第22話-1 ベルティナの謎
ベルティナの面倒を見ると気楽に請け負ったのは、どうせ伸びたとしても数日のことだろうとたかをくくっていたからだ。しかし、後になってみればアベルの考えは実に楽観的だったといわざるを得なかった。
「ぱぁぱ! おかえりぃ!」
満面の笑みでベルティナは、授業を終えて昼食の支度をするため教室に戻ってきたアベルに飛びついた。
ベルティナの身内はようとして知れないまま、一週間どころか一ヶ月、二ヶ月と経っても現れる気配が無い。身元を引き受けて一週間後には生徒たちに公表したが、はじめて出会った年明月から雪解月になっても結局何もわからないままだった。
「ただいま、ベルティナ。いい子にしてたかい?」
だが、ベルティナは未だ保護者が現れないことへの不安を微塵も感じていないようだ。今日も変わらず屈託の無い笑顔を見せてくれている。
「うん! きょうも、たくさんのひと、あそんでくれた!」
ここ数日は朝方にダーダに乗って学府裏の山を走り回っては、採取に出ている生徒たちへその愛くるしさを存分に振りまいているようだ。
ベルティナはどんどん新しい言葉も覚え、多少たどたどしくはあるが簡単な会話ができるようになっている。そのおかげで当初心配したよりも円滑に他の生徒たちへ受け入れられたのは、アベルたちにとってありがたいことだった。
「おお、良かったな。おいで、ベルティナ」
アベルが荷物を下し適当な椅子に腰掛けると、ベルティナも早速お気に入りの定位置である、彼の膝上によじ登った。食材の在庫を記した控え書きに目を通しながら、頭を撫でられ気持ち良さそうにうっとり目を細めている彼女を横目で見て、知らずアベルも微笑んでいた。
「そうだ!」
と、何か思い出したようで不意に膝から降りたベルティナは、台所の壺に顔を突っ込み何かを取り出した。
「のいもー!」
恐らく、構ってくれた生徒たちから分けてもらったのだろう。
両手一杯の野芋を見せ付けてくるベルティナは天真爛漫に笑っている。 アベルもにこにこと受け取った。
「おお、沢山採ってきたなぁ。時間もいい頃合だし、ご飯にしようか」
「うんっ! あ、まぁま!」
窓外にリティアナが戻ってきたところを目ざとく見つけ、ベルティナがとてとてとそちらへ収穫物を見せに行った間にアベルは手早く調理の準備に取り掛かる。
やがて戻ってきた仲間たちが一人、また一人食事の準備に加わっていく。
「ぱぁぱ、まぁま! べるもー、てつだうー!」
とにかくやることなすことが刺激的なのだろう、ベルティナが仲間たちの傍にまとわりつく。そこをアベルは呼び寄せた。
「ありがとうな。それじゃあ、これを混ぜてくれないかな。こういう感じで」
そういうと屈み込み、あらかじめ茹でた野芋をすりつぶしたものに野菜を裏ごしして入れた木鉢を持ち出すと、混ぜこねるやり方を丁寧にやって見せてやる。じっと見つめていたベルティナは一区切りついたところで「わかった!」と受け取り、椅子にちょこんと腰掛けいそいそ言われたとおりに混ぜはじめた。
「素直で良い子だなぁ」
「本当にね」
アベルがしみじみ呟くのにリティアナが頷く。
「はやく親御さんに会わせてあげたいわね」
「そうだね…先生方は?」
リティアナは黙って首を振った。 芳しい報告はきていない。
「そうか…まだ見つからないのか。どうしてなんだろう?」
「さあ……先生方は、やはり転送石の不具合が原因じゃないかって推測してるけど…」
「そうなると、先方がこちらに飛ばされたって把握できていないだろうから、追いかけるのは絶望的だよなぁ」
アベルが嘆息する。
「親御さんも心配してるだろうし、何とかしてやりたいな」
気に病むアベルの肩にそっと手を置き、リティアナが励ました。
「そうね…その分、ベルティナに優しくしてあげましょう」
「うん、そうだね」
突然背後から、あっというベルティナの声と、重い物が落ちる音があがった。
「ベルティナ?」
振り返ると、ベルティナが手を滑らせて野芋が入っていた木の椀をひっくり返してしまっていた。よほど力を入れてこね回していたのか、綺麗な髪のあちこちにまで野芋が飛び散ってしまっている。
「あう…ご、ごめんなさい…てが、すべっちゃったの…」
「怪我は無いかい?」
「う、うん…」
ベルティナはべそをかいてうなだれている。
「ごめんな、ベルティナ。もうちょっと大きいお椀にしたら良かったな」
「ぱぁぱ、おこってない?」
不安そうに見上げたベルティナに、髪についた芋を丁寧に拭い取りながらアベルは微笑んだ。
「ああ、怒ってないとも。いつもベルティナが手伝ってくれるから大助かりなんだ。それに、僕だって失敗することはあるからね。だから、次は気をつければいいんだよ。わかったかい?」
そう言い諭すと、ベルティナはこくりと頷いた。
「うん、わかった」
「よし、それじゃあこちらは片付けとくから、髪の毛とか綺麗にしておいで。汚れちゃってるよ」
ある程度大きな物は取れたが、小さな物がまだ沢山絡み付いている。
「リティアナ、済まないんだけどベルティナの髪の毛洗ってあげてくれないかな」
アベルの呼びかけにリティアナはわかったわと答え、二人は連れ立って部屋を出て行った。
「なんというか…板についてきたわね、お父さん」
今までのやりとりをにやにや笑いながら見ていたユーリィンに、アベルはむすっとした。
最近のユーリィンは何故かリティアナと話した後のアベルによくちょっかいを掛けてくるのだ。
「なんだよ、お父さんって」
「怒らない怒らない、褒めてるんだから」
「そうは聞こえないけどね」
「二人とも、まじめに仕事してくださぁい」
むすっとした顔でリュリュが割り込み、アベルは内心ほっとしながらもようやく仕事に戻った。
「あ、お帰りリティアナ」
リティアナたちが戻ってきたのは、料理の準備があらかた済んだ頃だった。
「うん…」
アベルはリティアナがやけにいぶかしげな面持ちをしていることに気づき、声を落として聞いた。どうやらベルティナについて何かあったらしい。
「…どうかしたの?」
「ええ、ちょっと。食事終わったら話すから、みんなも残ってくれる?」
その表情から真面目な話だと察した一行は黙って頷いた。
てきぱきと食事を済ませ、ダーダと表で遊んでくるよう言い含められたベルティナの姿が見えなくなったのを確認したところで、リティアナは仲間たちに向かって口を開いた。
「あの子の出自がわかったわ」
「本当か、リティアナ?!」
嬉しそうなアベルをリティアナは複雑な面持ちで見やったが、
「これであの子も親御さんのところに帰れるんですわね」
レニーの言葉には、首を振った。
「…帰れないわ」
「え? どうして?」
不思議そうに尋ねるリュリュに、リティアナはきっぱり告げた。
「親御さんなんていないのよ、あの子には」
仲間たちは何れも意味がよく飲み込めないのか、目をしばたたかせている。
「あの子はそもそも、人じゃ無いから」
「…どういうこと?」
まだよく飲み込めないアベルにリティアナは一端躊躇したみたいだったが、やがて噛み砕いて説明した。
「ベルティナは生き物ですらない。クロコと同じ、錬金具なのよ。ただ、私たちが知るよりもはるかに優れた技術で生み出された」
皆、一様にあんぐりと口を開けている。きっと自身も同じ顔をしているのだろう、アベルはぼんやり頭のどこかで考えていた。
「え、ちょ、ちょっと待ってよ? 練金具? あの子が? 人族にしか見えないよ!?」
真っ先に我に返ったのはリュリュだ。
リティアナに並んで錬金術に慣れ親しんでいるからこそ、切り離して考えることができたのかもしれない。
「いいえ、間違いない。あの子の首筋、誰か見た人はいる?」
誰も答えない。
「今までは嫌がるから自分で洗うままにさせていたけど、髪の毛を洗ってやったときに気付いたの。あの子の後頭部から首筋にかけてに魔素の受け口がある。はっきりこの目で見たから間違いないわ」
その言葉に、アベルも思い出した。確かに彼も、一度ちらとではあるがそれらしき物を見た。
「それに、心臓の鼓動も、脈も…無いわ。明らかに、普通の生物じゃないの」
しん、と静まり返った教室内。
「…ん? あれ、でもそうしたら何でアベルとリティアナのことをパパママって呼んだんだろ?」
と、ふと口にしたリュリュの疑問に一同は互いに顔を見合わせた。
そう言われて見れば確かに不思議である。錬金術を嗜むリティアナはまだしも、アベルはまったく錬金術に関わっていない。
「さあ…その辺りはわたしにもよくわからないわ」
リティアナもそれについてはお手上げと言った風だ。
「まとめるに、今判ったのはベルティナにとって他に親はいないだろうってことだけね」
「うぅん…そうかぁ。その辺り、改めてあの子に聞いたら少しはわからないかな」
落胆するアベル。リティアナはちょっと考えこんで言った。
「そうね…ベルティナ自身あまりわかってるようには思えないけど、まだ何か知ってることがあるかも知れない。戻ってきたら改めて聞いてみましょう」
一同が頷く。 そこで昼休みの終わりを告げる鐘の音が鳴った。
両手をぱんぱんと打ち鳴らし、リティアナが話しを打ち切った。
「さて、それじゃああなたたちは授業の準備をして。どうせ急ぐ訳でもないんだから、まずは授業のほうに専念すること。ベルティナの話しは、今夜の夕食後にしましょう」
「はぁ…わかったよ。座学は苦手なんだよな…眠くなるからさ」
こうしてアベルたちはのそのそ立ち上がり、使った食器を流しへ持って行く。順次授業の用意ができた者から教室を後にした。
二年目の終盤も終盤だが、アベルは依然として座学をあまり好いていない。彼にはもう少し座学に力を入れてもらいたいと願うリティアナは小さくため息を吐いた。
「結構慣れると色々面白いのだけど。アベルも班長としてもう少し自覚を持って欲しいわ……」
戦闘に関しては先に助けてくれたときの立ち回りを見るに、確かに多少頼れるようにはなった…とは思う。 それだけに尚更惜しいと感じるのだ。
「…まぁま? なにかうれしいことでもあった?」
噂をすれば影、いつの間にか帰ってきたベルティナが声をかけた。
傍にダーダの姿は無い。どうせまだ裏山か港ででも遊んでいるのだろう。
不思議そうに見上げていたベルティナを抱え上げながら、リティアナは、まあねと肯定した。
「ふぅん」
ベルティナが破顔する。
「それって、ぱぱのことだよね?」
「…どうしてそう思うの?」
その通りだ、リティアナはちょっと驚いた。
リティアナに問われたベルティナはちょっと考え込むと、はっきり答えた。
「だってまま、ぱぱのことだいすきだもんね!」
不意打ちでそんなことを言われて、リティアナは動揺した。
「え…そ、そんなことは…」
ベルティナは一度首を傾げ、もう一度尋ねた。
「ちがうの?」
たっぷりした間を置いて。
「…違わない、けど」
「よかった!」
そう聞いて顔を輝かせたベルティナは実に嬉しそうだ。
「あのね、べるもね、ぱぱもままもれにーもりうりもゆーりぃもすき! だいすき!」
「ふふ、ありがとう」
リティアナは抱きしめ額に口付けてやりながら、そっとベルティナの頭を撫でてやった。
「そうね、わたしも、それにアベルもみんなも、あなたのこと大好きよ」
「うん!」
無邪気な笑顔を見てリティアナも知らず口元がほころばせてしまう。母親の気持ちとはこんな感じなのだろうか。
「失礼しますよ」
扉を軽く叩く音がして、間をおかずにドゥルガンの声がした。
「はい…どうかしたんですか、ドゥルガン先生」
わざわざこうして彼が出向くことは珍しい。
お茶の用意をしようと立ち上がりかけたリティアナを手で制しながら、ゆったりした動きでドゥルガンは部屋の中に入ってきた。
「いえ、大したことではありません。こちらの都合も兼ねて、ベルティナの様子を伺いにきただけですから。用事が済んだらすぐに立ち去ります」
「そうなんですか」
教室内に足を踏み入れたドゥルガンは辺りを見渡した。
「他の皆さんは?」
「授業に出ています」
「大変結構」
「先生は授業は良いんですか?」
「ええ、一応この後に天幻術の授業はあるんですがね。その前に済ましておきたい用事がありまして」
そういうドゥルガンの視線は一点に向けられている。
「先にこちらに来ることにしたんですよ。すぐ済ませますからね」
そのままつかつかと大股でベルティナの元へ歩み寄ると。
「ふぇ?」
向かってくる相手の異様な雰囲気に気付いたベルティナが思わず逃げようと身を翻した…が、それよりはやくドゥルガンが辿り着いた。
「失礼」
そういうと、素早い動きで屈みこみ手を伸ばす。
「思い込みとは怖いものですね。気付きませんでしたが…なるほど、確かに」
「教頭?」
ようやくリティアナはドゥルガンの様子がおかしいことに気付いたが、すでに遅かった。
「人の話を盗み聞きするのは、社会における基本的な道徳に悖る行為で軽蔑するところですが…今日ばかりは感謝しなくてはなりませんね」
ドゥルガンはベルティナの首に手を振れ、はっきりした声で宣言した。
「“休止せよ”」
途端、ベルティナの瞳は空ろになり、身体は電流に打たれたように硬直した。 力なく崩れ折れる寸前、ドゥルガンの手が抱き止める。
「ベルティナ?! 教頭、一体何を…」
慌てて立ち上がるリティアナに向かい、悠然と手を伸ばしたドゥルガンはいつもと同じ穏やかな表情をしていた。
「任務を遂行させていただきますよ」
教室内が白光に瞬いた。




