第20話-3 アベルのバカ!
翌朝――というよりユーリィンと別れてから数時間後というほうがより正確だろう――、リティアナを支えて野営地に戻ってきたアベルは己が過ちをおかしていたことを思い出させられる出来事と遭遇することとなった。
リティアナが自分の足を手当てするために天幕へ向かったところ、入れ違いに中から飛び出てきたリュリュがアベルの姿を認めた途端すごい剣幕で怒鳴り出したのだ。
「アベル…キミってば最低! さいっていだよ!!」
アベルはこれほどまでに誰かが激しく怒るのを久しく見たことが無かった。それが普段はあっけらかんとしていて根に持つことが少ないリュリュなのだから尚のこと、動揺せざるを得ない。
「ボクとの約束すっぽかすなんて! しかも何も言わないで…ボク、ずっと待ってたんだよ?」
その言葉で、アベルは何故こうまで彼女が激怒しているかの理由がようやく判った。
ごたごたしていたせいで、二人で合う約束を今の今まで完全に忘れていたのだ。
「あ…ご、ごめん。でもその、すっぽかしたというか何と言うかそういうつもりはまったく無くて…」
アベルは慌てて頭を下げたものの、言い方がとびきりまずかった。苦し紛れの言い訳と捉えた結果、リュリュの怒りは止むどころか更に激しさを増した。
「何言ってんの、事実すっぽかしてるじゃんか! ボクとの約束を無視してリティアナと会ってたんでしょ?!」
「ち、違うよ! いや、その通りだけど、でも別にそういう訳じゃなくて…」
ユーリィンのことを言おうかと思ったが、それを言ったら彼女がアグストヤラナへ来た際にリュリュのことを利用したことに触れることにもなる。
さすがにそう伝えるのは傷つけると躊躇したアベルだが、リュリュはその沈黙を上手な言い訳が見つからないためだと判断してしまった。
「そういう訳じゃないって、そんな汚れたかっこして! どうせ森の中で、一人待ちぼうけしていたボクのこと笑いながら二人でこそこそ逢引してたんでしょ?!」
「ほ、本当にそういうんじゃないんだってばリュリュ。僕は途中でその…リティアナが脚をくじいたのに出くわしたんだ」
困ったアベルは慌てて言い直した。全部を伝えるわけには行かない以上、ある程度は誤魔化すしかない。
「もちろん、リュリュとの約束を忘れてたわけじゃないよ? だけど、怪我していたリティアナを放っておくわけにもいかないじゃないか。だから、ちょっと心配して傍についてただけで…」
何か言わなくてはならない、その一心で深く考えずに口をついて出た言葉だが、リュリュははっと息を詰まらせた。彼女の顔を見てアベルは自分の失言に気付いたが――手遅れだった。
「…馬鹿ぁっ」
歯を食いしばったリュリュはかろうじてそれだけを口にすることができた。つづけて何かを言おうとするものの、それより早く堪えきれなくなった大粒の涙が頬をぼろぼろ零れ落ちていく。
「あ…」
「アベルの、ばかぁ~~~~っ!」
それだけ言い残したリュリュは彼が何か言うより先にくるりときびすを返すと、そのままどこかへ飛び去ってしまった。どうして良いか判らず辺りを見渡すアベルは、嵐の過ぎ去るのを待って天幕の隙間から顔を覗かせたレニー、そしてリティアナと視線があった。
「その…やっぱり、これって僕が悪いのかな」
レニーはただ肩をすくめるに留めた。 リティアナは困ったような顔をしたまま、黙りこくっている。
「でも、こうするしかなかったんだ。しょうがなかったんだ…そうだろ?」
二人に同意を求めるように言うと、レニーは困ったような顔で頷いてはくれたものの。
「まあ…そう、ですわね。けどアベル、あなたにもちょっと無神経なところがありましたわよ」
「無神経? 僕が? どうしてさ!」
自分が責められたことが納得できずアベルは思わず声を荒げたが、レニーは小さく首を振る。
「誤解しないでくださいましね。別にあなたの取った行動が悪かったとは私は思いませんし、責めるつもりもありませんわ。伺いましたが、何しろリティアナが怪我されていたわけですし。何が悪いかと言うなれば、間ってところですわ」
だろう、と言いかけたアベルだが。
「でも、それとこれとは別ですの」
レニーはばっさり切り捨てた。
「どういうこと?」
心底判らないという風情のアベルに、レニーは深く嘆息した。
「はぁ…同じ女性として、リュリュにはいたく同情を禁じえませんわね」
「だからどういうことだよ!」
上からの物言いにアベルはかっとなるが、レニーは冷たい視線で返した。
「みっともなく私に当り散らすのはお止しなさいな。判らないようだからここははっきり教えてさしあげますが、あの子は単に謝罪の言葉だけ欲しかったんですの。あの子も馬鹿じゃないから、リティアナが夜の森の中で怪我したことの危険性くらい理解していますわ。間が悪く行き場の持って行きようの無い怒りだからこそ、あなたにまずは謝罪して欲しかったのに、あなたは真っ先に言い訳し、のみならずリティアナの名前を出した。だから私は無神経だと言ったんですわ」
「けど、僕は別に悪いことをしてない…いや、約束をすっぽかしたことは悪いと思うけどさ」
レニーはもう一度肩をすくめた。
「なら、私ではなくリュリュにそう言うべきですわね。大体、あんな言い方をしたらリティアナは心配するけどリュリュはどうなってもいいと言ったようにとられてしまいますわ」
そういわれると返す言葉も無い。
それでも間違ってると思いたくないアベルは、言い返したい衝動をいかんともしがたかった。
「それは…でも、やっぱりしょうがなかったのに、僕が謝らないとならないのは変じゃないか?」
レニーは深々とため息を吐いた。
「…その理由についてはご自分でお考えなさいな。私は必要と思えることはもうお話ししましたわ。これ以上はリュリュの名誉のためにも何も言わないことにいたします。それではおやすみなさい」
そうきっぱり告げたレニーは依然申し訳なさそうに小さくなっているリティアナを支え、尚気持ちの治まらないアベルをその場に残し天幕へ戻ってしまった。
一人残されたアベルは、どうしていいか判らずあたりを見渡した。
「けど、やっぱりどうしようもないじゃないか…」
今更ながらに自分のしたことが恥ずかしく思えてきたアベルはそれを誤魔化すためやや大きめの独り言を呟いたが、返事は返ってこない。
こうして楽しかったまま終わるはずだった野営訓練は、何人かの胸のうちに苦いものを残し終了したのだった。




