第21話-3 アベル、パパになる
半時後、アベルたちは校長室に呼び出されていた。
「えー…それでは、尋問を執り行う」
正面には校長――彼がここまで苦虫を噛み潰したような顔をするのをアベルははじめて見た――が机に向かって座っており、机上に肘をついて口元を両手で隠す格好で睨んでいる。その隣で、同じく仏頂面で立っているアルキュスが書類を淡々と読み上げた。
他の班員たちは部屋の後ろに立ち、中央の三人――ベルティナと名乗った少女を中心に、左右にアベルとリティアナが椅子に着かされている――を包囲する形になっている。
「議題は生徒であるアベル、及びリティアナによる不純異性交遊について」
ドゥルガンではなくアルキュスが読み上げているのは、恐らく性的な交際に言及する可能性への配慮によるものだろうか。
交錯する視線からは、これまでに感じたことの無い威圧感を感じさせられる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
部屋のど真ん中に腰掛けさせられているアベルが慌てて反論しようと立ち上がりかけるが、すぐに腰を落としてしまう。隣にはリティアナもいるが、アベルだけは後ろ手に拘束されているためだ。
「何ですかこれは! 僕は何もしてない!!」
その一言で、周囲で立っているレニー、リュリュ、グリューからの視線が一気に冷ややかになった。
「アベル、男が責任とらないつもりですの?」
「うっわ、最低だわ先輩…」
「ボク見損なったよ…」
三人がやいのやいのと騒ぎ出す。
「だから違うってば! みんなこそ何言ってんだよ! ちゃんと話を聞いてよ!!」
アベルは反論を試みようとしたが、校長までもが責める側に加わった。
「俺も見損なったぞアベル! お前たちがそういう関係になるのはまだはやい! せめてこの俺を倒してからだな…」
レニーたちもぎゃんぎゃん言いたい放題で、もはや何を喋ってるかすら判らない。
「いい加減にしなさーい!」
この狂騒状態に、とうとうリティアナが怒りを露にした。
「あなたたち、わたしやアベルが違うって言ってるのがそんなに信じられない!? 大体、アベルがそんな甲斐性あるように見えるとでもいうの!?」
その一言で部屋は静まり返った。
「うぐ……そ、そういわれると…」
「そう…ね。あのアベルですものね…」
「衝撃的な事態に我を忘れてたけど、確かにアベルだもんねぇ」
鮮やかな掌返しである。
「…ありがとう、みんな判ってくれて嬉しいよ。おかげで今無性に泣きたい気分だ、色んな意味で」
しょぼくれるアベルを放置し、リティアナの矛先は今度は校長に向けられた。
「それに校長も! 馬鹿なこと言ってないでしっかり考えてください! 大体、いつわたしがそんなことをしたとでもいうんですか?!」
「い、いやだがそうは言ってもだな…」
今にも目から炎が吹き上がりそうなリティアナの激しい剣幕に、ガンドルスのでかい図体がちょっとひるんだ。
「でも、ちょっと待って。その…ベルティナと言ったっけ? その子の反応を見るに、あんたらが無関係と言い切るのはちょっと難しいんじゃないの」
冷静にそう告げるアルキュスの人差し指は、リティアナにお下がりを着させられて、彼女に抱えられたまま気持ち良さそうに眠っているベルティナに向けられてい る。
ベルティナはアベルかリティアナにしか懐こうとせず、またさっきまで口を開けば二人のことをパパママとしか言わない。そこを指摘されたリティアナも、流石に答えに窮した。
「それは…そう、かも知れないですけど…」
「校長も悪気があるわけじゃ無いんだよ、年のせいで耄碌しててちょっぴり歯止めが利かないだけでさ。でも、こういった問題は繊細だから、ぴりぴりするのは仕方ないのさ」
「ですが…やってないものはやってないんです!」
リティアナが身の潔白を必死に主張するが。
「それをどう証明するか、だねぇ。一番良いのは、『何もやってない』ことを証明することだけど…」
「そんな証明できっこないですよ!」
存在しないものを証明するなど不可能だ。アベルも気色ばんで立ち上がる。
「まあまあ…落ち着きなさいよみんな」
そんな中、呆れたように言ったのは、ユーリィンだった。彼女だけは唯一、離れて遠巻きに見ていたのだ。
「一つ確認したいんだけどさ。この子は見た限り人族みたいだけど、人族がこの大きさに育つまでどれくらい掛かるもんだと思う?」
その言葉に、ガンドルスがあ、と小さく声を漏らした。
「んー…よく判んないけど…一年?」
滅茶苦茶な回答に、レニーが呆れて訂正する。
「リュリュ、さすがにそれは無いんじゃなくて? せめて二年は欲しいところですわ」
「どちらも外れ。もっと掛かるわ…ですよね、先生?」
だがそれすらばっさり切り捨てたユーリィンの問いに、アルキュスは大きく頷いた。
「そうだね。見た限り人族の十歳くらいだから…実は二人はすでに十年前から逢瀬を重ねていた…ということはないよね?」
リティアナもアベルもぶんぶん首を振る。
「だろうね。実際にあっていれば初日のアベル君の行動も無かったろうし…彼らが無実というのは事実っぽいわ」
何人かからほぅ、という安堵の吐息が洩れる。
「先生、それ最初から気付いてましたよね?」
小声でそう質問したユーリィンに、アルキュスは
「さあて…どうかね?」
と笑いながら肩をすくめるに留めた。
「…でも、そうすると学府のどこかにこの子の親御さんが着ているということですの?」
「かも知れないね。後でデッガニヒにも聞くしかないねぇ」
「空を飛んできたりとかした可能性は? その子が一人できたりとか」
グリューの質問にガンドルスが首を横に振る。
「いや、それは無かろう。羽は見当たらんし、そもそもこの学府は本来そのような侵入はできん」
「え、でも俺は?」
実際に飛んできたグリューが手を挙げるが、ガンドルスがもう一度首を振った。
「あれは途中までとはいえ、新入生としてデッガニヒが船に乗せて連れてきたからだ。断言しても良いが、普通に港町から飛んでこようものならここにはまず辿り着けんようになっておるのだよ。あとはまあ、転送球を使った移動だが…これも、登録してある生徒や教員、事務員以外は転送先として指定はできんようになっておる」
アベルは侵入者のことを思い出したが、まだ何も判っていないため今は黙っておくことにした。
「何はともあれ、こちらのほうで保護者を探しておこう。が…」
ガンドルスが一つ咳払いする。 そして、アベルたちを見やった。
「しばらくは君たちで面倒を見てもらいたい」
「えええ?!」
アベルは大声をあげた。
「ど、どうして僕たちが?!」
「どうしても何も、それだけ懐いているのだから止むを得まいて」
ガンドルスが困ったように指を指す。その先の、リティアナに抱えられたまま眠っているベルティナはアベルたちから離れまいとするようにしっかり二人の袖を握って離さない。
「他の者が代われる様なら構わんが…」
レニーたちはガンドルスと視線を合わせないよう一斉にさっと視線を逸らした。
「薄情者!」
「だってボクまた食べられたくないもん! 絶対絶対、ぜぇったい反対!!」
まず真っ先にリュリュにそう返され、アベルは返答に詰まった。
確かに、先の惨状を見るに彼女に任せろというのは無茶を通り越して酷と言うものだろう。
「そ、それならレニーたちなら…!」
「その…私、そのくらいの子供とどう接していいか判りかねますわ…」
「ユーリィンは?」
「あたしは構わないけど…」
一同を一瞥してユーリィンは済まなさそうに答えた。
「出戻りで色々言われてるからねぇ…さすがに今はあんまり目立つことはしたくない、かな。」
ちらりと視線がリュリュに向けられたこと、そしてリュリュもそれに気付いたがすぐに目を逸らしたことにアベルは気付いた。彼女たちが気持ちの整理をつける時間は確かに必要だろう。
「むぐ。じゃ、じゃあグリュー! 君は?」
アベルはやむなく、本来は外しておきたかった人物の名を呼んだ。
「へ? あ、お、俺?!」
少し考え込んだグリューは。
「…そうっすね。いいですよ」
「おお…」
ありがたい、そう言おうとしたアベルだったが。
「考えてみりゃ、リティアナ先輩との新婚生活の予行練習だと思えば良い訳だしな」
一瞬、部屋が静まり返った。
「ああ、グリュー」
「ん、なんですか先輩」
爽やかな笑顔がアベルの顔に浮かんでいる。
「やっぱり僕がやるよ。面倒ごとを後輩に押し付けるのは悪いもんね」
神速の掌返しに、グリューが情けない声を上げた。
「ちょっ、そりゃ無いっすよ先輩! 俺の意見聞いて態度変えるなんてずるいですよ!」
「ずるくない! 大体元々は僕が言われたことじゃないか!」
「そんなこと言って先輩自分から放り出したんじゃないですか」
「放り出したんじゃない! よく考えたら君は相応しくないと思っただけだ!」
「どう違うってんですかい!」
「いい加減にしなさーい、二人とも!」
二人の口論が過熱しかけたところで、とうとうリティアナが一喝した。
それまで黙ってベルティナの髪を撫で付けていたリティアナが、目を吊り上げている。
ベルティナがびくっと今の怒声で目を覚ましかけた…が、リティアナが数回撫で付けると再び心地良さそうに寝息を立て始めた。それを確認してから、リティアナは声の調子を落とし断った。
「グリュー、申し訳ないけどあなたには無理よ」
「どうしてですか先輩?!」
「この子があなたに懐かなかったのはすでに試したでしょ? それに、あなたはまだ一年生。学ばないとならないことが沢山あるんだからまずそちらを優先しなさい。わたしを理由に落第されても困るわ」
「せ、先輩、そんなに俺のことを心配してくれるのか…わかりました、俺頑張ります!」
感動したグリューを見てリティアナはにっこり笑った。
そして元の鋭い目つきに戻りながら、今度はアベルに向き直る。
「アベル、別にそんなにやりたくないならやらなくても構わないのよ?」
「い、いやそんなつもりじゃ…」
慌てて答えるアベルに、リティアナはなおも舌鋒鋭く切り込んだ。
「あら、そうかしら? 先ほどまでの様子を見るに、厄介ごとを背負い込みたくないという風に見受けたけど? それを聞かされたわたしがどう思うかなんてまったく気にしないでね」
アベルはしどろもどろだ。
「そ、それは…別にリティアナのことをないがしろにしたわけじゃなくて、それに、えぇとその…厄介ごとっていうのも違うというか…そ、そう、こういうのはどうしたらいいか僕じゃわかんないしさ…」
「それはここにいる人のほとんどがそうじゃないかしら」
リティアナはぴしゃりと言った。
「当たり前だけど、わたしだってこんな小さな子の世話をするのははじめてで判らないことだらけだわ。でも、だからと言ってしぶしぶするような人と一緒に世話するのはもっと嫌。困ったときに手助けしてくれる人とじゃないと、わたしだって辛いもの」
「ぼ、僕は別に嫌だなんて言ってないよ!」
ユーリィンが小声で「勝負あり」と呟いた。
「それなら、あなたはわたしの手伝いをすることに意義は無いわけね? 喜んで手伝ってくれるわよね? 良かったわ、何だかんだ言ってもやっぱり男手は欲しいもの。本当に助かるわ、ありがとう」
淡々とリティアナがまくし立て終えたとき、ようやくアベルは自分がすっかり逃げ道を断たれていたことに気付いたがもう手遅れだった。
「……うん」
「お互い納得できてよかったわ。こういうことは、お互い納得づくで行う必要があることだもの。ねぇ?」
「はい、頑張らせて頂く所存です……」
リティアナは満足げに微笑みながら頷いていた。
何か言いかけたアベルは、賢明にもそれを止めて代わりに小さくため息を吐くに留めた。
「おほん! えー、さて、粗方方針が決まったところで…それじゃあアルキュス先生、まずはデッガニヒに聞いてみてくれ」
「判りました」
「他の者はこの件については面白がって吹聴せんように。事情はこちらから生徒たちへ伝えよう。まあ下手に広まるとリティアナたちに悪評が立つ可能性が高いだろうというのは、すでに身を持って経験済みだろうから判っておろうが…」
一同、大きく頷いた。
「何か疑問点や、対処しきれないことがあったらアルキュスか、俺に聞くこと。また、諸君らもアベルたちに力を貸してやってほしい。できるかね?」
口々に生徒たちも同意するのを満足げに見やり、ガンドルスは生徒たちを廊下へ見送った。




