁際により、自らの体で覆い隠す形で影を挟み込む。



 すると、アベルの足元の影が盛り上がり、そこへ見覚えのある顔が浮かび上がった。


 影の目元が仮面で覆われている。



「やっぱりムクロか!」


 突然の再会に旧交を温めるまもなく、影のムクロは苦しそうに顔をゆがめながらごぼりと口から液体状の影を吐き出し、二度三度と深く息を吸った。恐らく前に校長が言っていた、不法侵入を許さない仕組みが働いているためにこんな中途半端な形で接触してきたのだろう。



 その苦しそうな様子から出てこられなさそうだと判断し、周囲に人影が無いことを確認したアベルは相手の声がよく聞こえるよう屈みこんだ。 これなら誰かが見ても一見靴紐を結ぶために屈んでいるように見えるはずだ。



「何が言いたい?」


 アベルの問いかけに、影はぱくぱくと言葉にならない声をあげ続けている。はっきり顔を出せず、薄い膜のように影が口を覆っているせいだろう。



「れんらく、きた……かぎが、……いせき…いそげ…」


 かろうじて聞き取れたのはそれだけだった。



 程なくして力を無くしたように顔は沈み込み、アベルの足先から伸びるただの影へと戻った。



「アベル、どうするの?」


 固唾を呑んで見守っていたリュリュの問いに、ちょっと考えたアベルは告げた。



「リュリュ、ユーリィンとレニーを探して教室に集まってくれ。僕はリティアナを探してみる」


「うん、判った」


 程なくして仲間たちは教室に集まった。



 だが、リティアナだけはどこを探しても見つからなかった。時間を惜しんだアベルはまずは今集まった仲間にだけでもと捜索を途中で打ち切り、先ほど見たことをかいつまんで説明する。



 最後まで黙って聞き終えたユーリィンとレニーは互いに顔を見合わせた。


「それは判りましたが…有体に言って信用できるんですの? 殆ど意味をなさない言葉だったようですし、本当にその相手がムクロかどうかは判らなかったんでしょう?」


 レニーの問いももっともだ。アベルは少し考えて答えた。



「僕は信用に足る情報だと考えるよ。あの影は二言三言伝えるだけでも本当に苦しそうに見えたけど、はっきり喋れなかったのは、多分前に校長が言ってたように学府自体に進入されない対策が施されているせいじゃないかな。仮にこれが他の誰かの罠だとして、わざわざこんな手間を掛ける意味があると僕には思えないんだ」


「密かにあなたやあたしたちを片付けるため、遺跡におびき出しているという可能性は?」


 ユーリィンの疑問にアベルは首を振った。



「僕も考えてみたけど、それならそれで日中誰かに見られそうなときを選んで伝えてくるとは思えない、かな。切羽詰ってるから、他の人に見られる危険性を犯してまで接触してきたんだと思う」


「それもそうね…」


 沈黙が流れる。ユーリィンたちはどうしても踏ん切りがつかないようだ。



 いい加減焦れたアベルは腰を浮かせながら皆に宣言した。


「とにかく、僕は地下遺跡へ行ってみる。何も無ければそれで良いんだ。残る人はここに残って、リティアナに事情を伝えてほしい」


 そういうと、ユーリィンは不思議そうに問い返してきた。



「あれ、リティアナはベルティナとドゥルガン先生のとこじゃないの? いなかった?」


「職員室には真っ先に行ったけどリティアナたちもドゥルガン先生もいなかったよ。どこで見た?」


「あたしがさっき倉庫に荷物を戻して帰ってくる途中。廊下でベルティナを連れたドゥルガン先生の後姿を見かけたの。声を掛けたんだけど、急いでいるみたいでそのまま行っちゃったわよ」


「それは本当かい?」


「え? ええ」


 アベルは首を傾げた。



「…変だな。ベルティナは僕たちが声を掛ければ必ず何か反応を示すはずだけど。ベルティナは何だかんだで僕ら全員に懐いているからね。声を聞いて無反応なんてことはまずありえないよ」


「確かにそうですね。普段呼ばれると、子犬みたいに嬉しそうに駆け寄ってきますもの」


「そういわれてみればそうね。眠かったとか…?」


「その可能性も無いではないだろうけど…」


 アベルの脳裏に、先ほどの忠告が思い返される。



 『連絡が、きた』そして、『鍵』。恐らく、言いたかったことはそんなところだろう。



「確か天幻術の授業は前の時間あったはずだよね?」


 不意の質問に、レニーが怪訝な面持ちで頷く。彼女はその授業を出席していた。



「ええ。ですが、自習でしたわ」


「…そうか。ひょっとして、あれはこのことを言っていたのかも」


 どういうことかと尋ねる仲間たちに、アベルは自分の考えを説明した。



「あのドゥルガン先生が授業をすっぽかした…いや、それ以前に授業があるのに授業の邪魔になるベルティナを預かるわけが無い。そして、リティアナが止むを得ない事情があってドゥルガン先生に預けたのなら書置きくらい残したはず」


 仲間たちもその意見に頷く。



「リティアナが見つからなかったことも気になる。鍵って言葉が彼女を指しているのなら――いずれも確証ってほどでは無いけど、急いだほうが良さそうだ」


 反対する者はいない。



 急ぎアベルたちは愛用の武防具を手早く身につけまずは遺跡へ向かうことにした。


「あ、ちょっと待って」


 教室を出たところでリュリュがそういうと一端取って返したが、数分とせず戻ってきたので一行はそのまま遺跡に降りられる穴へ向かい駆けていく。



「何してきたんだ、リュリュ?」


「ん、ちょっとね」


 お茶を濁され、詳しいことを聞こうとしたアベルだったがレニーに遮られた。



「ところでアベル、どこへ向かうかあてはあるんですの?」


 ちょっと考えてアベルは答えた。


「…まずは転送陣の部屋へ向かおうと思う」


「影が最後に言い残した言葉ですわね?」


「ああ。違ってたらそのときはそのときだ」



 一行は裏山を素早く駆け登っていく。普段から山の中を駆け回っているため慣れたものだ。



「けど、本当にドゥルガン先生が、しかもリティアナだけじゃなくベルティナまで、何のために…?」


「判らない。ただ、元々誰か…アグストヤラナの先生の誰かが、校長を裏切っていたのは確かなんだ。そして、ドゥルガン先生ならかなり自由に動くことができる」



 それに、アベルは前々からダーダとのことが引っかかっていた。


 修行のときに偶然、それまで学府に存在していなかった化獣が現れるなんてやはり都合が良すぎる。



 ただ、ダーダとドゥルガンとの関連性が立証できない――これまでダーダがドゥルガンに特別懐いている素振りは無かった――し、仮に実際ドゥルガンがけしかけたとしたなら何故そんなことをしたのかという意味が判らない。校長が調査にどう動いていたかは判らないが、教頭という立場上ブレイアの件で探っていたと知る可能性は非常に高いだろう。そこをあえて自ら目立つような真似をするだろうか?



 校長に否定されたこともあるがそういう疑問があったため、当時はそこで考えを打ち切っていたのだ。



 遺跡に降り立った五人はすばやく灯りを準備し、辺りを見渡す。そこで一行は比較的新しいダーダの足跡を発見した。



「これって…ダーダが来てるのかな?」


 アベルの言葉に、足跡を検分していたレニーも同意する。



「その可能性はありますわね、あの子とてもベルティナに懐いてましたから追いかけたのかもしれません。足跡は転送陣の方に続いているようですわ」


「よし、それじゃあダーダの声にも注意するんだ」


 慎重に、だができる限り急ぎ足で四人は先を急ぐ。あまり先に進まないうちから、足跡以外の音が反響して彼らの元へ聞こえてくるのが判った。



「ダーダ!」


 唸り声、吼え声が聞こえてきたことで確信を得たアベルたちの足が速まる。



 やがて何かが砕けるような音や、ぶつかるような音、そしてダーダの悲鳴が届くようになり、戦いの場が近いことを示していた。



「急げ!」


 ここまで来てはもはや音を立てることなど気にしない。アベルたちは全速力で音のするほうへ向かっていく。そして、ついに転送陣のある部屋へ辿り着いた。



「ダーダ!」


 部屋に飛び込んだアベルが見たのは、ダーダを青い稲光が貫いた瞬間だった。



 決して小さくない身体がまるで木っ端のように吹き飛ばされ、それを泣きながら追いすがろうとするベルティナの腕をドゥルガンがしっかり空いている手で掴んでいた。そのすぐ傍らに、意識が無いのかぐったりと横たわるリティアナの姿も見える。



「ベルティナ! リティアナ!」


「ぱぁぱ!」


 泣きじゃくるベルティナだけでなく、ドゥルガンもアベルたちに気付いた。


 なおも手を振りほどこうとするベルティナを殴り飛ばし、とぼけてみせる。



「おやおや。ここは生徒は立ち入り禁止ですよ?」


「二人に何をしようとしてるんだ!」 武器に手を掛けながらアベルは怒鳴った。



「レニー、ダーダを! 他のみんなは僕の後を!!」


「わかりましたわ!」


 ダーダのほうへ向かったレニーを除き武器を構えて駆け寄ろうとするアベルたち。


 だが、ドゥルガンが二言三言呟いて右手をくんと動かすと眼前に巨大な炎が立ちふさがった。何も無いところから生み出された蒼い炎はドゥルガンを中心とした円形に、意思を持つかのようにアベルたちの行く手を遮っている。



「こんなに早く追いつかれるとは想定外でしたが…そこから先へは進ませるわけにはいきません」


「くそっ…こんな炎くらい」


 飛び込もうとしたアベルを、血相を変えたリュリュが前に出て制止した。



「だめっ、これただの炎じゃない! 迂闊に触らないで!」


 リュリュがそういうといつの間にか手にしていた小石を炎の壁へ投げつける。



 炎に触れた石ころがじゅっと音を立てて、まるで焼けた鉄板に垂らした水滴のように瞬く間に消え去ってしまったのを見てアベルは冷や汗が吹き出すのを覚えた。もしリュリュが制止してくれなければ、消え去ったのはアベル自身だったろう。



「これじゃあ先に進めない…どうしたらいいんだ、リュリュ?!」


「こ、こういう場合、強力な水の天幻術で打ち消すのが一番だけど…」


「そこの犬っころの命がどうでも良いならそれでも構わないでしょうね」


 レニーの方を向いたリュリュの言葉の後を、ドゥルガンが穏やかに引き継いだ。



「あの犬程度、不意を突かれた最初はともかく、殺すのは簡単でしたがね。ちょうどあなた方の足音が聞こえたので、あえて殺さない程度に術の威力は弱めて痛めておきました。そうして瀕死にしておけば、唯一の回復役であるレイニストゥエラ君の足止めには丁度うってつけでしょう? それとも、あの犬ころを放置させるように言ってこちらに来させますか?」


 そう言いつつ転送陣の真ん中へ悠然と歩いていくドゥルガンをアベルたちは歯噛みして見守るしか無い。



 少しでも時間を稼ぐべく、アベルが無駄な足掻きと知りつつ口を開いた。


「ドゥルガン先生…なんでベルティナを? リティアナならまだ判る。でもベルティナはただの女の子じゃないですか!」


 その言葉をドゥルガンは鼻で笑った。



「ただの? 何をバカなことを。あなたたち自身も言っていたことじゃないですか。これは魔素の高結晶体を素体にして核鋼で仮初の命令を与えられている、ただの錬金具に過ぎません。道具を人のように扱うのは無意義なことですよ?」


 その呆れ果てたような物言いに、アベルはかっとなった。



「違う! ベルティナはベルティナだ! 僕の、僕たちの大切な家族だ!!」


「まったく、無稽なことを…」


 見下げ果てたように言うドゥルガンに、今度はユーリィンが尋ねた。



「彼女たちをどこへ連れて行くつもり?」


 ドゥルガンは涼しい顔で答えた。


「どこって…決まっているじゃないですか、私の力がもっとも活かせる場所ですよ。これほど純粋な魔素の塊なら、さぞや大量の化獣が生み出せるでしょうね」


 その言葉に、アベルは衝撃を受けた。



 いつぞや、ガンドルスと話をしたときのことを思い出していた。


 戦力をもっとも欲している国。そして、以前手に入れた灯具の紋章。



「まさか…ディル皇国に?!」


「ご明察。今、このフューリラウド大陸でもっとも戦力を欲している国ですからね。ふふ…この二人を解析すれば、さぞや侵略が捗ることでしょう。うふふ、ふふ…今から楽しみで仕方ありませんよ」


 両肩を抑え、ドゥルガンは興奮にうっとりと目を細めた。その視線は、どこか遠くを見つめている。



「ドゥルガン先生…いや、ドゥルガン。あんたは…戦争を拡大化させるつもりなのか?」


 アベルは、眼前にいる男がよく知るはずの教頭だとはとても思えなかった。



「ええ」


 アベルの問いに、ドゥルガンはよどみ無く答えた。



「それこそが、私の長年の望みでしたからね…くくっ、このときをどれだけ待ち望んだことか。だが、それももうじき終わる。くふふっ……ああそうだ、フューリラウド、そしてアグストヤラナに蔓延る、偽りの平和はようやく打ち砕かれるのだ…!」


 言葉をなくすアベルたちに、狂気の笑みを浮かべ呵呵大笑するドゥルガン。



「どうしてそんな真似を?! 戦いにもなれば大勢の人たちが死ぬのよ? あなただって、過去に同じ苦しみを味わったんでしょう?!」


 ユーリィンの非難に、はじめてドゥルガンが声を落とした。



「…そうだ。大勢が、戦火に飲み込まれる……あぁ…そんな。嫌だ、嫌だ……助けて、校長、ああ……あぁぁ…いやだ、こんなのはいやだ……ぐっ、ぎっ、ぎぃいいいぃぃぃぃ…」


 突然体中をかきむしり苦しんだかと思うと、焦点の合わない瞳を中空に向けたまま、小声で何事かをぶつぶつ呟き出した。



 何が琴線に触れたのかよく判らないが、今ならば説得にも応じてくれるかもしれない。一抹の希望を賭け、アベルがもう一押しする。



「ドゥルガン先生、もうこんな学府の名誉に傷をつける馬鹿な真似はよしてくれ! 今ならまだ取り返しが…」


 途端、天井を振り仰いだままのドゥルガンがぎょろりと目だけ向けた。



「馬鹿な真似、だと? そこいらの農奴などならともかく、この学府に身を置くあなた方がそれを言うのですか?」


「あ…当たり前だろう?!」


「貴様ぁっ、滅多なことを言うんじゃあないっ!」


 ドゥルガンが口角泡を飛ばし怒鳴った。その目は血走り濁り切り、目があったリュリュが思わずひっと小さく悲鳴をあげてしまう。



「お前たちは知るまい。このアグストヤラナがここまで大きくなるまでどれだけの苦労があったか… 当初は各国から鼻であしらわれるほど無力だった。或いは妄言を扇動すると攻め込まれそうになったこともあった。それが軍学校にアグストヤラナあり、と謳われるまでになったのは、 優れた兵士たちを輩出してきたからだ! そう、戦争があったからこそアグストヤラナは身を立てることができた! その歴史も知らぬ痴れ者が馬鹿な真似などとよくも言う! 大勢の人が死ぬ? 大いに結構! 唯々諾々と他人に守られるだけの弱者、アグストヤラナを否定してきた愚昧…いいや、人間どもなどことごとく死に絶えれば良いのだ!」


 はじめて聞く、ドゥルガンの感情的な怒声。もはやどう見ても、今のドゥルガンは正気ではない。



 その迫力の前に、アベルたちは言葉を発せない。


 そうして一息に言い切ったことでドゥルガンもわずかなりと冷静さを取り戻せたのか、肩で息をしながら普段の調子をとり戻した。



「…確かに、現在は戦争が落ち着いていたことで冒険屋などに活躍の舞台を移した生徒は多々います。ですが、現在でもアグストヤラナの名は何に対して求められるか。それは優れた兵士たちを輩出することであり、その価値を各国や貴族が認めてきたからに他なりません。そして事実、今いる貴族の子弟の大半はそれを望んでここに来ています」



 アベルはルークのことを思い出していた。鑑みればまさに彼らの目標はドゥルガンの指摘したとおり、冒険屋などではなく兵士として育成されることにあった。



 その間にも、再びドゥルガンの自我は狂気の彼岸を渡ってしまっていた。



「だが、私にとってそんなものに毛ほどの愛着も無い。私にとって大切な人は、校長ただ一人。そう、私はアグストヤラナを、そしてガンドルス校長を愛している。そのためならばどんなことでもしてみせる。ああ……これからも戦争が起これば、更にアグストヤラナの需要は世界規模で高まるでしょう。あの方はこのようなところで終わる方ではない。戦乱が勃発すれば、もはや傭兵を産出するだけの器と化したアグストヤラナなどに囚われることなく、再び華やかなりし戦場へきっと舞い戻るはず。そう、あの方は戦場でのみ輝くのだ! そのためになら、私は幾らでも戦争を引き起こしてみせましょう…」



 小刻みに体を震わせながらうっとりと自己陶酔しているドゥルガンの視線はアベルたちを見ていない。



 右目はぎょろぎょろと上下左右ひっきりなしに蠢き、 それでいて口元には心底嬉しそうに穏やかな笑みを刷いている。哄笑をあげたかと思うと突然左目からはぼろぼろと涙をこぼし、ひぃひぃと呻きながら有り余る歓喜にがくがくと頭を揺らしている。



 その滅裂な言動と姿は普段の生徒たちが良く知る理知的なドゥルガンと大きく乖離しており、アベルたちは眼前の人物を怖気を持って呆然と見つめていた。



「…おかしいよ……」


 ようやく、ぽつりとリュリュが漏らした呟き。それがアベルたち全員の気持ちを代弁していた。



 完全に、ドゥルガン、そして彼の倫理感は崩壊しているとしか思えない。



 そして、今までの言動でアベルはもう一つ、確信を得ていた。


「ブレイアも、お前が…やったんだな」


「ブレイア…?」


 アベルの問いに、ドゥルガンがぴたりと真顔に戻った。かくり、と一旦不思議そうに首を傾げたが、すぐに元通りに戻った。



「ああ、そういえばあなたが引き金でしたね、校長が当時のことについてまた穿り返しはじめたのは。まあいいでしょう、あなたたちとはどうせここでお別れですし。ええ、その通りですよ」


 ドゥルガンが倒れたままのリティアナに一瞥をくれた。その表情には、ありありと憎しみの感情が浮かんでいる。



「元々、私には彼女に埋め込まれた制御球を奪い取るという使命があったんですよ。が、校長が手にしたまま封印するためブレイアに行ってしまいましたからね。已む無く、実験で生産中だった山犬を使った化獣を送り込んでもらい、邪魔者がいなくなってから後でゆっくり回収するつもりだったのですが…まさか、全頭返り討ちにあい、それどころか生き残りを連れ帰ってくるとは思いもしませんでしたよ。しかも、制御球をこんな小娘の命を救うのに使ったと言う。いつも校長の傍をうろちょろして目障り極まりない。何度もくびり殺してやろうかと思いましたが…今は命令どおりそうしなくて良かったと、そう思っていますよ。色々面白い情報も得られましたし、何より制御球の代わりも手に入った」



 その間も、ドゥルガンとアベルたちを阻む炎の壁は衰えるどころか勢いを増している。空を超えようにも、炎自体が意識を持つように伸びて侵入を拒むため、手をこまねくしかできない。



 遠巻きに見るしか無いアベルたちの様子に満足げに微笑んだドゥルガンは、ゆったりした動きで転送球を懐から取り出し、起動させると眼前に放り出した。ぐったりしたままのリティアナの腕を右腕で掴むと、左腕で昏倒したままのベルティナを抱えあげようとする。



「ふふ、さあ、もうじき私はディル皇国へ転送される…そして、そこで彼女たちの技術を解き明かし、これまでも、そしてこれからもアグストヤラナを唯一無二の軍学府として遍く世界に知らしめてみせる。そう、この私の手によって!! さようなら皆さん。君たちはここで、新しい戦争の幕開けを震えながら待ち過ごしてください!!」



 彼が勝ち誇って言った別れの言葉はしかし、意外な人物によって否定された。



「戦争なぞ、断じて起こさせはせん」


「ぐっ?!」


 背後から巨大な拳が伸び、ベルティナに触れる寸前のドゥルガンの腕をねじり上げた。 あわせて光の粒子に変化しつつあった転送球を踏み潰す。



 突然の救い主に気付いたアベルたち、そしてドゥルガンが彼の名を呼んだ。



「ガンドルス校長?!」


 ガンドルスはにやっとアベルたちに笑いかけたが、すぐに真面目な表情に戻りドゥルガンの腕を一層きつくひねりあげる。



「ここを唯一無二の軍学府として遍く世界に知らしめてみせるとか寝ぼけたことを抜かしておったな。それは君の夢の押し付けでしかない。アグストヤラナ、そして俺はそのような考え方を由としておらんわ!」


「ぐぁああっ! あ、あなたがどうしてここへ?!」



 その疑問に答えたのはリュリュだった。


「えへへっ、ボクが書置きを残してきたんだよ。『遺跡へ行きます。これを見た方、校長に急いで伝えて下さい』って」


「あのとき、いったん教室へ戻ったのはそういうことか!」


 感心したアベルに、リュリュは嬉しそうに頷いてみせる。



「そうだよ。ボクたちだけで動くには手が足りないかも知れないって思ったからなんだけど、図に当たってよかった」


「でも、どうして校長が動いたの? あの段階ではドゥルガンの思惑は判らなかったじゃない」


 ユーリィンがもっともな疑問を投げかけると、リュリュは神妙な面持ちで頷いた。



「そう、単にリティアナたちを探しにいくって書置きをしたらきっと間に合わなかったと思う。多分、校内から調べただろうし」


 実際、アベルたちも探索に移る前に校内を探している。時間が惜しまれる中、リュリュはその二度手間を避けたのだ。



「だから、『ディル皇国からの間諜が現れたので、遺跡へ調査に向かいます』って書いたんだよ。これならすぐ動くんじゃないかと思ったんだ」


 ガンドルスが頷いた。



「侵入者に対する備えにもひっかかっておったからな、今他の先生方も動いておる。いずれここへもやってこよう…」


 そういうと、かぁっと雄たけびを上げた。



「うわっ?!」


 突風が吹きぬけた、そんな感触と共に拒んでいた炎の壁が吹き消された。かつてレニーの水球を触れずに砕いたのと同じことが起こったのだ。



 ガンドルスは護りを失いたじろぐドゥルガンにじろりと視線を戻した。


「それにしても、よもや懐刀と信じていた男こそ敵だったとはな…まったく、俺の間抜け振りには自分でも呆れ果てる」



 暢気な物言いに聞こえるが、その実今にもはちきれそうな怒気を全身から発している。


「さぞや俺の愚かしさを傍で見て楽しんできたことだろうな、ドゥルガン。そのつけ、今こそ払ってもらうぞ」



 アベルは無関係であるブレイアが滅んだことによるガンドルスの苦悩を目の当たりにしている。


 それを引き起こしたのが、もっとも信頼していた相手だったのだからその怒りはいかばかりのものか…想像するに余りあるというものだ。



 一方のドゥルガンは一番知られたくない相手に知られてしまったことでうろたえ、見当違いな弁明を必死にしていた。



「そんな、誤解です校長! 私はあなたを嘲るなどと…」


「弁解は結構だ。さっさとリティアナたちからその汚い手を離したまえ」


 器用に戦斧を旋回させ傍につきたてると空いた手でリティアナを自由にしようとする。だが、ドゥルガンもすべてが明るみになってしまった今、大人しくされるがままにはならない。



「それは…できませんっ」


 身を翻し、伸ばされた手を肘で跳ね飛ばしながら蹴りで金的を狙う。その攻撃をガンドルスが腰を捻って太ももで受け止めている隙にドゥルガンが新しい術を紡いでいた。



「校長、危ないっ」


 目ざとく見つけたユーリィンの警告の声より速く生み出されたばかりの紫電がガンドルスの胸を貫こうとするが、ガンドルスは深く息を吸い込むと一声咆哮し気合でそれを消し飛ばす。あっさり術を潰され驚きにわずかに目を見開いたドゥルガンだが、それでも動じることなく鋭い蹴りを入れようとした。



 その攻撃もしかし、見切られている。



 いつの間にかガンドルスの両手にしっかり握られた戦斧の柄によってその攻撃は防がれた。その都度巻き起こる、ま るで分厚い鉄の塊に岩をぶつけたような鈍い音が、離れているアベルたちにもしっかり届いた。



「す、すごい…」


 アベルたちは、二人の矢継ぎ早の戦いに瞠目している。



 ここまでの攻防に一分と経っていない。



 しかもよくよく見れば二人とも、元立っていた位置と半ディストンほども離れていない。



 そんなすぐ傍で睨みあう二人の纏う雰囲気は真逆だ。



 校長からは全てを照らす日輪の如き、障害を真っ向から打ち砕かんという覇気溢るる気迫。



 教頭からは全てを引きずり込まんとする波一つ無い、静謐な夜の海が如き底知れぬ妖気。



 それが、対手の命を呑み込まんと絡み合っているようだ。アベルたちが加勢しようと迂闊に踏み込もうものなら、崩れた均衡に巻き込まれ簡単に命を落としかねない。


 天幻術の講師を務めてはいてもドゥルガンもまた、校長に決して引けをとらない優れた体術の使い手なのだと一行は思い知らされた。



「どうあっても判っていただけませんか? 見逃していただくことは…」


「くどい! お前の邪な願い、ここで俺が断つ!」


 一歩も退く気が無い校長に、とうとうドゥルガンも言葉による説得を諦めた。



 殺気が二人の間で張り詰める。



「そうですか…残念です。この二人は私の使命を果たすために必要なのでしてね、校長の命令でも聞くわけには参りません」


「どうやらまだ甘いことを考えておるようだが、俺は貴様をここから逃がすつもりは無いぞ。ここの転送陣はすでに強制停止してあるから逃げられん。転送球は発動に時間が掛かるが、その隙を俺が見逃すわけも無い。諦めて大人しくするのだな」


 すでに動揺から立ち直っているドゥルガンは小さくため息を吐いた。



「仕方ありませんね。それなら、力ずくででも逃亡させていただきます」


「俺がそれを許すとでも?」


 ガンドルスとドゥルガン、両者は一歩も退かない。凄まじい闘気の応酬にお互い臆せず、にらみ合いがつづく。



「できますとも。今までのやり取りで十分判った。あなたは、老いた」


「…ほう?」


 ドゥルガンの明らかな挑発に、ガンドルスはわずかに眉を跳ね上げた。



「つまり、今の俺になら勝てる…と?」


「ええ。戦いを恐れるだけの愚かでか弱い老人です、今のあなたは」


 突然、かかとガンドルスは哄笑したが、すぐにその笑いを止めた。



「か弱いときたか。面白い。ならば貴様の体で試してみるとしよう!」


 その言葉を皮切りに、二人が動く。かろうじてアベルとユーリィンの目はついていくことができた。



 先に動いたのはドゥルガンだった。抜き打ちに目突きを放ったのだ。



「ぐぁ…」


 勝負は一瞬でついた。



 ガンドルスのほうが一枚上手だった。



 予期していたのか、攻撃を顔を捻ってねじりつつ掬い上げるように下からガンドルスの戦斧が跳ね上がっている。その石突に顎をしこたま突き上げられた形でドゥルガンの身体が吹っ飛んだ。



「なんだ、でかい口叩いておいてその老人に負けてちゃせわないのぅ」


 奪い返したリティアナを抱き上げながら軽口を叩くガンドルスは動かなくなったドゥルガンを詰まらなさそうに打ち見てからアベルたちに向き直った。



「リティアナ! ベル!」


「校長すごい!」


「実にお見事でしたわ!」


 校長の勝利に沸き立つアベルたちが彼の元へ駆け寄ってくる。



 だがあと数歩、というところで全員の足がびたりと止まった。その顔が驚きに見開かれている。



「なんだ、お前たち。急に」


 どうかしたのか、そう尋ねようとしたガンドルスだが、その言葉は最後まで形にならなかった。



 代わりにずむ、と重い衝撃が腹に響く。



 やや遅れてガンドルスの口から、ひゅぅというため息に似た声と真っ赤な血が零れ出た。



「これ、は…?」


 自分の胸と腹から突き出た二本の真っ赤な右腕。ガンドルスはそれを掴もうとしたが、それより早く引き抜かれたことによる反動でぐらつき前のめりに倒れた。



「校長ぉぉぉっ」


 床に投げ出されたリティアナのだらりと垂れた栗毛に、生暖かい鮮血が降り注ぐ。



 誰かの金切り声をどこか遠くに感じながらも、アベルの双眸は眼前の光景をどこかよそ事に写しこんでいた。



 どうと倒れたガンドルスの背後に立っていたのは異形の姿。



 僅かばかりに残す衣類の下は学府の地下遺跡の壁のような肌。


 無数の鋭い牙が、耳まで裂けた口をびっしり覆っている。



 目元の辺りに僅かばかりに残る元は端正と思しき面影から、そいつがドゥルガンらしいことはかろうじて判った。



 中でも目を引くのが、わき腹から生えている、鋭い爪を宿したもう一対の腕――これによってガンドルスは腹をぶちぬかれていた。



「いやぁあああーーーっ!」


 もう一度、女生徒の悲鳴が響いた。



 そんな中、化物は気にすることなく赤い瞳の中にある長円形の瞳孔をぎょろぎょろと素早く動かして視線をめぐらし、アベルたちを順繰りに見やる。最後に、眼前に倒れたガンドルスに視線を留めるとしゅうしゅうと掠れるような聞き取りにくい声を発した。



「ごらんなさい、やはり老いた。私の知るあなたなら敵は確実に殺していたはずだ。殺すことを恐れたあなたは――もはや駄馬にも劣る」


 かつてドゥルガンだったものはつまらなさそうにそう吐き捨てると、ベルティナとリティアナの腕を掴み直し、新たな腕で傍に散らかっていた服の残骸から器用に予備の転送球を取り出すと高く掲げた。



「今度こそ、これで皆さん、そして校長ともお別れです」



 ガンドルスがあっさり倒された衝撃にその場にいた誰もが呆然としていた中、新たな命令を受けた転送石はその形を解き光の粒子と化してドゥルガンたちを包んでいく。



 しかし完全に包まれる寸前、ただ一人が光の渦の中へ飛び込んでいた。


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