第21話-4 親って凄い
「といっても…何をしたらいいんだろうな?」
教室に戻ったアベルたちとグリューは、今は目を覚まして教室内をきょろきょろせ俺なく見渡しているベルティナについて話し合うことにした。
「まずはリュリュが食べ物じゃないってところから教えたら?」
リュリュを追いかけ回すベルティナを横目で見やりながらユーリィンが提案する。
「そうね…それは早急に教える必要があるわね。ちょっといい、ベルティナ」
同意したリティアナが手招きすると、ベルティナはすぐにちょこちょこと駆け寄ってきた。
「まぁま?」
まるで貴族に愛される陶磁器人形のような可愛らしさで、指を咥えあどけなく見上げるベルティナの仕草にレニーたちは一片に心奪われたようだった。
「ああもう、可愛いわねぇ」
「まったくですわ…これなら私が代わっても良かったかも」
ただ一人、肩で息をしながらようやく安全になったリュリュが吐き捨てるように言った。
「…どうかな。ボクはすぐにそんな甘いこと言ってられなくなると思うけどね…」
そして翌日。
リュリュの予言は当たった。
しばらく一緒にいて判ったことだが、ベルティナは――控えめに言っても――同年代の子供に比べ著しく好奇心が旺盛だった。
とにかく何にでも好奇心を示し、まずは口に咥えようとする。
真っ先にリュリュがその被害にあっていたわけだが、やがて彼女が警戒して自分に近寄ってこなくなったことを悟ると今度はレニーが新たな被害担当になった。
最初は翼に興味を持ったのかそっと触っていたが、すぐにその手触りを気に入ったのか埋まるようにして顔をよせていた。その様子を最初は可愛い可愛いと猫かわいがりしていたレニーだが、やがて口一杯にもしゃもしゃ咥え出すようになるとそうも言ってられない。
「ちょっ、ちょっとおよしになって?! 私の羽は食べ物じゃなくてよ?!」
かくてレニーもまたリュリュに倣い、自ら距離を置くように移動するようになる。
機動力優れる二人を追いかけることに見切りをつけたベルティナは、次にユーリィン――の長い耳――に狙いをつけ追い掛け回していた。
「リティアナ、アベル! 何とかしてよ!」
「ああもう、じっとしててくれよベルティナ…」
「ゆーり! ゆーりぃ!!」
両手に抱きかかえられ引き離されたベルティナはじたばたともがいて覚えたばかりの名前を呼びながら、尚ユーリィンを追いかけようとしている。
「うう、酷い目にあったわ…あたし耳は弱いんだってば、くすぐったくて…」
珍しく上気した顔に涙を浮かべて抗議するユーリィンに、アベルは頭を下げるしかない。
「えーと……なんというか…ごめんね?」
「ほーら、言わんこっちゃ無い。その悪魔に甘い顔をするとえらい目に会うって言ったとおりだ!」
遠巻きにしていたリュリュをユーリィンはにらみつけた。
「リュリュ、判ってたんなら助けなさいよ!」
「やだよ、ボクだってまた食われたくないもん!」
「あんたね、友達ならその身を挺して助ける位したらどうなのよ?!」
「その言葉そっくりそのままお返しするよ!」
リュリュとユーリィンが醜く言い争う姿を久しぶりに見て、たまたまとはいえ二人のしこりはどうやらこれで何とかなりそうだとアベルは内心ほっとした。
「あのね、ベルティナ」
「うー?」
不思議そうに見返すベルティナを腕を掴んで手繰り寄せると、アベルは苦笑しながら頭を撫でてやる。
「みんなは食べる物じゃないから、むやみに口に入れちゃ駄目なの。判った?」
「うん!」
元気な声を上げて大きく頷くベルティナの頭を撫でようと手を伸ばしたアベルは、彼女の首筋に何か見えた気がした。
「おや?」
もっとよく見ようとして手を伸ばしたが、
「うわっ、何だ?!」
大きく吠え立てながら室内に戻ってきたダーダに、アベルは驚いて手を引っ込めた。
「どうしたんですのダーダ?」
昨日から一晩中裏山でもほっつき歩いていたのだろうが、ダーダとベルティナはこれがはじめての遭遇となる。
教室の外までは大人しかったダーダが、室内に入った途端――というよりはベルティナを見てからと言ったほうが正しい――いきなり吼え始めたことにレニーたちも驚きを隠せない。
「何なんだ一体? こんなこと今まで無かったのに」
不思議に思っていると、ベルティナが素早く身をよじってアベルの手の内から逃れ出た。
「あっ、ベルティナ!」
慌てて立ち上がり追いかけたがそれより早く、とことことベルティナがダーダに近寄っていく。
「ん…」
数歩手前で両手を差し伸べたベルティナに、ダーダが飛び掛った。
「駄目だダーダ!」
「ひゃああっ」
リュリュたちが次に起こる惨劇に備え思わず顔を覆う。だが、ダーダは噛み付くどころか自らベルティナの前に膝を折ると、頭を垂れて大人しくなった。
「え?!」
「だー、だー」
ベルティナも怯える素振りは一切無く、嬉しそうに笑いながらダーダの頭を撫でている。
ダーダも心地良さそうに身を預けているのを見て、ようやくリュリュたちも安堵の吐息を漏らした。
「懐きましたわね」
「可愛いからなのかねぇ」
「…なんか釈然としない…」
ベルティナは大層気に入ったようで、そそくさとダーダの上に乗って喜んでいた。
ダーダの方もまんざらではないようで、大人しく彼女のされるがままになっている。ダーダが懐いたことは今後リュリュたちにとって大きな手助けとなってくれるだろう。
「やれやれ…ちょっとほっとしたよ。ベルティナに追い掛け回されるリュリュたちを庇うのも限度があるし」
もっと奔放な性格だと思っていたダーダがあちこち引っ張られたり吸いつかれているにも関わらず、嫌がっている素振りをまったく見せないことを確認したアベルは、飲み物を用意するとそれまで黙って班員たちの繕い物をしていたリティアナの前に置いた。
リュリュたち三人は汚れを落とすため湯浴みに行っている。
「まあそうだけど…わたしはちょっと残念かな」
礼を言って杯を受け取ったリティアナはかすかに口元を綻ばせた。
「ベルティナを取られたような感じ?」
「そんなんじゃ…いや、そうかも?」
ちょっと考え込んだリティアナに、アベルも笑って答えた。
「あはは、実は僕もそうなんだ」
一口、茶を飲んでアベルはつづけた。
「それにしても子供の面倒を見るってのは大変なんだなぁ…」
感慨深げなアベルの意見にリティアナも同意した。
「本当にね。たった一日だったけど、へとへとだもの。親って凄いと思うわ」
「しかも僕たちは手伝いもいたのにね…」
頷くアベルにリティアナは苦笑する。
「いや、逆にリュリュたちがいたから更に大騒ぎになってたっていう気もするけどね」
「…確かに」
「けど…これも、後もう少しで終わりね。アルキュス先生が親を連れてくるまでの間だけだし」
寂しそうに呟くリティアナに、アベルも同意する。
「そうだね。いい勉強になったよ」
「ええ。アベルもいずれお父さんになるなら、今回の経験はいい勉強になるんじゃない?」
「そういうリティアナもね」
ふと思いついたアベルは何の気無しに尋ねた。
「ねえ。リティアナから見て、僕は良いお父さんになれると思う?」
リティアナはくすりと笑った。
「どうかしら。アベルあなた、ちょっと鈍いところがあるし」
「えぇ?! そうかなぁ…」
ちょっと口を尖らせたアベルに、リティアナは笑みを浮かべたまま念押しした。
「そうなのよ。でもまあ、手遅れって程じゃないわ。今からならきっと直せるわ」
「それなら良かったよ」
言葉が途切れ、いつしか二人はお互い見つめあっていた。ふとアベルはリティアナの表情が、以前見たときより幾分和らいで見えていることに気付いた。昔一緒に遊んでいたときのような…
「こほん。あぁ、ちょっといいかなお二人さん」
扉を叩く音とともに掛けられた声に、二人は飛び上がって離れた。
「来たのが校長でなく、あたしでよかったねぇ」
開かれたままの扉に身を預けているアルキュスはにやにや笑っている。
「あ、あの…今のを?」
アベルの質問を無視してアルキュスはつづけた。
「不純異性交遊は接吻までにしておくんだね」
「し、してませんよそんなこと!」
「まあ、まだ何も起きていなかったようだから今回は校長には言わないでおくよ、タダでね」
「えぇ…だからしてないってのに…」
「今回は、ね…それでアルキュス先生、わざわざここへは何をしに?」
冷たい視線を向けるリティアナの問いにアルキュスは答えた。
「あんたらに調査の結果を伝えにきたんだよ」
「調査…というと、ベルティナの」
「そう」
アルキュスが頷いた。 だが、その表情はどことなく暗い。
「親御さんはいつこちらへ迎えに来るんですか?」
「来ないよ」
間髪入れず返された答えに、アベルは一瞬聞き間違えたのかと思った。
「…え? 来ないって…」
「今言ったとおりだよ。親御さんは学府の中にはいないみたいなんでね」
しかし、答えは変わらない。
「いない…? どういうことですか?」
リティアナの問いに、アルキュスは目を細めて言った。
「どうもこうも、今言ったとおりだってば。デッガニヒにも確認したけど、彼は昨日は船を出してもいないそうなんだ。もっといえば、ベルティナは見たことすらない」
「じゃあ…どういうことです?」
アベルの疑問に、アルキュスは肩をすくめた。
「さあねぇ…何分、今回のような件ははじめてだからね。転送石や転送陣の誤作動できたのかも知れないけど」
「そんなことがあるんですか?」
アルキュスは首を横に振る。
「無い…はず、なんだけどねぇ本来なら。あの髭達磨も言ってたが、この学府は部外者の侵入に対しては厳しいんだよ。あたしとしてはそんな可能性よりは、誰かの隠し子と言われたほうがまだ納得できるわ」
「僕たちは違いますよ!」
慌てて否定したアベルに、アルキュスはにべもなく答えた。
「それはもう判ってるっての」
アルキュスはやれやれと首を振っている。
「なんにせよ、今しばらくは調査が必要だろうね。ああ、めんどくさ」
「それは判りましたが…そうしたら、ベルティナはこれからどうなるんですか?」
アベルの質問に、アルキュスは頷いた。
「ああそうそう、それなんだけどさ」
にやりと笑ったアルキュスにアベルは嫌な予感がした。
しかし、黙っておいても災厄は回避できないのが現実というものである。
「折り入ってお願いなんだけど。折角だし、今しばらくはあんたたちに面倒を見てもらいたいんだ。どうだい? 引き受けてくれるなら今月のお前たちの治療費、少しまけてあげるよ」
「え…」
反射的に辞退しようと思ったアベルだったが、リティアナとのやり取りを思い出し考え直した。
「うぅん…そう、ですね。判りました、お受けします」
「アベル…!」
嬉しそうなリティアナの反応に、アベルは自分の選択が正しかったと思えた。
「よかったよ、そっちも納得してくれたようで」
アルキュスも安心したように頷いている。
なんだかんだ言って、彼女もまたベルティナのことを心配していたのだろう。
「まああんたらの学業のこともあるから、こっちも早急に何とか手をうつよ。長くても一週間くらいで済ませるようにするから、その間はよろしく頼むな」
「判りました。それくらいなら何とか…」
「本来なら、孤児を扱うときと同じようにするんだけどねぇ。あのくらいの年頃の子を親から引き離すのは色々問題があるし」
「いや、だから僕たち親子じゃないんですけど…」
渋い顔をするアベルにアルキュスは肩をすくめた。
「親と思い込んでる節があるってことだよ、懐かれてるのは事実なんだし。それではアベル、放課後になったら職員室まで荷物を受け取りに来とくれ」
「はぁ、荷物って何かあるんですか?」
不思議そうに尋ねたアベルに、アルキュスは答えた。
「ベルティナは当分リティアナと一緒に寝てもらうことになるからね。寝具など女性に運ばせるわけにはいかないでしょ?」
「ああ、そういうことですか。そういうことなら判りました、すぐ行きます」
「あいよ。では、用件は伝えたからあたしはこれで戻るわ。放課後、忘れず来なさいよ」
満足そうに頷き、部屋を後にするアルキュスをアベルたちは見送った。
「…だってさ」
「まあ…ちょっと嬉しい、かな。わたしは」
ほっとしたように言うリティアナに、アベルも同意した。
「実を言うと僕もなんだ」
「まあ、現金ね」
リティアナの皮肉にアベルはにやっとしてみせる。
「臨機応変に対応するのは班長にとって必要な素質だからね。君に教えられたことだよ」
「あら、自分の不徳を他人のせいにするのはいただけないわね」
そう返すと、二人ともぷっと吹き出した。




