第21話-1 青春ですなぁ
年明けてなお寒風吹きすさぶ午後の授業中、リュリュは自分の赤い髪を指で弄びつつ、バゲナン先生が額の汗を拭き拭き錬金術の講義をしているのをぼんやり眺めていた。
ずんぐりむっくりしたバゲナンが小太りの体を揺らしながら教壇上をあちこち走り回り黒板に色々内容を書いて説明しているようだが、まったく頭に入らない。
アベルに対して酷いことを言ってしまった――ずっとリュリュは後悔していた。
あの状況では仕方の無かったことは十分理解している。きっと自分がアベルの立場なら同じことをするし、リティアナが自分でもきっと同じことをしただろうとも思う。
だけど、真っ先に出たのがリティアナの心配だったのを聞いてかっとなってしまった。
実情は理解できていてもリティアナを選んだという事実の前に、怒りや悔しさがいっぺんに溢れた結果、その感情を処理しきれなくなりその場を逃げ出してしまった。
以来、アベルも何度か謝ろうとしてきているのだが、リュリュは彼のことを避けるようになってしまっている。それが自分でも深いしこりと なって胸を痛めていた。
「ん。あー、リュリュくん。リュリュくん」
男性にしては高めの音声。
後ろから他の生徒に背中を突かれ、ようやくリュリュは自分の名前を呼ばれていることに気付いた。どうやらバゲナンは何度も呼んでいたらしい。
「はっ、はいっ」
慌てて起立すると、周囲からくすくす笑い声が漏れ出た。
「ん、立たなくてもよろしい。ん、とりあえず寝てるか起きていないか確認しただけですからね」
バゲナン先生はいつものようににこにこ笑っている。リュリュは授業そのものもだが、いつも穏やかな微笑みを絶やさないこの先生が好きだった。
「ん。どうやら何か悩みでもあるのかね?」
「え…い、いえ…」
リュリュがそう答えたにも関わらず、バゲナンは何度も頷きながら言った。
「ん、ん。悩みなさい、若人よ。どんどん悩むのです。そうすることが、後々あなたの糧となるのです。ん。とはいえ、この時間は他にあなたの糧となることがありますからね。ん、ちゃんと授業に集中することも必要ですよ?」
「はい、ごめんなさい先生」
「ん、よろしい」
注意されたリュリュは授業に集中しようとするが、黒板へ向き直ったバゲナンの涼ろげな後ろ頭を見るうちいつしか彼女の頭を悩ますもう一人の人物のことを考え込んでいた。
(ユーリィンに相談できるならしたいけど…)
野営訓練の翌日、ユーリィンはいきなりアベル班に復帰してきた。
もちろん、何事も無く…という訳には行かない。
ユーリィンの目論見を知らないルーク班としては、突如強力な、しかもハルトネク隊を大きく弱体化させる戦力が自分たちの元へ降って湧いたのだ。幾ら気に食わない相手とはいえ、帰すのを嫌がったのは当然の成り行きと言える。
当初ルーク班が色々と文句を言ってきたが、自分たちの班員だと主張するアベルとリティアナは頑として引き下がらない。
あわや乱闘かと誰もが思ったが、メロサー先生が仲立ちになり、ハルトネク隊から結構な量の食料を渡すことで今回の騒ぎは手打ちになった(その際ユーリィンはしきりにすまながっていたが、アベルたちは食料はまた集めれば良いと笑って済ませた)。
リュリュとしては、親友が帰ってきてくれたこと自体は素直に嬉しい。
だが、戻るときにユーリィンの口から聞かされた、自分の目的はリティアナの暗殺にあったこと、それが未遂に終わったこと、そして入学するためにリュリュを利用したという言葉には少なからず驚かされた。
一番身近にいたはずなのに、ユーリィンのことをまったく知らなかったのだ。
「ボクってなんなんだろうなー…」
つい、呟いてしまっていた。
「ん。人とは何か、その本質を突き詰めて考えるのは実に深遠な問題でありますねぇ、リュリュくん」
「ふぁい?!」
一際大きな声で呼ばれて慌てたリュリュに対し、バゲナンは一度頷いたきり何事も無かったかのように授業をつづけた。
「かつて人は神の従属物であるという考え方も存在していましたが、錬金術の発見とそれに伴う数多の技術の発見、ん、及びその調査によって決してそうではないことが明らかになりました。その考察を元に、ん、今から百二十四年前、かつて偉大なる錬金術師マルケルは神々こそ練金術の集大成であり、ん、またそこにこそ人との大きな違いがあると発表しています。彼の説によると、ん、もし人が従属物であるならば神との繋がりを固持すべきであるにも関わらず、またそうできる手段が幾らでもあるにも関わらず、我々の生死には直接何らの繋がりをもっていないことがその証左である…という内容ですね。ん、その学説が出て以降も神学派は現在も、ん、錬金術と神とのつながりを否定しておりますが、一般においては通説となっております」
そこで一端切り、バゲナンがちらと自分を見たことにリュリュは気づいた。
「一方、ん、その考えが流布するにつれ、神学派はそれ故独歩の意思を持たぬ獣こそ、んっ、神に無条件で寵愛されるべき人より優れた存在だと主張するようになりました」
生徒たちがざわめいた。
「え、でもそうなると家畜、ひいては化獣までもが神々に近い存在だということにもなりませんか?」
頭の回転の速い生徒が驚いたように叫ぶと、周りの生徒たちもざわめく。
バゲナンは咎めることも無く、その生徒に向けて満足そうに微笑みながら大きく頷いた。
「ん、左様。冷静に考えれば、まったく持って愚かしい主張としかいいようがありませんね。人と獣とどちらが優れた存在かと比べること自体、立場や主義主張によって見方が変わる時点でまったくもって意義をなさないからです、ん。そもそも、彼らは神々を完全無垢な存在だと誤認しているというのも大きな理由です。また一方で、主張を正当化するために恣意的な証拠を揃えて反証するやり方自体にも問題があります…まあ、これは一部の過激派に限ったことではありませんが。……んんっ!」
一際大きく咳払いし、バゲナンは講釈をつづけた。
「ですがそれに対し、マルケルはある定義を持って否定したのです。結果、それにより研究者たちの間で神学者派の主張は失墜することになりました。ん、そこでリュリュ君に質問です」
「な、なんでしょうか?」
途中から聞いたせいか、バゲナンの話がいまいちよく判らない。
「ん。マルケルは、何をもってして獣と人とは違い、獣が神の後継足りえないと答えたと思いますか?」
どうせ授業は聞いていなかったのだから、前振りは関係ないはず。そして、バゲナン先生の性格を考えると…
ちょっと考え込んだリュリュはおずおずと自分の考えを述べた。
「…言葉、ですか?」
「ん!」
バゲナンが嬉しそうに頷く。 結構あてずっぽうだったのだがリュリュの推察は正しかったようだ。
「然様、その通りである! マルケル曰く、魔術を行使するにあたり、我々は等しく誰もが言語を介して行われる。もし獣が神の後継ならば、何故人だけが言葉を解し伝えることができるのか。この答えに対し、現在も神学派で納得のいく答えを出せた者は未だおりません」
そこまで一息に喋ると、こほんと小さく咳払いをした。
「ん、しかし、実際にはそこまでマルケルも考えていたのかはわかりませんがね。人が社会生活を営めるのは、ん。言葉という標準的な意思疎通の手段が前提にあるからです。なのに言葉を惜しむのは、ん、自身のうちで問題を帰結する獣と変わらない、彼はそう思っていたのかも知れないですね。ん、結構、リュリュくん。座りたまえ」
そこまで言うとバゲナンはにこにこ微笑を浮かべたままリュリュの目をじっと見つめた。しばらく呆然としていたリュリュは、不意にバゲナンが今自分に何を伝えようとしたのか判った気がした。
「もしかして…きちんと話し合え、ってこと?」
バゲナンは目を細めてにっこり笑むと、くるりと背を向け授業を再開した。
「ただ、気をつけなくてはならないことがあります、ん。確かに言葉とは便利な物なれど、ひとたび沈黙との関わりを失えば萎縮してしまいかねません。無駄な言葉を述べるよりは、黙ることで相手もその意思を受け取ることが出来る。ん、故に沈黙とは単に『語らないこと』ではなく、ひとつの節として独立しているのであります、ん」
バゲナンがどういう意図で今の話を振ったのかは判らないが、一つはっきり言える事は彼の授業のおかげでリュリュのくさくさした気持ちが晴れたということだ。
おかげで今は、少し前ほどアベルたちと話そうと思うことに抵抗がなくなっていることにリュリュは気付いた。
「…そっか。そうだよね、まずは話さないと。いつまでもこうしてるわけにもいかないし」
終了の鐘が鳴ると、リュリュは荷物を手早くまとめ部屋を飛び出していく。が、すぐにちょっと戻ってバゲナンに一礼すると、今度こそ一目散に自分たちの教室目掛けてすっ飛んでいった。
「んっん~、青春ですなぁ、ん!」
バゲナンは終始にこにこ微笑みながらリュリュを見送った。




